第4話
娘の家は、橋を渡って小道を東に向かった先、丁度広い街道に出る手前の林の前にあった。
周囲には他に民家が無く、何故にこんな所に、と思うような場所だ。
私達は、こぢんまりとした庭を抜け、小さいが立て付けの良い、可愛らしい家の戸を開けて中に入った。
家に到着した頃には、気絶していた娘の意識は戻っていたが、恐怖の余韻が残っているのか、がたがた震えながらカーテスの首にしがみついている状態だった。
カーテスは、これも従兄弟から聞いていたのか、玄関から中に入り、すたすたと一番奥の部屋へと向かう。
その部屋は寝室らしく、ベッドと質素な家具が幾つか置いてあった。
娘をベッドに横たわらせ、カーテスはふうっと息を吐いた。それからちらりと私を見て、照れくさそうに微笑む。
その笑みの意味は分からなかったが、私は軽く肩を竦めて返事を返した。
「・・・それにしても、随分と寂しい場所ですね」
カーテスが、私の方へ近付き、少し声を潜めて言った。それから、娘の方へ視線を戻す。
娘はまだ震えていたが、一時より大分落ちついたようで、私達と視線が合うと僅かに会釈のようなものを返してきた。
「えっと、君の名前は?」
間を嫌うように、カーテスが尋ねる。
娘は一度口ごもり、その後、思いの外しっかりした声で答えた。
「フェミアです。助けて頂いて、有り難うございました」
礼儀正しい、きちんとした喋り方だ。
今までの様子から、もっと内気な娘なのかと思っていたが・・・・。
「いえ、当然の事をしたまでです。でも、橋の欄干を越えるのは危ないですよ。いくら落とし物をしたからと言って、今度はあんな危険な事はしないように。何より、命が一番大事ですから」
「はい、すみません」
カーテスの言葉に、娘は素直な様子で頭を下げた。
よい娘だ。少し古風な感じもあるが、きっと誰からも好かれるタイプの娘だろう。
私は目を細め、フェミアと言う名の娘を見つめた。
と、不意にフェミアの視線がこちらへ流れる。そして、今気付いたかのように、大きな目が見開かれた。
「・・・・流離い人」
不思議な事に、そう呟く彼女の声には、嫌悪感は感じられなかった。
ただ、悲哀の籠もったような響き。
私はにっこり微笑んで、軽く挨拶程度の会釈を返した。
「私は、風。どうぞ、私の事は気にしないで下さい」
ファミアは、少しほっとしたように息を吐く。それから、こう言った。
「ああ、女の人なんですね。良かった、背が高いものだから、もしかしてと思っていたけど・・・・」
どういう意味だろう?
フェミアの言葉を、少し怪訝に思う。
私が女であろうと、男であろうと、それほど違いは無いだろうに。
しかし、その次の言葉は、更に不可解なものであった。
「あのっ、風の人。出来れば、ここに居る間は、そのフードを外して貰えませんか。そのっ、戻って来るといけないので。誤解されたら困りますし」
思わず、カーテスと目を見合わせた。
一体、誰が何を誤解すると言うのか?
それでも私は、仕方なく彼女の言葉に従い、擦り切れたフードを後ろへと外した。
途端、フェミアの口からため息が漏れる。
「まあ、なんて美しい人でしょう」
私は、笑った。
「形の美など、どれほどの価値がありましょうか。形あるものは、何時かは崩れる。私はまだ、見えない美に勝るものを知りません」
「でも、勿体ないですわ。そんなに綺麗なお顔を、汚したままにしているなんて。本当に、お姫様みたいなのに」
昔なら、その言葉を当然のように受け止めていただろう。
自分の容姿に自惚れている所もあったし、称賛されれば尚の事だ。
・・・しかし、旅をするようになって、それがいかに邪魔な物か思い知った。
虹色の光彩を放つ銀の髪も、エメラルド色の瞳も、整いすぎて冷たくさえ見えるこの顔も。
私はマントを羽織り、フードを深く被って、人に自分の姿を見せるのを嫌うようになった。
「姫という輩は、決して綺麗と言う枕言葉が似合う者ばかりではありませんよ。私は寧ろ、道端に咲く陽気で明るい花に、その言葉を当てはめた方が良いと思います」
フェミアは、不思議そうに私を見つめた。
その青ざめた表情が、僅かにだが緩む。
しかし、
「ところでフェミアさん、あなたはこの家で、一人で住んでいるんですか?」
何気ないカーテスの言葉で、フェミアの顔が再び固くなる。
彼女は少し躊躇った後、早口で返事を返した。
「いいえ、私はここで婚約者と一緒に暮らしています。・・・・家族は、三年ほど前に亡くしました」
「・・・・そうですか。辛い事を聞いて、申し訳有りません」
律儀な様子で、カーテスが謝った。フェミアは一度視線を落としたが、すぐにぱっと表情を明るくして言った。
「いいえ、いいんです。だって、今は幸せですから」
それは、不幸を乗り越えようとする力だろうか?
それとも、若さと言うものだろうか?
少なくともこの娘は、前向きに生きようと努力しているらしい。
私には、そんな彼女の姿が、眩しく感じられてならなかった。
健気な娘だ。家族が居ないなど、きっと寂しい時もあるだろうに。
フェミアは、若さに似合う笑みを浮かべた後、今度は何故か伺うような視線を私達に向けて言った。
「・・・あの、もうすぐセリュウが帰って来ます。こんな事を頼むのもなんですが、今日の事はセリュウには内緒にしておいて下さい。彼、とても心配性なのです」
再び、私はカーテスと顔を見合わせた。
「セリュウさんって?」
カーテスの質問に、フェミアの顔がぱっと赤らむ。
「・・・・・あの、私の婚約者です。子供みたいな人ですけど、とても優しいんですよ。それに、働き者です」
恥ずかしそうに、それでも顔を輝かせて婚約者の話をする少女に、微笑ましいものを感じた。
その表情だけで、いかに彼女が婚約者を愛しているかが分かる。
人の世の、所謂男女の恋愛に疎い私でも、彼女の表情の意味するものくらいは分かった。
愛する者を思う時、誰でも表情が柔らかくなるものだ。
そんな事を、とりとめもなく思っていると、不意にばたんと扉が開閉される音が聞こえた。
それから、どたどたと響く足音。
それは次第に近づいて来て、ぴたっと止まった。同時に、部屋の扉が大きく開かれる。
と、不意に大声が耳を貫いた。
「フェミア!」
私とカーテスは、ほぼ同時に、ぎょっとしながらそちらを振り返っていた。
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