第二章 推し様と思いがけない急接近!?③

「申し訳ないが、今日はこれで許してもらえないだろうか……? というか、わたしの感謝の気持ちは銀貨一枚では足りないほどなんだ。きみさえよければ、受け取ってほしい」

 しんな声で告げた青年が、ごういんに私の手に銀貨を握らせる。

 ううっ、困ったなぁ……。私の手持ちじゃ、おつりをわたすにしても足りないし、でもヒルデンさんにりようがえたのんでいたら手間をとらせる上に、時間もかかるだろうし……。

 こうなったら仕方がない。

「では、ありがたくいただきます。でも、銀貨は多すぎです。だから……。もしまた次にお客さんが来られた時は、ただでおまじないをするということで、どうでしょうか?」

 私のところへ来るってことは、何かなやみがあるということだから、本当はもう二度と会わないほうがいいんだけれど。でも、さすがに二十倍のお代じゃ申し訳なさすぎる。

 私の提案に、青年はあっさりと「きみが望むならそれで」と言ってゆうに頷く。

 フードからのぞく口元に浮かんだ笑みに、おさえきれない高貴さがただよってる……っ!

「ありがとうございました。では、これで失礼しますね」

 いい加減帰らないとマルゲにしかられる。席を立って青年にぺこりと頭を下げると、青年も立ち上がった。

「店じまいをしたのに、わたしのせいで申し訳なかったね。だが、きみにえて、本当によかった……っ!」

 心からあんしたような声に、私の気持ちもほぐれるここがする。

「悩みが晴れたようでよかったです。また、何かあった時はいらしてください」

 一礼して背を向けようとすると、不意に手をつかまれた。

「あ、あの……?」

「店じまいということは、これから帰宅するのだろう? 送らせてもらえないだろうか?」

「……ほぇ? えぇぇぇぇっ!?」

 いやいやいやっ! 結構です! 全力でごえんりよ申し上げますっ!

 送ってもらったりしたら、私のじようがバレちゃうし!

「い、いいですっ! 結構です! ひとりで帰れますからっ!」

 激しく首を横に振って断る私に、けれど青年も引かない。

「だが、よるおそくに、うら若いおとをひとりで帰すわけにはいかないだろう? ……それとも、めいわくだろうか?」

「いえっ! とんでもないですっ!」

 問われたしゆんかん、反射的にそくとうする。

 お、し様そっくりな声でこんな風に聞かれたら断れるわけがないです──っ! でも、私の正体を知られるわけにはいかないんだから、ここははっきり断らないと!

 私の返事に、フードの下の口元がほっとしたようにやわらかなみを浮かべる。

「よかった……。では、行こうか」

「はい……っ!」

 口が! 口が勝手にうーごーくぅ──っ!

 無理ぃ──っ! このお声にいなきつけるなんて、私には絶対無理ぃ……っ!

 つないだ手から、全身に熱が回る心地がする。放してくださいと言いたいのに、口を開けばどきどきとさわぐ心臓が飛び出してしまいそうで、声を出せない。

 青年に手を引かれるままお店を出ると、たん、春の夜風がきつけてきた。青年に掴まれていないほうの手でフードを押さえる。黒いかみを人目にさらすわけにはいかない。

「ところで、どこまできみを送らせてもらったらいいだろうか?」

「あの、貴族街の──」

 美声にさそわれるまま、あやうく真っ正直に答えかけ、はっとわれに返る。

 あっぶな──っ! ふつーに今サランレッドこうしやく家の場所を言いそうになったよ! この声で聞かれたら、住所でも本名でも、何でも答えちゃいそう!

「貴族街?」

 青年の声がいぶかしげに低くなり、あわてて取りつくろう。

「あっ、いえ! 方向がですよ、方向が!」

 ううっ、どうしよう……。この人、どう見ても貴族のお坊ちゃんぽいし、家まで送ってもらったら、私がじやあくむすめだって即バレしちゃうよね……。

 私なんかにやさしく微笑ほほえみかけてくれるおもが、べつけんゆがむかと思うと、全身がこごえるような心地がする。

 ふるえが伝わってしまったのか、手を引きながら半歩前を歩いていた青年がり返る。

「どうかしたのかい?」

「その……」

 何と言えばいいかわからない。困り果て、もぞ、とつないだ手を動かすと、

「すまない。会ったばかりのおじようさんの手を取るなんて、しつけだったね。失礼した」

 謝罪とともに、ぱっと手を放された。

「い、いえ……っ」

 ふるふるとかぶりを振り、胸の前でぎゅっと両手をにぎりしめる。放してもらってほっとしているのか残念なのか、自分でもよくわからない。

 いや、きっとこれは心臓がこわれなくて済んで安心しただけにちがいない。レイシェルト様のお声似のイケメンなんて、私にとってはダイナマイト級の危険物だものっ!

 って、しっかりして私! 王太子であるレイシェルト様が天上の星よりも遠いかただからって、言葉をわせる推し様似のイケメンにふらつくなんて、ファン失格よ……っ!

 レイシェルト様は私にとって夜道を照らすみちしるべの星であり、生きる活力であり、喜びの源泉であり……っ! そう! 推し活人生そのものなんだものっ!

 心の中でレイシェルト様へのおもいをさいかくにんしながら青年の後について歩いていると。

 不意に、道の向こうに黒いもやが湧き上がり、反射的に身をこわらせる。同時に、ろれつのあやしい男達のり声が聞こえてきた。

「何だ、やる気か!?」

「おうっ、やってやらぁ!」

 たがいにお酒が入っているらしいれた声。掴み合う二人を取り囲んでいるのは、ほのおのようにうねる黒い靄だ。

 だれかを傷つけようとするいかりの感情は苦手だ。たとえそれが私に向けられたものじゃなくても。前世で私を突き飛ばしたお母さんの顔を、いやでも思い出してしまうから。

 身体からだの震えが止まらない。

 ここは、みっちゃんと待ち合わせしてた場所じゃない。近くに川だってない。頭ではわかっているのに、一度外れたおくせんは閉まらない。だめだ。考えちゃだめだ。もっと楽しいことを考えなきゃ。そう、レイシェルト様のことを考えて──。

「最近、もめ事が多発しているという報告は聞いていたが、その通りだな」

 かたく低い美声に、はっと現実に引きもどされる。

 視線を上げると、青年がフードをかぶっていても端整とわかる面輪を男達に向けていた。

 私もヒルデンさんから、最近、ぱらい同士のけんが多いから、帰り道は重々気をつけるようにと言われた覚えがある。でも、実際にその場に行きあたったら、どうしたらいいかわからない。掴み合っている二人の周りの人達も、止めるどころかはやし立てている。

 ど、どうしよう。間に入るのはこわいし……、警備隊を呼んで来たらいいのかな……。

 おろおろとうろたえていると。

だいじようだ」

 力強い声と同時に、かたき寄せられる。

「きみを危ない目にわせはしない。ちゆうさいしてくるから、少し待っていてくれないか?」

 フードしに、おどろくほど近くでささやかれたわくの声。驚きに顔を上げるより早く、うでをほどいた青年が、もみ合っている酔っ払い達へマントのすそひるがえしてけていく。

 その背中から、目がはなせない。

 何なの今の魅惑のイケボ──っ! こ、こしくだけるかと思った……っ!

 よろろ、とよろめきかけ、はたと気づく。げるんだったら今が大チャンスじゃない!? 「待っていてくれ」って言われたのを裏切るのは申し訳ないけど、でも……っ!

 ごめんなさいごめんなさい、と心の中でびながら、私はわきみちへと駆けだした。

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