Pre Mission 嫁入り

 命は有効に使いなさい。今日お前がこんなくだらないことで死んでしまってはご先祖様に顔向けができない。だからようく反省するんだぞ。

 わたしがてつぽうをするたびに、じいさまは口をっぱくしてそんなことを何度も言い聞かせた。というのもわたしは六つのときに両親をくしたが、その両親はたいそう立派な命の使い方をしてほまれある死をむかえたらしい。だから余計に、向こう見ずなわたしのことが爺様は心配でならないらしかった。

 しかしもうだいじようだよと、あの世の爺様に向かって胸を張ってみる。

 わたしはちゃんと、この命の使い道を決めたのだ。

 さいまで主君に、身命をすと。


 へいふくし、深々とこうべを垂れる。はらりとくろかみひとふさ、背からほおを伝う。こすりつけた鼻先に上質なぐさかおりがただよった。太陽をがしたようなこうばしいにおい。大好きな匂いだが、そんなことをこのれいじんに言えばすぐさま田舎いなか者だと鼻で笑われるのだろう。

「顔をあげよ、はなよめ殿どの

 冷ややかな声がわたしを呼んだ。けい宣告の時間である。

 大丈夫。わたしの命の使い道は、とっくのとうに決めたのだ。

「……はい」

 顔をあげて最初に見たのは、この世のものとは思えないほどにうるわしすぎるじようだった。

 黒というよりはすみいろやわらかそうな髪。色素のうすい灰色のひとみは、そのこうさいにやんわりとみどりをたたえる。異国じようちよのある顔だが、それがおどろくほどしっくりと収まっている。ていこく陸軍の軍服がそのおもちによくえた。

 いや、軍服が似あうのはあのそうぼうのせいだろうか。今にも射殺さんとするれいてつな瞳は、人のそれではない。まるでしやだ。もののから生まれた子──しやおそれられる冷血漢はじとりとわたしをにらみつけた。

 ほんの少しのきんちようきよう。それが名乗る声をわずかにふるえさせる。

ありがわはくしやく家より参りました。にございます」

ひがしどうぞのはるおみだ」

 男は帝都で一、二を争うだいごうであり、れいこくと恐れられる帝国陸軍人であり……今日からわたしのだん様になる人だった。

 だん! というにぶい音がした。悠臣が着物のそでんでいた。わたしの頭上にかげが落ち、思わず顔をあげてそれを見た。

 ぞくりと背筋を震わせるような双眸がこちらを見おろしていた。それはもはや殺気だった。花嫁に向けるたぐいの視線ではない。逆光の中でするどく光るまなしはすべてをきよぜつしているようで、何かよこしまなものをいだけばしゆんに殺してしまえるような。冷徹というよりはだれにも何にもしゆうちやくを示すことのない、感情を持たない者の目で。

「俺がこわいか」

 正直、怖くないと言えばうそになる。

 それでも、くやしいから答えてなんかやらなかった。

 悠臣は小さく舌打ちし、

「これからよろしくたのむ、花嫁殿」

 口とは裏腹によろしくするつもりなんてまったくなさそうなふんで言ってのけて部屋をでていった。

 わたしは頭をさげたままそれを見送り──

(ばれてない……

 だましきってやった。その事実が恐怖と緊張を反転させ、ひやりとさせられたぶんだけ誰にもつかまらないという自信に変わる。

 一人になった部屋でまどわくに足をかけると、最後に嫁入り道具で満たされた室内をり返った。

(ばいばい、わたしの旦那様)

 もう二度と会うことはないだろうけれど。

 悠臣に別れを告げて庭園へと飛び降りた。部屋は二階。赤いまんじゆしやの花嫁しようひるがえし、着地と同時に走りだす。

 立ちはだかるのは、青灰色にしずんだ夜の帝都のかげりだけ。しかしそれはほんの少しだけ、悠臣の瞳に似ている気がした──。



 そのり声を聞いたのは、あと少しでしきけだせるというときだった。

「有栖川美緒をわたせ! さもなくば殺す!」

 え、わたし? ──思わず一度立ち止まり、声のしたほうを振り返る。

 二人の男が日本刀を構え、悠臣とたいする姿が月明かりに照らされた。

 どくりと心臓が脈を打つ。

 悠臣はまるごしだ。いくら軍人といえどもおぼつちゃんがで立ち向かえるとは思えない。

(助ける?)

 一瞬よぎった考えを、しかしすぐに否定した。

 助けてしまっては。だからげなければ。

 言い聞かせてきびすを返したとき、視界のはしが赤く染まった。

 悠臣のかたから血がきだしていた。浅い──が、すきを生むには十分だ。傷を押さえてよろめくと、敵はすかさず一歩踏み込んだ。

かく!」

 強い殺気が噴きあがった。高くかかげられた刀身が悠臣の顔へと影を落として。

「まだここで死ぬわけには」

 ぽつりと悠臣がつぶやいた瞬間、気づけばわたしはけだしていた。

 しゆうげきしやとのあいだに割って入る。悠臣をかばって。

「なっ……」

 どうもくする悠臣。しかしもう止まらなかった。

 かいけんを抜き日本刀の切っ先を横にぐと、半身をひねって男の後頭部につかたたき込む。

「こいつ、有栖川美緒だっ」

 背後から声がした。もう一人の男がいつの間にか回り込んでいる。

「捕まえ」

 飛びかかってきて抱きつき、勝利を確信したようににやりと笑い。

「た──あ?」

 うでの中に収まっているを見て、男はきょとんと立ちくした。

 ごんっ。背後から後頭部をひとき。どさりとくずれ落ちる男の姿を見届けて。

 首筋にひやりと冷たいものを感じたのはそのときだった。

「っ……!?」

 悠臣がわたしをめにして、首にナイフを押し当てていた。

 殺気を、いつさい感じなかった。予備動作もまったくない。

 そのうえ丸太身代わりにも騙されなかっただなんて……この男、いったい何者なの?

(というかこの人、自力で解決できたんじゃっ)

 気づいたときにはもうおそい。悠臣はさいしんをたっぷりとはらんだ瞳でわたしを見つめ、息が止まるほどにひどく険を帯びたこわで問うた。

「お前、何者だ。有栖川美緒ではないな?」

 ばれた。一気に血の気が引いていく。

 伯爵れいじようではない自分なんて、警察に突きだされるか、女に騙されたというしゆうぶんをもみ消すために殺されたって仕方がない。

(いや、わたしは身命を賭すと……命の使い道を決めたじゃないか)

 殺すなら殺せばいい。ほんもうだ。

 覚悟を決め、ぎゅっと目を閉じたときだった。

「いや、誰であっても構わない」

 耳元でくすりと笑う声がして、ひようけして肩しに振り返った。

 悠臣が──夜叉子とうわさされ、絶賛ナイフを突きつけ中の冷酷軍人が、自らの行動をまったくかえりみることもなく。

「お前、俺の嫁になれ」

「…………はい?」

 いとしい者へと向けるような瞳をして、ぜんだいもんきゆうこんをした。

 しかしそのときのわたしはといえば、このじようきようにもかかわらずにほうけてしまって──息をするのも忘れていた。

 なぜならば二度目の求婚は……だと、わかってしまったから。

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