第18話
どれくらい眠っていただろう、目覚めた時には、もう完全に熱は引いていた。
朝なのか、昼なのか、それすら分からない状態で、ゆっくりと身を起こす。動いても、もう、目の前がぐるぐると回る事もなかった。
全く馬鹿らしい話だが、私は起きてすぐに、カ-テスの姿を探してしまった。
目覚めて誰かを探すなど、あの人と別れて以来なかった事。
自分のそんな行動に苦笑し、そっとベッドから立ち上がる。
窓から差し込む光に目を細め、思い出したように辺りを見回した。
くすんだ板を張り合わせた壁、ぎしぎしと軋む床、病室にあるようなベッド、そして小さな台があるだけの、質素な部屋だった。
それでも、屋根のある場所で眠るのは、本当に久しぶりだ。
私は裸足のまま窓の方へ寄って、外の景色へと目を移した。
表通りとは違って、こちらは随分と侘しい様子をしている。
並ぶ家は全て板張りの貧相な佇まいで、通る人々も流離い人かと思うような、酷い有り様をしていた。
炭鉱の仕事が減り、ザデスの町の労働者が仕事に溢れている、と言う噂は本当だったようだ。
セイラスの国の炭鉱は、どこも底を突いているという話し。
一時は引く手あまただった炭鉱労働者も、今では不必要な存在となりつつあった。
現在、セイラス王国は、石炭の八十パ-セントを外国からの輸入で賄っている。
恵まれたセイラスには、まだまだ鉱石等の多くの物資がある為、それくらいの出費をしても大した問題ではないのだろう。
しかし、労働者達は違う。
サデスには働けるような鉱山もないし、宿場町と化した場所に、彼らの出来るような仕事はなかった。
荷物運びやらの肉体労働は出来るだろうが、全てが働ける訳ではない。
だからこそ、こんなにも貧民達が溢れているのだろう。
華やかなセイラスの裏には、こうした者達の犠牲がある。
流離い人にならねば、きっと一生知る事もなかった世界だ。
ため息を吐いて、窓から離れる。
それから、部屋の外に出ようとして、ふと違和感のようなものを感じた。
何時もより、妙に体が軽いのだ。不思議に思って自分の姿に目を落とし、思わずぎょっとした。
服装が、何故か違っていたのだ。
何時ものあの流離い人の服ではなく、白い女性用の衣装を纏っていた。
ドレスでこそなかったが、セイラスの女性なら誰でも馴染みのある、真新しい民俗衣装だった。
柔らかい生地で出来ており、袖と長いスカ-トの裾部分に、細かい刺しゅう模様が縫い付けてある。
少し時間をおいて、じわじわと怒りがこみ上げてきた。
病で寝込んだせいか、酷く感情が揺れ動いてしまう。
冷静になろうとすればするほど、気持ちは逆らって神経を苛立たせた。
全く、冗談にも程がある。人形でもあるまいし、寝ている間にこんなものに着替えさせられるなど・・・・。
それにあの衣装は、唯一あの人が残してくれたもの。私にとっては、何よりも大切なものだったのだ。
怒りに任せて勢い良く扉を開けた瞬間、入って来ようとした人間と鉢合わせ手しまった。
相手と激しくぶつかり、私はその人物を弾き飛ばす形で、後ろへ尻餅をついた。
「いたたたたっ」
転がったまま、衝突した相手が呟きを漏らす。
私は慌てて立ち上がって、その人、私達の世話をしてくれたご老人に駆け寄った。
「申し訳有りません、大丈夫でしたか?」
「おお、びっくりした。なんとまあ、病み上がりにしては、元気な女子じゃの」
その言葉に、思わず顔が赤らむ。
確かに、私はどうかしている。それも、この国に戻って来た時から。
きっと、カ-テスのせいだ。彼のせいで、調子が狂いっ放しなのだ。
ご老人はしばらく腰を摩っていたが、不意に私の姿を見て、大きく目を見開いた。
「ほうほう、こりゃまた、よう似合ってるの」
私は更に顔を赤くし、ふいと視線を横に向けた。
自分の感情の動きを悟らせまいと、酷く覚めた口調で尋ねる。
「・・・・私の服は、何処に行ったのでしょう?」
出来るならば、早くこの服を脱いで、元の姿に戻りたかった。
昔は、これよりきらびやかな衣装を纏っていたが、今の私にはこの衣装でさえ居心地が悪い。
第一、似合う筈がないではないか、流離い人である私には。
ところがご老人は、全く平然とこう言った。
「ああ、ありゃ捨てた」
思わず唖然として、老人の飄々とした顔を見つめる。
「捨てた・・・ですって?」
「そうじゃ、捨てた。薄汚いし、破れておったし、それに、あんな衣装なんぞ着て歩きまわったら、町のもんにぶち殺されちまうからの」
「何処へ捨てたのです?」
血の気が引いていくような思いで、ご老人に尋ねる。
彼はまじまじと私を見つめた後、突然にこやかな笑顔になって、大きく頷いた。
「いやいや、よう似合っておるの。まるで、孫娘が生き返ったようじゃ」
「そんな事より、私の服を・・・」
しかし、ご老人は聞いていない。
全く私の言葉を無視し、まだじっとこの姿を眺め回していた。
「そりゃ、わしの娘の形見じゃ。娘はそれに袖を通す前に、死んでしもうだでの」
「・・・・お亡くなりになったのですか?」
私は益々居心地の悪い気分になり、少し声をト-ンを落として尋ねた。
ご老人は寂しそうに微笑んで、小さく頷いた。
転がっていた杖を取って、よっこらしょという掛け声と共に起き上がる。それから彼は私のすぐ側まで来て、不意にこう尋ねた。
「お前さん、幾つじゃね」
「二十二・・・ですが」
「ほうほう、孫娘が死んだのも、二十二の歳じゃった」
私は、無言のまま視線を落とす。彼に服の場所を追求する気も、なんだか失せてしまった。
「一人娘でな、お前さんのように背が高くて、お前さんのように髪が銀色で、お前さんのように翠の目で、おまえさんのように別嬪な娘じゃったんじゃが・・・・」
それが本当かどうかは知らないが、取り敢えず神妙な気分で話しを聞く。
考えてみれば、こんな風に人の話しに耳を傾けている事態、何時もの私ではなかったのかもしれない。
何時もならきっと、自分には関係ない事と聞き流していただろう。
「結婚式を目前に控えておった、不憫な事じゃ。のうお前さん、何の事情があるかは知らぬが、若い女子が、世捨て人のような生活をしなくとも、他に色々と出来る事があるじゃろう?」
ご老人の言葉につい頷きそうになり、慌てて首を振る。
この人も、カ-テスと同じで、どうも調子を狂わされていけない。
「私には、私の生き方があるのです」
「詰まらん生き方じゃ」
「つまらなくとも、それが私の選んだ道です」
ご老人の言葉にかちんときて、少し語調を強める。
何から何まで、私らしくない事だった。
人の言葉に苛立つなんて。
・・・いや、そもそも、苛立つ程に話す事はなかったような気がする。
そう言えば、フィドといた時もそうだった。何かにつけて、彼は私を子供扱いしたので、何時も見返してやろうと躍起になっていたように思う。
だが、それは私が子供だったからだ。今は、違う。
私は、五年間も流離い人の生活をしてきたのだ。人の世を、漂いながら眺めて・・・。
「ところで、お嬢ちゃん」
ご老人の言葉に、思考がぷつりと中断させられた。
一瞬、頭が白くなりかける。
お・・・嬢ちゃん?
それは、もしかして、私の事だろうか?
さすらい人に向かって、お嬢ちゃんなどと呼ぶ人を、私は初めて見た。
次を考える間もなく、ご老人が言った。
「その服を用意したのはわしじゃが、着替えさせたのはあの兄ちゃんじゃぞ」
ぎょっとして、服に目を落とす。開いた襟元から肌が見えていたので、慌ててそこを手で押さえた。
・・・・まさか、カ-テスが?
さっと、顔が赤くなるのが自分でも分かった。
「ほほほっ、お前さん案外ウブじゃの。それくらいで、顔を赤こうせんでもよかろ。嘘じゃよ、嘘。着替えさせたのは、わしの知り合いのババアどもだ」
バっ・・・、ババアども?
と言う事は、カ-テスではないと言う事か。
彼の言葉に、ほっと大きく息を吐く。
それから、突然恥ずかしくなった。
そんな言葉に、一々反応してどうする。別に私は、彼を意識している訳でもないし、彼もそんな風に私を見ている訳ではないだろう。
第一、彼の方が私より二つも歳が下なのだ。異性と言うよりは、兄弟に近い。
いや、兄弟だと、思っている訳でもないのだが。
そんな事より、私はさすらい人になった時、そういう感情も全て捨てた筈・・・・・。
頭の中で目まぐるしく考えているうちに、益々恥ずかしい気分になってきた。
大体、そういう事を考える自体、どうかしている。
私は流離い人であり、何時までも彼と旅をする訳じゃない。
風が変われば、私はこの国から出て行くつもりなのだ。
「ほっほっ、さっきから、百面相でもしておるのかの?ほれみろ、さすらい人などと言って悟りきった顔をしても、つつけばすぐボロが出るもんじゃ。そういう若さなんじゃよ、お嬢ちゃんは。可愛いもんじゃの」
「ご老人、あなたは、私をからかっているのですか?」
老人とのやり取りに疲れ、うんざりとした調子で言う。
彼はまた声をあげて笑ってから、そのまま背を向けて立ち去ってしまった。
・・・・・全く。
カ-テスがここに居なくて、本当に良かった。
そんな事を考えながら、ご老人が去った方向へ足を運ぼうとして、今度は当のカ-テスと出くわした。
カ-テスは、私の姿を見るや、目を大きく見開いた。
「ステファ様、いったいどうしたのですか?」
あれほど着替えろとうるさく言っていた癖に、そんなに驚く事もないだろう、と思いつつ、苦笑気味に答える。
「どうやら、あのご老人に一杯食わされました。目覚めると、この姿になっていたのです」
「なんですって!では、あの爺さんが姫様の着替えを・・・・」
言ってから、彼は急に顔を赤くした。それから拳を握りしめ、
「そういう事か!やけに急かすと思ったのだ。あのエロじじいめ、ちょっと扉を直しに行ってる間に、姫様に対してなんと無礼な・・・・」
ぶるぶると怒りを露にする彼に、私は大きなため息を返した。
「カ-テス、あなたは馬鹿ですね」
「はあ?」
「いいえ、なんでもありません。着替えさせたのは、あのご老人ではなく、知り合いのババアどもだそうです」
「バ・・・バア・・・ども?」
私はまたため息を吐き、色々聞きたい事があったので、ご老人の後を追う事にした。
そのまた後を、カ-テスが怪訝な表情でついて来る。
昨日から今日にかけて、自分の情けない状態を思い出すと、流石にカ-テスに会うのは恥ずかしい気がしたのだが。
ご老人のお陰かどうかは知らないが、病の時の余韻を残す事なく、私は何時もの調子でカ-テスと話す事が出来たと、少しだけほっとした。
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