3-7「普通です」
ビスティーをあとにして、ふたり。
ひとつの傘で歩く、人通りのない住宅街。
立ち並ぶ家々の雨に濡れた白い壁が、赤茶けた屋根と、差し込み始めた日の光で煌めく中。
むわんとした湿気と雨に濡れた白い壁の眩しさに、ミリアは「うっ」と顔をしかめ目を細めた。
「……ま、まぶしい……」
強くぎゅっと目を閉じるミリアの隣、傘から手を出し空の様子を伺うのはエリックだ。降り注いでいた細やかな雨はさらに弱くなり、もう、手のひらに当たることもない。
「……止んだか?」
「だから言ったじゃん? 『どーせ荷物になるから』って」
空を伺いながら足止めて傘をたたむエリックに、ミリアも立ち止まってそう言った。
見上げた青い空からは、未だ『ぽすっ、ぽすっ』っと髪を打つ雫が落ちてくるが、この先天気が悪くなることはなさそうだ。
そんな空を仰ぎながら、ミリアが『このまま上がりそーだねー』と呟いた時。
エリックはミリアに、お得意の溜め息を零し──ジト目を送る。
「……君の『荷物になる』は、雨が止むのを予測したわけじゃなくて。『傘をさす余裕もないぐらい荷物を持て』って意味だろ?」
「のんのん。『帰りに傘をさすのは大変だと思うから、わたしが守ってあげる』ってことですね?」
にこにこ、うんうん。
言うミリアのその顔は余裕で得意げだ。
しかし。エリックにはバレていた。
(……『荷物を』、だろ。察しはつく)
(──『荷物を』、ですが。ここは、言わなーい。言わない方がいいやつ〜)
ジトッとした圧をかけるエリック。
しれっと流し歩き出すミリア。
ほぼ、雨の上がった住宅街。
コツコツと歩みを進める二人の間、もの言いたげな空気を放つエリックと、誤魔化し逃げ切りたいミリアの空気が入り混じって────
「……どちらにしても、荷物持ちだろ?」
「『ひま』って言ったのが運の尽きです」
「……『暇』とは言ってないと思うけど?」
「『休み』っていった。ひまじゃん」
(……むしろ仕事中だ)
ああ言えばこう言う彼女に、唇の裏で呟くエリックの視界の隅で、ミリアはというと『ふふん』とすまし顔だ。このまま乗り切ろうとしている彼女に、エリックは小言を言おうとするが──、ため息に逃して諦めた。
いちいち彼女の揚げ足を取っても仕方ないと判断したのだ。それをせずとも『彼女に取り入って情報を得る』という目的は着実にこなしている。
現にこうして買い物に誘われて──いや、引っ張り出されているのだから、下手にトラブルの種を作ることもないだろう。
「……で、聞き忘れたんだけど。どこに行くんだ? 夕飯の買い物?」
「ううん、布屋さん」
「……『布屋』?」
「そうそう~! 普通のところじゃなくて、いわゆる問屋さん。組合の会員証がないと入れないところね。たっくさん布あるから、多分驚くと思う~」
「──布の……問屋……」
自分の隣をせかせか歩きながら、ポシェットの中から会員証を引っ張り出し見せるミリアに小声で呟く。
(────これは好都合だ)
黒き瞳の奥で野心が光る。
こんなに早くチャンスが来るとは思わなかった。
偶然とはいえ、通常は入れないところに入れるのは大きいだろう。
もし、行った先で何も得られなくとも、毛皮布地の取り扱いなど観察できる部分はたくさんあるはずだ。
隣で『やっぱり夏は麻だよね、気持ちよさが違うじゃん?』と話しまくる彼女をよそに、エリックの気持ちは確信に変わる。
────この女、やはり役に立つ。
(……雨だっていうのに無理に出てきてよかったな。本当なら、湿気が強い日は出たくないんだけど)
言いながら、エリックがさっと目を向けたのは、誰かの家の窓ガラス。
湿気で跳ねる癖毛を目にしてうんざりと、しかしこっそり髪を治すエリックの隣で、ミリアは”びしっ!”っと親指を立てると
「だからねー。荷物。よろしく!」
「──ああ、うん。俺も楽しみだよ。新しい場所に入れると思うと、胸が弾むよな?」
「………………少年のような……」
「フフ、子供っぽいと思った? 君もそうなんじゃないか?」
「…………まあ。気持ちはわからんでもない」
「────フッ! ……君、そういうところは素直だよな」
「……………………」
隣でやたらとご機嫌そうに。
くすくす笑うエリックに、ミリアは顔のパーツを平たく伸ばして沈黙した。
(……いまの……いったいどこに笑う要素があったのか……)
内心こっそり首を捻る。
どうも先ほどから彼のツボに入ったらしく、クスクスと笑われているのだがミリアにとっては、それが不思議で仕方ない。
なぜなら、彼女は突飛なことをしているつもりがないからである。
(……まあ、一人芝居に関しては? 面白かったかもしんないけど? …………今、笑うところあった……??)
と、不思議をこねくり回すをミリアの隣。
ご機嫌なエリックはその表情をさらりと変えると、
「けれど、こういうものって……普通は問屋の方から卸しに来ないか?」
「──あ。うん、来てくれるよ~」
「じゃあ、なんでわざわざ?」
「──ふっふー♪ 『雨の日特別デー、10%オッフー』♪」
突然。
陽気な鼻歌混じりで答えたミリアは指で『10』を作り、そのままテンション高めに話し出すのだ。
「10%だよ? じゅっぱー! 同じものが10%も安かったら行くでしょ! 問屋さんって普通こういうことしないんだけど、そこは別でね? 雨の日大特価なの! 大雪とか嵐とかじゃない限り、10%は大きい! 行くっ。行くしかない!」
「…………へえ。流石にそういう時は出ないんだな?」
「……………………人をなんだと。」
「──……自覚ないのか? 君、かなりの『向こう見ず』だろ?」
「………………」
「ナンパに駆けていくし、ナンパに嚙みつくし、靴は投げるし」
「────まあ。否定できない」
「…………」
(……そこは認めるんだな?)
会話の中で距離を測りながらツッコミを入れるエリックを横に、ミリアは『ううぅぅん』と悩ましげに眉を寄せ、腕を組み、力いっぱい首を捻ると、
「どーも。どおおおおも、見過ごせないっていうか。なんか、体が動くんだよねぇ?なんでだろうねぇ?」
「…………俺に聞くのか? 自分のことは自分が一番よくわかるだろ?」
「うん、だからあのね? 漫才とか無理な感じです。自覚ないもん」
「…………え。
「掘り返してみました」
(『みました』って……、……いや、えーと)
体感、1時間ほど前までぶっ飛んだ会話に一瞬固まる。
エリックが一瞬(どういう思考の作りをしてるんだ?)と眉を寄せる最中。
ミリアはキラキラお澄ましスマイルで『うんうん』と頷くと、その顔を、手のひらを返したように真顔に戻し『さも当然』と言わんばかりの眼差しで──言う。
「だってわたし、面白みとかないじゃん?」
「………………え」
『ね? そうでしょ?』と言わんばかりに右手を開き、左手を腰に当てはっきりと。
その様子、威風堂々。
ズドンと構えて、自分の発言に一切の疑いも持っていない。
思わず言葉を失う彼の前、彼女はそのまま『超! 真面目!』な面持ちで述べるのだ。
「超~~~~ふっつううううでしょ? めっちゃノーマルじゃない? ノーマルと書いてわたしと読むぐらい普通じゃない?」
「…………。」
(──いや、何を言ってるんだ? 君は。)
ツッコミも追いつかなくなった。
──少なくとも。
彼、エリック・マーティン……いや、盟主『エルヴィス・ディン・オリオン』のその周りは一人芝居でモノに話しかけたりし・初めての人間に靴を投げたりしないし・誘いに対して現状報告を繰り出したりもしない───のだが。
対応が遅れ黙り込む自分の視線の先で、とてもとても不思議だと言わんばかりに首を傾げるミリアに、エリックの考えは……口から突いて出ていた。
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