6-1「待ってたの!」




 その日、エリックの気持ちは穏やかだった。

 久しぶりの街の中。

 旧街道を行き交う人も店も、どことなく活発に見える。

 


 あれから数日。

 やっと訪れることができた旧街道。


 国際連盟円卓会議も済ませ、キャロラインにつつかれた舞踏会の手配もした。盟主としての舞踏会の準備も済んだ。


 舞踏会の日程については、今後の『毛皮の件』やその他スケジュールの都合もあり、直近で「開催できるであろう日程」にねじ込んだ。


 それもこれも、『毛皮の件』に時間を割きたいからだ。

 


(…………他のことは済ませたし、これで任務に取り掛かれる)



 と呟くエルヴィス……いや、エリック・マーティンの足取りは軽かった。


 8月の、燦々と降り注ぐ日の光を受けているのにもかかわらず、だ。


 それというのも、実はこの彼。

 夏が苦手なのである。


 彫刻のような外見と雰囲気から、『心頭滅却すれば火もまた涼し』とか『暑さなんて気合で乗り切れる』とか言い出しそうなのだが、彼は北国シルクメイル地方で生まれ育った男だ。

 暑さに弱かった。



 本当なら、もっとラフな格好をしたいし、部屋の中なら上半身は裸でいいと思っているのだが──彼の立場・・が、それを許してはくれない。



 彼は『盟主エルヴィス・ディン・オリオン』。調査機関のボス『エリック・マーティン』。副業モデルの『リック・ドイル』。


 貴公子であり、革命児であり、モデルであり、裏のボス。



「…………でも、暑いな」



 しかし、身分それと暑さは別問題。


 街行くエリックの手が伸びるのは、首元。

 開けた胸元をぐぐっとひっぱり、ぱたぱたと仰いで空気を送り込む。



(……ベストがあると、熱がこもって仕方ない)



 ゲンナリと呟き思い出すのは、リチャード王子の言葉だ。


 『暑いなら脱いだらいいのに。オレなら耐えられないね』


 それに対して『脱げるわけないだろう? 貴族としてここにいるんだから』と、ピシャリと返答したのがついこの前。


 本当なら脱ぎたいが、気を張っていなければならない相手の前で、だらしない姿を見せられるわけがなかった。



 しかし。


(あぁ、暑い……ミリアに言っても仕方ないのは重々承知だけど。次の紳士服の流行りは、もう少し通気性のいいものをお願いしたい)


 と弱音。


(民に馴染むよう身に着けてはいるが、夏にベストと詰襟つめえりのシャツなんてどうかしてる。暑くて仕方ないんだけど?)

 


 いくら北国だとは言え、詰襟はナンセンスだろとげんなり愚痴るエリックの視線の先。遠く捉えた目的地に、小さく息を抜いた。


 見えた店構え・緩やかに上がる口元。脳裏に浮かぶ────ミリアの顔。




 ──さあ、今日は何を話そうか。


 リチャードにもらった『マジェラのカード』のことを聞いてみようか。それとも、作戦会議をしようか。するのなら、どう運んでいこうか。


 それらを考えて、少しばかり心が浮き立つ。



 ──しかし、思考人間の彼は、休む間もなく考えを巡らせるのだ。『次なる一手』を考える。



(……ミリアはいいとして、次はオーナーだな。彼女について回るにしろ、店の手伝いをするにしろ、オーナーにはきちんと挨拶をしたい)



 まだ見ぬオーナーに思いを巡らせ、彼の足はビスティーの前へとたどり着き、同時に足を止めた。



(────”closedクローズド”……? 店にいるのに?)



 吊るされた看板を目にして、瞬間的に首をひねる。

 今日は定休日ではないはずだ。


 自然と視線が行くのは店の中。


 ガラスの向こう側。closedクローズドの札はかかっているが、ミリアはいつものようにカウンターの向こう側で作業をしている様子。



「…………?」


 店にいるのに閉店とは。

 

 エリックは、瞬間的に瞼の中で瞳を惑わせ『こんこんっ』。


 瞬間的に上がるミリアの顔。

 ばちっと目が合ったのを合図に、彼は扉を押し開けて──



「────……ミリア? 今日は店を閉めているのか? 大口の注文でも入っ」

「────きたっ!」

「…………!?」


 

 エリックの言葉をかき消して。

 カウンターの内側から飛んできた声に驚き目を見開く中、ミリアは彼の前に飛び出ると、



「待ってた! マッテイタ! 待ってたのキミをっ!」

「────ど、どうした? そんなに歓迎してくれるなんてう」


 ────わしっ! むんずっ!

 ────── カ ッ !!!!!!!


「キ ミ の ご 主 人 様 。やるならヤルと早目に言ってくれる???」

「…………えっ?」



 その剣幕に、またも『話題』がすっ飛んだのであった。




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