第二章 推し様と思いがけない急接近!?⑤

 大広間を照らすいくつものシャンデリア。まるでここだけ夜がおとずれていないような明るくきらびやかな空間を彩るのは、かんげん楽団の美しい調べ。中央ではせいそうした男女がゆうおどり、貴族達のひそやかなおしゃべりが鳥の羽のように漂う──。

 王城の舞踏会場は昼かとさつかくするほどのまばゆさだった。

 会場に入ってからずっと、私の視線が追いかけているのは、もちろんレイシェルト様だ。

 高貴さとしさがえも言われぬ調和をなしたたんせいなお顔。太陽の光をかし込んだようなごうしやな金のぐしに、ひとみの色に合わせたい青の盛装がよくえて、りんとした立ち姿はまるでめいしようが手がけた大理石像のよう。けれども、柔らかな笑みをたたえた口元はひとがらおだやかさと高潔さを示していて……。

 ああっ、こうごうしすぎて目がくらみそう。まぶしすぎて正視できないけれど、でもいつまでも見つめていたい……っ! 『よどみのけもの』のとうばつから凱旋されたと聞いたけれど、おがなかったようで本当によかった……っ!

 何百年も昔、勇者がじやしんディアブルガをふういんした際、邪神の身体からだ数多あまた欠片かけらとなって、あちらこちらに飛び散ったのだという。

『邪神の欠片』はふだんは何のへんてつもない石ころのような物だけれど、近くで多くの血が流れたり、負の感情が高まったりすると、それを吸い込んで活性化して『澱み』を周囲にき散らすらしい。澱みは周囲の草木をらしたり、それを吸い込んだ動物や人間をきようぼう化させたりして、さらに多くの澱みを発生させようとする。

 これがり返されこうのうの澱みが邪神の欠片に集まると、欠片がかくとなり『澱みの獣』と呼ばれる黒い靄を放つおぞましい獣の姿をとるのだ。

 私の目には、人の負の感情が黒い靄として見えるけれど、澱みの獣ほどの高濃度になると、だれの目にも見えるようになる。また、高濃度の澱みを身に受けた者はくろかみや黒目に変じることもあるらしい。だから黒髪や黒目がまれているのだ。

 決して邪神が復活することがないように澱みの獣を討伐するのが、勇者の血を受けぐ王族と、澱みを散らす力を持つ聖女や聖者達の務めのひとつだ。

 聖女や聖者が澱みを散らし、光神アルスデウス様の加護を宿す王族が欠片をかいすることで、ようやく澱みの獣をめつすることができるのだ。今回の討伐には、セレイアではなく聖者がレイシェルト様に同行したそうだ。

 というか、セレイアが討伐に同行したことは一度もないらしい。

こうしやく令嬢であるわたくしがそのような危険な場所に行くなんて、ありえませんわ!』

 と、本人がきようこうきよしているし、どんな危険があるかわからぬ場所に公爵令嬢を連れて行って何かあっては、と王家や団も考えているのだろう。それに、聖女の務めは澱みの獣の討伐だけじゃない。二十日ほど後に行われる王家しゆさいの『祓いのしき』では、セレイアが重要な役目を果たすと聞いている。

 祓いの儀式の直前に行われる神前試合では、今年もレイシェルト様の勇姿を拝見できるのよね……っ!

 私はレイシェルト様に視線を向ける。今レイシェルト様がにこやかにだんしようされているお相手は、本日のもうひとりの主役であるおうのミシェレーヌ様だ。

 レイシェルト様の実のお母様は十年前に病でごせいきよされており、ミシェレーヌ様は九年前に国王陛下ののちえとなられたまだ二十代半ばのお若い王妃様だ。

 レイシェルト様とミシェレーヌ様の間には、今年で五歳になられたはらちがいの弟、第二王子のティアルト様がいらっしゃって、はたから見ると若いふうに見えないこともない。

だいじようかい? ティアルト。ねむくなったのならそろそろ下がるかい?」

 とティアルト様に向けられたレイシェルト様の微笑ほほえみは、あいに満ちている。

「まだ大丈夫だもん! 僕だってもう五歳なんだから!」

「あらあら、ティアルト。でも、無理をしてはだめよ?」

 おたがいに親愛に満ちた微笑みをわし合っている姿は、思わず五体投地してあがたてまつりたくなるほど尊い。

 レイシェルト様のお声に聞きれている私の耳に、不意に『きみを危ない目にわせはしない』と告げた昨日の青年の声がよみがえる。

 やっぱりあの声、レイシェルト様にほんと似てた……っ! もしレイシェルト様にあんなことを言われたら、興奮のあまり脳みそが融けてしまいそうだ。

 でも、今はレイシェルト様自身をたんのうしなきゃ!

 と、レイシェルト様達のそばに、美しくかざったお母様とセレイアが歩み寄る。

「レイシェルト殿でん! このたびのがいせんまことにおめでとうございます! わたくし、殿下のご無事を毎日いのっておりましたのよ。王妃様もお誕生日、おめでとうございます」

 公爵家という家格に加え、男性の聖者は何人かいるものの聖女としては現在ゆいいつの存在であるセレイアは、とう会などの機会があるごとに、王家の方々と親しくかんだんしている。

 ちなみに私は、レイシェルト様と直接お言葉を交わしたのは、二年前の成人のえつけんの日、たった一度だけだ。でも、もし機会があったとしても、お言葉を交わすなんておそれ多いこと、できる気がしない。ただこうして遠くからレイシェルト様のうるわしいお姿を拝見させていただければ、それだけで十分だ。

 レース編みで自作したリリシスの花のモチーフをつけたせんかげから、セレイアと話すレイシェルト様のお姿を見つめていると、すぐ近くからひそひそとささやく声が聞こえてきた。

「まあ、ご覧になって! あんなにセレイア様をにらみつけて、なんておそろしい……っ!」

「よく顔を出せるものね。わたくしでしたら、おのれの身をじて、おおやけの場になんて出てこられませんわ。王妃様も邪悪の娘などに祝われたくないでしょうに……。ああけがらわしい」

「セレイア様もお気の毒に。血を分けた姉が邪悪の娘だなんて……」

 聞き慣れたべつけんの囁き。声の主は寄り集まった数人のれいじよう達だった。ちらちらとこちらをうかがいながら放たれる言葉は、私にも聞こえるように言っているのが明らかだ。

 ずきりと針がさったように心臓が痛くなる。

 公の場に出るたび、何百回と言われ続けているぼう。慣れているけれど、心が痛まないわけじゃない。けれど、言い返せばもっと悪いことが起こるのは、経験でわかっている。

 大丈夫。今の私はちゃんと対処方法を知っている。レイシェルト様のお姿を見れば、心の痛みなんてあっという間に……。

 いつの間にか下を向いていた視線を上げた私は、レイシェルト様とティアルト様のお姿が見えないことに気がついた。どうやら場を外されているらしい。

 レイシェルト様がいらっしゃらないなら、ここにいる意味なんてない。外の空気を吸って、気分てんかんをしてこようと、令嬢達に背を向け、がいろうへ通じる硝子ガラスとびらを押し開ける。

「まあっ、邪悪の娘がげ出したわ」

「このままもどって来なければいいのに」

 くすくすと笑いながら追いかけてくる言葉をさえぎるように後ろ手に扉を閉め、ふぅっと大きくためいきをつく。

 大丈夫。さげすまれるのは前世から慣れてるんだから、これくらい何ともない。それより、よいのレイシェルト様のらしさよ! いつだって凛々しくて素敵だけれど、今宵もまた格好よかった……っ! のうに思いえがくだけで、ぎゅんぎゅん元気がいてくる。

 外廊は無人だった。かべぎわに一定かんかくしよくだいともされているのに加え、はなやかなホールかられる明かりのおかげで、がく模様に配置された大理石の素晴らしさも、外廊の手すりのさらに向こうに広がるよく手入れされた庭の見事さも不自由なく見える。

 春の夜風は、広間の熱気でった身体を冷やすにはちょうどいい。レイシェルト様がお戻りになったのが見えたら、私も中へ戻ろう。

 中が見えやすい窓はどれだろうと、ちらちらと広間をうかがいながら歩いていると。

 角にさしかかったところで、どんっと勢いよく誰かにぶつかった。

「ひゃっ!?」

 しようげきをこらえきれず、ぺたんとしりもちをついてしまう。そのひように手に持っていた扇子がかつんと落ちた。ぶつかった勢いを殺しきれなかったのだろう。ふわりと広がったいつちようのドレスの上にのしかかってきたのは。

 やわらかそうな金のかみれたもものようなぷっくりとしたほっぺ。背中に天使の羽が生えていないのが不思議なほど愛らしい顔立ちの──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る