第14話
サデスの町は、宿場町なのでそれほど広くはないが、その割に人通りが多い。町を行き交う商人や旅人が、この町で宿を取る事が多いからだ。
しかし、一歩脇道に入ってしまえば、雰囲気はがらりと変わった。
サデスが宿場として栄えるようになってから、そう遠くない。それまでは、グロウ山で炭鉱の仕事をする労働者達の町であった。
今でも、この町には多くの労働者が暮らしていると言う。そのため、町の奥に進む程、労働者達の姿が多くなるのだ。
佇まいも、表通りのこ綺麗な建物と違って、奥に行くほど粗雑なものになる。
次第に寂しくなる道を進みながら、やけにチクチクとした視線を感じる。
その事に疑問を感じながらも、騎士の服装をしたカーテスが隣にいるからだろうと、とりたてて深く考える事はしなかった。それよりも、カーテスの話の方が気になった。
「何時も感情を見せないあなたが、その迷いや、苛立ちや、怒りや、悲しみを、僕にだけ見せてくれました。それは、どういう形であれ、僕の存在を感じてくれているという事でしょ?それだけで、僕は嬉しかった。・・・・ただ、喜びだけは最後まで見れなかったけど」
予想もしていなかった言葉に、私は少しうろたえた。
私が彼に行った様々な行為を、そんな風に捕らえていたとは、思いもしなかったのだ。
訳の分からない苛立ちに包まれ、いてもたってもいられない気分になってくる。
何故か分からないが、カーテスといると、胸の奥に沈めていた感情というものが、驚くほど頻繁に蘇ってくるのだ。
長い流離い人の生活で、忘れていた何かが。
「わっ、私は別に・・・・」
カーテスだけに、感情を見せていたつもりはない。
彼といると妙に苛立って、手当たり次第にあたっていただけだ。
泥水の中に落ちたものを拾わせたり、石を投げて追い払ったり、酷い言葉で傷つけたりした。
その度に彼が零す涙が綺麗で、余計に腹が立った。
それだけだ。
「覚えてませんか?」
少し歩いた先に、休むのに丁度いい広場が現れた。カーテスは、じろじろと不躾な視線を向ける輩から逃れるように、石段の隅の一番人目の付かない場所を選んで、私をそこに座らせた。それから、自分も隣に座る。
しかし、まだしっかりと私の手を握ったまま。まるで、私が逃げるのを警戒しているような感じだった。
「何をですか?」
カーテスの長い指をぼんやりと見つめ、言葉を返す。
彼はこの指で、花を摘んでは私の元に届けてくれた。私はそれを、無残にも振り払って踏みつぶした。
彼が傷つくと、承知の上で。
「あの日、姫様は泣いてました。何があったのか、僕には知りません。けれど、誰にも見つからない場所で、ひっそりと泣いていました」
「えっ?」
驚いて顔を上げる。
・・・・・そんな事が、あっただろうか?
益々混乱しながら、記憶を探ってみが、今日はやけに思考がうまくまとまらない。
「僕は覚えていますよ。確か、クレイド皇子の誕生祝の日でした。その姿が余りに寂しそうだったので、僕は側に行って声をかける代わりに、手を握りました。とても、勇気がいりましたよ。振り払われるかもしれないと思いましたから」
空白だった頭に、さっと光が差す。不意に、当時の記憶が蘇った。
・・・・・ああ、そうだ。確かに、あの時私は泣いていた。悔しくて、悔しくて、どうしようもなくて。
祝の席で、誰もがクレイド皇子の事ばかり褒めたたえるから。
先王妃と国王の間に生まれた子供、それがクレイド王子。
私がずっと異母兄だと思っていた人は、私から見ればだらしなく、意思薄弱で、何をやっても駄目な人だった。
その癖私に対しては何時も挑戦的で、敵意を丸出しにしていたように思う。
私はそれが尚更我慢ならなくて、彼に対して何時も自分の優秀さを誇示して見せていた。そうする事によって、周囲の者達も何時か、彼より私の方が王位に相応しいと、気づいてくれる筈だと期待していた。
しかし、現実は違う。彼はその祝の席で、城の者達から国王を継ぐのは彼しかいないと口々に讃えられ、国王も彼もそれを当然のように受け入れていた。
先に生まれた。それが、何にも増して大切なのだと、思い知らされた瞬間だ。
セイラスの国王は、代々嫡男な継ぐ事に決まっている。それは、伝統だった。
けれど、私には認められなかった。あの人が、国王に相応しいとは思えなかったのだ。
これほどまでに努力しているのに、誰の目にも私は只の姫君にしか映らない。
傲慢で、生意気で、冷たい姫君。私が努力すればするほど、その評価が高くなっていく。最初は、そうではなかった。しかし何時しか、気がつくと私はその通りの姫君になっていた。
城の者の目は、私を見ていない。何時も、あの愚鈍な兄に向けられる。
私が兄に対して憎しみを感じていたように、私以上の憎しみを秘めて私を睨む兄の目。その燃えるような視線だけが、唯一私の救いだった。
けれど城の者達は、やはり私の事など見てはいない。何をしても、戯れと取られてしまう。やり場のない怒りが、幼い少女の心を歪めていく。
もっと強く、もっと誇り高く、勘違いを繰り返す中でその少女は益々孤立していった。
・・・・そう、必要なのは、先に生まれた兄。誰も、私を認めてくれない。
「何で誰もが、あのろくでなしの王子の事ばかりほめ讃えるのだろう?お前の方が、王になるに相応しいのに・・・」
母の落胆した顔が、目に焼きついて離れなかった。
とにかくすべてが、悔しくて仕方なかった。
だから、こっそり祝の席を抜け出し、城の泉の辺で泣いていたのだ。
そこだけが、私の唯一泣ける場所だった。
そんな時、カーテスが現れたのだ。恐らく、私を探していたのだろう。彼は何故か、私が幾ら苛めても、私の側から離れようとはしなかったのだ。
私は急いで涙を拭くと、歯を食いしばって泉を睨んだ。カーテスは、無言のまま近づいて来て、おずおずした様子でそんな私の手を握った。
何時もなら、すぐにその手を振りほどいていただろう。が、不思議な事に、その時ばかりは、彼に意地悪な事をする気にはなれなかった。
城の者達の中で、唯一彼だけが常に私側にいた人間だったからかもしれない。
「でも姫様は、振り払いませんでした。僕たちは手を繋いだまま、しばらく無言で泉を眺めていました」
「・・・そうでしたね」
「嬉しかったです。だって、あなたに少し近づけた気がしたから。でも、その時だけじゃありませんよ」
続くカーテスの言葉が、優しい悲哀の色に変わった。
彼は一度私を見つめ、それからゆっくりと話し出す。
「五年前、あなたはやっぱり城の泉の前で、静かに泣いていました。それは、今までにない程に、とても悲しそうな姿でした。僕は、その時もやっぱり言葉をかける事が出来ずに、ただ手を握る事しか出来ませんでした」
そうだ、あれは私が城を出る直前。
何故、忘れてしまってたのだろう?
いや、忘れたと言うより、封印していたのかもしれない。
城の事は、もう全て忘れたいと思っていたから。
最後に見たカーテスは、十五になっても背の伸びきらない、小さな少年だった。頼り無くて、気弱な少年。
彼の細くで華奢な指が、ためらいがちに私に触れた時、初めて私は彼に申し訳ないと思った。
偽りの姫君は、そうとも知らずにその地位を振りかざし、純粋で優しい少年を傷つけ続けてきたのだから。
もしかしたら、私はカーテスよりもずっと身分の低いものだったかもしれない。少なくとも母の家柄は、代々聖騎士隊の隊長を勤めている、デイリー家よりは下にあった。
だからその時、私はカーテスの前で姫である事をやめた。
すると、自然にその言葉が口から零れた。
「あなたは最後に、こう言いました。カーテス、ありがとうと。初めて、僕に向かって微笑んでくれました」
カーテスは、ぎゅっと強く手を握り、私の視線と合わせるようにして身を屈めた。
「あなたの笑顔がとても綺麗で、せつないくらいに優しくて、僕は嬉しくて頭の奥まで痺れてしまいそうだった。僕が一生忠誠を捧げる人は、この人に於いて他にはいない。そう、心に決めた瞬間です。・・・・しかしあなたは、それっきり僕の前から姿を消した。僕は、あなたを守る為に、王都の聖騎士隊に入るつもりだったのに・・・」
彼の宝石のような瞳が、悲しそうに潤む。
それを見つめてると、ひどく胸が痛んだ。
私は、そんなカーテスの思いも知らず、城からただ逃げだす事だけを考えていた。
置いていく人間の事など、正直言って考えている余裕はなかったのだ。
私さえいなくなれば、それだけを願った。
カーテスから視線を逸らし、小さな声で呟く。
「あなたには、申し訳ない事をしました」
「そんな言葉を聞く為に、僕はここに居る訳ではありません。僕は、あなたがいなくなっても、何時かあなたが戻って来た時の為にと、必死になってがんばりました。そのお陰で聖騎士隊に入った後も、それなりの評価を頂きました。しかし、あなたは帰って来ない。それならば、探しに行くしかないではないですか」
言葉もなく、私は足元を見つめた。
カーテスは少し声をトンを落とし、静かに続ける。
「国王の許しを貰い、二年間あなたを探し続けました。途中で、何度も諦めかけた。でも、僕は諦めませんでした。そして、ようやく見つける事が出来たのです。もう二度と、見失うつもりはありません」
風が、私とカーテスの間を吹き抜けて行く。
まるで、それが二人の運命だったと言うように。
・・・しかし、私にどうしろと言うのだ。
風の導くままにしか、生きる事の出来ない私に。
城に戻って、姫に戻って、王位を継げばカーテスは満足するかもしれない。
けれど、私の、全てを捨てて流離い人になった、私の決意は何処に行く?
城に帰れば、必ず争いが起きる。私が隠している事は、すべてを覆すほどの秘密。更に王位を巡って、激しい争いが起こるだろう。
おまけに、母の罪を晒す事になる。
だからといって、全てを伏せたままで王位を継ぐ事は出来ない。私が真実の姫でないかぎり、それは何の解決にはならないのだ。
苦しんで、絶望して、泣いて、その行き詰まった先にあったのは、全てを捨てるという逃げ道だった。
私は、全てを捨てたのだ。捨てたものを、今更取り戻す事は出来ない。
今の私は、名も地位もない、只の流離い人に過ぎないのだ。
「カーテス、私は城には戻れません」
「何故です!?」
勢い込んで、カーテスが尋ねてくる。
私は一瞬、どう言おうか言葉に迷った。
きっとカーテスなら、全てを聞いても私を受け入れてくれるかもしれない。
では、真実の話すのか?
・・・いや、それも出来ない。
真実を話せば、母が皇子を暗殺した事も、彼に聞かせる事になるだろう。
真実を隠せと、彼に頼む事は出来なかった。
この純粋な若者にまで、私の背負う重荷を背負わせたくはない。
だから、絶対に言えない。
全て、私の我がままだ。母の罪も分かっている。分かってはいるが、他にどうしようもなかった。それでも私は、どんなに非難されようと、真実を公にするつもりはなかったのだ。
「それは、・・・言えません」
「何故です!僕が、信じられないのですか!?」
カーテスは、私の手をようやく解放すると、立ち上がって詰め寄って来た。
強い力で肩を掴まれ、思わず顔をしかめる。
その大きな声に、通りすがりの者達が立ち止まって振り返った。
私は彼を納得させる為の言葉を探し、視線を彼の肩の向こうに彷徨わせた。
と、不意にその視線の先で、何かがこちらに向かって、急速に近づいて来るのが分かった。
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