第7話
朝目覚めてみると、私の肩にカーテスのマントが被さっていた。
生地の厚い、随分立派なマントだ。ぼろぼろになった、私のものとは違う。
この奇妙な立場の入れ違いに、私は深い感慨を味わった。
昔は、私が身に付けていた物の方が、彼よりずっと上等だった。衣装も、装飾品も、身分も、全て。
ただ、その心の中にあったものは、私より彼の方がずっと上等だったかもしれないが。
そう、幾ら望んでも、もうあの頃には二度と戻れないのだ。
時間を逆戻りさせる事が出来たら、どんなにいいだろう・・・・。
もし今のまま過去に戻れたら、きっと今とは違う自分になっていた筈。
・・・・不毛な考えだな。
思わず苦笑する。
カーテスは、昨日と同じ場所にもたれ、気持ち良さそうに眠っていた。
子供の頃の面影が、それにすんなりと重なる。彼は口の端に、わずかな笑みを浮かべていた。
優しい人だ。他人の為に、自分まで傷つけてしまう人。それなのに、どんなに傷ついても、決して見捨てようとはしない。
そういう優しさは、今の私には重荷でしかないと言うのに・・・・・。
突然、叫びだしたくなった。訳の分からぬ苛立ちが、全身を貫く。それは時折蘇って私を苦しめる、数々の罪悪感だった。
人は、何も感じずには生きていけない。私のような世捨て人さえ、そうした多くの荷物を抱えていなければならないのだ。
仕方ないではないか・・・・・。
その度に繰り返す言葉を、また繰り返す。
私が城を出なければ、もっと悪い事が起こっただろう。
私の存在が、不幸を呼び寄せる。
彼が、言っていたではないか。私の唯一の友である、流離い人が。
『お前の存在が、城の者達を苦しみの淵へと誘う。不幸を呼び寄せる星、それがお前の宿星なのだ。今すぐ城を出て、風と共に行くがいい。風だけが、お前の星を流してくれる。決して、風に逆らってはいけない』
狩り遊びに出ていた私の前に、彼は幻のように現れた。そして、そう言った。
卑しき民と嫌っていた、流離い人。
けれどその時の彼の言葉は、私にはまるで、真理を告げる賢者の言葉のように聞こえた。
誰にも告げられない秘密。それを抱え、壊れそうだった心。
苦しみから逃れたい、呪縛から解き放たれたい、両肩にのしかかる重荷を降ろしたい。
城を出ろという彼の言葉は、そんな私の願いでもあった。
だから私は、従者の目を盗み、彼と共に旅に出た。
長い長い、終わりのない旅へ・・・・・。
目を閉じて、大きく深呼吸する。それからゆっくりと目を開いたと同時、私の上に大きな影が落ちた。
顔を上げ、その影の主を見やる。四十過ぎだろうか、全体的に弛緩だような顔をした男だ。小柄だが、がっしりとした体つき。若干、前髪が薄くなっていた。
その後ろに、彼よりは随分若い男が二人立っている。彼らはみな、モスグリーンの上下を着込んでいた。
見覚えがある。それは確か、このセイラス王国の保安局の制服だった。腕章に、交差した剣の間から狼のような一角獣の顔が覗く、セイラスの国旗が描かれてあった。
この獣は、ゼグムだ。勇気と平和と力を示す、この国に伝わる伝説の生き物である。
「流離い人、ちょいとおまえに聞きたい事がある」
男は、保安官と言う肩書きには似合わない、飄々とした調子で尋ねてきた。
「何でしょう?」
座ったまま、男を仰ぎ見る。
「四日前、ヘインズと言う男が殺された。全身めった刺しで、実に酷い有り様だった」
チラリ、男の視線が横に流れた。その先には、目覚めたばかりのカーテスの姿。彼は目を擦りながら、私と保安官の顔とを見比べた。
「この立派な騎士様は、あんたの連れか?」
保安官が、うさん臭そうに尋ねる。
それもそうだろう、カーテスの着込んでいる衣装は、トーレスト聖騎士隊の着る、大変名誉ある衣装だったのだから・・・・・。
「・・・・・いえ、たまたま一緒になっただけです」
私は、そう返事を返した。それを聞いて、カーテスが不満そうに顔をしかめる。
が、すぐさま、
「保安局の人ですね、何かあったのですか?」
と、尋ねた。そして、私のすぐ側まで移動してくる。まるで、私を庇おうとでもしているかのように。
今度は、私が顔をしかめる番だった。
聖騎士が流離い人を連れて歩いているなど、たちまち好奇の的になってしまう。
「殺しだよ、殺し。四日前、東の林の外れで男が殺されていた。男はこのすぐ側の酒屋の伜で、世話を焼くのが好きないい人柄だったそうだ。恨まれるような男じゃないらしい。ちょいと聞き込みを続けた所、丁度その頃町に来た流離い人の噂を聞いた。おまえさんだって分かるだろ?みんな、流離い人には神経を尖らせている。そいつが、今度は神殿付近に出没したって言うじゃねぇか。だからまあ、こうやって調べに来たんだが、そしたらあんたらが居たって訳」
男は少し移動して、カーテスの前にしゃがみこんだ。後ろの男達は、直立不動のまま同じ場所から全く動かない。
「悪ぃな、念の為に聞くが、旦那の名前は?」
にやにや笑いながら、男。
「カーテス=デイリー。トーレスト聖騎士隊の隊員です。今は休暇をもらい、少し旅をしている所なんですが・・・・」
殺しという言葉に戸惑ったのか、カーテスは慌て気味にポケットから騎士の印を取り出した。
薄い円形の金属に、トーレスト聖騎士隊のマークが刻まれている。それは、エリートである事を証明する証でもあった。
血統だけではない、育ち、頭脳、技、全てにおいて優秀でなければ、トーレスト聖騎士隊には入隊出来ないのである。
その後、彼は保安官に向かって、
「この町に来てから、私はずっとこの人と一緒でした。だから、彼女は絶対に犯人ではありません」
きっぱりと、嘘を言い切るカーテス。
私は、思わず頭を抱えた。
聖騎士の言葉だ、まず疑われる事は無いだろう。聖騎士とは、それほどに権威のある者達なのだ。
しかし、その言葉は彼の品位を落とす。
流離い人と過ごしているなど、頭を疑われても仕方ない行為だ。連行されないかわり、変人と思われ嘲笑される。
もし隊にでもその噂が広がれば、仲間からきっと一生馬鹿にされる事になるだろう。
「ほう、どうりで見覚えのある衣装だと思ったぜ。へぇ、聖騎士隊ねぇ、確かに印も本物だ。・・・・にしちゃ、趣味が悪くないですかね。なんだって、こんな流離い人風情と野宿なんか?」
案の定、男は騎士の印を玩びながら、意地悪くカーテスを目で嘗め回した。
「聖騎士様なら、泊まる金は幾らでもあったんじゃねぇですか?」
「そんなの、あなたに関係ないでしょ」
印をひったくるようにして取戻し、カーテスはむっと顔をしかめた。
男は少し鼻白んだようだったが、くるりとこちらに顔を向け、何を思ったかいきなり私のフードを払い飛ばした。それから、銀の髪を一房つかみ、嫌らしい笑を浮かべる。
「ひやぁー、これはこれは。なるほどね、騎士様の気持ちも分からなくはねぇ。こんなにいい女なら、俺だって一晩お願いしてぇや。・・・・だが悪い事は言わねぇ、さっさと手を引いた方が身の為だと思いますぜ。幾らいい女でも、こいつは流離い人だ」
「貴様・・・・・・」
「保安局の旦那」
私は、カーテスの低い呟きをかき消すように、大声で保安官に話しかけた。
「こんな立派な騎士様が、私如きに手出しする筈がないじゃないですか。彼が言っている事は、全部嘘です。人の良さそうな方なので、私の姿を見て哀れに感じてくれたのでしょう」
「嘘じゃありません!」
カーテスも、むきになって声を荒らげる。
保安局の男は、ふんと一つ鼻を鳴らした。
「互いに庇い合うたぁ、実に仲のいいこった」
それから手に絡みついた私の髪を振り払い、後ろの男達に向かって面倒臭そうに言った。
「全く、こういう輩を出入りさせるから、町の治安が悪くなるんだぜ。おまけに、手も足も出せねぇような、たいそうな男をたらし込みやがって。流離い人なんざ、人間の屑だ。屑は屑らしく、ごみ捨場にでも行きゃいいんだよ」
それから、立ち上がって部下達に顎を刳った。
「行くぜ。死んだ野郎は、結構な大男だ。殺るにゃ、女の力じゃちょっと無理がある。共犯でもいりゃ出来るだろうが、騎士様じゃな。下手にしょっぴいちまったら、後で身内の貴族から何言われるか分かったもんじゃねぇ。・・・・と言う訳で、他を当たってみるさ。女、いい男を引っかけたな」
男は、カーテスにわざとらしいくらい深々とお辞儀し、部下を引き連れて去って行った。
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