第17話

 次に目を覚ました時、私の熱は大分下がっていた。

 しかし、まだ熱の余韻が残っているのか、気だるくて重い気分だった。

 掌には、まだ温もりがある。


 頭をずらして横を見ると、カーテスは私の手を握ったまま、椅子に凭れて眠っていた。

 この人は、ずっと私の側に付いていてくれていたのだろうか?そう思うと、不思議な気持ちがこみ上げてくる。

 それは、人と関わらねば決して得る事の出来ない、心が癒されていくような暖かさだった。


 ・・・・・どうかしている。


 潤む視界の中でそう思う。

 一人でいる事には、もう慣れっこの筈なのに。こんなにも、自分は人の温もりを求めていたのだと、今更ながらに気づいた。

 しかし、それに気付いたからと言って、何かが変わる訳ではない。

 私はもう、過去に戻る事は出来ないのだ。

 あの時、私は全てを捨てた。

 そうする事が、一番いい方法だと信じた。


 ・・・・・だがそれは、本当に正しい事だったのだろうか?


 「あなたは、嘘つきだ!」

 突然、あの日の自分の言葉が鮮明に蘇った。

 激しく、母を罵る姿。

 「あなたは、私も、国王も、城の者達も全て騙していた。そして、クレイド皇子を殺した。そうではないですか?」

 「落ちつきなさい、ステファ、お前は一体何の話しをしているのです?」

 「しらばっくれないで下さい。私は、前にあなたに聞きました。私の父親は、一体誰なのかと。しかし、あなたは答えてはくれなかった。そして、それを私に告げた皇子を、薬で殺した」

 母は憂いを秘めた目で私を見つめ、小さく首を振った。


 「お前は、考え違いをしています」

 「違いません!あなたは、人殺しだ!」

 「母に向かって、なんと酷い事を・・・・」

 「酷いのはあなたの方です!私を騙して、偽りの姫の役を演じ続けさせた。何も知らずにいい気になっていた私は、まるで道化ではないですか。私は全てを国王に告げ、審判が下るのを潔く待ちます」


 耐えられなかった。

 自分の母が、人殺しである事に。

 そして、何の権利もない私が、こうして城に留まっている事に。

 だから、全てをハッキリさせ、何もかも終わらせたかった。


 「ステファ、待ちなさい!そんな事をすれば、お前の王位継承権はどうなるのです?クレイド皇子のいない今、お前だけが唯一の継承者であるのに。母は、その日だけを願って生きてきたのですよ」

 「・・・やはり、そうだ。母上が、皇子殺したのですね」

 「お前は、王位を継ぐ事だけを考えればいいのです。この母を信じて、馬鹿な真似は止めなさい」

 「一体、あなたの何を信じればいいと言うのですか!」

 今更、信じられる訳がない。

 私は、知ってしまった。それは、全ての終わりを意味していた。

 「母は、お前の事だけを思って、今まで努力してきたのですよ。お前が可愛いから、お前が王位を継承出来るよう、力を注いできました。あんな出来損ないより、お前こそ、王位を継承するに相応しいと・・・・・」


 母は、何時もそうだった。

 私が母の期待に答える為に、どれほど心をすり減らしていたか、ちっとも分かっていない。

 幼いからと馬鹿にされぬよう、名家の出ではない後妻の子供だと侮られぬよう、常に神経を張り詰めて頑張ってきた。

 しかし、私が国王の子でなければ、その意味など皆無。


 「・・・・そんなものの為に」

 噛みしめた奥歯から、抑えていた言葉が漏れる。

 「そんな、皇子を殺す事でしか与えられない権利に、一体何の意味があるのです?そんな事をしなければ、得られない王位と言うのなら、そんなもの私はいらない!それが欲しいのは母上、あなたではないですか!私は、あなたの人形じゃない!」

 「ステファ!」

 「あなたが真実を告げるのを拒むのなら、私は城を出ます。そして、一人で生きていきます。あなたは、そうやって一生、血に塗れた王位に縋り付いていればいい!」


 素早く母に背を向け、扉へと向かう。

 「待って頂戴、ステファ!私は、お前だけを愛しているのよ。お願いだから、私を置いて行かないで頂戴!」

 母は顔色を変え、私の腕にしがみついて引き止めた。

 しかし、私はその手を冷たく振り払った。


 「あなたの事など、知らない。あなたのような人を、母親とは思えない!」

 「ステファ!」

 悲痛な叫び声、それはまるで、絶望の淵に佇むような。

 けれど、私は振り返らなかった。そのまま、乱暴に扉を閉める。

 そしてそれが、私が聞いた母の、最後の言葉となった。


 母は、薬を飲んで死のうしたのだ。恐らく、私が国王に暴露する事を恐れ、自分で自分の口を塞いだに違いない。

 だが、薬は母の命を奪う事は出来なかった。代わりに、体から母の魂だけを抜き取っていった。


 次の日、私は同じ部屋で、虚ろな塊と化した母に対面した。

 あれほど腹を立てていたのに、憎しみすら感じていたのに、母の哀れな姿を見た瞬間、私の胸は抉れるような痛みを感じた。

 母は、私にとって逃れられない楔だった。何時も何時も、私を縛りつけ、がんじがらめにしていた。余りにもその愛情が重くて、逃げだしたいと何度も思った。


 しかし、この人は私の母だ。この世で、たった一人しかいない存在だった。

 失って初めて気づく。私は、彼女を深く愛していたのだと。

 縛られていると知りながら、その楔の中にくるまれて生きてきた。

 なのに、私は母一人のせいにして責めた。それどころか、全ての苛立ちを母にぶつけた。

 母をこうさせてしまったのは、私自身なのかもしれないのに。

 もしあの時、私がもう少し冷静であったなら、もっと違う方法があったかもしれない。

 いや、母にあの事を問い詰めなかったら、クレイド皇子が殺される事もなかった。それ以前に、私さえ生まれてこなければ・・・・。


 私の存在が、母を不幸にした。国王も、城の者達も。


 私はその日、泣く事さえ出来ずにいた。

 その後も、泣けなかった。

 まるで心が乾いていまったように、悲しみだけが燃えかすとなって、何時までも燻っていた。

 城の者達は、そんな私を、血も涙もない姫君だと言った。


 どう思われようが、何を言われようが、もうどうでもいい。私は、憂鬱の中でぼんやりと思った。

 しばらくして、私は一人城の泉の方へ足を運んだ。

 そこだけが、唯一私の心を慰めてくれる場所だった。透明な水の奥を眺めていると、押し殺していた感情が自然と溢れだす。

 そうだ、カーテスが言っていたように、泉の前に立ったあの時、私はようやく泣く事が出来たのだ。


 引き裂かれるような胸の痛みに、心がバラバらになってしまいそうだった時、優しい手が私の指を握りしめた。

 温かい手の温もり。

 悲しい時に、誰かがいてくれて有り難いと、生まれて初めて思った。


 突然、掌の温もりがぎゅっと熱くなった。

 はっと我に返って見ると、いつの間に目覚めたのか、カーテスが私の顔を覗き込んでいる。

 その姿がぼやけている事で、私は自分が泣いていたのだ気づいた。

 私は慌てて、濡れた顔を反対側へと向ける。

 知らずに泣き顔を見られていた事に、恥ずかしさが募った。


 何故、何時も何時も、そういう時に限ってカーテスが居るのだろう?

 必死に涙を堪えようとしていると、カーテスは耳元で囁くように言った。

 「我慢する必要はないんですよ。涙を流す事は、決して恥ずかしい事ではないと思います」

 声を出すと嗚咽に代わりそうだったので、無言のままでいる。

 と、何を思ったのか彼は、まるで子供にでもするように、優しく私の頭を撫ぜながら言った。


 「泣きたければ、思いっきり泣けばいい。苦しい時は苦しいと言えばいいし、寂しい時は寂しいと言えばいい。僕は、笑ったりしません」

 私は、やはり無言のままだった。

 けれど、言葉の代わりに、彼の手を強く握り返す。


 ・・・・・きっと今、私は病でどうかしているのだ。


 でなければ、カーテスの手を振り払っていた筈。

 手の温もりに心地よさを感じながら、密かに思った。

 誰かの言葉を求めるなど、人との触れ合いを求めるなど、もう諦めてしまっていた筈なのに。


 「さあ、もう少し眠って下さい。目が覚めた時の為に、何か美味しい物を用意しておきますから」

 その言葉に引き込まれるように、私は瞼を閉じた。

 カーテスの手の温もりで、こんなに心が安らいでいる自分を、とても不思議に感じなが

ら・・・・・。

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