3-5「めーわくなんですけどぉ〜」
彼女は不機嫌だった。
彼は愉快だった。
「ってゆかひどくない? そこまで笑うことないじゃん」
「──いや、アレは仕方ないだろ?」
雨がガラスをはじく音もまばらになった、ウエストエッジの一角。ひとしきり笑い終わって店の中。
カウンター越しむくれるミリアに、緩む頬に力を入れつつ首を振る彼はいまだに、ぶり返しの中にいた。
──誰もいないと言うのに、動きも派手に繰り広げていた一人芝居。初めは影に子供でも隠れているのかと思ったがそうではなく、『人形相手』。
──声をかけた時の彼女の顔。
その後の反応。思い出しただけで口元が緩み腹が痙攣しそうになる。
溢れて仕方ない笑いを噛み殺し、彼はもう一度『────すぅ────』っと深く深く息を整え
「…………はあ、死ぬかと思った」
「それ、こっちのセリフだしっ」
ぽろりと溢れた本音に返ってきたのは、ミリアのむくれっつら。
さっきからずっとこの調子だ。
半笑いのエリックに対し、ミリアの顔は不満そのもの。
まあ、ミリアとしては『末代までの恥』を目撃されたようなもので、はっきり言って無かったことにしたいのだが、エリックはにやにやと笑うばかり。不服も募ると言うものである。
(…………もぉ〜、なんでいるのっ)
カウンターの向こうでご機嫌そうに頬杖をつきながら、一向に帰らないエリックを前に。
ミリアは丸椅子に掛け、あえて挑戦的な頬杖で小首をかしげると、
「っていうか〜? キミ、けっこう爆笑するタイプなんだね。いがーい」
はちみつ色の瞳をジトっとかたち
ミリアとしては、『態度でかくて表情動かないのに爆笑とか? へぇ〜〜するんだあ?』を力いっぱいを込めたつもりだったのだが、しかし。
普段、貴族どもが放つ純度の高い嫌味を喰らっているエリックにとって、そんな嫌味などささやかな抵抗にもならず──逆に、くすりと彼のほおを緩めるエリック。
彼は言う。
小さく目を見開き、笑いもそのままに。
「……え? いや、普段はこんなに笑わないよ。……こんなに笑ったの、いつぶりだろうな」
「不服です」
「────フ!……良いじゃないか。またやって欲しいんだけど? 『頑張ろうね、スフィー♡』って」
「お断りだっ!」
裏声でおちょくるエリックに間髪入れず叫ぶ彼女。それを受け、また『フ……!』と吹き出し笑い出してしまった。
まあ、彼が笑うのも無理はない。
エリックは、店の前を通るその直前まで『今日はどう話を持っていこうか、どのようにアプローチしようか』考えていたのだ。
ミリアというターゲットに対して・どのような話題を振って・どんな返しが来て・どのように誘導するか。
この前の印象・聞いた話・逆に、振り忘れた話題。
名目上の『用件』は用意したが、それだけでは物足りない。「なにか、自然と・気を許すような話題はないか」と画策しながらここまで来た。
──のだが。
小雨降りしきる中、覗き込んでみれば、やけに楽しそうな彼女の姿。
扉を開けても気づかない。
中に入っても気づかない。
誰かいるのかと思ったがそうでもない。
不思議な様子を黙って観察し、声をかけたらあの悲鳴。
────あれは、『仕方ない』。
…………ふ、くすくす、ふふふ……!
ありとあらゆるアプローチがすっ飛んでしまい、笑い転げたのを思い返してくすくすと肩を揺らす。
しかしそんなエリックに、当のミリアは当然不満一色だ。あからさまに『めーわくなんですけどぉー』と言いたげに頬を膨らますと
「ねえ? おにーさん? あの〜。何も買わないなら帰って欲しいんだけど〜。おきゃくさん・きちゃーう。今日はー、なんのようですかー、おにいさーん」
退屈な授業を紛らわす学生のように、かったんかったんと椅子を鳴らして睨んでみる。
ミリアは全力で不服をたたきつけているつもりだが、例によって例のごとく──それは、逆に彼の興味に火をつけるのみだった。
彼は述べる。
彼女に、思わせぶりな笑みを浮かべて。
「────へえ? 良いのか? そんな態度をとって」
「どゆいみ?」
ぴくんと開く、ミリアの瞳。
────さあ、反撃開始だ。
「ひとり劇場をするぐらい暇なんだろ? そんな君に、仕事。持ってきたんだけど」
「仕事?」
…………フフッ。
頬杖から、顔を浮かせてオウム返しに目を丸める彼女に、彼は頬を緩ませた。
────完全にかかった。
主導権を握り返してほくそ笑む。
物事はなるべく優位に進めるのが『スパイ』の手腕だ。
”仕事”と言われて目の色を変えた彼女に、彼は抱えていた麻袋をどさっと置き、余裕の笑みをたたえ────
「………うちにあった『ボタンの取れた服』。つけてくれる?」
「うちはボタンつけ専門店じゃないんだけど」
ピッシャーーーーーン!
『思わせぶり』を『一刀両断』。
一瞬の間もなく『スパン!』と返ってきた言葉に、走り抜けるは稲妻のような空気感。
「…………」
「……………………」
『………………』
『やってくれるよな?』と語るエリックのキメ顔と、『わたしはボタンつけ係じゃない』と語るジト目のミリアがじぃぃぃぃぃぃっと交わり、絡まる視線、落ちる沈黙。
ふんわり舞うのは布埃。
ふわふわ……こちっこちっ……
『────────…………』
「…………まあまあ、いいよわかった付けてあげる」
沈黙を破ったのは、ミリアの方だった。
エリックにボタン付け屋と思われるのは正直癪だが、仕事と言われたら仕方ない。
持ってきた麻袋に手をかけ、『仕方ない』を纏わせベストを引き出す。
(……暇なことは暇だしね、仕事って言われたらまあ仕方ないよね〜)
諦め口調で呟いて、何着もある服をばさりとカウンターに出しながらも、しかし彼女はじろりとエリックを見上げると、
「その代わり、さっきのことは忘れて?綺麗。さっぱり。記憶の中から消して欲しいですっ」
はっきりとした口調で言い放った。
その目は、きりっとしていながらも、少しばかり恥ずかし気で。むくれた表情の奥、明らかに見える”羞恥”の色。
そんな申し出に、エリックは
「…………そうか」
一言。
ふっ……とその目をそらし、愁いの色を浮かべながら、小さな声で言う。
「…………残念だよ、ミリア……俺、記憶力は良い方なんだ。君の『迫真の演技』…忘れられないかもしれないな?」
「 か え れ っ! 」
──────また、再び。
ぷんすこ怒ったミリアの声とエリックの笑い声は、ビスティーの店内にでかく響いたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます