第9話 昨日までの日課

「ふぅ……。ええ湯やったわぁ」


 風呂から上がった明芽がリビングに戻ってきたのは、あれから約四十分後だった。

 流石に女子というべきか、俺はそこまで風呂に入る気がおきない。


 彼女はパジャマ姿。おそらくさっき持ってきた紙袋に入っていたんだろう。

 サイドテーブルも下ろして、雰囲気がまた一層変わっていて……。

 ……先ほどより、そのっ少しは幼さが取れたように見える。


 そんな彼女が俺の元へどことこと近づいてきてにっこりと笑って口を開いた。


「どや? これでうちも暮春ちゃんと同じ匂いになれたかなぁって」


 俺と同じシャンプーを使ったことをアピールしてきたのだ。この話まだ続いてたのか。


「あ、ああ……そうだな」


「ん? なんでそないに顔赤ぉしてはるの?」


「……風呂上がりだからだろ」


「ふふ、そやね。……もう何十分も前の話やけど」


(聞こえてるっての)


 もしかしてわざとだろうか?


 俺たちはその後リビングでテレビの音をバックで流しながら、明芽の宿題の面倒を見て過ごした。

 彼女は少々難しそうにしていたが、さすがに俺にとっては小学生の問題なので何の問題はないのだけれど。


「へぇ! ここってそう解くんやなぁ。暮春ちゃんってば頭ええやん、ウチがいいこいいこしたる。ほら、ええ子やなぁ暮春ちゃん。ウチも鼻が高いで~」


「や、やめろって。そんなことよりもとっとと終らせろよ、小学生が遅い時間まで起きてるもんじゃないだろ」


「はいはい。暮春ちゃんもいつまでも照れてないで、ウチの先生よろしゅうなぁ」


「誰のせいだと……!」


 そんなこんなで終わったのは夜の十時手前。小学生には辛い時間だろう事は、明芽のトロンとしてきた瞳からもわかる。


「ふぁぁ……終わったわぁ。ウチ一人だけやったらもっと掛かってたかも、サンキューな」


「別にいいよ。さ、歯を磨いて来い」


「はーい。しっ~かりマイ歯ブラシ持ってきたウチ偉いやろ? 撫でてもええねんで?」


「遠慮するよ。ほら、さっさと行った行った」


「あん、いけずやわぁ」


 また、しばらく一人になったリビング。


 この時間までリビングに俺がいるのは珍しい、普段なら今頃自室にこもっているから。


 テレビを見ると見覚えの無いバラエティーがやっていた。この時間はこんな番組をやっていたのか。それすら知らなかった。


 そこでふと気づく、そういえば学校を出てから今までスマホを触っていない。こんな日は珍しいところが初めてだ。


 スマホで音楽を聴いたり動画を見たりゲームをしたり、はたまた趣味に関する情報を集めたり。プライベートの時間の大半をスマホを触って過ごしていたのに。


「思いつきもしなかったな……。いつもは気付いたら触っているぐらいだったのに」


 スマホは陰キャの友達だ。それが信条。

 一方的なコミュニケーションで、それでいて返して欲しいリアクションだけはきっちりと返してくれる。これさえあれば寂しさも無い。


 ソファに放り投げていた鞄から、俺の友達を取り出す。それは熱を発しておらず、何時間も触っていないのが丸わかりで、起動してみれば充電も八割以上も残っていた。

 昨日のこの時間は、三割を切っていて充電器に繋げていたのにな。


 思えばゲームも起動してないな、今日から新イベントをやるって数日前から楽しみにしていたんだった。

 俺はアプリのアイコンを押そうとして……。


「暮春ちゃん戻って来たで! ウチが歯磨きに行ってる間寂し無かったか?」


「そんな訳無いだろ。ほら、布団出してやるから」


 ゲームを起動しようとしたスマホをポケットに納め、俺は押入れまで布団を取りに行った。


 結局、その日はスマホで遊ぶ事をしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る