第二章 推し様と思いがけない急接近!?④

「お嬢様! そろそろ起きてくださいませ!」

「うぅ、マルゲ~、もうちょっとぉ……」

 マルゲの声に、私はもごもごと返して、とんを抱きしめてがえりを打った。

「起きられないのでしたら、夜遅くに帰ってこられるのはおやめください!」

「うぅん……」

 マルゲのお説教を寝たふりでやり過ごそうとする。ゆうべ帰ってきた時も、離れのげんかんおうちで待っていたマルゲにさんざんおこられたし、朝一番からお説教は遠慮したい。

 と、マルゲが仕方がないと言いたげにいきした。

「……きゆうてい画家のロブセル様にごらいしていたデッサンが届いておりますが」

「っ! ほんとっ!?」

 がばっとそくね起き、立ち上がる。

「どこどこどこ!? うるわしのレイシェルト様のデッサンはっ! ねぇマルゲ、どこに──」

「先にたくを終えて、朝食をし上がってからです」

 飛び起きた勢いのままにつかみかかった私に、マルゲがいわおのごとく厳然と告げる。

 うっ。これ、なおに指示に従わないと、絶対にわたしてくれないヤツだ。さすがマルゲ。二年間がんってめたお金でようやく依頼できたデッサンだというのに、ようしやがない。

 残念ながら、この世界に印刷技術はない。もし『月刊アルスデウス王家の方々』なんて雑誌があったら、鑑賞用、保存用、布教用と迷わず三冊買っているだろう。もしレイシェルト様のブロマイドなんてあったら、何があっても手に入れるのに!

 だが、ないものはどうしようもない。ということで、まじない師としてこつこつ貯めたお金の一部を使って、若手宮廷画家のロブセル氏にレイシェルト様のデッサンを内密に依頼したのだ。内密にした理由はもちろん、邪悪の娘なんかがしていると知られたら、レイシェルト様にごめいわくをおかけしかねないからだ。

 今か今かと待ちに待ったデッサンが届いたとなれば、私がすることはただひとつ!

 ささっとえ、流し込むように朝ごはんを食べて──。

「どう、マルゲ? これでいいかしら!?」

 期待のまなざしでマルゲを見上げた私に、マルゲが「こちらでございます」と、ていねいこんぽうされた手のひら二枚分ほどの大きさの板状のものを差し出す。

「こ、これが……っ!」

 かすれた声で呟いたきり、動きを止めた私に、マルゲがいぶかしげにまゆをひそめる。

「……お受け取りにならないのですか?」

「ちょ、ちょっと待って……っ」

 私はとどろく心臓が飛び出さないように、ぎゅっと両手で胸を押さえる。

「だ、だって……っ! この中にレイシェルト様のデッサンが入っているのよ!? いきなりご対面だなんて、光栄すぎて意識が飛んじゃいそう……っ! ねぇっ、マルゲ! やっぱり失礼のないように正装したほうがいいかしら!?」

殿でんご本人にお会いするのではなくて、デッサンを見るだけですよ?」

 あわあわとうろたえる私に、真冬の清水のように冷静にマルゲが答えてくれる。いつしよにレイシェルト様を推してもらえないのは残念だけれど、マルゲの落ち着きが今はたのもしい。

「そ、そうよねっ! ご本人じゃないものね……っ!」

 マルゲから小包を受け取り、きんちようふるえる手で苦労してひもをほどく。丁寧に取った布の下から現れたのは、簡素ながくぶちに入れられたレイシェルト様のご尊顔のデッサンだった。

「ふぁあああ~っ!」

 見たたんおさえきれないさけびが口をついて出る。

 う、美しい……っ! らしすぎる……っ!

 ペンでかれただけのさいしきもされていないびようだけれども、さすが若手ずいいちと言われる宮廷画家、ロブセル氏の手によるもの。幼い頃からの学友だという彼が描くレイシェルト様は、特に素晴らしいと評判だ。わずかにななめを向き、どこか遠くを見つめるレイシェルト様の端整なお顔は、まるで今にも呼吸が聞こえてきそうなほど。どこかうれいをふくんだまなざしは遠くを見つめ、思わずその視線の先を追いたくなり──。

「尊い……っ! 尊すぎて気絶しちゃうぅ……っ!」

「お嬢様っ!? しっかりなさってくださいっ! 医師を呼びましょうか!?」

 額縁を抱きしめてテーブルにした私に、マルゲがあわてふためいた声を上げる。

「だ、だいじょぶ、生きる……っ! むしろ、生きる気力があふれてきちゃう……っ!」

 胸に抱きしめたデッサンをちらっと見やる。途端、心臓がきゅぅっとまった。

「でもやっぱり無理ぃ~っ!」

「どっちなんですか!?」

「どっちもなの~っ! 尊い! 素晴らしいっ! 存在してくださってありがとうございますっ! この世に存在してくださるだけで世界がかがやいて見えます! って思うと同時に、太陽の下に引き出されたかげどろまじりの雪みたいにこうごうしさでけちゃうの~っ!」

「はあ……?」

 マルゲが「理解不能」とでかでかと顔に書いて吐息する。

「ともあれ、お望みのデッサンは手に入りましたし、これでもう、兄さんのお店に働きに出るなんてことはしなくてすみますね」

「そんなわけないでしょう!?」

 マルゲの言葉をかんはつれずに否定する。

「確かに、レイシェルト様のデッサンは手に入ったけれど、推し活に終わりなんてないんだからっ! 推し様にかかわるグッズはあればあるほど欲しくなるのがオタクの常! それに、かせげなくなったら、救護院への寄付だってできなくなっちゃうじゃないっ!」

 王家のふく政策のいつかんとして、数年前からレイシェルト様の名のもとに王都のこうがいで救護院が運営されている。もちろん王家から運営資金は出ているけれども、寄付金も常に受け付けており、私はまじない師で稼いだお金の半分をいつも救護院に寄付しているのだ。

 身寄りのない子ども達が安心して暮らせて、教育を受けられるなんて、私は素晴らしいさくだと思うけれど、残念ながら貴族達からの賛同はまだ少ないらしい。王太子とはいえ、生母をくされているレイシェルト様は後ろだてが弱いからかもしれないけれど……。

 私が寄付を始めたのも、少しでもレイシェルト様をおうえんしたいからだ。たとえたる金額とはいえ、私が寄付したことでレイシェルト様の名声が上がるとなれば、寄付しない理由がない。推し様のためにできることがあるって素晴らしい……っ!

「……お嬢様が稼がれたお金ですから、わたくしはつべこべ申しませんが……。ですが、昨日のようにおそくなるのはおやめくださいませ! ご心配申し上げたんですよ!」

「はい、ごめんなさい……」

 素直に頭を下げたひように気づく。

「あっ、朝のおいのり! まだ間に合うかしら? ちょっと行ってきます!」

 毎朝の大切な用事をすっかり忘れていた私は、胸にいていたデッサンをいったん布で丁寧にくるみ直すと、おおあわてで離れを飛び出した。



 私がマルゲと二人きりで住んでいるのは、サランレッドこうしやく家のそうれいほんていではなく、広い庭のはしにあるこぢんまりとした離れだ。物心つく前から離れに住んでいる私は、本邸に入ることすら許されていない。

 私が足早に向かった先は本邸のさらに向こうにあるしようしやな石造りのしん殿でんだ。

 近づくにつれ、かすかな水音が聞こえてくる。神殿の中にはわざわざ水道から引かれたふんすいしつらえられているのだ。水音を聞くだけで無意識に身体からだこわりそうになるが、毎日のことなので少し気持ちを強くもてば、ちゃんと動ける。

 神殿にはまだだれも来ていないようだ。間に合ったとほっとしながら神殿の前へ進んだ私は、階段は上らず、その手前でしばりようひざをついてひざまずいた。

 光神アルスデウス様へ祈りをささげることは、私にはレイシェルト様へ祈りを捧げることと同じ。ああっ神様、レイシェルト様という至高の存在をこの世に生み出してくださって、本当にありがとうございます……っ! どれほど感謝を捧げても足りませんっ!

 毎日、レイシェルト様が今日もすこやかでありますようにと祈りを捧げているけれど、今日はひときわ感謝の気持ちがこもる。

 なんといっても今日は、とうばつから帰られたレイシェルト様のがいせんのお祝いと、おう様の誕生日のお祝いをねたとう会が開かれるのだ。招待状はサランレッド公爵家あてで来ているので私も出席するつもりでいる。というか、レイシェルト様のお姿を拝見できる貴重な機会をのがすなんてできないっ!

 はなれにもどったら、デッサンをながめて尊さにひたりきろう。光神アルスデウス様、レイシェルト様を無事にかんさせてくださって、本当にありがとうございます……っ!

 心の底からあふれ出す感謝の気持ちのままに祈りを捧げていると。

「まあいやだ。美しくここよい朝だったというのに……。誰かのせいで一気に台無しだわ」

 不意に背後から投げつけられた冷ややかな声に、幸せな気持ちから一気に現実に引き戻される。り返った先にいたのは、みずのための白い質素なドレスをまとった二つ下の妹、聖女であるセレイアとお母様、そしてお付きのじよ達だった。

 しまった……っ! 今日はいつもより遅かったから、さっさとお祈りして戻らなきゃいけなかったのに、つい感謝の気持ちが抑えきれなくて長居を……っ!

「お、おはようございます。お目よごしをして申し訳ございません……っ」

 あわてて立ち上がり、深々と頭を下げる。途端、二人にまとわりついていた黒いもやが足元からぶわっと立ち上った。

「あなたの声でさわやかな朝の空気をけがさないでちょうだい。穢らわしい邪悪の娘が!」

 お母様のけんに満ちたするどい声が、やいばのように心臓をつらぬく。顔を上げなくても、お母様の顔がぞうべついろどられているのがわかる。

「あなたがいるだけでしゆうただよってくる気がするわ! さっさと消え去りなさい! わたくしの大切なセレイアちゃんにまで穢れがうつったらどうする気なの!?」

「落ち着いてくださいませ、お母様」

 嫌悪をかくそうともしないお母様を、セレイアがやわらかな声で押し留める。まさかセレイアがお母様を止めてくれるとは思わなかった私は、おどろきに思わず顔を上げた。

 愛らしいおもににこやかなみをかべたセレイアが、自信に満ちた声をつむぐ。

「聖女であるわたくしが、みすぼらしい邪悪の娘に穢されるなんて、ありえませんわ」

「そうよね、セレイアちゃん! あなたは当代ゆいいつの聖女なんですもの! こんな穢れた娘なんてちりあくたも同じ! あなたが気にかける価値もないものね!」

 大きくうなずいたお母様が、そわそわと心ここにあらずといった様子で続ける。

「こんな娘のことより、今夜の舞踏会のたくを考えなくてはね! 聖女であるあなたと言葉をわそうと、よいも大勢の貴族達に囲まれるにちがいないもの!」

 セレイアといつしよに聖女のすうはい者達に囲まれ、しようさんの言葉を受けている様を想像しているのだろう。お母様の顔は喜びに輝いている。

「そうですわね。そのために、早く水垢離を終えなくては……」

 毎朝、水垢離で身を清めるのは、聖女や聖者が行う慣習のひとつだ。ちなみにこの神殿は、『サランレッド公爵家に特別な聖女が生まれるでしょう』と予言が下された際に、お父様が聖女である娘が労なく水垢離をできるようにと、わざわざ庭に建てさせたものだ。

 にっこりとお母様に同意したセレイアがぶつでも見るような視線を私へ向ける。

「いつまでいる気ですの? さっさと消えてくださらない? いくら祈ろうとも、邪悪の娘には光神アルスデウス様だって救いをくださらぬでしょうに。いい加減、自分の立場をわきまえたらいかが? まさか、今夜の舞踏会にも出席するつもりではないでしょうね」

「いえ、その……っ」

 とっさにうまい言い訳が出ない。かろうじてかぶりを振ると、二人から発される黒い靄が、へびのようにかまくびをもたげた。地面に引きたおそうとするかのように私の足元にからみつく。

「邪悪の娘が毎回毎回、王家の舞踏会に参加するなんて……っ! あなたにはしゆうしんというものがないの!? あなたの存在のせいで、わたくしとセレイアちゃんがいつもどれほどかたせまい思いをしているか……っ!」

 知っている。人目のある場所に行くたび、いつもどれほどの嫌悪と侮蔑のまなざしをそそがれるのか。見るのも嫌だとまゆをひそめる貴族達。聞こえよがしにささやかれる軽蔑の言葉。

「も、申し訳ございません……っ!」

 声を発するのを禁じられているのも忘れて謝罪するが、それでも欠席するとは決して言わない私に、お母様とセレイアのまなざしが刃のように鋭くなった。

「物わかりの悪い人ね! お母様はあなたに来られてはめいわくだとおっしゃっているの! もちろん、わたくしも!」

 セレイアの言葉が矢のようにどすどすと心を貫く。

 私自身は、お母様のこともセレイアのこともきらいじゃない。むしろ、あちらさえ許してくれるなら、家族として仲良くしたいと思っている。お兄ちゃんしか兄弟がいなかった私は、前世では妹がいてくれたらなぁ、と何度も夢想したものだ。

 でも、邪悪の娘と呼ばれる私が親しくすることがお母様やセレイアの迷惑になるというのなら、離れてひっそりと暮らすのが一番よいということもわかっている。幸か不幸か、お荷物あつかいされて家族の中でさげすまれるのは、前世のころから慣れているし。それに、私をおじようさまと呼んで世話を焼いてくれるマルゲがいてくれるというだけで、ここは天国だ。

 今世でも、レイシェルト様というしを見つけられたし!

 だから、お母様とセレイアには申し訳ないけれど、生レイシェルト様のご尊顔を拝見できる舞踏会だけは、何と言われようと逃すことはできないのだ。

 だって推し様が同じ空間で呼吸して動いてるんだもの。私は会場のかべぎわっ立っているだけだけど、レイシェルト様と同じ屋根の下で同じ音楽をけるなんて……っ!

 その幸福に比べたら、貴族達から投げつけられる侮蔑の視線や悪口だって、何ほどのこともない。お上品な貴族様だから、実力行使におよぶ人なんていない点も安心だ。

 私が上の空であることに気づいたのか、お母様がいらいらと声を上げる。

「ちゃんと聞いているの!? あなたは出席しないでと言っているのよ! 確かに招待状はサランレッド公爵家宛に来ていますけれど、わたくしは邪悪の娘などを公爵家の一員として認めるつもりなどありませんからね!」

 いかりのままみにじるように一方的に言い捨てたお母様が、セレイアをうながして神殿へと進んでいく。これ以上、言葉を交わすことも嫌だと言わんばかりに。

 二人には申し訳ないけれど、舞踏会に行かないなんてせんたくはありえない。久しぶりにレイシェルト様のお顔を見られるんだもの。せめてみすぼらしくないように準備しなくちゃ。

 私の存在など消し去ったかのようにふるまうお母様達につきんと胸が痛むのを感じながら、私はマルゲが待つ離れへときびすを返した。

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