3-6「修行が足りないのでは?」




 総合服飾工房オール・ドレッサーとは、衣類のトータルサポートの場所である。




 穴あき・お直し・裾直し。

 着合わせ相談・提案そして販売受注。

 ドレス・ワンピの仕立てからボタン付け。


 プロの技術と速さで、正確・きれいな仕上がりを約束する代わりに対価を得る『作業場所』。


 そんな総合服飾工房オール・ドレッサーでの昼下がり。

 エリックが持ち込んだベストやシャツのボタンをカウンターを挟み、二人・・で縫い付けていた。 



「──ミリア。これは?」

「上のボタンと一緒、糸がクロスになってるからクロス仕上がりで~」



 針と糸を持ち、互いにちくちく ちくちく。

 ひとつひとつ、糸の色や太さを合わせていくふたり。


 なんとも穏やかな光景である。



 ふと、手元の糸に違和感を覚えたエリック──いや、盟主兼スパイの彼は眉をひそめ、



「…………これ、微妙に色が違うか?」

「ああ~、その色あったかなあ~?」



 目の前に糸を持ってきて首を捻るエリックに、首をかしげるのはただの着付け師・ミリア。


 些細な違和感に対して「……うぅん、この辺にあったはず……」と身をよじり、後ろの棚から糸を探すミリアを視界の真ん中に、エリックは手を休め、振り返っていた。



 『ボタンを付けてくれ』と仕事を持ってきた自分に、ミリアが『っていうかボタンぐらい自分でつけたら?』と言い放ったのがついさっき。


 彼は一瞬『いや、仕事を頼んでるんだけど』と返そうとしたが、転じて手伝う方向を取った。


 それは、自身の──引いては任務遂行のためなのだが、純粋に彼は学ぶことが好きだった。



 『知識や経験は、誰にも盗まれない』。



 知っていることが・身に着ける技術が ・少しでも多いほど誰にも頼らず生きていくことができる。


 彼はそれを知っていた。


 付け加え、ここで協力する姿勢を見せれば────彼女の印象もよくなるはずだ。


 ……まあ、オリオン家の執事や使用人が見たら大慌てで止めに入りそうなシチュエーションだが、屋敷の人間はここにいない。

 


 ボタンの付け方を習い、自分で針をくぐらせ糸を通す。

 やり方さえわかれば簡単な作業を、一つ一つしっかりとつけていく、 盟主 兼 組織のボス。



 ラジアルのメンバーが見たらそれこそ『ボス、何やってるんですか?』と真顔で聞かれそうな事柄である。が、しかし、今ここに組織の人間は(以下略)。



 ──『衣類のボタンを縫い付ける』。

 それは、生まれて初めての作業だったが(……なかなか、没頭できるな)と呟くエリックの視界の隅で。よどみなく動いていたミリアが止まり、覗き込むよう首をかしげると、



「ねえ消えた? さっきの記憶消して?」

「……はい?」

(記憶を……消す???)



 一瞬言われたことがわからず、ぽかんとするエリックに対し、ミリアはハニーブラウンの瞳を翻し『ばっ!』と両手を眼前に差し出すと、



「はい今、はいはい! 今いま消して、はい消して! パチン! はい! 消えた!? はい消えました! 消えたよね!?」

「────なあ」



 パンパン手を叩きながら捲し立てるように言われ、エリックは半笑いであきれ声を上げた。

 

 あれだけ強烈なことをしておいて、またさらに印象付けようとしている彼女に、呆れしかでてこない。 



「……………わざとやってる? それ、逆効果なんだけど?」

「そんな馬鹿な」


「『馬鹿な』じゃないよ。もっと印象付けてどうするんだ?」


「いやあ、忘れよう?」

「もっと忘れられなくなった」

「────クア〜〜〜! 真面目に勉強しとけばよかった──っ!」



 呆れ混じりに微笑わらい針を引くエリックに、頭を抱えてうつ伏せる彼女。


 そのやりとりはまるでコメディ活劇のよう。彼女がそれを天然で行っているのか、それとも計算なのかはわからないが──

 


 目の前で動きも激しく、表情を劇的に変える彼女を前に、スパイ盟主の気持ちは綻んでいくのだ。



(────本当に、よく動くよな。見ていて飽きないというか、なんというか)



 呟き針の先を『ぷすり』と通す彼。

 ミリアに比べて出来栄えは武骨だが、それでもなんだか『誇らしかった』。



(こんなやりとりができるなんて、な……変な話だけど)



 彼女の言い回し、自分が放った言葉を思い出しながら、糸を引くエリックの胸の内、ほんの少し生まれたのは木漏れ日のような温かさと心地よさだ。



 彼は貴族だ。

 幼いころからそう育てられてきた。


 体裁を装うための振る舞いができて当たり前。盟主の息子・次期リーダー。


 彼には昔から大人でさえ頭を下げる。

 しかし彼はそれが『壁』だと感じて仕方なかった。


 とあるきっかけから、調査機関ラジアルとして動くようになってからは僅かながら気晴らしができたが、それでも彼が『トップ』であることに変わりない。

 


 自然に頬が緩むなんて、体験したことがない。「笑う」のも、彼にとっては「必要な武器」であり、こぼれ出るものでは無かったのである。



 しかし今あるのは、穏やかで、それでいて込みあげてくるような笑みだ。


 初めて芽生えた暖かさ──いや、『心の緩みのようなもの』に、エリックの口からそれらは自然とこぼれだしていった。


 

「────なあ、ミリア。……この前から思っていたけど、君、『面白い』って言われない?」

「…………たまーーに言われる~」



 くすっと笑いかけながら問いかけられて。むくっと起き上がり、ぐしゃっと乱れた髪を整えながら答える彼女。


 その様子に、彼は一笑。

 納得と言わんばかりに表情を緩め口元に手を当てると



「……ああ、だろうな、やっぱり。どうしてくれるんだ? おかげさまでさっきから頬の筋肉が言うことを聞かないんだけど?」

「修行が足りないのではー?」

「はっ? 修行?」



 出たのは素っ頓狂な声。

 あまりにも想定外の意見に目も丸くなる。


 『自分がおかしくなったのではない、ミリアの返しが可笑しいのだ』と理由づけた瞬間これ・・だ。


 まるで対応できない彼の前、しかしミリアはさも当然と言わんばかりにボタンを『玉留め』しながら目くばせをし、すまし顔で言うのである。



「そうそう、修行~。たくさん劇場にでも行って、腹筋を鍛えてきたらいいと思うの。ただの着付け師のわたしに笑わされているようでは『まだまだ未熟』ってことでしょ、おにーさん?」

「…………。…………「ただの着付け師」、ね」

「なに?」



 含みあるニュアンスで呟く彼に、今度はミリアが目を見開いた。


 不思議そうにぱちぱちと瞬きをされ、まず一瞥。そして彼はからうように微笑わらうと、



「いや? 君、漫才でもやったほうがいいんじゃないのか? 才能あるよ、俺が保証する」


「…………漫才ねえ〜。おにーさんと組むっていうならやってもいいよ? でも、おにーさんがボケね」


「はっ? 逆だろ?」

「え? 逆じゃん?」


「なんで俺がボケなんだよ。どう考えても、君がボケる方だろ?」

「ノーだと思います」



 テンポ良く言われ、ミリアはばっさりと言い返した。


 手元で、糸を鳴らしながら縫い合わせる動きを止めはしないが、心の中はげんなりどんよりと止まりまくっている。



 ミリアにとって、この・・『エリック・マーティン』は『少し前に出会ったひまそうなお兄さん』だ。彼は出会った当初から『ああ言えばこう言う』男であり、今現在もこの扱い。



(………こいつ、まじで遠慮なくモノ言ってくるなぁ……)


 

 ぶすっと刺しつつぼそっと呟く。

 『不満と言えば不満だが、別に嫌いというほどではなく、でもそれにしても遠慮ないなあ』を頬の内側に。ミリアは彼に向けていた視線を手元に戻し、小さく息をはくと、

 


(……まあ? べっつに? そーいうノリ嫌いじゃないからいーけど)

 


 真新しい糸と格闘するエリックを前に、糸切狭いときりはさみをパチン。そしてミリアは考えた。《見えている範囲』で、『エリックのこと』を。



(…………っていうか、よくよく考えればよく会うよね〜……?最初の時から、えーと。2週間? だっけ? んで、3回目?わーお。親の顔より見てる)



 シャツに残った糸の残りを手芸用のピンセットで挟んで摘み、残りを綺麗に処理をする。



(この前も結構長くいたんだよね。まあ別にいいんだけどさ。こっちも話し相手がいた方がはかどるし。…………っていうか)

 


 そこまで呟いて、ふと。

 ミリアは浮かび上がった言葉をそのまま、彼に投げてみることにした。



「…………キミも暇だよねー? こんな雨降ってるのに来るなんて。今日、平日だよ?」



 そう。今日は雨だ。

 そして平日だ。こんな日に普通、こんなにお直しを持ち込む人間はいない。

 しかしその問いかけに、エリックは顔色一つ変えず目だけを寄越して手を動かし、滑らかに応えた。


 

「──ああ。休みなんだよ。もう小雨になっていたし、人が居ない方が歩きやすいだろ?」

「いや、ウチの周りはいつも人通り多くな……──……って、”小雨”?」



 言い返しかけて、ミリアはピタリと手を止めた。


 瞬間的に顔を上げ外に目をやると、確かに。先ほどまでガラスを打っていた雨粒はただの水滴となり、今は、綺麗に窓に張り付くばかり。


 暗かった空はむしろ明るくなり始めており、昼間らしい明るさを取り戻していた。




「────あめ、収まってきたの?」

「え? ああ。俺が出た時には、もう小康状態しょうこうじょうたいだったよ」

「──────……!」



 勢いよくガタンと立ち上がり、外に目をやるミリアに、エリックが釣られて腰を浮かそうとした、その時。



「…………ね、ちょっとお願い。…………おにーさん。付き合って♡」



 カウンターに手を付き、前のめりにおねだりしたのであった。



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