Ⅰ 甘い話には気を付けやがれでございます、お嬢様①

「そもそも、アルマリエにおける公爵家というものは、各家の祖がアルマリエ皇室に連なる者だということを意味しておる」

 アルマリエていこく第十八代女皇、ルーシェ・コンフィート・オズウェン・アルマリエは、ドレスにはり合いな東渡りののみを両手で支えたままとうとうと語り始めた。

「つまり、現状五家存在する公爵家の人間と国主は、さかのぼれば必ずどこかで祖を同じくしておる。ゆえに国主候補には皇室の人間か公爵家の人間が選ばれる。アルマリエのこうしつてんぱんは、国主の選定において対象者を『玉座につく者と祖を同じくする者』と定めておるからな」

 皇宮の奥深く、ルーシェの居室でのことだった。

 ルーシェとカレンだけで囲んだテーブルには極東できようされるが並び、二人の手元の湯呑の中には紅茶ではなく緑茶ががれている。

 クォードがきゆうに押しかけてきてから約ひと月。毎日のようにひたすら『たんがん書』という名の苦情ちんじよう書を送り続けたカレンの下にやってきたのが、このお茶会への招待状だった。もっとも『息災なようで何より。たまには顔見せついでに殿を連れてお茶でも飲みにおいで』というメモ書きを『招待状』と呼んでもいいならば、だが。

 ──『息災なようで何より』とか『たまには』とか言いますけど、クォードをけしかけて来た日も伯母様と顔を合わせていますよね?

 などとそのメモを見たカレンは思ったわけだが、とにかくようやくはいえつかなうならば名目は何でもいい。『じき! 白紙撤回!!』と意気込んだカレンはルーシェのご要望通りにクォードを引き連れ、勇ましくルーシェの下まで乗り込んだ……わけだが。

「カレン、お前はミッドシェルジェこうしやくを父に、わらわの妹を母に持つ。血筋という観点で見た時、国主候補としてお前をしのぐ適任者はそうそうおるまい」

 立板に水を流すがごとくなめらかにつむがれるルーシェの言葉は止まらない。りんすずやかな声でおだやかに紡がれる言葉は、内容はともかく音として聞いている分にはとても心地ここちが良かった。カレンが思わず直訴を忘れて聞き入ってしまうくらいには。

「お前の姉と兄はミッドシェルジェの特性が強く出たのかりよくかいすごうでけんごうに育ったが、お前はフィーア……お前の母の特性が強く出たのか、魔力も武力もそうチートのハイスペ令嬢として爆誕した」

【伯母様、そんなことづかいをしていると、またじゆう殿どのさいしよう様におこられますよ】

「ともかく」

 カレンのさりげない忠告をサラリと聞き流したルーシェは、コトリと手の中にあった湯呑をテーブルにもどす。そのまま片手でサラリとまんくろかみはらったルーシェは、そんみをカレンに向けた。

こうけいしやとしてお前以上の適任者はいない。よって嘆願はきやつじゃ」

【いえ、直訴したいのはそこではなくて!】

『いや、そこもしたいけど!』とカレンは思わず湯呑をテーブルにたたきつけると、少しはなれた場所でかべに同化しているおのれしつ(仮)に向かって指を突きつける。

【私がうつたえたいのはクォードとの関係の白紙撤回です!!】

「そちらも却下」

【なぜっ!?】

「知らぬのか? カレン。ちまたではお嬢と執事の組み合わせは最高のもえとされておるのじゃ。お前につけるならば執事が良い。というよりも執事以外は認めぬ」

【そういう話でもなくっ!!】

 今年でおんとし四十九になるルーシェだが、そのようぼうはどこからどう見ても二十歳はたち前後のうるわしいひめぎみだ。そんなルーシェは精神も若々しいようで、国主という激務に身を投じていながら巷で流行している小説や戯画物語マンガを好んで読みあさるというしゆを持っている。

 ──それ自体は『たみの生活と流行を知る』って意味ではいいと思うけども! そのくつで私をり回すのはどうかと思う!

 カレンは気を取り直すとキッとルーシェをにらみつけた。対するルーシェは知性がかがやしつこくひとみに笑みをにじませ、正面からカレンを見つめ返している。

 たんせい色のシンプルなドレスと銀のティアラにいろどられたルーシェは、まるでおおつぶのアクアマリンのようだ。絶対的な自信が滲む笑みをたたえたルーシェは、ただそこに座っているだけで見る者をあつとうする美しさがある。

【これは! 魔法議会で死罪が決定した大罪人なんですよっ!? 何でそんな人間をわざわざ執事にしなきゃいけないんですかっ!? ほかに適任なんていくらでもいたでしょう!?】

 その圧を意識的にけながら、カレンは手元の魔動クッションをズイッとルーシェの方へ突き出した。いつになく勢いよく流れていく文字列を見つめていたルーシェは『おや』というように目をしばたたかせる。

「他の人間ならば受け入れてやってもいい、とでも言わんばかりの言葉じゃな」

【もちろんお断りですけど、こいつはさらにお断りってことですっ!】

「なぜ?」

【なぜって……!】

「これは仕事ができぬのかえ?」

『なぜってこいつ大罪人ですよっ!?』『いつか絶対に私を裏切って組織にがえるに決まってるじゃないですかっ!!』と続けようとしたカレンは、スルリと差し込まれた言葉に文字をまらせた。そんなカレンの様子に気付いたルーシェはニコリと笑みを深くする。

「メイド長のフォルカからの報告によれば、これは執事として大層役に立っておるそうではないか。報告書には毎度礼の言葉が述べられておるぞ?」

【ぬぐっ!】

「ひと月会わぬ間に、お前のはだつやずいぶんと良くなった。しっかりこれが仕えておる結果かと思ったのじゃがのぉ?」

「当然でございます」

 腹心のメイド長が思わぬ形で裏切っていたことにカレンはさらに文字を詰まらせる。

 そんなカレンの代わりに口を開いたのはクォードだった。それまで背景にまいぼつしていたクォードの姿が、そのしゆんかんだけクッキリとりんかくあらわにする。

「対価を得るためには成果が必要です。たとえ相手が引きこもりのクソガ……お嬢様であろうが、我が身の自ゆ……わたくしにあたえられた使命でございますので、誠心誠意お仕えさせていただきます」

 ──ちょいちょい本音がれ出てるの、わざとですよねっ!?

 カレンは思わずルーシェに向けていた視線をキッとクォードにえ直した。内心のいらちを存分に視線に込めたというのに、いんぎん無礼な執事の皮をかんぺきかぶったクォードはしれっとした顔でカレンと視線を合わせようともしない。

 ──確かに、仕えてはいるけども! 仕えてはいるけども……!

 確かに、この押しかけ執事はカレンが思っていた以上にゆうしゆうだった。

 常に引きこもって魔法実験に明け暮れているカレンに三度の食事のみならず朝昼夕方三度のお茶まできっちり時間通りに取らせ、そのたびにみっちりテーブルマナーを叩き込む。歩いている姿を見かければじゆうを片手にウォーキングの指導。果ては『引きこもってばかりいないで適度な運動をなさってはいかがです?』という言葉からダンスの練習が始まり、『の光に当たることで昼型生活になれるそうですよ』と乗馬の訓練が始まり、気付いた時には日がな一日しゆくじよ教育を詰め込まれていた。

『国政に関する知識の教授に関してはわたくしの手が届かないところでございますし、それ以前に貴女あなた様の立ちいは次期女皇を名乗るには少々難がございます。まずは次期女皇のかたきにふさわしい国一番の淑女になっていただかなくては』ということらしい。

 ──本っ当に! 余計なお世話っ!!

 さらにはその他執事の仕事もそつなくこなしているらしく、使用人達は随分と仕事が効率良く回るようになったとクォードに感謝までしているらしい。『あの引きこもりの人ぎらいなあるじが一体どこからこんなに優秀な使用人を引きいてきたのか』といぶかしむ声さえ上がっているという。

 もっとも、これらの声はカレンが直接聞いたわけではなく、メイド長のフォルカが朝のたくついでに聞かせてくれた話なのだが。

 ──確かに、みんなの負担が軽くなるのはいいことだ。うちはただでさえ私のワガママで人を減らしているわけだし……

 自分が魔法研究以外てんでダメダメなお嬢様失格の生活を送っていた自覚はカレンにもある。だがきゆうに仕えてくれている使用人の給金も、日々の生活費や離宮の管理費もカレンが魔法研究によって得てくるほうしゆうによってまかなわれている。『家を出て生活するならば自分の食いくらい自分でかせげ』という公爵家らしからぬ教えに従い、カレンは生計的に自立した生活を営んでいるのだ。その報酬を色々と運用して増やしてくれているのはフォルカであるが。

 つまりカレンの引きこもり魔法研究ライフは、一応大義がある引きこもり生活なのだ。

 日に六度も食事の席に引きずられていくのは魔法研究者としては非効率この上ない。魔法研究をじやされるということは、離宮で暮らす人間達の生計をあやうくしているということだ。乗馬なんてしなくても運動は十分事足りているし、何ならカレンは北方守護をになとう公爵家の出身なので、その辺りのよりよほど馬には上手うまく乗れる。引きこもりの自分にダンスの技量やお茶会のマナーが必要になる日は来ない。敵に己のことを知られたくなくてだまってはいるが、とにかくクォードによる指導はカレンからしてみれば『いらぬおせつかい』に他ならないのである。

 そもそも、だ。

 ──あれはどう考えても主に仕える執事の態度じゃないでしょ!

 言いたいことだけ言い放った後、スッと再び背景に埋没していったクォードの姿に、カレンは思わずクッションにえた指先に力を込めた。クッションにざんに刻まれるシワは、本来ならばカレンのけんに刻まれるはずであったシワである。

 ──きようべんならぬ教銃を振り回す教育係なんて、聞いたことないんですけどもっ!?

 お茶の席につけば好きな物から食べようとするカレンの手元を魔銃で押さえて『し上がる際は、ティースタンドの外に置かれた物からお召し上がりください』とのたまい、研究室にバリケードを築いてろうじよう戦をいどめばバリケードごとドアをやぶる。さらにはげ出したカレンを全力で追い回し、カレンが最終手段としてしようかんしたクッションの雪崩なだれまれて消えたかと思いきや、カレンの研究室に先回りしてティーテーブルをセッティングしている。思わず回れ右したカレンが手をかけようとしたドアノブをしやげきでふっ飛ばし、ニッコリ微笑ほほえんで『席につきやがれください』と言ってのけるのが、このクォード・ザラステアというしよう『執事』だ。

 ──確かに、今のところ、真面目まじめに執事の仕事はしてる。裏切りのりもない。だけどたったそれだけで従者として認めるわけにはいかないって、だれよりも伯母おば様はよくご存じのはずなのに……っ!

 人というものは、おのれの利益のためならば、いくらだってそとづらを取りつくろって振る舞えるものなのだ。貴族社会ではいかに本心をつつかくして立ち回れるかですべてが決まると言ってもいい。カレンはそれが下手すぎて『無言ひめ』と呼ばれるほどに人嫌いをこじらせたわけだが、その理屈までをも忘れ去ったわけではない。

「カレン。いくら個として強大な力を有していようとも、ヒトというものは決して独りでは生きていけぬのだよ」

 己の言葉が通らない苛立ちや、うずしんあんえ切れず、カレンの全身がプルプルとふるえる。

 その瞬間、ふとルーシェが身にまとう空気を変えた。

わらわとて永久の時を生きていけるわけではない。たいていの者はってやれるだろうが、お前の魔力総量と妾のねんれいを考えれば、妾はお前よりも先にくことになるだろう」

 その言葉に、カレンは改めてルーシェに視線を向けた。

 強大な魔力を持つ者は、総じて長命だ。魔力総量が最大となった年齢で体の成長は止まり、内にめた魔力がかつするまでその姿のままゆうきゆうの時を生きる。

 歴代最強の国主と名高いルーシェは、ばくだいな魔力をその身に秘めている。五十年近く生きているはずなのにカレンの姉くらいにしか見えない姿をしているのもそのためだ。ルーシェほどではないが、カレンの母でありルーシェの妹であるミッドシェルジェこうしやく夫人・オルフィアも、夫と並んでいるとむすめかんちがいされるくらいには見た目が若々しい。

「お前には、お前と同じ時を生きていける仲間と、生活をおびやかされないための立場が必要じゃ。国主という立場は、妾がお前に残してやれる最強にあんたいじゃと思うておる」

 ルーシェのしんな言葉にカレンもスッと姿勢を正した。

 波打っていた内心がそれだけでスッと冷えていく。ルーシェを真っぐにえたペリドットのひとみには、無表情なりに強い意志が宿っていることだろう。

【私は、人とかかわることは苦手です。性格的に国主には向いていない】

 魔力が強い者は寿じゆみようが長い分、それに相反するかのように子ができにくい。

 アルマリエていこくでは、先代国主と同じ血筋に連なる者の中で最も魔力が強い者が玉座をぐ。

 魔力が強いということは、それだけ直系の子ができにくいということだ。そのためアルマリエではぎに当代国主の直系であることを求めない。ルーシェはめずらしいことに実母から玉座をけいしようしているが、次代は確実にルーシェの直系にはいかないだろうと王宮の誰もが予測している。

 ルーシェが言う通り、どれだけ個としてすぐれた存在であろうとも、永遠に国を治め続けることはできない。いずれはルーシェも必ず玉座を降りる。

 最初から直系の子が産まれることはないと分かっているだけに、こうけいしや争いはりよくが強い国主の代ほどめるものであるらしい。それをしてルーシェはかなり早い段階からこの問題には考えをめぐらせていた。

【後継者争いで余計な血を流さないために、とりあえず私の名前で書類のらんめておきたい。その程度だから『次期国主』の肩書きに本気で向き合うのはまだ先でいい。……伯母様がそうおつしやったから、私は名前を貸しているだけです】

 ルーシェの魔力総量から考えれば、あと百年はゆうで玉座に座っていられるはずだ。だが先代早世を受けてじやつかん十九歳で玉座を継承したルーシェの治世はすでに三十年近くが経過している。安定とはんえいの中でひまを持て余したきゆうてい人達がめんどうなことをこねくり回すよりも早く、ルーシェはカレンを後継者に指名した。

 それが『無言姫』と名高い人嫌いの引きこもりであるカレンに『次期国主』という似つかわしくない肩書きが押し付けられたけいだ。

【私はいつかいの魔法使いとして、魔法研究家という形で、私の力を世間にかんげんしていきたい。それが私の望みです。その方が性格的にも合っています】

 確かに、ルーシェの判断は正しいと思う。カレンとルーシェは伯母とめいというぞくがらで身内の中でも関係性が近しいし、たんなく物を言い合える仲でもある。ルーシェが言う通り、素質的にも出自的にもカレン以上の適任はそういない。これも事実だ。カレンに下手に野心がないというところも、とりあえず書類の欄を埋めておくというのにうってつけだろう。権力にしゆうちやくする人間を指名しておくと今後それ以上の適任者が生まれてきた時に揉める火種となりかねないが、カレンならば性格上、喜んでその地位をゆずることができる。

 だが残念なことに、カレンはそれらの好条件をそうさいしてマイナスに落とし込めるくらい、絶望的にコミュニケーション能力が枯渇していた。ひとが多い場所もはなやかな場面も苦手とあっては、どうあがいても国主向きではない。候補にしておくにも難があるレベルだ。

 ──それを差し引いても、私は人の中にはいない方がいい。

 周囲に人がいなければ、そうほうが傷つくことだってない。

 それがカレンの十六年の人生の中で得た最大の学びだ。

【それを伯母様も認めてくださったから、研究きよてんとして伯母様の離宮を下げわたしてくださったのではないですか?】

 いつしゆんのうぎった感傷をまばたきと呼吸ひとつで押し流し、カレンは改めてルーシェに視線を置く。

 だが国主として日々宮廷のふるだぬき達と渡り合っているルーシェがその程度でたじろいでくれるはずもない。カレンの言葉を受けたルーシェは、ニコリとれいに笑うと愛らしく小首をかしげた。

「確かに、そこに間違いはない。お前の言う通りじゃ。だがこの先、お前以上の適任者が生まれてくる可能性は低いとは思わぬか? ならばいつ何時何が起きてもいいように教育はほどこしておかねばならぬであろう?」

【まさか、最初からこの形にハメてゴリ押しするつもりだった、とかないですよね?】

 ルーシェが真摯なことを言い始めたから同じだけ真摯に心の内を口にしたというのに、ルーシェがかべたみはどこかさんくさい。ニッコリと美しく微笑んでいるのに腹黒さが隠しきれていない笑みに、カレンは思わずじっとりとルーシェをめつける。

「まさか。姪の行く末を案じる伯母心よ」

 そんな視線さえをもあざやかにかわしてみせたルーシェは、ざらせられていた菓子を上品に切り分ける。大変美味だがカレンには何度食べても何でできているのか分からない可愛かわいらしい菓子を口に運んだルーシェは、その甘みに笑みを深めながらヒラリと片手をった。

「言うたであろう? いくら個として強大な力を有していようとも、ヒトというものは決して独りでは生きていけぬ、と」

 その合図を見過ごすことなくテーブルに歩み寄ったクォードは、きゆうを手に取ると新たなお茶をルーシェののみいだ。ごろカレンをしてケチをつけさせないかんぺき美味おいしい紅茶をれるクォードはどうやら緑茶へのぞうけいも深かったようで、クォードの手で淹れられた緑茶はフワリとさわやかなこうを立ち上らせる。

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