第20話

 ご老人の家に滞在して三日目、私の体調はもう完全に回復していた。

 これならば、すぐ旅に出ても問題ないだろう。

 私は流離い人、何時までも人の世話になっている訳にはいかない。

 それに、私がここに居ては、ご老人を不幸にしかねなかった。

 不幸を呼ぶ星、それが私の宿星である。その宿星を、風だけが流してくれるとフィドは言った。

 止まっていた風も、今日の朝から動き出したので、私は出発する気持ちを固めた。


 袋に僅かな品を詰め込んで、出発の準備を済ませると、私はカ-テスに声をかける為に彼の借りていた部屋の戸を叩いた。

 しかし、返事がない。どうやら、部屋にはいないようだ。仕方なく私は、階段を降りて彼の姿を探した。

 食堂、土間、厠、色々回ってみたが、一行に彼の姿が見当たらない。

 軽い苛立ちを感じつつ、最後に老人の診療所の方へ顔を出して見る事にした。


 ご老人は、今日も何処かに出掛けて留守にしている。世話になったのだから、声をかけて行くのが礼儀だろうが、実の所私は、そのまま出掛けるのが一番良いと思っていた。

 何故だかか知らないが、ご老人は私をここに引き止めたいと思っている様子なのだ。

 もしかしたら、私と死んだ孫娘の姿を重ね合わせているのかもしれない。

 引き止められるのは辛いので、こっそり出て行く事に決めていた。


 それにしてもカ-テスは、いったい何処へ行ってしまったのだろう?


 診察室にも姿が無いので、彼も外へ出ているのかと訝しむ。

 不思議な事に、彼を置いて行こうという気にはならなかった。

 本当なら、行方を眩ますいいチャンスだった筈なのに。


 そうして探しているうち、私はあの部屋、最初に飛び込んだ異様な場所へと足を向けていた。


 むっとした空気と、医薬品の匂いとが混じった異臭が流れる、古ぼけた大部屋。

 その薄暗い部屋の中、水揚げされた魚のように、人間がごろごろ横たわっている。

 まるで死んでいるように、身動きしない病人達。

 その間を、あのご老人がババアどもと呼んだ、老婆が数人行き来していた。


 老婆達の素性は知らないが、話しを聞く限りでは、もう長い間彼と一緒に働いて来た看護師達なのだと言う。

 毎日の食事の用意も、彼女達が交代でしているらしい。

 老婆達は、金たらいを手に、病人一人一人の体を丹念に拭いて回っていた。

 と、よく見ると、その中にカ-テスが混じっている事に気付く。

 私は驚いて、せっせと病人の世話に勤しむ彼に声をかけた。

 

 「カ-テス、何をしているのですか?」

 カ-テスは、聖騎士隊の衣装ではなく、質素な麻の服の上から白衣を纏い、老婆達と同じように金たらいを脇に抱えている。

 私の声に気付いて、彼が丹精な顔をこちらへと向けた。


 「あっ、スティファ様、お世話になっているので、少し手伝いを・・・」

 事もなく告げ、彼はにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。

 額に、うっすらと汗をかいている。それほどに、一生懸命仕事をしていたのだろう。

 「スティファ様こそ、どうしたんですか?」

 「そろそろ、旅立とうと思って、あなたを探していたのです」

 私がそう言うと、彼は一瞬寂しそうな顔をして、小さくため息を吐いた。


 「・・・・そうですか。そうですね、何時までもここに居る訳にはいきませんね」

 酷く残念そうな様子に、私は意外な気持ちがした。

 別にここには、お人好しの彼が心配するようなものは何もない。

 孫を失ったとは言え、あの老人も元気そうだし。

 首を傾げていると、ふとある事に思い当たった。

 そう言えば、ここに居る間、彼は城に戻ろうと一度も言っていなかった気がする。

 一体、どういう心境の変化だろう?


 「カ-テス、あなたはここに留まりたいのですか?」

 私が尋ねると、彼は少し顔を赤らめ、視線をうろうろ彷徨わせた。

 「いえ、そうではありません。・・・・ただ、ここはなんだか、とても居心地が良くて。その、あの老人が、本当の祖父のような気もして・・・」

 「あなたが残りたいと言うのなら、私は構いませんよ」

 戸惑いつつも、素っ気なく言う。


 私には、彼の行動を止める権利はないのだ。

 幾ら彼が昔の遊び相手でも、今の私には関係のない人間。

 兄弟でもなければ、従者でもない。そしていずれは、別れなければいけない相手だった。

 それならば、早いうちに別れた方がいい。

 フィドのように、悲しい別れを繰り返すのは嫌だった。


 「そうじゃありません!」

 突然、カ-テスが大きな声を出す。

 響き渡るこだまに、老婆達が一斉にこちらへ顔を向けた。

 「カ-テス、大きな声を出さないで下さい」

 私は、ぎょっとして言った。

 どうして彼は、こうもストレ-トに感情を表すのか。

 別に私は、彼を怒らせようとして言った訳じゃない。ただ、そうしたいのならば、そうすればいいと思っただけだ。


 彼は、一度大きく深呼吸すると、たらいを床に置いて私のすぐ目の前まで近づいた。

 そして、大きな手を私の肩に乗せる。

 「姫様は、気付いていないのですか?あなたがここに居る間、どんな表情をしていたのか、本当に気付いていないのですか?」

 「・・・・私が、ですか?」

 「そうです、あなたはとても穏やかな顔をしていました。イスリ-で再会した時に見せていた、あの悲痛な表情が嘘のように」


 ・・・・・そう、だったのだろうか?


 けれど、私には分からなかった。

 いや、そんな筈はない。私が人といて、心が安らぐなど。

 それはきっと、病のせいだ。


 「僕は、あなたの為には、ここに留まった方がいいのでは、と思ったのです。それに、あなたが癒されるのならば、僕の心も癒されますから」

 私が癒されるのならば、カ-テスの心も癒される?

 「何故です?」

 何故、そうなるのだろう?

 不思議に思って、彼の湖の瞳を見つめた。

 まるで、城の泉を思わせる、深く澄んだ瞳。それに吸い寄せらるように、私はじっと彼を見つめ続けた。


 「僕は、今までも、これからも、あなた一人の為に存在しているからです」

 しずかに、きっぱりと彼が告げる。


 ・・・・私の為に?


 胸が、酷くざわめいた。

 何かが、ざっと音をたてて背筋を走り抜ける。

 

 違う!


 私ははっとして、彼の腕を振り払った。

 そうではない、私の為に存在する人間など、この世に一人も存在してはいない。

 しては、いけないのだ。


 彼の言葉に、私は恐怖した。

 それは、押し寄せる大波のように、全てを飲み込んで浚ってしまう恐怖だった。

 訳の分からぬその恐怖に、肌があわ立つ。

 酷く混乱していたが、どうしてそんなに混乱しているのか、謎だった。

 それでも、何か、彼の思い違いを正す為に言わなければと、口を開く。


 その時、風がやって来た。

 波瀾を教える、強い逆風。

 同時に部屋の戸が開かれ、慌ただしい様子で大勢の男達が駆け込んで来た。

 彼らの腕に、ぐったりとした人達の姿が見える。


 「やられた!」

 中の一人の男が、怒鳴るように叫んだ。

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