Mission2 愛(偽装)を示して義母に結婚を承諾させよ②
〝開いた口が
依都はまさしくそんな顔をして〝それ〟を見ていた。
「何、これ……」
「家だが」
「
こんなものが個人宅であるはずがない。
悠臣が家と呼ぶその三階建てのお
悠臣が金持ちだと知ってはいたが、まさかこれほどまでとは夢にも思わなかった。
二の句が
「わ、笑うなあっ! わたしは
背後を
「知っている。俺の
「わかっているのなら笑うなっ」
「笑ってない」
「
ぽんぽんでうやむやにしているつもりかもしれないが依都の目はごまかせない。
「俺の嫁が
と、とうとう事実を認めてから(失礼な!)悠臣は満足するまでひとしきり笑った。
正式に〝嫁〟として協力することになった翌日。依都は悠臣から
〝嫁〟としての務め──すなわち義実家への
「昨日も言ったが、俺が〝華族〟である有栖川美緒を買った理由は二つある」
笑いきった悠臣がふうと息を整えてからすまし顔で口を開いた。
「二つ? とあるパーティーへの参加権を得るため……だけじゃないんですか?」
〝美緒〟としての価値はいろいろと聞いたが、〝華族〟でなければならない理由はそれだけだったはずだ。
「実はもう一つある。それは俺の
「えっ、そうなんですか!?」
「だから絶対にばれるなよ。
「なるかっ」
だから何だってこの男はいちいち一言多いのか。
本邸に入り長い
着物姿の女性が赤い
ちなみに東堂園家には現在四人の人間がいる。悠臣の父であり家長でもある
聡子は依都のつま先から頭の先までを
「わたしは認めませんよ。こんな
びっくりして依都は言葉を失った。とどめとばかりに聡子は口を
「
ばっさりと
その態度は
「そうはいきません。俺は彼女を愛していますから」
部屋をでていこうとする聡子の前に、ふいに長身
依都と聡子のあいだに悠臣が割って入っていた。
「愛なんて存在しないわ。女の結婚なんて、絶対服従の中でどれだけましな家に
ぞくりとした。聡子の
しかしその
いくら養子とはいえこれほどに
「そこをなんとかっ」
悠臣の
まさか言い返してくるとは思っていなかったらしい聡子が目を
「なら一週間後の〝十三夜会〟でラストダンスの相手に選ばれなさい。それができたら華族としても一流だと認めてあげます」
「……だんす?」
それは依都にとって二度目の
聡子の言う〝十三夜会〟とは西洋の社交界デビューを
そして当日、参加者の中で最も身分の高い男性がデビュタントの中から一人を指名し、ラストダンスを
「……お前の辞書でワルツを引くと〝
「ご
「この……」
離れに戻ってきた依都と悠臣は
なにせ依都は生まれてこの方ダンスなど踊ったことがないのだから。
練習しなければならないダンスは二種類。入場のポロネーズ(男女が手を取りあって一列に並び、
最初こそ手を
悠臣が踏みだした足を思いきり踏みつけたところで
「痛っ、次は後退だ
「〝悠臣様が〟後退でしょ?」
「ちっがう。お前が後退するんだ。俺が右足を前にだし、お前はかわりに左足を引くんだ」
「初めっからそう言ってくださいよ。悠臣様がさがると思ったから踏み込んだのに」
「さっきから何度もそう言っている。ほら、仕切り直しだ。さん、に、」
「いち──って、うわっ、」
「また踏んだなっ。後退しながら左回りだろうがっ」
「後退しながら回るの怖い、前進しながら右回りがいい」
「わがままを言うな、そういう決まりだっ」
こんな感じがかれこれ一時間。
手を繋いだときめきなんてとっくのとうに
「なんでこんなことに……。没落したとはいえこれでも
ぶつぶつと文句をたれると悠臣が顔を
「あの人の言いぶんもわからないでもない。特権階級を気取る連中は爵位しか持っていないから、そこに絶対の価値があると下々に思い込ませなければ
「特権階級なんだから淘汰なんてされないでしょ」
「いや、
「ふうん……」
特権階級は自分たちの優位性を保つために
足もとから視線をあげて同じく足もとを見ている悠臣の顔を
「ちなみに例の船上パーティーも華族なら
「えっ、そうなんですか?」
ぼけっと悠臣を見ていたら
「
「じゃあ有栖川家はだめじゃないですか!」
有栖川家は没落も没落、
「だからあの夜会を利用する」
「利用する?」
「そうだ。あの夜会でラストダンスに選ばれた令嬢は特権階級でも一目置かれ、必ず次の船上パーティーに招待される。つまりこれは
「……だからあんなにすんなりとお
「当然」
悠臣のことだ、母親なんて簡単に切り捨てて問答無用で
「でも、だったらなんで美緒様を買ったんですか? もっといいところの令嬢なら夜会という前段階を踏まなくてもよかったのに。ラストダンスに選ばれるかどうかも
「前にも言ったが高柳確保の
「うっ……」
確かに本物の美緒はダンスが
……そう思ったらなんだかむかむかしてきて依都は口を
「ならわたしが来た時点で別人を買い直せばいいものを。ダンスなんてできないってわかってたでしょ」
「お前にはお前の価値がある。そのデメリットを
「え……」
思わず目を丸くして固まった。
「ただそれはそれ、これはこれだ。
「むちゃくちゃな!」
「スパイならできるが?」
「ぐぬっ……!」
やはりただの暴君ではないか。ほんの少しでも悠臣をすごいと思った自分が
「わかったわよ、さがればいいんでしょさがれば!」
依都はこれでもかというほどの
しかし悠臣の想定を大きく上回る後退だったのか、悠臣のほうが追いつかなかった。
「あれっ?」
重力に引っ張られて依都は背中から
悠臣が依都を
次の
しまった、また
「……無事か?」
痛みを
「え、あ……まあ」
馬鹿とか
悠臣の顔が目の前にあった。依都の
「真っ赤だな」
「そ、そう思うのなら
「お前は赤がよく似あう。あの着物も似あっていた」
「あの?」
「
そのまま、首筋を
悠臣の長い指が依都の
思わずぎゅっと目をつぶり、依都は
そのまま一秒、十秒、一分──。
何も起こらなくて。
自分の下で悠臣の身体が小刻みに
悠臣が
「えっと……?」
「忍びのくせに
悠臣が上体を起こして座り込み、身体をくの字に折り曲げてくつくつと笑う姿を見て、依都の頭にかあっと血がのぼった。
またか!
「あー笑った。よし、じゃあ練習を再開する」
立ちあがりながらお気楽に悠臣が言った。座り込んでいる依都のところまで歩いてきて「本当にお前はからかい
立たせようとした悠臣の手をはたき返して、
「やだ」
「何を
「やだ」
「
引っ込めた手を、悠臣が
「やだったら!」
ぽんっ。
悠臣が掴んだのは丸太から伸びた枝だった。あっけにとられているうちに依都は
「……あのなあ」
悠臣が
「逃げてもうまくならないんだぞ」
「だ、だからスパイは
「何?」
「人の情というものがまるでないからそうやって他人をもてあそんで楽しめるんだっ。効率化という言い訳を
一度
「こちらからすれば忍びというのは忠義という言葉で視野が
「なんですって、
売り言葉に買い言葉。気づけば依都の言葉は自分でも
しかし
「死ぬことがそんなに
「……なに、よ、それ。なんなのよまったく!」
一人残された依都はといえばもう
「逃げたってことは負けを認めたのと同義だわ。ざまあみろ」
正当化は正当化を生むもので。依都は重ねてどす黒い言葉を
あーせいせいした。やっぱりスパイというのは忍びに比べて
自分は今、何を失ってしまったのか。読めないことで急に不安が押し寄せた。
「……うん、悠臣様が全部悪いな」
だからそういうことにして、依都は梁から飛び降りた。
「嫌いだ、スパイなんて」
悠臣が消えた廊下に向かって吐き捨てた。当然返事はないのだが、依都自身も持て余している複雑な感情がざわついて、もう何も見えない廊下の先をしばらく
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