第19話
カーティスと一緒に階段を降りると、ご老人は丁度突き当たりの部屋に姿を消す所だった。
一瞬、どうしようか迷ったが、取り敢えず彼の後に続いて、私達もその部屋に入ってみる事にした。
ドアをそっと開けてみると、そこはこじんまりとした食堂だった。
古いが綺麗に整頓されたキッチンと、年季が入っていい感じに使い込まれたテーブルと椅子。
一人暮らしの老人が使う場所にしては若々しく、明るく清潔な雰囲気が漂っていた。
テ-ブルの側の大きな窓から差し込む光が、ダイニング全体を照らして、心地よい暖かさを感じさせる。
テ-ブルの上には、明るい色の花と、出来たばかりのス-プとパンが三人分。
なんとなくためらいがちに進む。
すると老人は、立ちのぼる湯気の先に居て、微笑みながら私達を待っていた。
「さあ、揃ったようじゃし、朝めしにするかの」
私とカ-テスを椅子に招きながら、ごく当たり前のようにご老人。
私達は、どうしたものかと顔を見合わせた。
このまま、この方の好意に甘えてもいいものか。
見ず知らずの他人なのに、何故彼は、私達の世話をしてくれるのだろう?
・・・いや、と言うより、嫌われても当然の、こんな私のような流離い人の世話を焼いてくれるのは、どうしてだろう?それも、こんなにも自然に。
普通なら、家に上げる事さえ拒む人が多いと言うのに。
そう思ってしばらく躊躇っていると、ご老人はさっさと椅子に座って、スプ-ンを手に取った。
「ほら、早く食わんと冷めるじゃろうが。ほい、若いの、お嬢ちゃんを連れて来んか。病にの後には、まず食う事じゃ」
言われて、カ-テスが慌てて私の手を引いた。
「さあ、ステファ様」
私はやっぱり躊躇いながら、それでも仕方なく用意された食卓に着いた。
「ステファ・・・か、いい名じゃな。女らしい、奇麗な名じゃ。わしの孫は、セシレアと言う名じゃったよ」
「おじいさん、お孫さんが居るんですか?てっきり、一人暮らしのご老人かと思っていましたが、ご家族がいらっしゃるんですね。で、どちらに?」
能天気なカ-テスの質問に、思わず脇をつつく。
「この方のお孫さんは、亡くなっているのです」
小声で教えてやると、彼は目に見えて表情を曇らせた。
「・・・・そうだったんですか、それはお気の毒に」
「さっき、本人から聞きました。若くして亡くなったようです」
「はあ、それは本当に気の毒ですね。どうしてまた・・・・」
「ほれほれ、こそこそ話してないで、はよ食わんか」
ご老人にそう言われ、私達は会話を止め、無言のままスプ-ンを手に取った。
折角の好意だ、有り難く頂く事にしよう。
お腹はさほど空いてはいなかったが、ゆっくりとスプ-ンを口許に運ぶ。
ご老人は、何故かにこにこしながら、そんな私の姿を眺めていた。
そのまましばらく、静かな食事が続く。
ジャガイモのス-プと大麦のパンと言う、食卓は実に質素なものだった。が、さすらい人になってから、ろくなものを口にしていなかった私は、温かいス-プを口にするのは久しぶりで、とても美味しく感じられた。
パンにしても、焼き立てほどおいしく、香りの良いものはない。
ここで頂いたものは、城で食べたどんな料理よりも、これほどにない御馳走のように感じられたのは確かだ。
「・・・・ところで、お爺さんの名前は、何と言うんですか?」
テ-ブルにあった食べものを荒方片づけると、カ-テスがご老人に向かって尋ねた。
私も、最後のスープのひとすくいを口に入れ、スプ-ンを置いて彼を見た。
「名前など、気にするな。わしゃ、お爺さんでいいわい。セシレアは、わしを何時もそう呼んどったからの」
「・・・しかし」
「そうじゃ、食後はお茶を飲まんとな。どれ、すぐに入れてやるから待っとれ」
ご老人はカ-テスの言葉を遮って、側に立ててあった杖を取った。
「待って下さい」
思わず、ご老人を引き止める。
「お茶なら、私が入れます」
少しばかり恩義に報いる為、私はそう言って代わりに立ち上がった。
「じゃが、ステファは病み上がりじゃろう」
「そうですよ、ステファ様は座っていて下さい。お茶なら、僕が入れます」
そう言う二人を押し止め、私はにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ、それに私が入れるお茶は中々美味しいのです。なんせ、フィドから直々に教えて貰った入れ方ですから」
ご老人から食器の場所を教えて貰い、カップを三つ用意する。それから、お茶の葉をポットに入れ、やかんの湯をそれにゆっくりと注いだ。
少し葉を蒸らした後、再びゆっくりと適量の湯を注ぎ、お茶の葉から程よい色が出るのを待つ。
こうして、人にお茶を作るのは久しぶりだった。
フィドのお茶が美味しくて、私はそれと同じ味になるまで、何度もトライしたものだった。でも、幾ら頑張っても、フィドほど美味しいお茶を入れる事は出来なかった。
あの人は、魔法使いのように何でも上手にこなす人だったから。
「フィドって、誰ですか?」
出来たお茶をカップに注いでいると、カ-テスが少し躊躇いがちな口調で言った。
「私の唯一の友であった、流離い人です。今は、何処に居るのかも知りませんが」
「その人とステファ様は、ずっと一緒だったのですか?」
「一年間、一緒に過ごしましたよ」
お茶を入れたカップを二人の方に押し、最後に自分のを引き寄せて椅子に座る。
カーテスは、やっぱり奇妙な表情を浮かべていた。
「フィドって、風と言う意味ですよね。確か・・・、ステファ様もそう名乗っていました」
「そうです、流離い人が名乗る時、よく使う名前です」
カップの中の液体を揺らしながら、懐かしい人の顔を思い浮かべる。
まるで、春の日差しのように、暖かい人だった。
自然と、口許に微笑みが浮かんだ。
「その人は、男の方ですか?」
「そうです」
「・・・・・一年間も、二人だけで?」
言われて、ようやく私はカ-テスの方へ視線を向けた。
「そうですが・・・・」
「どういう関係だったのですか?」
不意に、彼の顔にあった表情の意味に気付き、かっと頬に血が昇る。
「違います、確かに男の人でしたが、あなたの思うような関係ではありません」
途端、カ-テスの顔もぱっと赤く染まった。
「ぼっ、僕は別に、そういう事を思った訳じゃ・・・」
「では、どういう事ですか?」
語気を強くして尋ねると、彼は更に顔を赤くして口ごもった。
「ほっほっほっ、過去なんぞいいじゃないかの。男なら、どんと受け止めてやらんとな。ステファも、責めてはいかん。男とは、嫉妬深い生き物なんじゃ。好きなおなごには特にな。そんな事より、ほれ、今はお茶を楽しむべきじゃないかの?」
ご老人の笑い声で、私達は気まずいまま口を閉じた。
彼はまだカーテスと私の関係を勘違いしているようだ。その事に私は、益々居心地の悪い思いを味わった。
その彼はと言えば、にこにこ微笑みながら口にカップを運んで、そから一口啜り、ほっとため息を吐いた。
「こりゃ旨いの、たいしたもんじゃ」
私は、どうし返していいのか分からず、無言のまま自分のカップからお茶を飲んだ。それから、思い出したように尋ねる。
「そう言えば、私が倒れる前に居た部屋。あれは、何なのですか?かなり多くの人が、病に伏せていたようでしたが」
本当の所、それを尋ねる為にご老人を追いかけたのだ。
あの光景が、どうしても気になってしょうがない。あれは、どう見ても普通ではなかった。
「ああ、ありゃのう、被害を受けたもんじゃ」
ご老人は不意に表情を消して、そっけなく答えた。
「被害?」
「そうじゃ、数年前の事じゃった。この町に訪れた流離い人が、井戸に奇妙なもんを放り込みよった。そのせいで、次々と町のもんが倒れてな、それ以来ずっと病に臥したままなんじゃ。お陰で、わしの診療所は一杯じゃ」
私は、ぎょっとしてカップを持つ手を止めた。
流離い人が・・・・?
では、町の人達があれほどに流離い人を敵視するのは、その為だったのか。
「酷い事を・・・・」
カ-テスも、驚いて呟く。
流離い人には、多くの犯罪者も混じっている。普通、みな私たちのような流れ者は避けるので、それが良い隠れ蓑になっているのだ。中に、そんな不届きな者が居てもおかしくない。
現に、盗みを働いたり、罪もない人を襲ったり、流離い人のふりをして犯罪を侵す者が後を絶たないのは事実だ。
だから、人々は流離い人をよりいっそう嫌う。
分かっていても、苦い思いが広がった。
本来の流離い人は、ジプシ-であり、風と共に生きる自由な民だった筈なのに。
「その流離い人は、どうなったのです?」
私が尋ねると、ご老人は静かにお茶を啜った後、こう言った。
「さあな、わしゃ知らんよ。きっと、逃げちまったんだろ」
話しは終わりとばかりに、老人は立ち上がってカップを片付け始めた。
「いいかの、ステファや、お前さんはまだ病人じゃ。後数日はゆっくり休まねばならん。わしゃ医者じゃ、病人は言う事を聞くもんじゃぞ」
最後にご老人はそう言って、ふらりと何処かへ出掛けてしまった。
私としては、ここに長居をする気はなかったのだが、色々と気になる事もあるし、カ-テスもうるさいし、珍しく風が穏やかだったので、後二、三日ほど世話になる事にした。
久しぶりに病に倒れ、気が弱くなっていたのかもしれない。
もし体調の悪いままで、またこの町の連中に襲われたら、本当に殺されなねないと思ったところもある。
私が流離い人になったのは、死ぬ為ではないのだ。生きる為に、この道を選んだ。
贖い切れない罪を抱え、不幸と共に流れて行く為に。
風が止まるのなら、立ち止まってみるのも良い。
風に逆らってはいけない、風だけが唯一の道しるべなのだから。
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