8-17「命の価値」




 ──それは、しばし沈黙していたミリアから投げられた。



「…………全体的に同意だし気持ちわかるんだけど、さっきのあれは反対だな?」

「……うん? あれ・・って?」

(……どれだ?)



 唐突な言葉に首を捻る。

 《あれ》と言われても、エリックはすぐにピンとくるものがなかった。

 

 『さっき』と『反対』と言われても、ミリアとの話は濃厚だ。ここ、オリオン平原に来てからでさえ、常に会話をしていたようなものだった。そんな状態で『あれ』と言われても、絞り込めるはずもなく────


 脳内を探し黙るエリックのそばから、『答え』ははっきりとした声で放たれた。



「────さっきの、『命を賭ける』ってやつ。それ・・には反対」

「……?」



 言われたことが。

 またも、ピンとこなかった。


 ────確かに『命をかけて護る』とは言ったが、それは『そんな相手が現れたら』の話である。父も母も乳母も鬼籍に入っている彼にとって、そこまでを捧げる相手などいないし、この先現れる気もしない。


 あくまでも《だったらそうする》の話で、そこまで真面目に反対されることでもない。


 ──そう、戸惑いを口の中に。

 エリックが一瞬、(──いや、架空の話で)と訂正を入れようとした瞬間。

 ミリアは、顔に真剣を宿して淡々と述べた。



「……その覚悟は立派だと思う。でも、エリックさんが『死んでも守りたい』って思うほどの相手ができたとしたら、その人にとっても、おにーさんは『すごく大切な人』になってると思うから。『命を賭ける』のは違うと思う。そこ、生存できる方法探すべき」


「…………」

 言葉は出ない。


「あのね? おにーさんと話してて、想像力あるなと思った。視野広いなあって、いつも思ってる。感心している。亡くなった人の家族関係とか、見知らぬ人の家庭の事情のこと考えられる。これって結構すごいことだと思うのね? ──のに、自分が命をかけた後どうなるか、わからないんだ?」

「…………」



 すぐに返事は出なかった。

 彼女の瞳に見射られて思わず目を反らす。

 言わんとしていることは解る。


 しかし、《命の価値》を自らに当てはめた時──。


「────…………それは」

(……『重々、わかっている』)

 ────『政治的価値』としては。


 ミリアの眼差しから逃げた頭が並べ立てるのは、『自分が亡き者になったあと』の政治的状況だ。


 ノースブルク諸侯同盟円卓会議は白熱するだろう。

 次に誰が領主となるのか議論が起こり、下手をすれば血が流れる。

 オリオンの家は? 資産は? 誰が魔具取り引きを引き継ぐ? 使用人は? 皆の働き口は──と高速で流れるそれを差し止めるように、ミリアの眼差しが語るのだ。



 『──そこじゃないよ』。



「………………」

 

 貫かれたような感覚に陥り顔を反らした。

 盟主として産まれた時点で、命などあってないようなもの。

 『命も・結婚も・恋愛も、全て家のために捧げるもので、そこに自身の価値などないようなものだ』という根元に問いかけてくるようで──顔が見れない。




「──死んだら泣くよ?」


「…………、まあ」

「死んだら泣くよ?」


「…………」

「怪我しても心配するよね?」


「…………もとより、この命は」

「貴族のことよくわからないけど、オリオンさんも絶対悲しむと思う」

「…………」



 ────情けなく黙していた。


 さんざん言われてきた言葉モノと一緒なのに、彼女の言葉それは心に刺さって『痛い』。



 どうして今までのように、『条件付きだろ』と吐き捨てられないのか。

 ずっと胎のうちで嗤ってきた。

 『盟主であるから』・『当主であるから』。

 『────それは、死なれたら困るだろうな?』。


 『お前らの魂胆など見えている』と、自虐を孕んで笑い捨ててきたのに、今それができない。


 『無意識のうちに閉じ込めてきた本音』が顔を出しそうになる。


 ”解ってる”。この命が、自分の物でないことは。

 ”わかってる”。泣く人間が居るだろうことも。


 ”わかっている”。

 その中には、本気で泣くものも、いるかもしれないということぐらい。



 ”わかっている わかっている”

 しかし、────しかし!

「………………っ」



 エリックは地を睨み口をゆがめ拳を作った。

 自分でどうでもいいと思っているものを、大事にしろと言われても、すぐに変えられるわけなど無い。


 ──しかし、そんな醜いさまを、ミリアに見せられるわけがない。 


 迷い、揺れ、苦しさを孕む心の中。

 それでも言葉を探すエリックに、ミリアはひとつ、パッ”っと両手を胸の前で広げると、気が付いたようにパタパタと手を振りフォローするように眉を下げ言うのである。



「────あ。『一生かけて大事にする』って意味で言ってたらごめん。でも~、なんか~あの~、まるで『危ない時は身代わりになる』『その人を守るためなら死ねる』って感じで聞こえたから、つい」



「…………まあ……………………その、」

「……あながちハズレじゃなかった系? キミ真面目だもんね。そこは解ってるつもり。でも、命はひとつ。仕事は一杯あるけど」


「……………………」

「とにかく~。大事にしてよ。死んだら悲しいの」


「…………」

「その人、大泣き。わたしも、泣くよ? オリオンさんもだよ。いのちは、大事に」

「…………」



 言葉に恐る恐る目線だけを上げた。

 混迷している自分の向こうで、彼女は迷いのない視線を向けている。


 ──そんな、はちみつ色の瞳を、じっと見つめて────



「…………………………わかったよ」



 出たのは情けない声だった。

 命を懸けると言った後に、ここまで力なく答える羽目になるとは、思いもしない。



 あの『命を賭ける』という言葉は、ただの願望であったのに。


 ありもしないこと。

 『だったら』の話。

 『だといいな』の話。

 

 

 ────しかし、心の奥底で。

 …………金や立場に寄ってくる相手と婚姻を結び、家や国にこの身を賭けるのなら『本当に護りたいと思った相手のために命を捧げた方が本望だ』と思っていたのは事実だ。


 『盟主』という立場の人間にはあるまじき考えがあったこと。

 願いのようなものがあったことは、事実だ。



(────痛いところを 突かれた気分だ)


 

 胸を支配するのは、苦しみと痛み。

 隠していた心の奥の方を貫かれたような感覚。


 しかし、それらを飲み込み受け入れるように、彼は大きく息を吸い込み──

 閉じたまぶたをゆっくりと開ける。


 ──────はぁ……

「…………手厳しいな、君は」



 再び苦く、弱弱しく笑っていた。

 完敗だった。


 ──痛い。

 …………確かに、”痛い”。

 ────だがしかし。


 痛烈な痛みを噛み締めながら。

 静かに呼吸を整えるエリックに、ミリアの──慌てた声が飛ぶ。



「えっ!? ちょ、まって!? そんなに厳しいこと言ったつもりないんだけどっ」



 慌てふためくミリアの『まったくわかってない』様子に、苦みを残した胸の中が和らげていく。


 強張る顔を清々しい負けで彩り、彼は笑った。



「………………はあ、完敗だ」

「えっ!? なんか、────えっ? ごめん、えーと、怒ってるっ?」

「……いや、怒ってないよ」



 静かに首を振る。

 ────気持ちが 落ち着いていく。



 喰らった胸は痛いし、いまだ苦いし、奥の奥は、苦しいのだが、雁字搦めになっていた『なにか』が──『ほんの少しほどけた様な』。



 そんな心持ちに 顔が、上がる。

 『今の答え』は見えた気がした。



「…………少なくとも。『君が泣くことの無いように、力をつけなきゃ』……と思ったかな」



 ────それは、諦めか、開き直りか。

 居直るように言うエリックに、しかしミリアの、不思議そうな丸い瞳はまっすぐ返るのだ。



「? なんでわたし。」


「…………”相棒"だろ? 『危なかったら助ける』って言ったよな?」

「言われました」


「──……そういうこと。 相棒のピンチぐらい助けられずに、本来護るべきものを、護れるはずもないから」


「……なるほど〜? でも『護る』って、なにから?」

「……そうだな、黒衣の悪魔セタ・ギャガとか?」


「…………あぁー、カラスの親分……。ガーゴイルのカラスバージョン? だっけ? あんなの、この辺じゃ出てこないじゃん」

「まあ、な。そうかもしれないけど」



 ミリアに合わせて交わす軽口とは裏腹に、心が、決まっていく。



 ───痛みは肚の中で落ちていった。

 ───国を守ること。

 領地を守ること。

 家を守ること。

 それは『当たり前のもの』として、──”且つ”。


 『何か想定外のことがあったときに』。

 『自分が選んだ人を、守れるだけの力を』。



(────求めることは許されなくても。護る力をつけるのは……、良いだろ)



 胸の内。言い訳気味に呟き、エリックは微笑んだ。



「────だから、……俺に教えてくれる? 魔道士殿? 君を護れるだけの力を、『手取り足取り』」

「ふふ~。 手も足も取らないけど、いいでしょう♪ 基礎の基礎から教えてしんぜよう〜♪」



 エリックの冗談をきっちり受け流して、両手をあげるミリアの前で、彼の手の中、しっかりと握られた魔術のカードは、待ちわびるように、煌々と光を放っていた。 







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