第二章 推し様と思いがけない急接近!?④
「お嬢様! そろそろ起きてくださいませ!」
「うぅ、マルゲ~、もうちょっとぉ……」
マルゲの声に、私はもごもごと返して、
「起きられないのでしたら、夜遅くに帰ってこられるのはおやめください!」
「うぅん……」
マルゲのお説教を寝たふりでやり過ごそうとする。ゆうべ帰ってきた時も、離れの
と、マルゲが仕方がないと言いたげに
「……
「っ! ほんとっ!?」
がばっと
「どこどこどこ!?
「先に
飛び起きた勢いのままに
うっ。これ、
残念ながら、この世界に印刷技術はない。もし『月刊アルスデウス王家の方々』なんて雑誌があったら、鑑賞用、保存用、布教用と迷わず三冊買っているだろう。もしレイシェルト様のブロマイドなんてあったら、何があっても手に入れるのに!
だが、ないものはどうしようもない。ということで、まじない師としてこつこつ貯めたお金の一部を使って、若手宮廷画家のロブセル氏にレイシェルト様のデッサンを内密に依頼したのだ。内密にした理由はもちろん、邪悪の娘なんかが
今か今かと待ちに待ったデッサンが届いたとなれば、私がすることはただひとつ!
ささっと
「どう、マルゲ? これでいいかしら!?」
期待のまなざしでマルゲを見上げた私に、マルゲが「こちらでございます」と、
「こ、これが……っ!」
かすれた声で呟いたきり、動きを止めた私に、マルゲがいぶかしげに
「……お受け取りにならないのですか?」
「ちょ、ちょっと待って……っ」
私は
「だ、だって……っ! この中にレイシェルト様のデッサンが入っているのよ!? いきなりご対面だなんて、光栄すぎて意識が飛んじゃいそう……っ! ねぇっ、マルゲ! やっぱり失礼のないように正装したほうがいいかしら!?」
「
あわあわとうろたえる私に、真冬の清水のように冷静にマルゲが答えてくれる。
「そ、そうよねっ! ご本人じゃないものね……っ!」
マルゲから小包を受け取り、
「ふぁあああ~っ!」
見た
う、美しい……っ!
ペンで
「尊い……っ! 尊すぎて気絶しちゃうぅ……っ!」
「お嬢様っ!? しっかりなさってくださいっ! 医師を呼びましょうか!?」
額縁を抱きしめてテーブルに
「だ、だいじょぶ、生きる……っ! むしろ、生きる気力があふれてきちゃう……っ!」
胸に抱きしめたデッサンをちらっと見やる。途端、心臓がきゅぅっと
「でもやっぱり無理ぃ~っ!」
「どっちなんですか!?」
「どっちもなの~っ! 尊い! 素晴らしいっ! 存在してくださってありがとうございますっ! この世に存在してくださるだけで世界が
「はあ……?」
マルゲが「理解不能」とでかでかと顔に書いて吐息する。
「ともあれ、お望みのデッサンは手に入りましたし、これでもう、兄さんのお店に働きに出るなんてことはしなくてすみますね」
「そんなわけないでしょう!?」
マルゲの言葉を
「確かに、レイシェルト様のデッサンは手に入ったけれど、推し活に終わりなんてないんだからっ! 推し様に
王家の
身寄りのない子ども達が安心して暮らせて、教育を受けられるなんて、私は素晴らしい
私が寄付を始めたのも、少しでもレイシェルト様を
「……お嬢様が稼がれたお金ですから、わたくしはつべこべ申しませんが……。ですが、昨日のように
「はい、ごめんなさい……」
素直に頭を下げた
「あっ、朝のお
毎朝の大切な用事をすっかり忘れていた私は、胸に
私がマルゲと二人きりで住んでいるのは、サランレッド
私が足早に向かった先は本邸のさらに向こうにある
近づくにつれ、かすかな水音が聞こえてくる。神殿の中にはわざわざ水道から引かれた
神殿にはまだ
光神アルスデウス様へ祈りを
毎日、レイシェルト様が今日も
なんといっても今日は、
心の底からあふれ出す感謝の気持ちのままに祈りを捧げていると。
「まあ
不意に背後から投げつけられた冷ややかな声に、幸せな気持ちから一気に現実に引き戻される。
しまった……っ! 今日はいつもより遅かったから、さっさとお祈りして戻らなきゃいけなかったのに、つい感謝の気持ちが抑えきれなくて長居を……っ!
「お、おはようございます。お目
あわてて立ち上がり、深々と頭を下げる。途端、二人にまとわりついていた黒い
「あなたの声で
お母様の
「あなたがいるだけで
「落ち着いてくださいませ、お母様」
嫌悪を
愛らしい
「聖女であるわたくしが、みすぼらしい邪悪の娘に穢されるなんて、ありえませんわ」
「そうよね、セレイアちゃん! あなたは当代
大きく
「こんな娘のことより、今夜の舞踏会の
セレイアと
「そうですわね。そのために、早く水垢離を終えなくては……」
毎朝、水垢離で身を清めるのは、聖女や聖者が行う慣習のひとつだ。ちなみにこの神殿は、『サランレッド公爵家に特別な聖女が生まれるでしょう』と予言が下された際に、お父様が聖女である娘が労なく水垢離をできるようにと、わざわざ庭に建てさせたものだ。
にっこりとお母様に同意したセレイアが
「いつまでいる気ですの? さっさと消えてくださらない? いくら祈ろうとも、邪悪の娘には光神アルスデウス様だって救いをくださらぬでしょうに。いい加減、自分の立場をわきまえたらいかが? まさか、今夜の舞踏会にも出席するつもりではないでしょうね」
「いえ、その……っ」
とっさにうまい言い訳が出ない。かろうじてかぶりを振ると、二人から発される黒い靄が、
「邪悪の娘が毎回毎回、王家の舞踏会に参加するなんて……っ! あなたには
知っている。人目のある場所に行くたび、いつもどれほどの嫌悪と侮蔑のまなざしをそそがれるのか。見るのも嫌だと
「も、申し訳ございません……っ!」
声を発するのを禁じられているのも忘れて謝罪するが、それでも欠席するとは決して言わない私に、お母様とセレイアのまなざしが刃のように鋭くなった。
「物わかりの悪い人ね! お母様はあなたに来られては
セレイアの言葉が矢のようにどすどすと心を貫く。
私自身は、お母様のこともセレイアのことも
でも、邪悪の娘と呼ばれる私が親しくすることがお母様やセレイアの迷惑になるというのなら、離れてひっそりと暮らすのが一番よいということもわかっている。幸か不幸か、お荷物
今世でも、レイシェルト様という
だから、お母様とセレイアには申し訳ないけれど、生レイシェルト様のご尊顔を拝見できる舞踏会だけは、何と言われようと逃すことはできないのだ。
だって推し様が同じ空間で呼吸して動いてるんだもの。私は会場の
その幸福に比べたら、貴族達から投げつけられる侮蔑の視線や悪口だって、何ほどのこともない。お上品な貴族様だから、実力行使に
私が上の空であることに気づいたのか、お母様がいらいらと声を上げる。
「ちゃんと聞いているの!? あなたは出席しないでと言っているのよ! 確かに招待状はサランレッド公爵家宛に来ていますけれど、わたくしは邪悪の娘などを公爵家の一員として認めるつもりなどありませんからね!」
二人には申し訳ないけれど、舞踏会に行かないなんて
私の存在など消し去ったかのようにふるまうお母様達につきんと胸が痛むのを感じながら、私はマルゲが待つ離れへと
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