第二章 推し様と思いがけない急接近!?⑥

「ティアルト、殿下……?」

 レイシェルト様の腹違いの弟であるティアルト様だった。

「ご、ごめんなさいっ!」

 ティアルト様があわてふためいて身を起こそうとする。手をついてわたわたと顔を上げ、私の顔を見たたん

「わ──っ! 邪神の使いだ──っ!」

 きように満ちたさけびが夜気を切りく。あわてて逃げようとしたティアルト様が、たっぷりとドレープが取られたドレスの布地にすべって、また転びそうになる。

 反射的に手をばそうとすると、ふたたび「わーっ!」と叫ばれた。

 令嬢達の陰口なんて比じゃないくらいに、ざっくりと心が裂ける。

 そうだよね。小さい子にとったら、じやあくむすめなんて化け物も同じ。

 思わず、くちびるみしめたしゆんかん

「ティアルト!?」

 聞きちがえようのない美声とともに、外廊の角からあわてた様子で姿を現したのは、レイシェルト様だった。

「うぁあんっ! 兄様~っ! 邪神の使いが……っ!」

 え、うそ? なにこれ現実?

 とつぜんし様の出現に固まった私をよそに、ようやく立ち上がったティアルト様がなみだぐみながら兄のもとへとけて行く。しがみついてきた幼い弟をぎゅっとやさしくきしめたレイシェルト様が、ちらりと私を流し見て、形良いまゆをきゅっとひそめた。

 よりによってレイシェルト様と大切な弟様にごめいわくをおかけしてしまうなんて、叱責されたらどうしよう……っ!

 おそい来る痛みと衝撃にえるべく、ぎゅっと固く目をつむり、唇を噛みしめていると。

「……ティアルト。彼女は邪神の使いなどではないよ。れっきとしたごれいじようのひとり、エリシア・サランレッド公爵令嬢だ」

 優しくなだめる声が、さやかに夜気をらす。レイシェルト様に名前を呼ばれたと思うだけで、ぱくんと心臓がねる。

「エリシア嬢。ティアルトが大変な失礼をした。はないだろうか?」

 思いがけなく近くで聞こえた声に、おどろいて目を開ける。ティアルト様をこしにしがみつかせたまま、レイシェルト様がづかうような微笑みをかべ、身をかがめて私に手を差しのべてくださっていた。もう片方の手には、私が落とした扇子がにぎられている。

 お兄様にしがみつくティアルト様と、守るようにぎゅっと抱きしめたレイシェルト様とのツーショットは思わずかんの叫びを上げそうになるほど素晴らしい。じゃなくて!

「だ、だだだだだだいじょうぶですっ!」

 ななななっ、なにこれナニコレ!?

 はじかれたように自分で立ち上がって扇子を受け取り、深々と頭を下げる。

「わ、私こそ、ティアルト殿下を驚かせてしまい、大変申し訳ございませんでした!」

「いや、ティアルトが走っていたせいできみにぶつかってしまったのだろう? 非はこちらにある。どうか謝らないでほしい」

「いえっ! 私もよそ見をしていたので悪いのは私です! 本当に申し訳ございません! 怪我などしておりませんので、どうぞ、お気になさらないでくださいませ……っ!」

 きんちようのあまり、自分でもちゃんと話せているのかわからない。とにかく、ティアルト様には何ひとつ非はないのだとお伝えしたくて、必死で言葉をつむぐと。

「エリシア嬢は優しいのだね」

 とおだやかな声が降ってきた。

 レイシェルト様に名前を呼んでいただいていると思うだけで、感激のあまり涙があふれてしまいそうで顔を上げられない。

 しかも、私を邪悪の娘とののしらず、気遣ってくださるなんて……っ! あなたが神かっ! そうですっ、私のおしでしたっ!

「だが、兄として非礼をのがすわけにはいかないからね。ティアルト。お前もちゃんと謝りなさい」

 レイシェルト様がうながした途端、せた視界のはしに黒いもや揺蕩たゆたい、思わず顔を上げる。

 黒い靄を発しているのは、ぎゅっとレイシェルト様の服をつかみ、半分以上、身体からだかくしているティアルト様だった。

 か、かわいい~っ! この愛らしいお顔をうれいにしずませたままほうっておくなんて無理!

「レ、レイシェルト殿でん、よいのです。どうぞ、私のことなどお気遣いなく……っ! 邪悪の娘と嫌悪されることなど慣れておりますし……」

「だが、エリシア嬢は実際に邪神をすうはいしているわけでも、人々に害をあたえているわけでもないだろう?」

「え……っ?」

 驚きに、まじまじとレイシェルト様の顔を見る。

 そんなことを言ってくれた人なんて、マルゲを除けば今までひとりもいなかった。黒い髪と黒いひとみを見るだけで、家族でさえも私を邪悪の娘だと信じきっていたのに……。

「国を導く者として、自分の目で確かめたわけでもない中傷を信じて、人を傷つけていいはずがない。さあ、ティアルト。エリシア嬢に謝罪を」

 レイシェルト様が前へ引き出そうとするが、ティアルト様はいやいやと首を横にって、逆にぎゅうっと服を掴んでレイシェルト様の背中へ顔を押しつける。大好きなお兄様にしかられて哀しいのか、それとも邪悪の娘がこわいのか、ティアルト様の小さな身体からは、黒い靄がどんどんあふれ出している。こんな状態を放っておけるわけがない。

 私は一歩み出すと、ティアルト様と顔の高さを合わせるように屈む。

「ティアルト殿下は、邪神をふうじられた勇者の血を受けいでらっしゃるのでしょう?」

「そ、そうだよ……っ!」

 急に話しかけられたティアルト様のかたがびくりとふるえる。だが、王家の一員であるほこりがちんもくを許さなかったのだろう。まだ顔を背中に押しつけたままだが、きっぱりとした声が返ってくる。

「私は邪悪の娘と呼ばれておりますが……。どうでしょう? 立派なきばが生えていたり、するどかぎづめを備えていたりしていますか?」

 おずおずと顔をのぞかせたティアルト様は、私と目が合った瞬間、ぴゃっと巣穴に引っ込む子うさぎみたいにレイシェルト様にしがみつく。

「う、ううん……。何もついていない……」

「おっしゃる通り、私は髪と目が黒いだけで、あとはほかの方と特に変わりません。勇者の血を引かれるティアルト殿下は、ふつうの女性がおそろしいのですか?」

「こ、怖くなんかないよっ!」

 あえてちようはつ的な声で問うと、打てばひびくような答えが返ってきた。レイシェルト様のかげから顔を出したティアルト様が、勝ち気そうに私をにらみつけている。

「さすが勇者の血を受け継ぐ王子様でいらっしゃいますね!」

 めちぎると、だが、へにょんとティアルト様の眉が下がった。

「……本当に、何も怖いことしたりしない……?」

「いたしませんよ。ですが……。ティアルト殿下におまじないをかけることはできます」

 優しく微笑ほほえんで告げると、ティアルト様がこてん、と愛らしく小首をかしげた。

「おまじない……?」

「はい。ティアルト殿下に悪いことが起こらないようにと。勇気がおありでしたら、ためされてみますか?」

 そっと右手を差し出すと、

「こ、怖がったりなんてしないよ! 僕はいつか勇者になるんだから!」

 ふんすっ、と勢いよく鼻を鳴らしたティアルト様が、小さな手を私の手のひらに重ねた。

「では、少し失礼いたしますね。目を閉じて、大切な方のことを思い浮かべてください」

 促されたティアルト様がなおに、でも少し不安なのだろう。もう片方の手でしっかりとレイシェルト様の服を掴んで目を閉じる。その愛らしさに心がほぐされていくのを感じながら、ティアルト様の頭をそっとでて、いつものおまじないの時のように黒い靄をはらう。

「ティアルト殿下と殿下の大切な方々に幸せが来ますように……」

「っ!? きみは……っ!?」

 しゆんかん、レイシェルト様が鋭く息をんだ音が夜気を震わせ、はっとする。

 し、しまった! あまりにティアルト様がお可愛かわいらしくて、つい頭をなでなでしたけど、王子様を撫でるなんて不敬すぎてレイシェルト様にあきれられてしまったかも……っ!

「あ、あの! これは……っ」

 うまい言い訳が見つからず、おろおろと視線をさまよわせると、うれしそうな声が目の前で上がった。

「わぁっ! 怖いのが飛んでった気がする……っ! あっ! こ、怖くなんかなかったんだからねっ!」

 あせあせと首を横に振ったティアルト様が掴んでいた服を放し、ぴょこりとおじぎする。

「その……。ぶつかって、大きな声を出してごめんなさい……」

「とんでもないことです。私もよそ見していたので、おたがい様ですね」

 可愛い……っ! 天使がここにいる……っ! 脳内で天上のかねがりんごーん♪ と鳴り響くのを感じながら、視線を合わせてにっこりと微笑み合う。

「ちゃんと言えたね、ティアルト。さすが、勇者の血を引く強く正しい子だ。他人の言にまどわされず、ちゃんと自分の目でへんけんなく見ることは、とても大切なことだよ」

「えへへぇ~」

 よしよしとお兄様に撫でられたティアルト様が、とろけるようなみをかべる。

 と、尊い……っ! 兄弟愛がまぶしすぎて、目がつぶれそう……っ!

 今にもしようてんしそうな心を引き留め、至高の光景を目に焼きつけていると、ティアルト様がレイシェルト様を見上げた。

「僕、ちゃんとエリシアじようにおびしたいな! でも、どうしたらいいかな……?」

 ティアルト様の問いかけに、ちらりとレイシェルト様が私を流し見る。

「そうだね。なら、今日のお詫びもねて、後日、エリシア嬢をお茶会にさそうというのはどうだろう? もちろん、義母ははうえにもご出席いただいてね」

 …………はい?

 いま何とおっしゃいました……? 信じがたい言葉が聞こえてきたんですが……っ!?

「わあっ、素敵! 僕がしゆさいしてもいいっ!? 僕、まだ主催したことないんだもん!」

「ああ。個人的な小さなお茶会だからね。ティアルトにとってもよい練習になるだろう」

「やったあ! あのね、僕食べたいおがいっぱいあるんだ……っ!」

 お二人の笑顔がまばゆすぎて、話してる内容がひとつも耳に入ってこない。

「というわけで、エリシア嬢。きみをお茶会に招待したいんだが……」

「い、いえ、私なんてそんな……っ! どうぞおづかいなく……っ」

 お茶会なんておそれ多すぎる。今でさえし様と会話しているというせきに心臓がこわれそうなのに、お茶会なんて出席できる気がしない。何より、じやあくむすめである私なんかが、おう様やティアルト様といつしよにお茶をいただくなんて、とんでもないことだ。

「エリシア嬢」

 失礼のない断りの言葉をなんとかひねり出そうとする私の心を、レイシェルト様の微笑みがく。レイシェルト様が私だけに微笑みかけてくださるなんて……っ!

「きみが来てくれたら嬉しいのだけれど、受けてくれるかい?」

「は、はいっ! 喜んで……っ!」

 私の意思とは裏腹に、口が勝手にりようしようの言葉を告げる。

 無理ぃ~っ! レイシェルト様にこんな風に問われていなと答えるなんて、天地がひっくり返っても不可能だよ~っ!

「では、近日中に招待状を送らせてもらおう。……お茶会を、楽しみにしているよ」

 たんせいおもに笑みを浮かべたレイシェルト様が、ティアルト様を促してきびすを返す。私は、気を失わないように必死でこらえながら、頭を下げて見送ることしかできなかった。そのまま、ぼうぜんと立ちくす。

 え……? 今のって、夢……?

 いまだにばくばくとどうが治まらない胸を手で押さえ、深呼吸する。

 邪悪の娘である私なんかの名前をレイシェルト様が覚えてくれていただけでもしようげきなのに、お茶会なんてありえない。第一、さげすまれている邪悪の娘を招いたとなれば、お二人の評判に傷がつく可能性もある。推し様にごめいわくをかけるなんてファン失格なのに、こんな夢を見るとは私の鹿──っ!

 はっ! きっとあれね。レイシェルト様がよどみのけものとうばつに行かれていた間、心配で仕方がなかったから、無事なお姿を拝見したあんのあまり、思考が変な方向にいってしまったにちがいない。そうに決まってる! となったら、しっかりレイシェルト様のお姿を目に焼きつけて、変なもうそうなんてかないようにしておかなくっちゃ。

 うんうん、とうなずき、ろうの窓しにそっと広間の中をうかがう。入れ代わり立ち代わりがいせんのお祝いに来る大勢の貴族達にうるわしい笑顔で対応するレイシェルト様を見つめていると、とう会が終わるまではあっという間だった。

 あまりぐずぐずしていては、また貴族達にべつの言葉をき捨てられる。

 名残なごりしいけど、さっさと貸し馬車で帰ろうときびすを返した私は、不意に声をかけられた。

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