第8話

 「くそっ!」

 彼らの後ろ姿に向かって、カーテスが苦々しく吐き捨てる。

 「なんて無礼な男だ、姫様に向かって。・・・・まるで、人ではないような扱いではないですか」

 次に、ぎっと私を睨んだ。

 「どうして、何も言い返さないのです?昔の姫様なら、絶対にあんな男に好き勝手言わせなかった」


 私は苦笑して、借りていたマントを彼に放り投げた。

 「一体、何を言えと言うのです?今は、ご覧のとおり流離い人なのに。カーテス、あなたは何も知らないのですね。流離い人になると言う事は、人でなくなるのと同じ事なのです。施しを受けて生きるだけでも、まともな人間とは言えないでしょ?その上、流離い人の中には、多くの犯罪者も混じっている。だから、ああいう扱いを受けても当然なのです」

 それから、少し咎めるように付け足す。

 「今度から、間違っても私の連れであると口に出さないで下さい。流離い人と共にしているなど、正気の沙汰ではないのですよ。あなたの経歴に傷が付く」


 「そんな事、どうでもいい!あなたは、流離い人なんかじゃありません。このセイラス王国の、正統な姫君なんです。その姫様が、あんな扱いを受けるのは嫌です。姫様が、それでいいと思ってるなんて、僕は絶対信じない。そんなの、僕の知ってる姫様じゃありません!」

 カーテスは、益々意固地になって叫んだ。

 今目の前にいる彼と、記憶の中の彼とのギャップに戸惑う。

 「あなたこそ、昔はそんな事を言って、私を困らせるような人ではなかったのに」

 ため息混じりに言った言葉で、彼の顔がぎゅっと歪んだ。


 「あなたは、何も知らないんです。あなたが去った事で、どれほど多くの人達が苦しんだか。僕だって、その一人です」

 どう返せばいいのか分からず、しばらく沈黙する。

 カーテスは、長い睫毛を伏せて、静かにこう続けた。

 「僕は、強くなろうと決めました。姫様が城から消えたあの日、心に誓った。本当に言いたい事を伝えられないまま、あなたは去ってしまいましたから。だからこれからは、言いたい事はどんどん言うつもりです」

 強い視線を、真っ直ぐに私へと向ける。

 澄んだ瞳の色に、つい目を逸らしてしまった。

 こめかみを押さえながら、困ったものだとため息を吐く。


 私は、カーテスを侮っていた。昔のイメージがあったから、冷たくすればすぐに城へ帰るだろうと。

 しかし、彼は変わっていた。昔の面影は残っていても、昔のままの彼ではなかったのだ。


 「それにしても、殺しとは物騒ですね。こんな平和な国なのに、見えぬ所に綻びが出来ているようです」

 我ながら卑怯だとは思ったが、咄嗟に話題を変える。喋りながら簡単に身支度を済ませ、出発の準備を整えた。

 そろそろ、神官達が神殿に赴く時間。こんな所を見られては、騒ぎになってしまうだろう。流離い人とは、それほどに世の嫌われ者なのだ。


 「それは、姫様が城にいないからです。王室に後継者が存在しない状態は、民を不安に陥れます。貴族達もその座を狙って、権力争いに奔走する。城の乱れは国の乱れ、綻びが生じぬ筈はありません」

 やれやれ、どうやら私は、話のもって行き方を間違えたようだ。苦笑して、取り敢えずそれについては沈黙を守る事にした。


 次はどちらへ向かおうか?

 風が流れる方向を、指で探る。

 風は、依然東に向かって吹きすさぶ。王都、トーレストに向かって・・・・。

 外れたフードを頭に乗せ、踊る髪を中に押し込む。それから私は、風と共に歩きだす事にした。


 「・・・・・姫様」

 街道に向かってしばらく歩くと、後ろからおずおずとしたカーテスの声がかかった。

 私を姫と呼ぶ事を、どうやら止めるつもりが無いらしい。困ったものだと思いながらも仕方なく振り返った。


 「あの・・・、フェミアさんの事なんですか・・・・。もし良かったら、もう一度家に行ってみてはどうかと。切り裂き魔が出たなんて、少し心配なので」

 躊躇いがちに言葉が萎んでいく。私は苦笑して、再び前を向いた。

 なるほど、前方に見えるのは確かにフェミアの家。

 東の街道に出るには、当然林を抜ける道が一番近い。そうなると、その手前にあるフェミアの家の前を通るのは、必然的避けられない事だった。

 「カーテス、あなたはフェミアが気になっているのですか?・・・・しかし、他人の恋人を好きになっても、あまり楽しい思いは出来ないでしょう」

 「そんなんじゃありません!ただ、なんとなく、あの人を放っておいてはいけないような気がして・・・・」

 やけにむきになって言う彼の言葉を聞きながら、もう一度笑う。


 カーテスは、優しすぎる。誰にでも、分け隔てなくその優しさを振りまく。

 それを知っているから、少しからかってみただけだ。


 まずいな。

 密かに心の中で思った。

 カーテスと居ると、過去に引き戻される。捨てた筈の自分が、こうやって蘇ってしまう。

 風になりきろうとしているのに、人間的な部分がつい表に出てしまうのだ。


 私はすぐに笑みを消し、前方を見据えて言った。

 「嫌です。私は、関わりたくありません。あの家は、嫌な匂いがします。昨日は誘ってくれた気まぐれな風も、今日は行くなと告げていますし。あの二人は、そっとしておいた方がいい。それでもと望むのなら、あなた一人で行って下さい。私は、行きません」

 いつの間にか、風向きが変わっていた。あの家に近づけば近づくほど、強い抵抗がかかる。

 どうやら、この道を選んだのは間違いだったようだ。

 様々な思いに捕らわれすぎて、何時もより感覚が鈍くなっていた。だから、風向きが変わったのにも気付かなかったのだろう。


 私は、手遅れにならないうちにと、すぐさま体の向きを変えようとした。と、それより早く腕をカーテスにつかまれる。

 「姫様、お願いします。本当に、気になるんです。釈然としないと言うか、どうもフェミアの嘘がひっかかって・・・・・」

 その気持ちは、なんとなく分かった。カーテスならば、放っては置けないと言う事も。

 彼の言葉通り、フェミアの言動には奇妙な所が多々あった。何かあるのだとしたら、出来れば力になってやりたい、そう思わない訳でもない。

 彼女の家は、もうほんのすぐ目の前。少し寄るくらいなら、大して時間もかからないだろう。


 ・・・・・でも、駄目なのだ。風は、はっきりとその意思を私に示している。

 私は、ゆっくりと、だがきっぱりと首を振ってみせた。カーテスが、落胆して肩を落とす。


 その時だった。ガラスの割れる、甲高い響きが聞こえたのは。その後、女の叫び声が続く。

 それがフェミアのものだと気付いた時には、もう既にカーテスは駆けだしていた。

 走り去る彼の背中を追いかけそうになり、一度思い止まる。

 忌ま忌ましいこの出来事に、小さく舌打ちした。


 どうする?

 追えば、風に逆らう事になるのだぞ。

 逆らえば、必ず不幸を呼び寄せる。いや、既に不幸が見えていた。

 ・・・・なのに、迷いに迷った上、私は結局彼を追う事にしてしまった。


 ・・・・・・・いけない、行ってはいけない。

 そう自分を戒めながらも、足はフェミアの家へと向かう。

 なんと言う事だろう。私はどうしても、あの全てに無防備な若者を、放っておいたまま立ち去る事が出来なかったのだ。

 まさかこの私が、風に逆らう事になろうとは・・・・・・。


 彼に出会ってしまった事は、この五年間忘れかけていたしがらみに、再び足を踏み入れる事となってしまったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る