Ⅱ 強制労働のお時間でございます、お嬢様①

 ハイディーンは、アルマリエていこく北方領に位置する小さな町だ。アルマリエ国内で流通している観光本では『めいほう・ケルツディーノ山にいだかれたゆうだいな自然が味わえる観光スポット』としてしようかいされている。

 確かにそれは事実だったと、カレンは目の前に広がる雄大な景色に小さくうなずいた。

「というか、何なんです? こっちに仕事振ってきた理由が『夫を甘やかすため』って」

 雄大な山々を前にしていれば、の言葉でさえもすがすがしくひびく……わけはなかった。

「『夫を甘やかす』と『国政を取り仕切る』を同じように並べて仕事あつかいするのはどうかと思うのですがねぇ? 国主が色にけいとうした国は必ずほろぶって歴史が証明していることですし」

 ──いや、それを今この場で、私に向かってネチネチ言われてもどうしようもないんですけども。

 カレンは思わずすがめた目でとなりを流し見た。だが腕を組み、カレンと同じように目をすがめたクォードがつらつらと並べる言葉は止まらない。せっかく空気がれいで清々しい気候の場所にいるのだから多少は楽しいことをしやべればいいのにとも思うが、クォードが愚痴を止められない心境も何となく分かってしまう。大変不本意なことに。

 ──いや、でもそれを、ほんと延々と言われ続けても、こっちもうんざりするだけなんだけども。

 というよりも、今この場でクォードの口から楽しい話題が出てきていたとしても、それを快く受け取れる心境にカレンはないわけなのだが。

「それと、『人さらい』と言われましたか、解決を命じられた案件」

 カレンは思わずめ息をつく。その溜め息ももう何度目のことか分からない。

 今カレンとクォードが並んで立っているのは、観光案内本で『絶対行きたい絶景スポット』と必ず紹介されている町の入口のやぐらの上だった。ハイディーンへ転送魔法円で飛んだ二人は、手始めにここへ登るとひとまず目の前に広がる雄大な景色をながめている。

 というよりも、それ以外に特にできることが何もなかった。

「人攫いなんて起きてなくても、が進んで勝手に人がいなくなっていそうな町だと思うのですが」

 ──それは私も思った。

 事のげんきようであり、敵であり、日々のへいおんを乱す異分子であるクォードなんぞに同意などしたくはなかったが、残念なことに今このしゆんかんだけはクォードに同意せざるを得ないというのがカレンの正直な内心だった。

 風がくたびにギシッ、ミシッとおんな音を立ててれる古びた木製の櫓。視界は五割が山、四割が空、残り一割が町といった具合で、左右へ視線を走らせればひたすらにあらあらしい山とけるような空のコントラストが続いている。

 観光都市、ハイディーン。

 町の主要産業がケルツディーノ山への登山客や北方へ抜けるかいどうの利用客を相手にした宿泊業であるため分類上『観光都市』になっているそうだが、実態はそのはなやかなづらからは想像もつかないようなド田舎いなかだった。一応れいりような気候をかして細々とらくのうも営まれているらしいから、食べ物が美味おいしいことは救いなのかもしれない。

 ──寒冷地って貴族のしよ地とかがあると栄えるんだけど、ここはぜつみように不便な上に気候が厳しすぎてそういうのもないらしいしなぁ……

 同じ『北方領』というだけで生まれ故郷であるミッドシェルジェこうしやく領スリエラを思いかべていたカレンはほんのりカルチャーショックを受けていた。もっとも、北の国境を守護する防衛ラインとされ『アルマリエの北都』としようされるスリエラとハイディーンを同列にとらえていたカレンに非があることは明白なのだが。

【文句ばっか言ってても始まらないんじゃない?】

 カレンは気を取り直すとクッションをクォードの方へ差し出した。いい加減クォードのうつうつと続く言葉を聞くのにえかねたカレンは、ひとまずクォードの言葉をぶった切るためにあえて前向きな言葉を表示させる。

【私達、事件を解決しないと帰らせてもらえないわけだし】

「チッ、特別手当と武装用魔銃リボルバーへんかんって言葉に食いつきすぎたか」

 ──そりゃあ伯母様がタダで甘いしるを吸わせてくれるはずがないじゃない。

 一瞬化けの皮ががれた状態でボソリとつぶやいたクォードに対し、カレンは内心で溜め息を上乗せした。もはや『ざまあみろ』と思う気持ちの余力もない。

 カレンだって任務に気が乗らないという部分ではクォードと同じだ。クォードに同意するなど、本当に不本意な上におもしろくないことこの上ないし、同意できてしまうおのれ自身に腹が立ってもいるのだが、事実であるのだから仕方がない。さらに言えば任務を果たしてもカレンには何のうまもないのだから、おそらくカレンの内心の方がクォードよりも鬱々としているはずだ。

 ──『相棒』とか『試す』とか、めいわくもいい所なんだけど。

 ルーシェの勝手な言い分を思い出した瞬間、いらち以外の感情からクッションをきしめるうでにキュッと力がこもった。

 ──一人の方が、気楽でいいのに。

 公爵家とは言っても、ミッドシェルジェは『とう』と頭につく公爵家だ。アルマリエ国祖の血を引いていながらりよくかいというとくしゆな家系であるミッドシェルジェは、代々たくばつした武力でアルマリエの北の国境を守り抜いてきた。その『武』は下手な魔法よりもよほど強いと聞いて育ったし、都に出てきてからそれは事実だったと実感している。

 ミッドシェルジェの『武』に母ゆずりの強大な魔力が加わったのがカレンだ。だからたいていのことはカレンにとってきようにはならない。皇宮魔法使いの位階を得てからカレンはずっと単独で任務にあたってきたが、不自由を感じたこともなければ危機にひんしたこともなかった。実家のしつけのおかげで一人の長旅だって苦に感じない。相棒の必要性は感じていないし、むしろカレンの場合は本気になった時に味方がそばにいるともろもろ都合が悪い。

 ──魔術師って、基本的に魔法使いより魔力総量少ないんでしょ? か弱くて寿じゆみようも短い人間を下手に傍に置けばどうなるかなんて、それこそ伯母おば様が一番分かってそうなものなのに……

 寿命に関しては、打つ手がないわけではない。現にルーシェは魔力を持たない腹心の臣下と時をともにできるように手を打っている。カレンにもその手が使えないわけではないが、自分がそこまでしたいと願うほどだれかに心を預けるなんて想像すらできないのが現状だ。

 ──ましてやこんな『ぶつそう・無礼・大罪人』な上に裏切りわくまである押しかけしつを相手に、私がその手を使うほどしんらいを置くようになると?

 何だか思い出したらさらにイライラしてきた。どうにもならないことを何度も思い返して思考を転がしてみたところで非生産的なことこの上ないのに、どうしてもあのルーシェの発言を意識から切りはなすことができない。

 ──こんなことに思考回路をいているゆうなんてないはずじゃない。

「仕方がありませんね。とっとと片してさっさと帰りましょう。貴女あなた様のそのシケたツラと山しか見るものがないというのも気がることですし」

 カレンがそんな鬱々とした内心をめているというのに、事の元凶はどこまでも身勝手だった。ようやく気持ちに区切りがついたのか、執事としての化けの皮をかぶり直して言いたい放題言い放ったクォードは、クルリと身をひるがえすとカレンの反応を確かめることなく階段を下りていく。

「さっさと行きますよ。こちらはチャキチャキかせいで、一刻でも早く年季明けをもぎ取るつもりなのですから」

 その瞬間れ聞こえてきた声に、ついにカレンの中で何かがプツリと音を立てて切れたような気がした。

 ──だ・か・ら! 何なのその好き放題な発言は!

【『執事』として稼ぎを上げたいなら、少しは従者らしい態度でも見せたらどうなの?】

 あまりにも身勝手な発言にいかりをおさえきれなくなったカレンは、思わずクォードに向かってクッションを投げつけていた。かんぺきに死角からのしゆうだったはずなのに、クォードはり返ることもなく片手でクッションを受け止めてしまう。

【従者らしい振るいのひとつでも見せてくれば、賃上げこうしようくらいしてあげてもいいけど?】

 それがさらに面白くなかったカレンはクォードが受け取ったクッションに文字を流し続ける。ペロンと片手で顔の前にクッションをるしてその文字を眺めていたクォードはハンッとあざけりをかくさずに鼻で笑った。

「貴女様が仕えるに値するあるじとしてのうつわを見せてくだされば、わたくしだってそれらしい態度のひとつやふたつくらい見せて差し上げるんですがねぇ?」

【はぁ? あんたがしおらしい態度を見せる所なんて想像もつかないんだけど?】

「現に見せていましたよ」

 思わず食ってかった瞬間、クォードは手首のスナップをかせてカレンにクッションを投げ返していた。ヒョイッと軽く投げたようにしか見えなかったのに、クッションはそこそこの勢いでカレンの顔面におそい掛かる。

 その対処に気を取られたせいで、カレンは次の言葉をクォードがどんな表情で口にしたのか見ることができなかった。

「もう、ずいぶん昔の話ですがね」

 ──昔?

 クォードの動きにならうように片手でクッションをはたき落とすように受け止める。同時にカレンは内心だけで首をかしげていた。

 ──何よ、その感傷にひたってるみたいなふん

 クォードの短い言葉には、だんのクォードからは感じない切なさやはかなさといったものを感じた。どこか遠くを思うような、もう自分は帰れない故郷を思うような……そんな雰囲気を、一瞬だけクォードはまとっていた。

 ──似合わない雰囲気、急に出してこないでよね。

 そのことに対するまどいのせいであふれ出そうになっていた怒りはどこかに消えたが、どちらにしろ面白くないことに変わりはない。しゆくじよの顔面をねらってこうげきしてきたことも、思わせぶりな言葉や雰囲気も。この押しかけ執事は何もかもがカレンのかんさわる。

「で? どうなさるのですか? これから」

 カレンに気をつかうこともなく、今度こそクォードはマイペースにやぐらを下りていった。四丁の魔銃を帯びたクォードの総重量はいかほどになっているのか、古びた櫓は今にもみ板がけそうな苦しげなきしみを上げている。

「貴女様は今までも皇宮魔法使いとして任にあたってきたというお話をうかがっておりますが。今回も何か有効な対策がおありで?」

【あんなにやる気見せてたくせに、何も考えてなかったの?】

生憎あいにく、わたくしの仕事は貴女様にお仕えすること。貴女様の役でございます。貴女様の計画が分からないことには、ねぇ?」

 ──だから! 『仕える』って言うならそれ相応の態度!

 わざとらしているのではないだろうかと思わず疑ってしまうくらい軋む櫓を、カレンはまゆひとつ動かさずゆうに下りきった。地上に下り立っても手のひとつも差し出してこないクォードをしりに、カレンはスタスタとハイディーンの町の中に入っていく。カレンとしては櫓でのしゆがえしのつもりだったのだが、ななめ後ろに従ったクォードは特に気にした様子もなく町の様子に目を配っているようだった。

 ──町の人の視線が痛い……

 登山客と旅人、そして町の住人しかいないハイディーンの中で、ドレス姿のカレンと執事服姿のクォードは明らかにいていた。ちがいすぎる格好に道行く人々の視線が自分達に集中しているのが分かる。引きこもりにとってはこれ以上の苦痛はそうそうない。

 ──んもぅ! 何もかもがうまくいかない……!

 もしかしてこれもクォードからの新手のいやがらせなのか。

 カレンは外出用に頭にせたミニハットのレースをヴェールのように顔の前に垂らしながらさりげなく立ち位置をクォードの後ろに移した。対するクォードは周囲の視線が気になることもなければカレンの内心も分かっていないのか、急に立ち位置を変えたカレンにいつしゆんげんそうな表情を向ける。

【まずは宿を確保】

 そのことに腹が立つような、弱点をさとられる方が腹が立つような、とにかくひたすらおもしろくない内心を噛み殺しながら、カレンはクォードの問いに答えるべくクッションに文字を流した。トゲのある言葉を発しながらも一応おのれの発言通りにカレンを補佐してきようとうするつもりはあったのか、カレンが文字を流した瞬間クォードは存外あっさりあごを引いてこたえる。

「活動きよてんを確保するということですか」

【引きこもれる場所を用意しないことには話が始まらない。場所が用意できれば、後はどうとでも】

「はぁ?」

 だがその『なつとく』という空気はそくに消し飛んだ。険を帯びた空気にチラリと視線を上げれば、クォードは常のさげすむような視線をカレンに向けている。

「ここまで来てまだ引きこもるおつもりで? いい加減あきらめてキリキリ働かれてはいかがです?」

【だから、働くために私は引きこもる場所が必要なんだってば】

「引きこもっている時点で働いていないでしょう。労働ナメていらっしゃるのですか?」

 カレンとしては事実を説明しているつもりなのに、クォードはがんとしてカレンの主張を認めない。その頭ごなしな否定の仕方にカレンは思わずムッとけんにシワを寄せた。一度は水に流した怒りがまたムクムクとカレンの胸の奥をせんきよし始める。

【自分で計画練ってこなかったくせに、私の計画には文句を言うの?】

「もっとキリキリと働く立派なご計画があるはずだと、主の志を信じておりましたので」

 ──本っ当に! 何なのよっ!? その態度っ!!

 カレンの表情にクォードは気付いていたはずだ。それでも形だけしかカレンに仕えるつもりがないクォードはそのぜつぽうにぶらせない。本来ならばシワなどじんもないはずである己の眉間に今、深々とシワが刻まれているのがカレンには鏡を見なくてもよく分かった。

【そこまで文句言うなら自分で勝手に動けばっ!?】

「左様ですか。それは命令として受け取っても? 一応、貴女様の計画には従うつもりがございましたが、そこまでおつしやるならばそのようにいたしましょう」

 挙げ句の果てに続いた台詞せりふに、カレンの中で『プッツン』という音が鳴りひびいた。さきほど聞こえた時は『ような』という言葉が入ったが、今度は完全に何かがブチ切れた自覚がある。こころおだやかに引きこもっていた自分には聞こえることはないだろうと思っていた音だが、ついにカレンも己のかんにんぶくろが切れる音を聞くことになったらしい。

じよこう陛下より解決の手段を指定されなかったということは、どのような形であれ事件が解決すればそれで良いということでしょう。じんそくな解決が成されれば、別行動であっても問題ないのではないかと、わたくし、実は最初からひっそり思っておりました」

 相棒としてけんされているとはいえ、クォードが大罪人であることに変わりはない。本来ならばクォードのざんてい主であるカレンにはクォードがしんな動きをしていないか見張る義務がある。ルーシェにその辺りを説明されたことはないが、カレンだって次期国主候補にされるいつぱしの貴族でありほう使つかいだ。それくらいの責務があることくらいはおのずと理解できている。

 というよりも、カレン自身がクォードの裏切りを疑っている部分がある以上、派遣先ではきっちりクォードの行動に目を光らせるつもりだった。裏切りの確証さえ得られればカレンの独断でクォードを処分してもルーシェは許してくれるだろう。クォードにとってこの任務が裏切りに絶好のチャンスであるならば、カレンにとっても関係の白紙てつかいに絶好のチャンスだったのだ。

 が、しかし。

 カレンだって、人間である。

 いくら『無言ひめ』とあだ名されている人間であろうとも、感情はつうにあるわけで。引きこもりであってもプライドはあるわけで。というよりも、普段から人との交流をっているからこそ、かいな人間に好き勝手言われるのはひときわ気に食わないわけで。

【勝 手 に す れ ば !?】

 結果、カレンはさけぶ代わりにいつになく力強い書体でデカデカとクッションに文字を映し出した。そりゃあもう、実際に声に出して叫んでいたら、見事な山びこが聞こえたレベルの力強さで。

「決まりですね。貴女様のツラを見てなくていいなら、多少は心安く任務に当たれるというものです」

【それはこっちのセリフっ!!】

 最後の捨て台詞ぜりふに対するカレンの叫びは果たしてクォードの視界に入っていたのだろうか。そこからして疑問なばやさで身をひるがえしたクォードは、カレンをり返ることもなくスタスタとハイディーンの町の中へ消えていく。後に残されたカレンはいかりに全身をプルプルふるわせながら通りの中心に立ちくした。

 ──何よ! 何よっ!!

 疑わしい行動をしてきたら、今度こそようしやしない。ルーシェの裁定を受けさせる前に、己の裁量で骨も残さず消し炭にしてくれる。

 ──お財布は私が持ってる。事件のそう資料も、宿代を担保してくれる証書も、持ってるのは私。

 今のクォードは自前の小銭しか持っていないはずだ。クォードのふところじようは一々あくしていないが、決して優雅な旅を楽しめるようなじようきようではないだろう。下手をすれば今晩からクォードは野宿をするハメになる。せいぜいそのことに気付いてこうかいすればいい。

 ──ボロ布みたいにみすぼらしくなって泣きを入れにくればいい!

 もしくは次に会う時までにクォードのはんが明らかになれば、再会した日がクォードの命日となる。今度クォードに向かってらいげきを振るう時は、加減をちがえてうっかりなどではなく、カレンの意志をもつて消し炭にしてやろう。

 そんなクォードの未来を想像してうつぷんまぎらわせつつ、カレンはかたいからせながら手近な宿にとつしんしたのだった。

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