第2話 宮城は今日も私に五千円を渡す(2)

    ◇◇◇


 小さく息を吐き、私は七月の記憶を辿たどるという行為をやめる。

 あの夏、本屋で財布を忘れたことに気づいた私は、短い冬休みが終わって始業式があった今日も宮城の部屋にいる。

 理由は、呼び出されたから。

 ようするに、あの日にした契約はいまだに続いている。

 ベッドの上、私はごろりと横になったまま漫画を開く。

 いつもの命令ごっこはまだ始まらない。

 部屋に入って、五千円を受け取って。

 それからしばらくは自由時間みたいなもので、宮城が命令してくることはない。最初のうちは、このなにもない空白の時間が苦手だったけれど、本屋で出会ってから週に一、二回呼び出され続けたせいで今は学校よりもくつろげる時間になっている。

 本棚にずらりと並んだ本をあらかた読んでしまっている私は、お気に入りの漫画を手にベッドの上に横になるくらいこの空間にんでいた。

「仙台さん、冬休みなにしてた?」

 ベッドを背もたれにして床に座っている宮城が感情のこもらない声で言う。

「勉強してた」

 うそではない。

 受験に備えて、予備校の冬期講習に参加していた。勉強の合間には、たちに会って初詣に行ったり、買い物に付き合ったりしていたから冬休みはそこそこ忙しかった。

「宮城は勉強した?」

 彼女の成績は悪くはないけれどそれほど良くもないようで、私は苦手教科の宿題をよく押しつけられている。

「してない」

「宿題、全部やったの?」

「やったけど、仙台さんに頼みたかった」

「休み中の呼び出しは契約外だからね」

 私たちが会うのは放課後だけで、学校がない日は会わない。

 そういう約束になっている。

「わかってる」

 さも残念そうにため息をついてから宮城が漫画を読み始め、会話が途切れる。

 彼女とは、共通の話題がない。

 学校の話やドラマの話、雑誌の話なんかを振ってみたことがあるが、宮城は興味がないのか面倒くさそうに相づちを打つだけで話にならなかった。だから、私は彼女と会話を楽しむという行為を放棄している。宮城との会話の糸口を探すなんて、海に落とした指輪を見つけるくらい難しい。

 彼女との会話が途切れたら、無理に結んでつなごうとしたって無駄だ。私はこの数ヶ月で、切れた会話は切れたままにしておけばいいということを学んでいる。

 静かになった部屋の中、私は体を起こしてブレザーを脱ぎ、ベッドの下へ落とす。宮城は寒がりなのか、この部屋はいつも暑い。私はネクタイを緩め、ここに来る前から一つ外してあるブラウスのボタンをもう一つ外す。

 またベッドにごろりと横になって漫画を手にしたところで、宮城が言った。

「こっち来て」

「命令?」

「うん。ここに座って」

 みやが立ち上がり、自分が座っていた場所を指さす。

 これからなにが起こるのか。

 言われなくてもわかる。でも、私はベッドから下りて床に座り、わざとらしく聞く。

「どうすればいい?」

「脱がせて」

 ベッドに腰掛けた宮城が静かに言った。

 彼女の言葉は予想通りのもので、太ももの上に足が置かれる。

 去年の十二月、それまでの上限を超えた命令によって初めて宮城の足をめた。そして今日、私はまた彼女の足を舐めることになるらしい。

 目の前には、色黒というわけではないが、白いわけでもない健康的な足がある。私は靴下を脱がせ、普段は覆い隠されている足の裏に触れる。しっとりしているけれど、触り心地は悪くない。土踏まずを柔らかくでてから親指の付け根まで指先を走らせると、びくりと足が揺れた。

「舐めて」

 足裏を撫でたことが気に入らなかったのか、宮城が低い声で言う。

「わかった」

 短く答えて、彼女のかかとに手を添える。

 小さく息を吐いて、吸う。

 指先に軽く力を入れてかかとの感触を確かめる。

 顔を近づけ、少し冷たい足の甲に舌をぺたりとつけて、ゆっくりとわせる。

 宮城がなにを考えているのかわからないけれど、足を舐めさせるなんて随分とニッチなジャンルを攻めてくるなと思う。エロ漫画の音読から始まって足舐めに至るなんて、学校で見る宮城からは想像できない。

 地味で、目立たなくて、名字しか覚えていなかった。本屋で財布が見つからないなんてことがなければ、一生話をすることもなかったかもしれない。

 私は今、そんな女の子の足を舐めている。

 柔らかくて、滑らかで。

 でも、美味おいしくはない。

 舐めているのはあめだまではなく人の足なのだから、当たり前だ。だからといって、気に入らないわけではない。

 指の付け根に舌先を押しつけて、足首に向かって舐め上げる。

 ゆっくりと、時間をかけて。

 乾いていた足が少しずつれていく。

 足首の少し下で舌を離して顔を上げ、宮城を見る。

 頰が少し赤い。

 この間もそうだった。

 気持ちが良さそうだと言ってもいい顔。

 そんな顔をしている。

「こっち見てないで、続けてよ」

 不機嫌な声が降ってくる。

 宮城は自分の表情に気がついていない。

せんだいさん、舐めて」

 私は返事をせずに、宮城の足先に歯を立てる。

 強く、歯形がつくくらい強くむ。

 抵抗するように宮城の足が動いて、頭をつかまれた。

「痛い。この前も言ったけど、命令以外のことしないでよ」

 大人しく足の指を解放すると、ふう、と小さく息を吐く音が聞こえた。

 初めて足を舐めろと言われた日に指を嚙んだのは、彼女に反抗したかったからだ。

 命令に従うこと自体に抵抗はない。それでも、足を舐めろと言われたのは見下されたようで気分が悪かった。だから、嚙んだ。

 でも、今は違う。

 宮城の反応を見たくて嚙んだ。

 私は嚙んだばかりの足先に舌をつけ、指を舐め、ゆっくりと濡らしていく。

 足の甲にそっと唇をつけ、キスするみたいに何度かくっつけて離すと、髪を引っ張られ、顔を上げることになった。

「仙台さん、やめて。そういうの気持ち悪い」

 視線は鋭いが、引っ張られた髪は痛いというほどではなかった。

「そう? 結構良かったりしない?」

「しない。気持ち悪い」

 摑まれていた髪が離される。

 宮城は眉根を寄せているけれど、頰は薄く染まったままだ。

 彼女の顔は、嫌いではない。

 特別わいいわけではないが、可愛いほうに分類できるかもしれない。メイクをすればもっと可愛くなりそうだけれど、興味がないのかしていない。もったいないと思うが、わざわざ伝える必要もない。

 私は、宮城の足に口づける。

 呼吸が乱れていたわけではなかったから、彼女の頰が赤かったのは部屋が暑いからなのかもしれない。それでも宮城がいつもとは違う顔を見せるから、私は足を舐めるくらいたいしたことではないと思い始めていた。

「ちゃんと舐めて」

 肩を軽く蹴られる。

「暴力は契約違反」

「こんなの暴力じゃないし」

 また軽く蹴られて痛くもない肩を押さえると、宮城が「舐めて」ともう一度言った。私は黙って、舌先で足の甲に触れる。

 逆らおうと思えば、いつだって逆らえる。

 彼女は命令していうことをきかせていると思っているのかもしれないが、命令させてあげているだけだ。

 私はいつでも契約を反故ほごにして、ここを出て行くことができる。でも、この部屋は居心地がいいからここにいてあげている。

 私は、少し冷たい足の甲に舌を這わせていく。

 べたりと濡れた足の甲に唇で触れる。

 宮城の足が小さく揺れる。

 たぶん、三年生になっても、クラスが替わったとしても、宮城は私を呼び出して五千円を渡す。そして、私はそれを受け取る。

 五千円が欲しいわけではない。

 私に命令して、いうことをきかせていると信じている宮城をもうしばらく見ていたいだけだ。だから、高校生の間くらいは宮城のくだらない遊びに付き合ってあげようと思う。

 どうせ、大学は違うだろうし、今だけだろうし。

 期間限定と考えれば、今の関係は悪くない。

 私は、唇を離して小さく息を吐く。

 そして、宮城の足に歯を立てた。

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