3-9「雨上がりのひと時」






「……いや、早くハゲそうだなって」

「はっ?」


「眉間にシワも残りそうだなって」

「ちょっと。」


「…………まだ若いのに…………」

「それ、どういう意味だよ? 俺の親族に毛髪の薄い人間はいないんだけど?」



 顔全体を『憂いと哀れみ』で染め上げ、視線を反らされ食って掛かった。


 確かに普段から『小難しい顔をされていますね』と言われることはあるが、『将来はげそう』などと面を向って言われたのは初めてだ。



 思わず『盟主』も『スパイの仕事中』なのも忘れ迫るエリックに、しかしミリアの調子は変わらないのだ。ふらふら〜と頭を揺らしながら、ゆる〜い口調で言うのである。



「親とかじゃなくて、難しいことばっかり考えてて気苦労が多そうだなあって思ってさー。もっと気を抜いてぬる〜く生きていけばいいのに〜」


「君に言われなくとも。抜くところでは抜いてるよ、ちゃーんと」

「ほんとにー? さっき『いや、こんなに笑わないよ』って言ってた気がするんだけど~」

「…………」

(──確かに。それは、そうだけど)



 真似されながら覗き込むように言われ、言葉に詰まった。

 内心『意外に聞いてるんだな』と、気まずさが走り抜けるエリックの前で、ミリアはすっと身を引き、戯けた様子で肩をすくめ



「……おっと、これまた失礼っ。キミのこと何も知らないのに、ちょっと言いすぎたね?」

「………………いや」


「でも笑った顔いい感じだったから、もっと笑ったらいいと思う〜」

「…………」



 かる~いトーンで言うミリアになぜか。

 言葉を返せなかった。


 『笑わない』とか『本音が見えない』とか彼 エリック・マーティンが陰で言われ続けている言葉だ。


 だからと言って変に笑いを取ろうとは思わないし、これでも愛想は振りまいている。これ以上どうしろというのかという気持ちの隅で、冷静な頭が囁くのだ。


 『望んでいるから。当たり前だ』と。


 ──踏み込まれたくない。

 だから笑みなど作らない。

 


 しかし、言葉がこだまする。『笑ったらいいのに』。

 『笑ってください』でも、『盟主らしく』でも『愛想がないぞ』でもなく、外のほうから「ぽーん」と。やや無責任に投げられたそれが、響いてもやになる。



「──……、『もっと笑え』って言われてもな。……普段から笑ってると思うけど」

「それってもしかして、会釈程度のスマイルのこと? そうじゃなくてこう、『あはははは!』ってやつ。さっきみたいなやつ」



 躊躇いがちに発した意見に、返事は間を置かずに返ってくる。



「おにーさん、しないって言ってたじゃん?」

「……──それは、」

 言葉に詰まる。うまく、出てこない。



「…………柄じゃないだろ?」

「そーだろーか?」



 迷いながらの言葉に返ってきたのは、あっけらかんとした声とキョトン顔。

 かみ砕けないナニカが、胸の中で異物感を残す中。

 そんな心情など知ったこっちゃないと言わんばかりに、ミリアは《くるん》と振り向きお道化た様子でこちらを見ると、


 

「ガラとは、だれが決めるのでしょうか? わたくしには解り兼ねるところではございますが、お兄さんの笑った顔、ガラじゃないって感じじゃなかったけどな~」

「…………」



 言われて、少し。

 生まれ出た迷いのような何かが、ふっと軽くなったような感覚に襲われ足を止めた。三歩ほど先を行く彼女は、まるで雨上がりの世界を切り開いていくようで──


 その明るさに躊躇うエリックに、ミリアは空を仰いで笑う。



「たのしそーに笑ってたじゃん。さっき、わた、」



 肩越しのからりとした笑顔が、次の瞬間には



「わた、……わたしの。」

 悔いの混じった赤面に変わり、


「ひと……、ひとり芝居にっ……! 不覚っ……! 思い出した……! ──くっ……! 穴があったら入りたい……っ!」

「……ふ……!」



 みるみる自爆して行った彼女に吹き出し笑った。

 ちらりと見下ろすその先で、ミリアは両手で顔を覆う。

 その様子に、また・・もう一度・・・・



(────……フ! ……いい空気だったのに、何やってるんだ?)

「──ふふ、また、思い出したんだけど?」



 彼は笑った。柔らかくにぎった拳で、口元を隠しながら。

 意地悪を纏い、伺うように。



「もー、忘れてって言ったじゃんっ!」


 

 彼女は叫んだ。恥ずかしさをはじき返すような、勢いのある声で。

 


 ノースブルク諸侯同盟・オリオン領の西の端・ウエストエッジの一角。

 通りを行くミリアが、『……やばい! 通り越しちゃった!』と言い、二人で慌てて引き返したのは──この、数分あとの話。






 ────そして彼女は聞くことになる。

 布の問屋から────耳を疑いたくなる事実を。



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