第13話

 「姫様!」

 「姫様?」

 「姫様っ」

 彼から連呼される単語に、私はうんざりして立ち止まった。


 ・・・・・全く、どういうつもりだろう?

 そういう単語を、それも大声で口にするのは、すぐにでも止めて貰いたいものだ。

 周囲の者たちが、じろじろと物珍しそうに私達を見つめている。中には、あからさまに嘲笑している人間もいた。


 それもそうだろう。


 ため息を吐き、擦り切れたマントを翻す。そして、もう何度となく口にしてきた言葉を再び彼に告げた。

 「いい加減にして下さい、カーテス」

 「はあーっ、やっと立ち止まってくれた。姫様、そんなに早足で歩いたら疲れますよ。少し休みましょう」

 まるで私の言葉など耳に入ってない様子で、カーテス。

 思わず、眉間に深い皺が寄る。


 「カーテス、私を姫と呼ばないでくれと、何度も言っているではないですか。どうして、お願いを聞いてくれないのですか。ご覧なさい、あなたのせいで人々から注目されている」

 ボロ布を纏っただけの、貧しき流離い人と、きらびやかな衣装を着込んだ、見るからに立派な若者。そんな二人が並んで歩けば、それだけで好奇の的になるのは目に見えている。


 それどころか、その立派な若者は、流離い人に向かって姫様などと呼んでいるのだ。

 「少しは、周りを気にした方がいい。そんなに、道化になりたいのですか?」


 カーテスは、一度不思議そうに周囲を見回したが、私の方に顔を戻すと、にっこりと無邪気な笑顔を見せた。

 「別に、僕は気にしてませんよ。だって、本当の事じゃないですか」

 「あなたがよくても、私が嫌なのです。きっと、周りはそうは思わないでしょう。あなたが、笑われますよ」

 「周りなど、関係ありません」

 これまた、幾度となく繰り返される言い合いに、私は大きくため息を吐いた。


 ここは、セイラス王国の北東部にある、サデスという宿場町だった。

 イスリーで彼に出会ってから、そこにたどり着くまでの半月間、私達はもう数えきれないくらいそんなやり取りばかり続けていた。


 「お願いですから、私の事はフィド(風)と呼んで下さい。それに、出来ればその派手な衣装で、私の隣を歩くのも止めてもらいたいものです。目立ちたくないのです」

 「しかし、姫様の名は、フィドではありません。そんな男みたいな名前ではなく、国王様が名付けた、ステファと言う美しい名があるではないですか。それに、僕が衣装を変えるより、姫様がそれに相応しい衣装に着替えた方がいい。その方が、ずっと目立ちませんよ」


 すまし顔で、カーテス。

 どう考えても、嫌がらせとしか思えない。

 彼は、私が困る事を承知で、そう言っているのだ。

 それどころか、私が戸惑ったり困ったりする度に、ひどく嬉しそうな顔をする。

 一体、何処でそんな知恵を覚えたのか。子供の頃は、もっと素直でおとなしい少年だったのに。


 「何度も言っているように、私は城に戻るつもりもないし、流離い人を止めるつもりもありません」

 ため息と共に吐いた言葉も、また幾度となく繰り返してきた言葉だった。


 私が城を捨て、身分を捨て、流離い人になったのは、十七の誕生日を迎えた直後だった。

 それは、私が国王の本当の娘でない事実を知った事や、当時王位継承権を持っていた、先王妃の息子クレイド皇子を、私の母が密かに暗殺してしまった事が原因だった。


 勿論、証拠がある訳ではない。しかし、私には分かった。母は私が王位を継ぐ事に、異常な程の執念を見せていたのだから。

 それまで私も、自分こそが王位に相応しいと思い込み、なにがなんでもその権利を手にしようと躍起になっていた。


 だが、それは全て絵に描いた夢。


 我ながら卑怯な事だとは思うが、誰も知らない秘密を暴露する代わりに、私は城から逃げだす事で、全てを闇の中に埋めてしまおうと決意した。

 母が虚ろな生きる屍と成り果てた今、私さえ消えてしまえば、誰もその事実を知る者は存在しない。

 そう思って、城を抜け出したのだ。


 それから五年、放浪生活にも慣れたある日、私は偶然にもカーテスと再会してしまった。

 風さえ導かなかったら、出会う筈のない人だったのに・・・・・。


 私より二つ下のこの青年は、国王が私の為に用意した、かつての遊び相手だった。当時小柄でひ弱だった彼は、私にとっては恰好の苛め相手。

 全ての憂さを、私は彼を苛める事で晴らしていた。

 それほど苛め抜いた相手が、まさか私を探していようとは、夢にも思っていなかったのだが。


 「ならば、僕も姫様を他の名で呼ぶつもりはありません。そして、この衣装を脱ぐ気もないです。この衣装を着ている限り、姫様に指一本触れようとする輩はいないでしょうから」

 胸を張って、自慢気に言う若者に、私はほとほと困り果てて首を振った。


 確かに、彼がその衣装を身につけている限り、誰も何もしやしないだろう。なんせ、王都を守る聖騎士隊が身につける、大変由緒ある衣装なのだから。

 おまけに、目立つ事を目的に作られている為、鮮やかな青と言う実に目に映える色をしている。


 ・・・・全く、冗談じゃない。


 聖騎士など連れ歩いていたら、何時私の顔を知ってる者に出くわすか分からないではないか。何の為に、流離い人になったと思う。そうした者たちの目から、逃れる為だ。

 カーテスは、何も分かっていないのだ。

 ここまでの道すがら、何度風に逆らって彼から逃げようかと思った事か。

 しかし、私の唯一の道しるべである風は、依然として東に向かって吹き続けていた。

 王都、トーレストに向かって。

 風に逆らう事の出来ない私は、仕方なく彼と共に行くしかなかった。


 「カーテス、せめて私の事を、姫と呼ぶのだけは勘弁して下さい。セイラスの野心家の中には、私の存在を望まない輩も大勢いるのですよ。こんな所で見つかったら、命をも奪われ兼ねないのです」

 苦肉の策でそう言うと、カーテスはしばらく思案顔になり、仕方無さそうに頷いた。


 「そうですね、では、ステファ様と呼ぶ事にします」

 余り変わらないような気がしたが、取り敢えず今は、それで我慢する事にする。

 これ以上、不毛な言い争いを続けるのは、神経をすり減らすだけだと気付いたからだ。

 カーテスは相当に頑固で、言ってもきりがない。


 「それより姫様、じゃなくてステファ様、少し何処かで休みましょう。イスリーを出てから、もうずっと歩きっぱなしではないですか。顔色もあまり良くないし、無理はしない方がいいですよ」

 「私は、無理などしていませんよ」

 再び歩きだしながら、そっけなく答える。

 私の心配をしてくれるのは分かるが、彼の場合は度を越している。

 何かある度に、過剰な反応を示すこの聖騎士には、正直言ってうんざりさせられる事も多々あった。


 「いいえ、無理しています」

 「しつこいですね、無理などしていません」

 不意に、カーテスの大きなため息が耳元で聞こえた。それが余りに近かったので、驚いて振り返ろうとした瞬間、がくっと私の動きが止まる。彼が私の手を掴んで、強く引っ張ったのだ。

 その勢いで、フードが後ろに撥ね飛ばされる。五年間手も加えていない長い銀髪が、そこから零れて風に舞った。

 「何をするのですか!」

 思わず、むっとして彼に抗議する。


 かつては気の弱いだけだった少年は、いつの間にか逞しくなり、私の力では振りほどく事の出来ない力強さを身につけてしまっていた。

 おまけに、性格も変わってしまって、少々強引と思える事を平気でするようになった。

 それは、私にとって酷く困る事だった。


 しかしカーテスは、私の戸惑いなど意に返さず、頭一つ分上からこちらを覗き込み、その繊細な顔に優し気な笑みを浮かべた。

 「ほら、ご覧なさい。こんなに顔色の悪い人を、休ませない訳にはいきません」

 真っ直ぐ見つめる青い瞳に、思わず目を逸らす。

 彼の瞳は、何時も朝に湖のように澄んでいて、淀みがなかった。

 そう、子供の頃から、この瞳の色だけは変わらない。

 私は、それが宝石のように綺麗だと、密かに思っていたものだ。


 多分、苛立つ程に。


 「・・・・分かりました。だから、この手を放して下さい」

 「駄目です。こうして捕まえておかないと、あなたは僕の言う事を聞いてくれませんからね。休む場所が見つかるまで、放しませんよ」

 私は思わずかっとして、カーテスの顔を鋭く睨みつけた。

 「止めて下さい。こんな状態で歩いたら、注目を浴びるではないですか!」


 冗談じゃない、流離い人と聖騎士が、仲良く手を繋いで歩くなど、どんな風に思われるか。

 きっと、有らぬ事を言いふらされるに決まっている。そうすれば、城にまで噂が及ぶとも限らなかった。

 それなのにカーテスは、

 「別に、僕は構いませんよ」

 などと、平然と言葉を返してくれた。

 どういう神経をしているのだ。彼には、不安とか、恐怖とか、恥じらいとか、そういうものは無いのか?


 「カーテス、私は今、流離い人の姿をしているのですよ。そして貴方は、一目で聖騎士と分かる姿。それが他人の目からどういう風に映るか、考えた方が・・・」

 途中まで言った所で、カーテスがぐいっと手を引っ張った為、私は言葉を中断せざる得なくなった。

 そのまま、彼に引きずられて歩きだす。


 「はいはい、分かってますよ。もう、その言葉には聞き飽きました。流離い人と一緒に歩いているだけで、正気の沙汰ではないと思われるのでしょ?けれど僕が一緒に歩いているのは、流離い人ではありません。セイラスの姫君、ステファ様です」

 「でも、人の目からは・・・」

 「他人の目など、関係ないと言った筈です。こんな事をして、姫様に対して無礼とは思いますが、それは許して下さい。姫様と手を繋ぐのは、初めてではないですしね」

 その言葉に、ぎょっとして目を見開く。


 彼は初めてではないと言ったが、私にはそんな記憶は無かったのだ。

 内心慌てて思い出そうとしたが、何故か全く思い出せない。

 「・・・・そんな事が、ありましたか?」

 少し躊躇いがちに尋ねると、カーテスは振り返ってにっこりと笑った。


 「ステファ様は、性格が自虐的なんです。だから、僕を苛めた思い出しか残ってないんでしょう」

 「自虐的、ですか?」

 「そうです、暗いですよ。後ろばっかり振り返って、前を見ていません。そして、何でもかんでも、自分の責任だと思い込む。クレイド様の事も、王妃様の事も、そして僕の事も。城に居た時もそうだ、見ていて辛い程でした。何時も毅然としてたけど無理してるって感じで、だから僕は嬉しくもあったんです」

 「何が・・・・ですか?」


 周囲の視線を気にしながら、空いている方の手でフードを被りなおす。

 好奇に視線に、ちくちくと焼かれているような気がして、いたたまれなかった。

 「何がって、姫様が感情を露にするのは、僕にだけだったから」

 カーテスは、人通りの多い場所から脇道に入った後、そう言った。

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