第6話

 フェミアの家を出ると、辺りはもうすっかり夕闇に沈んでいた。

 空に浮かぶ月の明かりを頼りに、街灯のない道を黙々と進む。


 確かに、この辺りは寂しすぎた。畑と雑木林に囲まれた、本当の一軒家だ。

 何者かに襲撃されても、誰も気付きもしないだろう。

 そこまで考えて、一度小さく身を震わす。

 旅をすれば、人の死に際に出会う事もある。それどころか、自分自身の身さえ危ない時もあった。

 死は、必ずやってくる。しかし、それでも辛く悲しいものだ。

 それが悲劇であれば、尚の事。


 「姫様、何か変だと思いませんか?」

 ずっと黙り込んだままだったカーテスが、思い出したように口を開く。

 私は立ち止まって、肩ごしに彼を振り返った。

 「いくら落とし物をしたからって、あの欄干を越えるのは無謀ですよ。あんなに落ちついてしっかりしたような感じの女性が、そんな無茶を試みるでしょうか?」

 「さあ、私には、何とも言えません」

 答えて、私は小さく肩を竦めた。


 カーテスは少し顔を顰め、立ち止まった私の横を通りすぎる。私は再び肩を竦め、仕方なくカーテスの背中を追って歩いた。

 「でも、やっぱりおかしいですよ。いくらセリュウさんに心配させたくないと言っても婚約者なんですよ、普通は内緒にしてくれなんて言わないでしょ。きっと、何か、誰にも相談出来ないような事情があるに違いないと・・・・」

 「だから、どうなのです?」

 カーテスの言葉を、静かに遮る。

 「たとえそうだとしても、それは、私達には関係ない事です」

 「・・・でも」

 「他人の事なのだから、放っておけばいい」


 不意に、カーテスが立ち止まった。怪訝に思いながら、私も足を止める。

 「・・・・・そうだ」

 背中から聞こえてくる、小さな呟き。

 瞬間、彼は憤怒の表情で私を振り返った。

 「何時もそうだ!」

 彼の凄まじい怒鳴り声に、思わずびくっと肩を揺らす。


 「あなたは、何時もそうだ!そういう所は、昔と全然変わってない。そうやって、他人はどうでもいいと言ってしまえる人だった!」

 激しく叫んだ後、彼は整った顔を大きく歪めた。

 「・・・・本当は、そんな事など思ってない癖に」

 澄んだ瞳から、あの頃と同じような美しい涙が流れる。


 人の涙は、綺麗なものだ。特にカーテスの涙は、昔から飛びきり綺麗だった。

 そう、苛立つほどに。


 「あなたは、何か誤解をしています。私は、城を捨てたのですよ。あなたが言う通り、他人などどうでもいいと言ってしまえる人間なのです」

 「いいえ、違います。あなたは、簡単に城を捨ててしまえるような人じゃなかった。王の為、王妃の為、誰よりも努力していたではないですか。それは、王位を継承する気があったからではないのですか?」

 縋るように、真っ直ぐ、迷いの無い瞳で見つめられ、私の胸はざわめいた。


 ・・・・そんな目で、私を見ないで欲しい。そんな、期待するような目で。

 今の私は、誰の期待にも答える事の出来ない人間なのに。


 「私は、自由が欲しかったのです。誰にも関わらす、ただ静かに流れていくだけの、気儘な自由が。その自由を今、こうして手に入れました。他に、欲しいものなど一つもありません」

 カーテスは、突然きっと私を睨み付けた。そして、かつて見た事もない程の情熱的な眼差しで、鋭く私を射ぬく。

 「嘘だ!」

 彼は叫ぶと同時に、ぎゅっと私の両手首を掴んだ。

 痛いくらいに握りしめ、再び激情のまま叫ぶ。


 「ではあなたは、そんな不可解な自由の為、全てを捨てたと言うのですか!?病の母君を残し、政治に意欲を無くされた父君も残し、あれほどに姫に忠実だった家臣達も残し、ただその為だけに城を捨てたのだと・・・・!?」

 私は黙ったまま、カーテスから顔を背けた。

 「クレイド皇子が亡くなられてからと言うもの、城は淀んでいます。その城を再建出来るのは、姫様を措いて他に誰もいないのに。それなのに貴方は、全てを放り出したままでその自由を求め続けるつもりなのですか?」


 「責められても、仕方ない事をした。・・・とは思っています。でも、それでも、どんなにあなた達に恨まれても、私は城に帰るつもりはないのです」

 今更、帰ってどうなるものでもない。

 私より相応しい者が、きっと城を統治していくだろう。

 元より、私にはその資格は無いのだから。


 「・・・・いいえ、違います。僕は、あなたを恨んでなどいません。僕はただ、皆に幸せになって貰いたいだけです。王にも、王妃にも、城の者達にも、そして誰より、あなたに・・・・」

 私の両手に顔を埋め、泣き続けるカーテス。

 私は思わず天を仰ぎ、風にこう問いかけずにはいられなかった。


 ・・・・・風よ、何故私を放っておかぬ。何故今更になって、私に人との関わり合いを求めるのだ。

 カーテスを導いたのがお前なら、私はその理由が知りたい。


 「カーテス、一度過ぎ去ってしまった時は、もう二度と戻りません。・・・全てが遅かったのです」

 私はそれだけ言うと、彼の腕から自分の手を振りほどいた。

 「私は、これから野宿をするつもりです。あなたは、どこか宿を探して下さい」

 感情を表さない無表情さで告げ、私はそのままゆっくりと歩きだした。



 その日私達は、近くの神殿の軒下で夜を過ごした。

 結局カーテスは、私から離れようとはしなかったのだ。


 響くような、静かな夜。

 そんな中、零れ落ちそうな星空を見上げていたカーテスの姿が、何故か眠るまで脳裏に残って離れなかった。

 そして、やがて安らかな虚無の中へ。


 このまま目覚めなければいい、やはり何時ものようにそう思いながら。

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