Mission2 愛(偽装)を示して義母に結婚を承諾させよ②

〝開いた口がふさがらない〟もしくは〝はとまめでつぽうを食ったような〟。

 依都はまさしくそんな顔をして〝それ〟を見ていた。

「何、これ……」

「家だが」

うそだ!」

 こんなものが個人宅であるはずがない。

 薔薇ばらの咲き誇る曲がりくねった道をけた途端、視界いっぱいに城が現れたので依都は絶句してしまった。嫁いできたときは夜だったし、直接はなれに案内されたので城の存在には気づかなかったのだ。

 悠臣が家と呼ぶその三階建てのおしきは、二階までは外観通りの洋館だが三階だけは和室になっているのだそうだ。最近はやりの和洋せつちゆうというものらしいが、お城のような洋館の中に和室が存在するだなんてまったくもって想像ができない。

 悠臣が金持ちだと知ってはいたが、まさかこれほどまでとは夢にも思わなかった。

 二の句がげずに口をぱくぱくさせていると、半歩後ろから押し殺したような笑い声が聞こえてきた。

「わ、笑うなあっ! わたしはどうじゃないんですよっ」

 背後をするどにらみあげる。骨張った手が依都の頭にぽんっと置かれ、以降小気味よくぽんっぽんっとねている。

「知っている。俺のよめだ」

「わかっているのなら笑うなっ」

「笑ってない」

かたふるえてますよ!」

 ぽんぽんでうやむやにしているつもりかもしれないが依都の目はごまかせない。てきしてやると、

「俺の嫁がおもしろすぎるのが悪い」

 と、とうとう事実を認めてから(失礼な!)悠臣は満足するまでひとしきり笑った。

 正式に〝嫁〟として協力することになった翌日。依都は悠臣からおくられた着物を着てほんていに来ていた。

〝嫁〟としての務め──すなわち義実家へのあいさつを行うために。

「昨日も言ったが、俺が〝華族〟である有栖川美緒を買った理由は二つある」

 笑いきった悠臣がふうと息を整えてからすまし顔で口を開いた。

「二つ? とあるパーティーへの参加権を得るため……だけじゃないんですか?」

〝美緒〟としての価値はいろいろと聞いたが、〝華族〟でなければならない理由はそれだけだったはずだ。

「実はもう一つある。それは俺の継母ははが華族以外の嫁を認めないからだ」

「えっ、そうなんですか!?」

「だから絶対にばれるなよ。ちがっても鳩にもざるにもなるな」

「なるかっ」

 だから何だってこの男はいちいち一言多いのか。

 本邸に入り長いろうを抜けた先で標的ターゲツトは依都のことを待ち受けていた。

 着物姿の女性が赤い天鵞絨びろうどながこしけていた。悠臣の養母、東堂園さとである。悠臣の生みの母親がくなったため十六歳で聡子の養子になったと聞いている。

 ちなみに東堂園家には現在四人の人間がいる。悠臣の父であり家長でもあるろう。その妻聡子。そして悠臣と異母弟だ。聡子にはほかに二人の子がいたが、七年前にむすめを、六年前にむすを亡くしている。そのうえ弥太郎も病でせっているらしく、この相次ぐ不幸によって悠臣に〝しや〟という異名がついた。

 聡子は依都のつま先から頭の先までをめるように眺めてから。

「わたしは認めませんよ。こんなけつこん

 びっくりして依都は言葉を失った。とどめとばかりに聡子は口をとがらせて。

ぼつらくぞくだなんて。東堂園家にどろるつもりですか」

 ばっさりとき捨てて、聡子は依都を無視するように戸口に向かって歩きだした。

 その態度はみように依都のことをきようさせた。しゆうげきやいばを向けられたってこわくはないのに、女特有のいんけんな敵意には慣れなくて。

「そうはいきません。俺は彼女を愛していますから」

 部屋をでていこうとする聡子の前に、ふいに長身そうが立ちはだかった。

 依都と聡子のあいだに悠臣が割って入っていた。ひるんでいたことも忘れていつしゆん依都はどきりとして、しかしすぐに奥歯をみしめて照れをかくした。演技だと頭ではわかっていても、そう簡単に心臓というものはなずけられない。

「愛なんて存在しないわ。女の結婚なんて、絶対服従の中でどれだけましな家にとつげるかといううんだめしじゃないの」

 ぞくりとした。聡子のかべた眼差しに殺意にも似た何かを感じたからだ。

 しかしそのほこさきは依都にではなかった。悠臣にだ。

 いくら養子とはいえこれほどにけんのんな感情を向けられるものだろうか。かんを覚えたが二人のあいだに何があったのかなんて依都には知るよしもない。はっきりしているのは、ここで引き下がっては美緒のために命を使うどころかさらにひどい目にあわせてしまうということである。

「そこをなんとかっ」

 悠臣のたてによって何とか強気を取りもどした依都は、長身の背後からひょこっと顔をのぞかせて食い下がる。

 まさか言い返してくるとは思っていなかったらしい聡子が目をみはって。しばらくすると重たい口を開いた。

「なら一週間後の〝十三夜会〟でラストダンスの相手に選ばれなさい。それができたら華族としても一流だと認めてあげます」

「……だんす?」

 それは依都にとって二度目のけい宣告に等しかった。



 聡子の言う〝十三夜会〟とは西洋の社交界デビューをて金持ち連中がかいさいしているとう会であり、初参加のれいじようはデビュタントとしてダンスをろうするらしい。

 そして当日、参加者の中で最も身分の高い男性がデビュタントの中から一人を指名し、ラストダンスをおどるのだとか。選ばれた女性は社交界でも一目置かれ、いちやく時の人となるのだそうだ。

「……お前の辞書でワルツを引くと〝さんびようごとに相手の足をむこと〟とでも書いてあるのか」

「ごじようだんを。ワルツのワの字もってません」

「この……」

 離れに戻ってきた依都と悠臣はたたみをはがしてそくせきの洋室を急造すると、手を取りあってダンスの練習を始めていた。

 なにせ依都は生まれてこの方ダンスなど踊ったことがないのだから。

 練習しなければならないダンスは二種類。入場のポロネーズ(男女が手を取りあって一列に並び、ちゆうで相手をえながら踊るウォーキングダンス)とウィンナーワルツと呼ばれるペアダンスだ。

 最初こそ手をつなぐことすらずかしかったものの、練習が始まってしばらくするとそんなことは依都の頭からはじけ飛んだ。初めてかかとの高いくつ、前に進んだと思ったら後ろに進む意味不明な挙動。しかもそれを向かいあった相手とぴったり真逆に踊らなければならない。そんな複雑かいへいこう作業をすぐにこなせるはずもなく、そして外面しかよくない悠臣が身内しかいない離れの一室でやさしく教え続けられるわけもなかった。

 悠臣が踏みだした足を思いきり踏みつけたところでせいが飛んだ。

「痛っ、次は後退だ鹿

「〝悠臣様が〟後退でしょ?」

「ちっがう。お前が後退するんだ。俺が右足を前にだし、お前はかわりに左足を引くんだ」

「初めっからそう言ってくださいよ。悠臣様がさがると思ったから踏み込んだのに」

「さっきから何度もそう言っている。ほら、仕切り直しだ。さん、に、」

「いち──って、うわっ、」

「また踏んだなっ。後退しながら左回りだろうがっ」

「後退しながら回るの怖い、前進しながら右回りがいい」

「わがままを言うな、そういう決まりだっ」

 こんな感じがかれこれ一時間。

 手を繋いだときめきなんてとっくのとうにせていた。

「なんでこんなことに……。没落したとはいえこれでもはくしやく家なんだから無条件で認めなさいよねまったく」

 ぶつぶつと文句をたれると悠臣が顔をしぶくする。

「あの人の言いぶんもわからないでもない。特権階級を気取る連中は爵位しか持っていないから、そこに絶対の価値があると下々に思い込ませなければとうの対象になり得ると知っている。だから爵位のあるものだけを取り立てて〝爵位こそすべて〟という空気感を作らなければならないんだ」

「特権階級なんだから淘汰なんてされないでしょ」

「いや、いつぱん人のほうが数は多いんだ。彼らが知識をつければゆいしよだけにすがっている特権階級なんてすぐにほろぶ。国王がしよけいされた異国での革命しかり、この国のいつしんしかりな。西洋化の波はそのうち〝平等〟や〝実力主義〟ももたらすだろうから、新興勢力の成金に取ってかわられないようにやつらはやつなんだよ。しかしその流れはおそらく変わらない。俺らスパイはただ、それによって戦争などのじんが起きないように努めるだけだ」

「ふうん……」

 いまだ西洋化にすら追いつけていない依都にはあまり想像ができなかったが……悠臣にはすでにその先が見えているようだった。

 特権階級は自分たちの優位性を保つためにいえがらびいを行っており、爵位がないというだけで商談の席につけなかったり社交の場に呼ばれなかったりするのだという。その一例が今回のせんにゆう対象である〝華族限定の船上パーティー〟なのだそうだ。

 足もとから視線をあげて同じく足もとを見ている悠臣の顔をぬすみ見た。だんはたいそうえらそうで目的達成のために依都を利用することしか考えていないいやなやつだが、悠臣は常に全神経をませて〝世界〟を見ている。その視野は起こりうる未来すべてにまでおよんでいて、依都には知覚すらできないほどの遠い未来を左右してこの国にとっての最適な〝明日〟をつくっている。もしかしたら東堂園悠臣という男は、すごい人物、なのかもなあ……。

「ちなみに例の船上パーティーも華族ならだれでも招待されるわけじゃないからな」

「えっ、そうなんですか?」

 ぼけっと悠臣を見ていたらとうとつに目があってびっくりした。顔が熱い気がしたが悠臣は気づかなかったようで話を続ける。

しゆさいしやけん主義のしようちようのような人物だからな。軍功華族などの新参者や没落華族などは招待されないんだ」

「じゃあ有栖川家はだめじゃないですか!」

 有栖川家は没落も没落、ぜにによってお家を失うというめいな末路である。

「だからあの夜会を利用する」

「利用する?」

「そうだ。あの夜会でラストダンスに選ばれた令嬢は特権階級でも一目置かれ、必ず次の船上パーティーに招待される。つまりこれは継母ははなつとくさせられるうえに船上パーティーへのきつも手にできる一石二鳥の作戦だ」

「……だからあんなにすんなりとお義母かあさまの条件をんだのねっ」

「当然」

 悠臣のことだ、母親なんて簡単に切り捨てて問答無用でけつこんしそうだと思っていたのに、そうしなかった理由がようやくわかった。〝美緒〟を買うと決めた時点で母親がだす条件を先読みし、それすらも利用するつもりだったのだ。何手先まで読んでいるのか、ときどきぞっとしてしまう。

「でも、だったらなんで美緒様を買ったんですか? もっといいところの令嬢なら夜会という前段階を踏まなくてもよかったのに。ラストダンスに選ばれるかどうかもけですし」

「前にも言ったが高柳確保のえさにもなるからな。それに夜会に関しては心配していなかった。〝美緒〟は絶世の美女であり、ダンスが誰よりもうまいと聞いていたからな」

「うっ……」

 確かに本物の美緒はダンスがばつぐんにうまかった。あれならちがいなく選ばれるだろう。

 ……そう思ったらなんだかむかむかしてきて依都は口をとがらせた。

「ならわたしが来た時点で別人を買い直せばいいものを。ダンスなんてできないってわかってたでしょ」

「お前にはお前の価値がある。そのデメリットをりようするほどのな」

「え……」

 思わず目を丸くして固まった。ものめずらしいからおもしろがっているだけだと思っていた。

「ただそれはそれ、これはこれだ。しのびならダンスくらいさっさと身につけてみせろ」

「むちゃくちゃな!」

「スパイならできるが?」

「ぐぬっ……!」

 やはりただの暴君ではないか。ほんの少しでも悠臣をすごいと思った自分がにくかった。

「わかったわよ、さがればいいんでしょさがれば!」

 依都はこれでもかというほどのおおまたで後退してみせた。これなら間違っても悠臣の足を踏まないだろうと思って。

 しかし悠臣の想定を大きく上回る後退だったのか、悠臣のほうが追いつかなかった。

「あれっ?」

 重力に引っ張られて依都は背中からゆかへとっ込んだ。

 悠臣が依都をき寄せつつ左足をじくに半回転した。てんじようを向いていた依都の視界が反転し悠臣のかたしに床を見る。

 次のしゆんかんには、悠臣を押したおすような格好で床に倒れていた。

 したきになった悠臣は背中を思いきりたたきつけ、いつときもんで顔をゆがめて。

 しまった、またられる──。

「……無事か?」

 痛みをこらえて悠臣が問うた。

「え、あ……まあ」

 馬鹿とかほうとかさるのくせにどんくさいとか、そんなとうが飛んでくると身構えていた依都はひようけである。

 悠臣の顔が目の前にあった。依都のほおに手をばし、親指の腹でそっとでた。くすぐったくてわけがわからなくて、依都は耳まで真っ赤になる。

「真っ赤だな」

「そ、そう思うのならはなしてください」

「お前は赤がよく似あう。あの着物も似あっていた」

「あの?」

まんじゆしやの花。一瞬れて動けなかった」

 そのまま、首筋をつかまれて引き寄せられた。悠臣の胸にぽすんと落ちる。げようにも押さえつけられていて身動きが取れない。普段はいつさい体温を感じられないというのに、今は悠臣のほうが自分よりも熱っぽい。

 悠臣の長い指が依都のあごを持ちあげて、形のれいくちびるが口元までせまってきて。

 思わずぎゅっと目をつぶり、依都は身体からだこうちよくさせた。

 そのまま一秒、十秒、一分──。

 

 自分の下で悠臣の身体が小刻みにふるえていることに気づき、ようやく依都はうっすらと目を開けた。

 悠臣がうつむいて堪えるように笑っていた。

「えっと……?」

「忍びのくせにだまされやすいなあ」

 悠臣が上体を起こして座り込み、身体をくの字に折り曲げてくつくつと笑う姿を見て、依都の頭にかあっと血がのぼった。

 またか!

 あいさつに行く前といい、悠臣は完全に依都を玩具おもちやにして面白がっている。

「あー笑った。よし、じゃあ練習を再開する」

 立ちあがりながらお気楽に悠臣が言った。座り込んでいる依都のところまで歩いてきて「本当にお前はからかいのある」と独りごちたところで依都のかんにんぶくろが切れた。

 立たせようとした悠臣の手をはたき返して、

「やだ」

「何をねてるんだお前は。ほら立て」

「やだ」

下手へたくそなんだからわがままを言うな」

 引っ込めた手を、悠臣がに掴もうとした。

「やだったら!」

 ぽんっ。

 悠臣が掴んだのは丸太から伸びた枝だった。あっけにとられているうちに依都はちようやくはりに飛び移って悠臣のことをにらみおろす。

「……あのなあ」

 悠臣がだつりよくして座り込んだ。丸太をひざかかえて顎を乗せ、あきれた顔でこちらを見あげる。

「逃げてもうまくならないんだぞ」

 とうかすがいを打っているような気になった。依都のかんしゃくの理由をさっぱりわかっていない顔をしてこちらが降りてくるのを待っている。きっと悠臣にとってはたいしたことではないのだろうし、だからこそ依都がどれほどおこっているのかが想像できない。しかし説明をしようものならこれが依都にとっての大事であるとばれてしまう。〝純情をもてあそぶな〟なんて言うこと自体もはじであるし負けを認めるようで言いたくない。

「だ、だからスパイはきらいなのよ!」

「何?」

「人の情というものがまるでないからそうやって他人をもてあそんで楽しめるんだっ。効率化という言い訳をたてにして不忠義を正当化するらち者めっ」

 一度せきを切った言葉は止まらなかった。本当の気持ちはかくしたくて、しかし何か言ってやらなければ気は収まらなくて。結果飛びだしたのは積年でつのった悪態だった。

「こちらからすれば忍びというのは忠義という言葉で視野がせまくなっている、大局を見ることのできないたんさいぼう的な存在だがな」

「なんですって、あるじのために死ぬかくもない弱虫のくせに」

 売り言葉に買い言葉。気づけば依都の言葉は自分でもせいぎよできないはんにまでちている。

 しかしするどやいばを投げたなら、それ相応のはんげきはあるもので。

「死ぬことがそんなにえらいのか」

 ひとりがりだす必殺の一刀のような鋭い口調で依都のことをばっさりと切りいて。自分から始めたくせにぎやくしゆうを受ける可能性なんて頭からすっぽりと抜けていた依都は、予想外の反撃カウンターに頭が真っ白になってしまう。何も言えずに固まっているうち、悠臣はり返ることもなくでていってしまった。

「……なに、よ、それ。なんなのよまったく!」

 一人残された依都はといえばもうだれもいなくなったろうに向かって悪態をつくことしかできなかった。

「逃げたってことは負けを認めたのと同義だわ。ざまあみろ」

 正当化は正当化を生むもので。依都は重ねてどす黒い言葉をき続けた。

 あーせいせいした。やっぱりスパイというのは忍びに比べておとっている。逃げたことが何よりのしようだ。もう少し悠臣にこんじようがあればもっと思い知らせてやったのに……言葉を重ねるたびに心臓へぽたりぽたりと黒いインクが落ちていくような気がした。そこに何が書いてあったのか黒くりつぶされてしまったせいで、もう判別ができなくなっている。

 自分は今、何を失ってしまったのか。読めないことで急に不安が押し寄せた。

「……うん、悠臣様が全部悪いな」

 だからそういうことにして、依都は梁から飛び降りた。

「嫌いだ、スパイなんて」

 悠臣が消えた廊下に向かって吐き捨てた。当然返事はないのだが、依都自身も持て余している複雑な感情がざわついて、もう何も見えない廊下の先をしばらくながめていた。

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