Mission2 愛(偽装)を示して義母に結婚を承諾させよ①

 まずったなあ……。

 屋敷にもどった依都は首をすぼめてえんがわに正座し、深々と重たいめ息をついていた。早乙女の尾行は予想通りにたいしたことはなかったが、それから推察するに絶対にめんどうごとに巻き込まれている。こんなことなら大人しく逃げればよかった。渋い顔で視線をあげて縁側にこしけている悠臣の横顔をうかがった。

 家に帰るなり悠臣は不要品をドラムかんに入れて燃やしはじめてしまい、かれこれ数分間は無言のまま、依都は待ちぼうけを食わされていた。

 ぱちぱちとぜる火の粉が悠臣の横顔をめいめつさせる。ながめていると悠臣がおもむろに口を開いた。

「お前の問いにまだ答えていなかったな。俺の仕事はさっき見たとおりだ」

「……スパイって本当にいたんですね」

しのびのお前には言われたくない」

「わたしだってスパイにだけは言われたくなかったですよ」

 正直な話、依都はスパイというものがきらいだった。

 いつしんによってだいおくれのものはとうされ、かわりに蒸気機関車やガス灯、電話など、西洋の便利なものがたくさん入ってきた。しかしその一方で士族はお家を取りつぶされ、へんや病気、けんじゆうなど、好ましくないものも数多くもたらされてしまう。スパイもその一つだとじいさまから聞いたことがある。

「スパイは空を飛んだり、生者の皮をいでなりすましたりするんでしょ。そんなものが実在するなんて信じられるわけないじゃない」

「誰からの知識だそれは。確かにハンググライダーを使ったり人工でなりすましたりはするが、そんな化け物みたいなものじゃない」

「ふーん……」

 スパイが行う近代的なちようほう術について初めて聞いたときはわくわくした。しかしそのかわりに、スパイは効率重視で命をけることもしないと教わった。武士を祖に持つ忍びからしてみれば〝あるじのための死はほまれ〟であり、身命をせない者はおくびよう者、はくじよう者である。ゆえに依都はスパイに対してあまりいい印象を持っていない。

「それでだ」

 ドラム缶の中身を枝でつつきながら悠臣がそんな前置きをして。

「お前、俺のために死ねるか」

「はあっ?」

 とつぴようもない質問に依都は思わず舌をみそうになった。一方の悠臣はすずしい顔のままで問いを重ねる。

「俺に仕える気はあるのかといている」

「初めっからそう言ってくださいよ……」

 ごほんと一つせきばらいをして、依都はどうようをごまかしつつ。

「わたしの主は美緒様ただ一人。ごとは寝てから言ってください」

「その主が俺に借金をしたままげたわけだが」

「う」

 否定できない……。

 ようようと宣言したもののこれでは格好がつかなかった。案の定悠臣は追いめるように依都をえて。

「臣下は主のかわりに責めを負うのが道理では?」

「それは、そうかもしれないですけど……」

 正論に返す言葉がなくなった。しかしこのまま大人しくスパイに買われるのもしやくさわったので。

 依都はぶすっとふてくされてだまり込んだ。悠臣は気にせず、次に火へとくべるものを手に取った。

 それは血のついたシャツだった。おそらく昨夜悠臣が着ていたもの。

「そのもわざと?」

 赤いみを見つめて依都が問う。

 依都の背後を取れる悠臣があの程度の人間におくれを取るとは思えない。先ほどだってあわよくば悠臣をわなにはめようと思ったのに、直前で感づかれて結局早乙女しかかからなかった。

「あの晩はお前がいた。〝悠臣〟はおぼつちゃんだから、かろうじて敵を追い返すくらいでなければあやしいだろう?」

「かわいくない……」

 あのときの依都の内心を読んだかのような言い草だった。おもしろくなくてぼやきつつ、ドラム缶の中で灰になっていくシャツを見つめる。肩からわきばらにかけて結構なはんが赤く染まっていた。〝だますため〟と割り切るにはなかなかにためらう出血量ではないか?

「……怪我、痛くないんですか」

「慣れてるからな」

 無表情で悠臣が言う。

 そんなことに慣れなくてもいいものを。


〝命は有効に使いなさい〟


 爺様の言葉が頭をよぎって、シャツから悠臣の横顔へと視線を移した。

 あの晩、忍びと知った途端に手のひらを返してきゆうこんしてきたのは何故なぜだったのか。

 そこに、依都が命を有効に使えるだけの理由はあるのか。

「お金で妻を買うんならもっと別の人がいいんじゃないですか」

 疑問に思ってたずねると、

「お前がいい」

 端的に言われてびっくりする。

 お前でいい、ではなく、お前がいい。そんな風に言われたのは初めてだった。

継母ははが結婚しろと大量の縁談を持ってきたところに今回の任務がい込んだんだ」

「任務?」

 訊ねると、悠臣は美緒を買った理由をつらつらと話した。母親から結婚をせかされてめいわくしていた矢先、高柳がとある機密情報をぬすんでしつそうし、それのだつかんを命じられたこと。高柳は美緒にせつしよくしてくる可能性があり、そんな美緒をえさにすれば敵をれるかもしれないと考えたこと。そして船上パーティーにせんにゆうするためにはぞくえんせきになる必要があったこと……これらすべてを満たせるものが有栖川美緒との結婚だったという。

「とはいえ弱い人間を抱え込むのは荷物になるから乗り気ではなかった。その点、忍びであるお前ならば自衛もできるし好都合だ」

 お前がいいってそういう意味か。なつとくしたと同時に何故だかずきりと胸が痛んだ。そんなことをつゆも知らない悠臣は言葉を続ける。

「俺と手を組み美緒のふりをしているあいだは本物から目をそむけさせることができる。そのうえ目標を奪取し敵組織をかいめつさせれば美緒がねらわれることは二度となくなる。悪い話ではないと思うが?」

「確かに……」

「だがかんちがいはするなよ。お前はひとじちであり有栖川美緒の身代わりとして俺にとつぐだけだ。そのためお前に対しての愛情はないし、荷物になったたんに切り捨てる」

「そ、そんなのわかってるってば」

「だといいがな。ちなみに逃げたら本物の美緒を連れもどすからそのつもりで」

「……」

 いちいち一言多いなこの男は。

 むかっときて依都は思わずじゆうめんかべる。しかし同時に気づいてもいた。

 忍びの時代は終わり、自分はもう役立たずだと思っていた。里のみんなのように命を賭ける機会もなく、このまま終わっていくのだと思っていた。

 それはやっぱり、少しさびしくて。

 だから最後に、美緒のために命を使いたいと思った。しのびとして生きたいと思った。

 ならばこれは、もしかすると最後の忍び働きとしてふさわしいのかもしれない。依都がいれば成功率は格段にあがるだろうし、悠臣にとっても有意義なはずだ。

 ……そのわりに悠臣は何故だかずっとげんだが。

 火にくべていた物がおおよそ燃え、悠臣が次に燃やす物を手に取った。

 依都がきよした着物だった。

「あーっ」

「なんだ、着ていないということはいらないんだろう?」

「それは、そう、ですけど」

 答えるとためらいもなく火にくべる。とつに依都は火の中から着物を救いだした。そのままちようやくすると近場の木へと飛び移る。

 そでがわずかにげた着物を羽織り、枝におうちして悠臣を見おろす。

「仕方ないから三万円で買われてあげる。忍びはぜにさえあれば働くんだからっ」

 この男に買われるのは美緒のためだ。

 別に同情とか、必要とされてうれしかったとか、そんなんじゃない。

 口をいてでたのはそんなにくまれ口だった。それはごうじような依都にとってのせいいつぱいだった。悠臣がその言葉をどうとらえるか。わからず依都は身体からだこわらせる。

 いつとき悠臣は黙り込み、ふと目を細めて依都をながめた。それは依都を眺めているようにも、依都を通して別の何かを見ているようにも思える、少し遠いまなしだった。

「あの着物の」

「え?」

はなよめしようえがかれていたまんじゆしやの、その別名を知っているか」

 何を言うかと思えば。何故そんなことをくのかわからなかったが、しかしその答えは知っている。

「……びとばな

 だから依都はこの着物を選んだのだ。身命をすというかくのつもりで。

「それともう一つ。ごくばなという。お前はこの地獄にく花となれ。俺のためにそのせんけつを散らし、さいは咲きほこって死ね」

〝死ね〟──と、悠臣は命じたというのに。

 そのとき初めて、依都はいつさいじやはらまない、おだやかな悠臣のみを見た。

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