第9話
ほどなくして私は、フェミアの家に辿り着いた。一足先に着いていたカーテスが、戸を開けるのももどかしい様子で部屋に飛び込む。私は、やはり躊躇いながらもゆっくりとそれに続いた。
玄関に入った時点では、これといった変化はなかった。気が付いた事と言えば、昨日は無かった泥の靴跡があると言う事くらい。
しかし、フェミアの部屋の前まで来て、私は思わず息を呑んだ。
広げられた戸。そこから見える光景は、昨日とは全く違うものだった。
一面に敷かれた血の絨毯。その中央に、フェミアは座っていた。虚ろな目を天に向け、崩れたような塊を抱いて。
・・・・・・塊?
いや、そうじゃない。あれは、人だ。惨殺された、酷たらしい死体だった。
呆然と立ち尽くすカーテスの脇をすり抜け、部屋の中央に足を踏み入れる。まだ乾かない血の上に、私の靴跡が刻まれた。
「フェミア」
むっとする血の匂いに顔をしかめながら、取り敢えず彼女に声をかけてみる。焦点の合わない瞳が、ゆっくりとこちらに向けられた。
そして、一言。
「・・・・死にたい」
そのまま、フェミアは死体の上に泣き崩れる。
私は、はっとしてカーテスを振り返った。子供の頃、私が狩った鹿の死体を見て、彼は気を失った事があった。一瞬、今もそうなのでは、と思ったのだ。
しかし、そこまで心配する必要は無かった。カーテスは、やはり昔とは違うのだ。
彼はただ、蒼白な顔でじっとフェミアを見つめていた。信じられない、そんな顔で。
「ファミア、これは誰ですか?」
私は、フェミアに視線を戻して言った。彼女は嫌々するみたいに、激しく首を振る。
「これは、誰ですか?」
もう一度尋ねる。すると、フェミアは突然金切り声をあげた。
「いや!やめて!あっち行って、来ないで!」
激しく体を震わせ、泣きじゃくるフェミア。
どうも、錯乱しているようだ。
私はため息を吐いて、フェミアの傍らにそっと膝をついた。それから、ふと窓の側に落ちている帽子に気付く。
所々血で汚れているが、その帽子が緑である事はすぐに分かった。
窓の外に向かう、薄い靴跡。そして、点々と落ちている赤い滴。
窓のサンには、べったりと血糊が付着していた。
「あの帽子は、昨日橋の上で見た、あなたの従兄弟と言う人の帽子ですね」
嫌な気分に捕らわれながら、一言一言かみ砕くように尋ねる。
やはりフェミアは、泣きじゃくるだけで答えない。
「フェミアさん、教えて下さい。その人、もしかして彼なんですか?どうして、そんな無残な姿に?ひょっとして、切り裂き魔が・・・・・」
カーテスは、矢継ぎ早に質問して、肉の塊と化した男に視線を向けた。彼の顔から益々血の気が引き、唇が震えている。耐えられなくなったのだろう、彼は口元を手で押さえ、死体から視線を逸らせた。
どれくらい、沈黙が続いたのか。
やがて、フェミアは途切れ途切れに話しだした。
死体を抱きしめ、機械的に涙を流す目を、じっと虚空に向けて。
「朝から具合が悪かったので、セリュウが仕事に出た後、ずっとベッドで眠ってたんです。午後になって、マイス・・・、私の従兄弟の名です・・・・・・が友達と遊びに来て、少し具合も良くなったので、ベッドの上で三十分くらいお喋りしてました」
何かに怯えたように、フェミアは一度周囲を見回した。
それから、声を振り絞って話を続ける。
「そうしたら、突然・・・・。知らない人が、窓から飛び込んで来たんです。私、怖くて、何が何だか分からないうちにこの人が殺されて、マイスは窓を越えて逃げ、彼を追ってその人も出て行ってしまいました。本当に怖くて・・・・」
フェミアの言葉が途切れる。それから、再び嗚咽に変わった。
私は、彼女の様子に思わず首を傾げた。
話の内容は、別におかしな所は無かった。恐怖の余韻を残す話し方も、震え方も、涙も決して不自然ではない。
しかし、言葉の流れがどうにも不自然に感じてならなかった。
それはまるで、芝居を見ているような感じ。
動揺した人間は、普通ならさほど流れよく話は出来ない。周囲の人達の問いかけで、少しずつ纏まっていくものだ。
あれほど錯乱していた者なら、尚更の筈。
私は流れている間、そういう悲惨な現状にも出くわした事があるので、大体の様子は想像する事が出来た。
特に親しい者が死んだ場合、ショックは数時間から数日までに及ぶ。
中には冷静な人間もいるが、どうしてもフェミアがそうであるとは思えなかった。
本当に冷静な人間なら、危険だと分かりきっている、橋の欄干を越えたりなど絶対にしない筈だ。
私は窓の方に視線をやり、それからベッド、カーペット、フェミアへと視線を戻した。
窓から差し込む光で、フェミアの黒髪がキラキラ輝いている。
再び、部屋の隅に置かれたベッドを見る。
また、フェミアへ。彼女の足に傷を発見し、自然と目が細くなった。
・・・・そうか、そういう事か。
冷静でいられるのは何故か、ではなく、彼女を冷静にさせているのは何か、を考えるべきだった。
私はため息を吐き、右手でこめかみを押さえた。
どうやら、私は関わってしまったらしい。風に逆らってここに来たのは、やはり間違いだった。
「カーテス、保安官を呼んで来て下さい。これは、私達にはどうにも出来ない問題です。彼等に任せるのが、一番得策だと思います」
「駄目!」
私の言葉を吹き飛ばすが如く、フェミアが大声を出した。
「何故、駄目なのですか?」
厳しく問いかける。しかし娘は、がたがた震えるだけで何も答えなかった。
「あなたには、分かっている筈ですよ」
哀しい思いで、それを口にする。
フェミアは、知っているのだ。
だから、そうやって誤魔化そうとしている。何時までも誤魔化し通せる事ではないと、彼女自身分かっている筈なのに。
「あなたがさっき言った言葉は、嘘ですね。ご覧なさい、窓から飛び込んで来たのなら、ガラスの破片の殆どは内側に散らばっている筈。しかし、部屋の中には僅かにしかない。それはつまり、誰かは入って来たのではなく、出て行ったと言う事になるのではないですか?」
簡単な推理。これくらい、素人でも分かる。
では、何故そんな嘘をついたのか。それも簡単、彼女は嘘をつかねばならなかったのだ。それがきっと、彼女に橋の欄干を越えさせた原因でもある。
「殺人鬼は、最初からこの部屋の中に居た。玄関の靴跡は二つ、そして訪れた客も二人。では、殺人鬼はどうやって部屋の中に入ったのでしょう?窓から?いえ、それは違うと今説明しましたね」
一度言葉を切って、フェミアを見る。
フェミアはまだ震えたまま、小さな嗚咽を漏らしていた。
「あなたの従兄弟、マイスは、確かに窓から逃げて行ったのだと思います。恐らく、逃がしたのはあなた。そして窓を閉め、その前に立ちふさがった。勿論、殺人鬼を止める為です。しかし、殺人鬼はあなたの願いを叶えてはくれなかった。窓をたたき割り、あなたを押し退けて獲物を追って行ったのです」
フェミアが殺人鬼を止めたと思ったのは、その髪についた細かいガラスの粉を見たからだ。
ガラスが割れた時、フェミアはベッドでなく、窓のすぐ側にいた。それも、後頭部にガラスの粉が付くくらい間近に。つまり、窓を背に立っていたと言う事になる。
スカートの裾から見える足には、小さな擦り傷が出来ていた。恐らく割れた窓の側で、フェミアと殺人鬼は少しの間だけ揉み合いになったのだろう。
そんな状況にありながら、フェミアは殺されなかった。当然だろう、フェミアと殺人鬼は親しい間柄にあったのだから。
私達が聞いた叫び声は、助けを求めるものではなく、窓を越えて行ってしまった殺人鬼を、彼女が必死に呼び戻している声だったのだ。
「近年、この辺りでは、同じような事件が幾つもあるそうですね」
私はフェミアを死体からはがし、ベッドの方へと促した。彼女はおとなしく従ってくれたが、今度は神経質な様子で服についた血を擦りはじめる。
ベッドに座らせても、その仕種は止まらなかった。
思わず、憂鬱なため息を吐く。
恐らく、男を抱えて泣いていたのは本当だろう。恐怖も、悲しみも、思わず最初に零した言葉も。
しかし、罪を悲しむより強い思いが、彼女を引き戻した。
愛する者の為に彼女は、錯乱しているふりを続けたのだ。そうすれば、私達はまず、割れた窓よりフェミアの方に気を取られる。万が一にも、獲物を追って行く殺人鬼の後ろ姿を、私達に見られないようにとの配慮だ。
殺人鬼の為に、時間を稼いだと言う訳だ。
咄嗟とは思えない判断。
「フェミア、・・・・・・あなたの恋人は、今何処に?」
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