Ⅰ 甘い話には気を付けやがれでございます、お嬢様②

「お前がどのような道に進もうとも、人生の相棒は必要じゃよ」

 必ずな、とルーシェはじようだんめかしたように微笑む。そのことじりからルーシェが誰を指してそう言っているのかさとったカレンは、思わず自前のまゆをピクリとね上げた。それがカレンにとってどれほど劇的な変化なのか分からぬルーシェではないだろうに、ルーシェはまるでその動きに気付いていないかのように大輪の花がほこるような笑みをカレンに向ける。

「若くて有能、よく見れば中々のイケメン、さらにしつ! お前の相棒としてこれ以上の適任はおらん。おまけにこやつはそこそこゆうしゆうな魔術師でもある」

 あるいはその無関心は、続く言葉の方にこそカレンが反応すると分かっていたからのものだったのか。

【魔術師?】

 クッションに言葉が流れた瞬間、周囲の空気がスッと冷えたような気がした。

 カレンのペリドットの瞳は、言葉を発した瞬間色を暗くしたことだろう。いらちやけんと一言で纏められないその感情は、『けいかい』と表すのが一番とうなのかもしれない。

 ピリリとおんに毛羽立ったふんは、らいめいとどろく直前の空気にも似ている。その変化に今までカレンがどんな反応を見せても身構えなかったクォードが反射的にかたらしたのが分かった。

「そう。こやつは魔法魔術犯罪秘密結社で幹部の座を得ていたくらいには魔術師としても有能じゃ。本人がそう言うてくるから多少テストさせてもらったが、確かに中々のうでまえであったよ」

 その空気にさらされてもなお、ルーシェの笑みはくずれない。

 再び湯呑を手に取ったルーシェは、両手で包み込むように湯呑を持ち上げると瞳の奥底まで笑みを浮かべる。

「カレン、確かにお前がする通り、アルマリエ国内にお前と並び立てる魔法使いはそうそうおるまい。大抵の人間はお前がうっかり本気になればあっけなく

 ルーシェの口から飛び出た『壊れる』という言葉を聞いた瞬間、おのれの肩が勝手にねた。だがカレンはその揺れに気付かなかったフリをして真っ直ぐにルーシェを見つめ返す。

「ならば、魔術師はどうかと思うての」

【正気なのですか?】

 実際に言葉を声に出していたら、きっとカレンの声は地をうような低いものになっていただろう。その殺気とも言えるものが空気ににじんでいたのか、反射的にクォードの手がえんふく尻尾しつぽの下にかくされたホルスターへびる。

 あるいはクォード自身も、ルーシェのその言葉を聞き流すことができなかったのか。

 ──『魔法』と『魔術』は、似て非なるモノ。

『魔法』は、自然物理を曲げることで不可思議なことを引き起こすモノ。

『魔術』は、自然物理を増長、よくせいして不可思議を引き起こすモノ。

 魔法は魔力属性によって使える種類が限定されてしまうが、物理条件を捻じ曲げる分、物理条件を利用することしかできない魔術よりも強大な力を発現させることができる。

 これをたとえた言い回しで有名なのが、『魔法使いと魔術師を見分けたいならば、数人つかまえて宙にほうり出してみればいい。風をまとわずに静止するか、そのまま地面にたたき付けられるかりようきよくたんなのが魔法使いで、全員風を纏って浮くのが魔術師だ』という言葉だろう。

 魔法使いは魔力属性さえ向いていれば『重力』という物理条件を消してしまうことができるから、地面に立つように宙にとどまることができる。ただしそれは本当に魔力属性が適合している人間だけなので、それ以外の属性の力を持つ人間は魔法使いであってもただびとと変わることなく地面に落ちていくしかない。

 一方魔術師は物理条件を増長、抑制するという使い方をするから、宙に留まるにしても自身の足元にじようしよう気流を発生させたり、重力を軽くしてゆるやかに落下していたりとはたから見ても『独力で空中に静止はできていない』という状態になるらしい。ただし魔術師を名乗る人間ならば全員が同じ現象を発現させることが可能だ。

 魔法は属性さえ適合していれば完璧に重力のくびきから自由になれる。対して魔術はどのような魔力属性を帯びていようとも、ある程度の魔力が身に宿っていればどの属性の術式であってもばんにんあつかえる。

 とにかく発現する現象は似ているが、そこに至る道がほうと魔術ではまったく別物である、という話だ。

 振るえる力は大きいが扱える人間が限定されてしまう魔法は西方諸国で、ある程度素質があれば万人に扱えるがりよくが限定される魔術は東方諸国で発展してきた。それぞれのわざみがき続けてきた魔法使いと魔術師は、それぞれの技に高いプライドを持っている。

 だからこそ、似て非なるモノを扱う相手は気にわない。そこに東西諸国の国家戦争に魔法や魔術が投入されてきた歴史もからみ、今や魔法使いと魔術師はたがいを天敵としてにんしきしている。特に近年は西方諸国が力をつけていることもあり、よりへきへ押し込まれた魔術師達が魔法使いへ向けるうらつらみはつのるばかりという話だ。

 その話をルーシェが知らないはずはない。だというのにルーシェは内心を読ませない微笑ほほえみとともに断言する。

「もちろん、正気だとも」

【私は不本意ながらも、ぜひ次期国主にとされる魔法使いですよ? 魔法国家アルマリエをしてとなりに並べる者は中々いないと言われる魔法使いです】

 自分で言うのはがましいとは思ったが、事実は事実だ。『魔法研究家』としてはまだまだけ出しの身であるカレンだが、『魔法使い』、それも『魔法を用いて戦える魔法使い』に限定してしまえばカレンとする存在はアルマリエに数えるほどしか存在していない。

 ──そんな私の隣に、魔術師が並び立てると?

 その純然たる事実が、カレンの心の奥底にて付いたおりを生む。

ためしてみるかえ?」

ずいぶんな自信じゃな』とルーシェは言わなかった。満足そうな笑みはカレンの言葉が真実であるとルーシェが暗にこうていしているあかしだ。一方クォードが不服を隠していないくせにカレンの発言を否定してこなかったのは、否定の仕方によっては己がカレンにおとるという発言に取られかねないという考えが働いたからだろう。

 ──そんな考え方ができる所も気に入らない。

【試す?】

 カレンは一度、心の奥底を満たすほの暗く冷たい感情といつしゆん再燃したクォードへの苛立ち、ついでにクォード当人の姿まで己の認識の内からめ出すと、ルーシェに意識を集中させた。すべてを手のひらの上で転がすろうかい伯母おばの前で集中力を欠けばどんな風にもてあそばれるかも分からない。

 だがカレンが意識を引き締めるには、いささかタイミングがおそかった。

わらわが万の言葉をくして説明するよりも、実際に現場でこやつの実力を実感した方がお前もなつとくできるであろう?」

 ──ん? この流れ、もしかして……

 いやな予感に多少のことではるぎもしないはずである口元が引きる。

 カレンのそんなささやかな反応まで手に取るようにいているのか、ルーシェは本日一番のいいがおをカレンに向けた。

「ちょうどハイディーンで人さらいがひんぱつしているという報告が上がってきておっての。だれうでが立つ魔法使いを送り込もうと考えておった所だったのじゃ」

【ちょっ……ちょっと待ってくださ】

 嫌な予感が当たったことにカレンはあわててクッションを差し出す。だがいい笑みをかべたままのルーシェがその程度で止まってくれるはずもない。

「実地試験をするのにちょうど良かろう。カレン。お前、クォードを連れてチョチョッと解決しておいで」

【いや、それ私向きの案件じゃな……】

「失礼」

『というかそんな「チョチョッと」とか言っちゃえる簡単な案件なんですかっ!? 絶対そんなことないですよねっ!?』と続けられる予定だった言葉は、先の文字が流れきるよりも早く割り込まれたドスのいた声にかき消された。反射的に声の方へ顔を向けるよりも早く黒いかげが視界をよぎり、ダンッとあらあらしい音とともにきゆうがテーブルに叩きつけられる。

「さっきから聞いてりゃ随分勝手な言い分ですねぇ? じよこう陛下サマ?」

 カレンとルーシェの間に割り込むように体を乗り出したクォードは、片手をテーブルに、反対の手をこしに置くと上からルーシェを見下ろす。カレンから見えるのはクォードの背中側だが、この角度からでもクォードがしつの微笑みを保ったまま額に青筋を浮かべているのが分かった。ドスが利いた声にも、いんぎん無礼が所々がれ落ちかけている言葉にもいかりがにじんでいるのに、よくこの場面で執事スマイルを保っていられるなとカレンは思わず感心してしまう。

「俺はオモチャでもなけりゃ便利道具でもないんですが? テメェらの勝手なおもわくで勝手に誰かの人生のえモンにされるなんざ真っ平ごめんでございます」

 そうでありながら腰に添えられたクォードの手はいつでも腰のホルスターからじゆうけるように備えている。その構えははしばしから滲む怒りに反してひどくゆうだった。洗練されたその美しさは、確かな実力に裏打ちされた仕草から滲むものだ。

「俺がこいつに仕えているのは、俺の身の自由を得るため。期間はこいつの執事として働いたほうしゆうが規定額に達するか、こいつが次期国主に正式決定するかの早い方まで。それが俺と貴女あなた様との間でわされたけいやくであったはず」

 たかが銃で魔法使いは殺せない。クォードが持っている銃は『魔銃』らしいが、カレンが見た限りち出されるたまはごくつうなまりだまと変わりがないように思える。ルーシェもそう判断したからカレンの下へけんするにあたってクォードから魔銃をぼつしゆうしなかったのだろう。いくらここでクォードが魔銃を抜く構えを見せようとも、ルーシェはおろかカレンにさえそれはきようにならない。

 カレンが初見で魔銃をき付けてくるクォードに対して内心でなみだになっていたのは、『自分がひねつぶしたはずである秘密結社幹部がなぜか自分に仕えると言って押しかけてきた』という『人ぎらい』としての感情と『秘密結社幹部』というかたきに命の危機を感じていただけであって、この魔銃自体にカレンがきようしたことはない。逆にクォードはそれが分かっていたからこそ、きようべんならぬ教銃として思う存分この魔銃を使っているのだろう。

 カレンに利かない物がルーシェに利くはずがない。そのことはクォードも分かっているはずだ。それでもクォードはそれをおくびにも出さない。いかにも『俺はやろうと思えばお前くらいいつでも殺せる』とでも言わんばかりの態度でルーシェにせまる。

「こいつの人生なんか俺は知らねぇ。そもそも執事はあるじに並び立つ存在でもねぇし、俺はこいつにおのれの有能さを示したいとも思っちゃいねぇ。……貴女様が今口にしたことは、契約のはんがいでございます。よって、わたくしの出る幕はございません」

「おや? お前の魔術はカレンの魔法に劣ると?」

「誰がそんなことを申し上げましたか? わたくしは『並び立つことを証明する必要はない』と口にしただけですよ」

 ──そう。別に証明なんかいらない。

 クォードの物言いは気に入らないが、『この任務を受けたくない』という部分ではカレンも同意だ。クォードの発言にはイチミリも同意できないし、片っぱしから反論もしたいが、話の流れには賛同できる。

 ──それに、出先でかんの目が緩んだタイミングでこれ幸いと裏切られたらバカみたいじゃない。

 カレンではルーシェを説きせることはできない。ここは口が達者なクォードにがんってもらおうとカレンは大人しく二人の会話に耳をかたむける。

「ふむ。確かにお前が言うておることも正しい。お前がそれを主張できる立場にあるかどうかは別として」

 クォードから一度視線をらし、物思いにふけるような表情を見せながらルーシェは変わることなく笑みがひそんだ声で言葉をつむいだ。その言葉にクォードのまゆがピクリとねる。

 ──まぁ、本来ならば死罪に処されていたわけだし、『大罪人が国主と対等な立場で公正に取引をできると思うな』って上からたたきのめされればそれまでなんだよね、本当は。

 何気なく紡がれた言葉はクォードへのけんせいだ。ルーシェとクォードの契約はルーシェ側が『公正にり行ってやろう』という構えがあったからフェアに執り行われているのであって、本来のじようきようと立場を考えればここまで対等な条件で契約は成立していない。『身の自由のため』と事あるごとに主張するクォードだが、『国家てんぷくテロをくわだてた大罪人』という前提を考えれば、本来ならばクォードにそれを主張できる余地など存在していないのだ。

 表情の変化を見るに、クォードもその辺りのことは十分に理解しているのだろう。その上でクォードはより良い条件を引き出すために強気なこうしように出ている。

 ──慣れてるんだ、こういう状況に。

 執事に身をやつしたこの男は、やはりただ者ではない。その事実をかいたカレンは、クォードに気付かれないようにそっと気を引き締める。

「お前はてつとうてつ、己の利のために動いておる。お前がこうなったけいは経緯じゃが、妾はその一点のみならば信じてやっても良いと思うておるよ。お前はお前の『利』を裏切らぬ」

 優雅なきよで緑茶に口をつけたルーシェは、のみを手にしたままフワリとクォードを見上げた。その口元にはカレンに向けていた笑みとは種類がちがう笑みが刷かれている。

「ならば、たびの任務がお前に利をもたらすことになれば、どうであろうか?」

「は?」

「お前、『労働対価が規定額に達するまで』と一口に言うておるが、それが具体的に何年分の労働になるか、きちんと計算してみたことはあるのかえ?」

 ルーシェの発言にクォードのかたがピクリとふるえた。分かりやすいどうようの仕方にカレンは思わず内心で目をみはる。カレンが見ていた中でクォードがここまで分かりやすく動揺をあらわにしたのは初めてだ。

「……っ、そこまでの、説明は」

「しなかったな。何せあのしゆんかん、お前にはその辺りのことを交渉できるだけのゆうあたえなんだ上に、その後もその辺りのことを意識させるような発言は意図的にけておったゆえ」

 クォードを見上げたルーシェは笑みを絶やさない。ルーシェのおそろしい所は、こんな場面でもひとみの奥底まで笑みを浮かべていることだ。

わらわけんくんと名高き女皇。たとえ国家転覆テロをはかった大罪人が相手であろうとも、不当に低い賃金での労働をけるような真似まねはせぬ。お前の給金……労働対価に対するげんきやく額は、皇都の使用人の最低賃金額をベースに月額で計算することになっておる」

 カレンは思わずクォードの表情が見える場所までを移動させた。座り直してクォードの表情をのぞき込むと、クォードはルーシェを見つめたままわずかにしようそうを浮かべている。恐らくクォードの頭の中では今、目まぐるしく計算式が飛び交っているのだろう。計算に必要な具体的な数字を知っているのか、クォードの顔からはジワジワと血の気が引いていく。

「ざっと二十年じゃな」

 ルーシェはクォードが口を開くまで待ってはくれなかった。クォードがおぼろげに答えに行き着いた瞬間、かつ自分からその数字を口にするかくが決まるよりも早く、ルーシェはズバッと答えを口にする。

しやくほう金プラスあの一件の損害ばいしよう金。それがお前に科された労働対価の規定額じゃ。月額最低賃金でその金額を割ると、およそ二百四十ヶ月……二十年ということになる」

「……ちょっと、待て。お待ちやがれください」

 ルーシェの言葉は的確にクォードの精神をえぐったようだった。顔色を失ったクォードはヨロリと体を引く。

「それは全額を返済にてた場合の計算、だよな? ……です、よね?」

「そうじゃな」

「あんた、俺にかかる必要経費とか、俺が個人的に借りてる小金は、規程額に上乗せしておくって……」

「よく覚えておったのぉ」

 ルーシェはわざとらしく目を丸くしてみせた。あざとい仕草にツッコむ余裕もないのか、クォードは無言のままワナワナと震えている。

 ──え? つまりクォードって、実際に現金でのお給金ももらってるってこと?

 人が生きていくにはお金が必要だ。いくら衣食住が完備された住み込み労働者でも、個人的に必要な物品は自分の給金からまかなわなければならない。ある程度は経費になるかもしれないが、それでも大の大人が無一文というのはいかにも心もとなさすぎる。

 恐らくその辺りはルーシェもはいりよしてくれたのだろう。クォードの労働は本来ならば釈放のためのしよう労働だが、ルーシェは月額最低賃金という数字で具体的に成果を示し、その内の何割かを実際に現金での給金としてクォードに与え、残りを対価の減却分として計算する形にしているらしい。確かに具体的な数字が提示されることも、クォードの生活を最低限保障してくれていることも『フェアな取引』だと言える。

 ──ん? でもそれってつまり……

「じゃあ実際の所はもっと時間がかかるってことじゃねぇかっ!」

 クォードはしつとしての体面を完全にかなぐり捨ててぜつきようした。そのきようこうの仕方にカレンは思わず『ざまあみろ』と思うよりも前におどろきに目を丸くする。

 ──こいつならその辺りのことにもっと早く気付けそうな気がするのに、何で今まで気付かなかったんだろう?

 さきほどの計算は労働対価を全額減却分に充てた場合の計算だ。満額が減却に充てられていない以上、実際はもっと時間がかかることになる。さらに言えばクォードが個人的に追加で現金を必要としたり、さらなる賠償責任が発生したりした場合は、その分の金額も規程額に加算されていくことになるはずだ。

 ──この間ドアノブをしやげきで吹っ飛ばした分、せいきゆう出したら加算されたりするのかな?

「そういうことじゃな」

だろ……!」

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