Mission1 身代わりとなって主君を助けよ①

 どうしてこんなことになったのだろう。

 おそらくことの始まりは一ヶ月前。

 有栖川家当主、つねくなったことにさかのぼる──。


 雑木林にけていた鳴子が反応を示し、がらがらと音を立ててものしんにゆうをこちらに知らせた。音がした方向に目を向けると、黒いかげが木立に逃げ込み紅葉もみじが大きくれ動く。

(逃がすか、今日の晩ご飯!)

 そですそをたくしあげ、地面をって高々とちようやく。音もなく枝に飛び移り、のんきにづくろいを始めたかもへとにじり寄って。

?」

 足もとから声がかかったたん、枝に留まっていた鴨がこちらに振り向き今にも飛びかかろうとしていた依都と目があった。いつぱくの空白があってから、夕食になどなってたまるかという調子で「ぐええっ」と鳴き大空へととんずらする。

「あ、こら待て今日の晩ご飯っ!」

「あらごめんなさい。鴨がいたのね」

「いえ、まあ……仕方ないです」

 鴨の飛んでいった空をおうじようぎわ悪くながめながら依都が地面へと飛び降りると、声の主も人力車から降りてきた。

 今朝まで降っていた雨のせいで地面はぬかるんでいたが、編みあげかわぐつく彼女には関係がない。がすりめしの着物に海老えびちやいろあんどんばかまかみの上部分だけをいあげるという女学生定番の格好をした彼女は、有栖川はくしやく家の一人むすめ・美緒──依都がお仕えする女主人である。今日は蒸気機関車でていまで買いだしに行っていたはずだ。

 美緒がにこりと微笑ほほえんだので、依都はぶうたれた顔のまま駆け寄った。

「久しぶりに肉を食べていただきたかったのに」

「ふふ、やさしいのね依都は。でも危ないことをしたらだめよ」

「このくらい、なんてことないです」

 口では仕方ないと言いつつもふてくされて答えると、むんずとほおを両手ではさまれて美緒のほうを向かされた。

「危ないことはしない。もうわたしたち二人だけなんだから。置いていったらおこるわよ」

「う……」

 先日、美緒の父が他界した。依都のゆいいつの身内であるじいさまも一年前に亡くなっており、あまりゆうふくではない有栖川家にはほかに使用人もいないので今や女二人だけだ。食費もかつかつなので肉を食べたければこうしてつかまえたほうが都合がいいのだが、目になみだをたたえてそんなことを言われた日には、

「はい」

 と、大人しく答えることしか依都にはできない。

「依都ちゃん、はないかい!?」

 と、かなりおくれてうわずった声が後方からひびいた。り向くと人力車から落っこちるようにして降りてくる青年がいる。かすりの着物にまるえりのスタンドカラーシャツをあわせ、短めの袴をあわせた書生風の青年だ。手には画布を張った大ぶりのわくかかえている。一歩進むたびにけにしたぬのかばんがぱかぱかとね、閉まりきっていない口から絵筆やらりようびんやらがわらわらと落ちる。

「おっといけない」

 拾おうとして今度は木枠を落っことし、さらにそれを拾おうとして今度はげ落ちて。

 つるん、と。ぬかるんだ地面に顔面から飛び込んだ。

せいいちさん!」

 美緒のさけび声で身体からだが動いた。誠一と呼ばれた青年が地面に顔をこすりつける寸前、飛びついて依都はその身体をき留めた。がくせいぼうだけがぽとりと落ちて。

 ぼうぜんとする誠一に向かい、依都はめ息交じりに問いかけた。

「怪我はありませんか、誠一様」

「それ、僕が言ったやつ……」

「ぷっ」

 たまらず美緒がきだした。

「あはは、誠一さんたら。依都に一本とられてるわよ」

「うう……依都ちゃんを心配したつもりだったのに」

 などとなげきながら誠一が体勢を立て直し、学生帽やら絵の具やらを拾いはじめる。情けないと依都はあきれるばかりだが、その姿を見つめる美緒はうれしそうだ。

 誠一は画家志望のびんぼう書生であり……近々美緒とけつこんすることになっている人だ。

「美緒様は誠一様のどこが好きなんですか?」

「え? それはね」

 くすくすと笑う美緒にたずねたとき、視界の外からすっと手がびてきた。絵の具まみれのお世辞にもれいとは言えない手だった。それが真っ白なハンカチをつかんで依都の頬を優しくでる。誠一がいつの間にかそばにいて心配そうにこちらを見ていた。

どろねているよ。ごめんね、僕のせいで」

 そう言う誠一のほうが田んぼに突っ込んだのかと思うほどに泥にまみれていたのだが、そんなことはいつさい気にした風もなく依都の頬にんだひとしずくの泥をていねいに丁寧にぬぐっている。

「こういうところ」

「……成るほど

 自分よりも他人を優先してしまう誠一のお人しさは、美緒を任せるには不安しかないと依都は思うのだが。

「誠一さんも泥まみれよ」

「うわ、気づかなかった」

 そんな誠一を見てほこらしそうに笑う美緒を見ていると、まあ自分が二人ぶんの世話を焼けばいい話だな……と思い直してしまう。

 十歳で母親を亡くし、十七歳で父とも死別してしまった依都の主人がようやく幸せになれるのなら、いくらでも骨を折ろうと心に決めていた。

 それこそ、美緒主君のためにこの命を使おうとちかうほどに。

「ほら帰りますよ、美緒様」

「はあい」

 溜め息をついて二人の世界に入り込んでいる主人をせかす。人力車夫に別れを告げると三人は並んで帰路についた。



 有栖川家が暮らすのは、帝都から蒸気機関車で一時間ほど走ったところにある農村だった。

 いつしん以降この国にも西洋文化が流れ込んできたが、都市部からのきよが開くにつれてその歩みはおそくなり、このあたりはまだ田畑やの山が連なるのどかな風景が広がっている。帝都では各家庭に水道というものが設置され、ガスなるもので火をおこせるそうだが、有栖川家はぜんとしてから水をくみ、かまどできをする生活だ。

 学校帰りと思われる子どもたちが店の前にたむろして、せんべいあめを買い食いしたり買ったばかりのめんこで遊んだりしている。ハンドルのついた四輪スケーターでき通りを走り抜けた子どもは十字路で大八車とはちわせ、せき的なバランスで積みあがっていた荷物がばらばらとくずれ落ちた。すかさず背負しよいを抱えた薬売りが飛んできて、親はどこにいる、この傷にはこの薬だと子ども相手に商売を始めた。

 夕飯の時間が近づくにつれて活気が増していくなじみの景色を眺めながら、依都は行ったことのない帝都について想像してみた。

 きっと大八車は二倍くらいの大きさになって大十六車とか呼ばれているだろうし、スケーターは電気か蒸気機関をとうさいして自動で走るにちがいない。

 振り売りの鮮魚商が一行のわきを通り抜け、後ろ髪を引かれて依都は振り返った。

「あの秋刀魚さんまおいしそう……」

 手持ちのしきの中をのぞく。鴨の調達に失敗したので中身は味気ない山菜ばかりである。一つくらい動物性たんぱく質が欲しいところだが長旅前なのでづかいはできない。やはりここは一つ、川にでも入って調達を──。

「お魚を食べたいのなら買って帰りましょうか? 秋の川は冷たいわよ」

 依都の考えをかしたように美緒が言い、振り売りを呼び止めようとする。

「だ、だめですよ。異国までの船賃がいくらすると思ってるんですか。向こうでの生活費だって必要だし」

だいじようよ。船のきつは今日買えたし、誠一さんはしようがくせいとして招かれるのよ。才能もあるしすぐに向こうで絵が売れるわ。ねえ、誠一さん」

「うん。大船に乗ったつもりでいていいよ」

「楽観的すぎますよ。有栖川家は貧乏なんですから節約できるところはしておかないと」

「依都はしっかりしてるわねぇ」

「本当だねぇ」

「……これだから箱入りれいじようと新進えいの画家センセイは……」

 などと言いつつも幸せそうな二人を見ていると文句もしりすぼみになってしまう。

 あとむすのいない有栖川家が存続するためには三年以内に養子を取ってとくがせなければならないのだが、財産もないぼつらくぞくが無理をする必要はないとして、美緒の父は家をたたむようにとゆいごんした。

 そこでようやく美緒は決心をして、かねてよりこいなかであった誠一と結婚をし、手放した財産で外国へと留学することにしたのだ。

 もともと美緒の父は結婚に反対などしていなかったのだが、先祖への申し訳なさからずっと美緒は結婚をためらっており、そばで見ていた依都のほうがやきもきしていた。

 六歳のとき、じいさまと路頭に迷っていたところを美緒が拾ってくれなければいまごろ依都は野垂れ死んでいたはずなので、このまま美緒には幸せになって欲しいと切に願っている。

 そのためであればたとえ火の中水の中、森の中にだって分け入って肉を取っつかまえる所存である(肉を食べることだけが幸せではないが)。

「まあなんにせよ、依都ちゃんは育ちざかりなんだから無理は禁物だよ」

「そのとおりよ。こんなにせっぽっちだと異国では子どもあつかいされてしまって、いつまでもいい人が見つからないわ」

「いいんです、わたしは。しようがい美緒様にお仕えするんですから」

 依都は今年で十六歳になった。女性らしい身体つきの美緒とはちがってかなり貧相──もといきやしやたいをしている。外での作業も多いためかみは日に焼けて赤らんでおり、いっそのこと短くしてモガを決め込もうとしたのだが、男の子に間違われるからやめなさいと美容師に止められてしまった。

 異国には依都も行くことになっており、そうなると必然的に依都の結婚相手は異国の人……と美緒たちは考えているらしいが、結婚する気もないので貧相な点については問題ないと思っている。村のじいさまばあさまからはあいきようがあると言われているし。

「ということで……はい、お土産みやげのあんぱん」

「あんぱん!」

 前言てつかい。節約うんぬんこうしやくをたれたことをたなにあげ、依都は口いっぱいにあんぱんをほおった。甘いあんと桜の塩加減がぜつみようでついつい顔がほころんでしまう。

(異国って、いったいどんなところかなあ)

 夢中であんぱんにかじりつきながら、なんとなく思いをせてみる。

 ていすら行ったことのない依都には想像もつかない場所だった。帝都では西洋建築があふれかえり、夜にはアーク灯がこうこうかがやくと聞いているが異国もそんなところだろうか。

 ふと、道の先にあるやぶがわずかに動いた気がした。

「……?」

 市街地を抜けて、しき近くの田舎いなか道にさしかかっていた。足を止めて藪をにらんだ依都に対して、美緒は気にもとめずに先を歩く。

 がさ、と藪から何かが飛びだした。

 いのししだった。

「ひっ──」

 あとずさりした美緒が小石につまずいてしりもちをついた。「みおっ」と誠一がけ寄るが彼もまたこしを抜かしてしまい助け起こせない。へたり込んだままの二人に気づいた猪がねらいを定めて。

「ぶひいいいいい」

 けたたましい鳴き声をあげ、ちよとつもうしんの四字熟語を裏切らない勢いで突進した。

 とつに依都は前にでる。標的を依都にへんこうした猪は全身を使ってこんしんきをたたき込み。

 どんっ……。

「きゃああ──」

 美緒の悲鳴、顔をそむける誠一、依都をね飛ばそうと鼻を突きあげる猪。

 飛んだ。

「──あああ……あ?」

 美緒の悲鳴がもんへとかわる。猪もぼうぜんと空飛ぶ丸太を見あげている。

めん

 猪が丸太に気を取られているいつしゆんすき。背後に回り込んでその首にクナイを突きした。

 白目をむいてたおれる猪。依都はそれを受け止めて、

。悪いわね、だまちなんてをして」

 見開かれた両眼のまぶたをそっとおろしてから、美緒と誠一に向き直った。

「ということで、今日の晩ご飯はししじるにしましょう」

「さすが依都……しのびのまつえい伊達だてじゃないわね」

 かんたんする美緒に向けて、依都はしようを返した。

 依都は忍びの末裔だった。六歳のとき、一族はとある任務の達成と引きえにぜんめつしてしまい、爺様と彷徨さまよっていたところを美緒に保護されたのだ。

 それ以来、依都は美緒を主君とあおぎお仕えしている。

(異国にも猪がいたらいいけど)

 仕留めたものを運びながら──。

 このときはまだ、今日のようなささやかな幸せがいつまでも続くのだと思っていた。



 家に帰ると、戸の前で見知らぬ男が待っていた。

 美緒が客間へと案内し、依都と誠一はふすまの向こうで二人のやりとりに耳をます。

 男は帝都で一、二を争うだいごう、東堂園家の代理人だと名乗ってから──たった一言で依都たちのへいおんこわしてみせた。

「お父様が、東堂園家に借金を……!?」

「正確には、あなたの母の兄、たかやなぎまさ氏が多額の借金をしたまましつそう。連帯保証人だったお父様にはらい義務が移ったのですが、ある条件のもとに東堂園家が立てえたのでございます」

 そんな話、みみに水だった。依都は使用人ではあるものの美緒とは姉妹同然に育ってきた。だから高柳の伯父おじにも会ったことはあるが、借金をするほど困っているようには見えなかったのに……。

「その、条件とは……?」

 美緒が問う。依都も息をんで答えを待った。

「それはよめり。美緒様を、我が東堂園家のご子息、悠臣様の花嫁にとの条件です」

「っ……。それは、つまり、」

 美緒は最後まで言わなかった。しかし依都にもすぐにわかった。

 美緒は買われたのだ。借金のかたとして。

「借金は、いかほど」

「しめて三万円ほど」

「さん……っ」

 裏返った声をあげて美緒がたたみくずれ落ちる音がした。

 美緒のおどろきも当然である。確かじんじよう小学校の先生が初任給は五十円くらいだと言っていた。その六百倍の金額。没落華族である有栖川家に払えるわけがなかった。下手へたをしたらそこいらの小作人のほうがいい暮らしをしているというのに……。

 価値があるとすれば、はくしやくという名ばかりのいえがらのみ。おそらく、そこに東堂園家は目をつけた。

 いくら資産があろうともはい的な華族連中は家柄を重んじる。華族とえんせきにないというだけで商談の席を用意されなかったり、社交の場に招待されなかったりするのだ。資産はあれども商家出の彼らにしてみれば今回の縁談はだったのだろう。

 代理人が帰ったあと、依都と誠一は部屋に入った。美緒は顔もあげずにすすり泣いている。

 わかっているのだ。有栖川家にはこの縁談を断れないと。だから誠一もかける言葉を失って、ただ美緒のかたくことしかできない。

 ……しかし依都ならば、たった一つだけ二人を救うすべを持つ。

 かくを決めて、依都は二人の前にひざをついた。

「美緒様、。だからどうか、二人でおげください」

 依都の作戦──それは美緒の身代わりになることだった。

 たんに美緒は顔をあげ、泣きはらした目で依都を睨んだ。

「何を言うの! そんなことをしては依都がどんな目にあうかっ」

「わかっています」

「いいえ、わかっていないわ。あの東堂園悠臣という男がどういう人物なのか」

 世情にうとい依都をさとすように、美緒はいかに悠臣がおそろしいかを列挙していった。

 陸軍士官学校時代には、そのうでっ節の強さからバラガキ──いばらのようにれるとをする危険な人物として恐れられていたこと。

 そのバラガキっぷりは入隊後もおとろえず、よわい二十二の若さでこのへい連隊の中隊長に任ぜられたこと。

 また異国で育った悠臣が東堂園家に引き取られてからというもの、かの家では不幸が相次いでおり、悠臣の異国風の顔立ちとも相まって、

「悠臣はしやの子ではないかとうわさされているのよ。とくを乗っ取るために家族をのろい殺しているのでは、と」

「そんなまさかあ……」

 依都は呪いというものをあまり信じてはいない。はははと笑い飛ばそうとして、しかし美緒があまりにもしんけんな顔をしていたので笑いが引っ込んだ。そこまで言われるとなんだかこわくなってくる。

「ひ、引き取られたということは、悠臣様はもとから東堂園家の方ではないのですか?」

 気休めに話題を変えてみる。美緒は大きくうなずいた。

しようふくの子だと聞いたわ。異国で暮らしていたけれど母君を戦争でくされて、十六歳のときに東堂園家の養子になったそうよ」

 ということは、東堂園家での悠臣の立場はあまりかんばしくないのかもしれない。

「なんですかそれ。伯爵れいじようをそんな人の嫁にしろと? 有栖川家を鹿にするにもほどがあります。どうせ立場も悪いから嫁の来手がないのでしょう。ますます美緒様をとつがせるわけにはいかなくなりました」

 ふんする依都。しかし美緒は変わらず悲痛な声をあげた。

「でも、ばれてしまったら依都の命が危ないわ!」

「それこそ美緒様はわかってない。わたしをだれだと思ってるんですか?」

 一つせきばらいをして、安心させるように依都はほんの少し口調をやわらげた。

「わたしは忍びの末裔。身代わりとなって東堂園悠臣を騙すなんて朝飯前です。美緒様だってご存じでしょう?」

「それは……」

 依都は美緒と誠一の手を取って、二人の手をにぎりあわせると自分の手でも包み込んだ。この手を守れるのなら、それは依都の幸せでもあるのだ。

 にんまりと笑って、その手に額をこすりつけると語りかけた。

だいじようです、ちゃんところあいを見て逃げだしますから。だからどうか心配しないで、わたしにあなたたちを守らせてください。この命を二人のために使わせてください。それこそが忍びの、わたしのほんかいなんですから……」

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