第8話 赤らめる

 背中を洗ってくれた明芽が風呂場を出た後、俺も脱衣所で体を拭いたりドライヤーで髪を乾かしたり等で整えてからパジャマ姿でリビングへと向かった。


「あれ? 明芽が居ない」


 掛け時計を見ると八時を回っていた。流石に帰ってくれたか。


「ふぅ、やっぱり泊まるっていうのは言葉の綾か……。いや、小学生を泊めておく理由も無いんだから別にいいんだけども」


 誰に言い訳してるのか? 俺は独り言を零した。


 ……さて、部屋に戻るとするか。


 思えば今日はいつもより長くリビングに居た。両親が赴任先に行ってからはこの空間の広さがどうも苦手で、飯を食うかテレビを見る時ぐらいにしか利用して無かった。


 さっきまで明芽と過ごしてたから、そんな事にも気づきもしなかったな。


「陰キャのクセして、一人暮らしで人恋しいのかよ? まともに人付き合いも出来ないっていうのに」


 気持ち、今日は独り言が多い気がする。ああ、止め止め!


 脱衣所から持ってきた制服を抱えて、今度こそ自分の部屋に戻ろうとした時だ……。


「おお暮春ちゃん! 何も言わんと留守にしてすまんなぁ、家まで着替え取りに行っとったわ」


 玄関の扉が開いたと思ったら、明芽が着替えが入ってるらしき紙袋を持ってリビングへと入ってきた。


 一度帰ったのに、わざわざまた戻って来たのか。本気でここに泊まるつもりなんだ……。


「ん? 暮春ちゃんどないしてん? ぼーっとしとるで」


「最近の小学生の行動力ってのは想像が出来ないなと思って」


「ふ~ん……。ふふん、ま~だ冗談思とったん? やから甘く見過ぎゆうたやんか。ま、こんだけテキパキ動くんもウチの魅力やさかいな、暮春ちゃんが見惚れるんは仕方ない話や。でもあんまりウチに痺れとると、そのうちカチコチに動けんようなるで? な~んてな!」


「見惚れてんじゃなくて……」


 呆れてたんだよな。……もういいか、俺の根負けで。


 彼女はきっとどこまでもこういう性格なんだろう。もとよりコミュニケーション能力に多大な差をつけられてる以上、どうあがいても言いくるめられない。下手に手を出したら俺がやられる。


「わかったよ。俺の後で悪いけどゆっくり風呂に入ってくればいい。……何してんだ?」


 何やら鼻をひくつかせている明芽。何か匂うのか?

 その何かの匂いにつられるように、歩く彼女は……そのまま俺の方へと向かって来た。


 え? 風呂入った後なのに匂うとか? 頭を洗い足りなかったか?


 原因に心当たりが無かったが、それを探しているうち、彼女は密着するように俺の体に近づいていた。


「ちょ、ちょっと!? 今度は何?!」


「う~ん、暮春ちゃんからええ匂いするなぁ思て。シャンプーに拘りでもあるん?」


 何だシャンプーの匂いに釣られてたのか。いや、それでここまで近づくか普通?


「拘りっていっても……うちは昔から母さんが買ってきてるやつを使ってるだけで、俺も切れたら同じの買うようにしてるんだよ。あんまりシャンプーやらコンディショナーやらで冒険したくないし」


「へぇそうなんか? でもこの匂い、ウチ気に入ってしもうたわ。――今度から暮春ちゃんの匂いって憶えてしまうかもしれへんな?」


「ば!? な、何言ってんだよ! 全く……」


「あはは、顔真っ赤ぉして。おぼこいなぁ暮春ちゃん。冗談やで」


「な、なんだ。おい、あんまりからかうんじゃ」


「ってゆうんが冗談や。……な~んてゆうたらどないする? にしし」


「……も、もういいから風呂入って来い」


「は~い! これ以上からこうたら鼻血でも出しそうやしな、ほな」


 着替えを抱えたまま、明芽は風呂場へと。


 今はあんまり鏡を見たくないな、きっと顔に血液が集まって赤くなってるはずだから。


「はぁぁ……」


 落ち着かせるように長めの溜息をつく。肺の中の熱い空気が外に出て行ってくれたらいいが。


 ……あ、よく見るとリビングにランドセルが置いたままじゃないか! なんでさっき気づかなかったんだろう。

 戻ってくるという何よりの証拠を見つけて、さっきよりも深い溜息を吐いた。

 

 なんとなく、自室に戻る気が失せたのでテレビを点ける。


 ……髪から漂ってくる匂いがどうしても気になったのはまた別の話。

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