第二章 推し様と思いがけない急接近!?⑦

「エリシア嬢! こんなところにいたのか」

「あ、ジェイスさ……、ジェイス様」

 聞き覚えのある声におどろいてり返った私は、反射的に口から出そうになった呼び方を修正する。

 足早にこちらへ歩み寄ってきたのは、町人街の警備隊長を務めているエランドはくしやく家のちやくなんであるジェイスさんだった。

 貴族街は団のひとつが、町人街は隊長格の数人の騎士と警備兵の町人達とで組織された警備隊が治安になっている。ジェイスさんは二十一歳の若さで警備隊長を務めている実力派の騎士だ。たよりがいがあってめんどうがいいだけでなく、い茶色のかみと同じ色のひとみの野性的なイケメンなので、ジェイスさんにおもいを寄せている女性は多いらしい。

 なぜ私がジェイスさんのことを知っているかといえば、まじない師のエリとしてヒルデンさんのお店に顔を出しているうちに、知り合いになったからだ。

 が、今の私はまじない師のエリじゃなく、エリシア・サランレッドだ。公爵令嬢のエリシアとは、たまにあいさつわす程度で、ほとんど面識がないはずなのに……。それに、王城の舞踏会なんて出るのが面倒だっていつも言っているのに、今夜はどうしたんだろう?

 疑問に思い、そういえば澱みの獣の討伐にジェイスさんも参加していたのだと思い出す。凱旋を祝う舞踏会となれば、さすがに欠席できなかったに違いない。

「ジェイス様。このたびは澱みの獣の討伐の凱旋、まことにおめでとうございます」

 いつもの警備隊長の制服と違い、舞踏会らしいきらびやかなしように身を包んだジェイスさんに、スカートをつまんで深々とこうべを垂れる。今日のジェイスさんを町人街の女性達が見たら、あちらこちらで黄色い悲鳴が上がるんだろうなぁ……。いや、町人街の女性達だけじゃない。貴族のご令嬢達だって、あこがれのまなざしでジェイスさんを見つめている。

「エリシア嬢からお祝いの言葉をもらえるなんて、格別だな」

 ジェイスさんのはずんだ声に、別の声が重なる。

「お兄様っ! わたくしを放っていくなんて、どういった了見ですの!? 今日はわたくしをエスコートしてくださるお約束でしょう!?」

 ジェイスさんに並んだのは、ジェイスさんとよく似たはっきりした顔立ちの美少女だ。ジェイスさんの妹であるマリエンヌ嬢の登場に、私はあわててもう一度頭を下げる。さすがに知り合いの身内にけんの目で見られるのはえんりよしたい。

「申し訳ございません。これにて失礼させていただきます」

 ジェイスさんが私に声をかけた理由はわからないけれど、邪悪の娘と話しているところをほかの貴族に見られたら、ジェイスさんまで悪く言われかねない。そんなのは絶対にいやだ。そそくさと去ろうとすると。

「待ってくれ! エリシアじよう!」

「お待ちになって!」

 ジェイスさんとマリエンヌ嬢に同時に引きとめられた。

「エリシア嬢のせんについているそのレース編みの花かざり……」

 ジェイスさんを押しのけるように前へ出たマリエンヌ嬢が私の手元をのぞき込む。そのマリエンヌ嬢が手に持った扇子にれているのは……。

 私が編んだリリシスの花飾りだ──っ!

 えっ、どうしてヒルデンさんのお店でしか売っていない花飾りをマリエンヌ嬢が持ってるの……っ!? っていうか、リリシスの花を扇子に飾ってらっしゃるなんて、もしやマリエンヌ嬢もレイシェルト様推しっ!? ううん待って。まだそうと決まったわけじゃないもの。落ち着いて私……っ。

 めまぐるしく思考をめぐらせる私にマリエンヌ嬢がさらに身を乗り出す。

「もしかして、お兄様からおくられましたのっ!?」

「えぇっ!? い、いえ、これは自分で……っ!」

 思いがけない問いかけに驚いて答えると、たんにマリエンヌ嬢の顔にらくたんが広がった。

「そうなんですの……。もしかして、お兄様が贈ったのではと期待しましたのに……」

 ということは、マリエンヌ嬢の花飾りはジェイスさんの贈りものなんだろう。私が作ったものを妹さんへのプレゼントにしてもらえるなんて、光栄だ。もしマリエンヌ嬢がレイシェルト様推しだったら、この世界で初めての推し友ができるかもって期待したけど、身に着けてもらえるだけでもなおうれしい。

 私とマリエンヌ嬢の間にあせった様子でジェイスさんが割って入る。

「おいっ、マリエンヌ! お前ちょっと口閉じてろっ! エリシア嬢になんてことを聞くんだっ! 馬鹿なことを言ってると、もう二度と買ってこないぞ!」

 おほん、と取りつくろうようにせきばらいしたジェイスさんが私に微笑ほほえみかける。

「エリシア嬢。もうお帰りですか?」

 マリエンヌ嬢より一歩前に出たジェイスさんが、私に問いかける。

「はい。そうですけれど……?」

 頷くと、ジェイスさんが緊張した面持ちでごくりとつばを飲み込んだ。

「だったら、その──」

「まあっ! いけませんわ! 大罪人であるじやあくむすめなどと言葉を交わしては、ジェイス様までけがれてしまわれます! そうなっては、エランド伯爵様に顔向けできませんわ!」

 ジェイスさんの声をさえぎって、お母様の金切り声がひびく。「あ……」とかすれた声をらして身をこわらせた私より早く、お母様とその後ろに立ってこちらに侮蔑の視線を向けるセレイアに向き直ったのはジェイスさんだった。

「サランレッド公爵夫人。大罪人とはどういう意味ですか? エリシア嬢は罪などおかしていませんが」

 ジェイスさんがお母様の視線から私をかばうように前に立つ。が、お母様は引かない。

「先ほど、ご親切な方がわたくしにお教えくださったのですわ! 邪悪の娘がティアルト殿下におを負わせそうになったと……っ! 尊き王家の方を傷つけようとするなんて、なんという大罪を……っ!」

 お母様の言葉に血の気が引く。私とティアルト様がぶつかったところを見ただれかが、お母様にご注進したのだろう。

「この娘は邪悪の娘どころか、めつの娘よ! お前なんかのせいで、かがやかしいサランレッド公爵家の名に傷が……っ!」

 いかりにふるえるお母様が両手でにぎりしめた扇子が、みしりときしむ。人目のあるところでこれほどげつこうするなんて、お母様のげきりんにふれてしまったに違いない。

「も、申し訳……っ」

 謝っても許してもらえないに決まっている。それでも謝ることしかできなくて、震えながら頭を下げようとしたしゆんかん

「いったい、これは何のさわぎかな?」

 すずやかな美声が割って入る。お母様や私に集まりつつあった人々の視線を一身に受けて歩み寄ってきたのは、レイシェルト様だ。レイシェルト様のお姿を見た途端、お母様がけ寄って頭を下げる。

「レイシェルト殿でん! いくらおびを申し上げても足りませんっ! 邪悪の娘がティアルト殿下にとんでもないことを……っ! この娘をろうに入れてお気が済むのでしたら、どうぞとうごくしてくださいませ!」

「投獄?」

 いぶかしげな声と、「投獄」というおんな言葉に、お母様にならって頭を下げた身体からだがびくりと震える。そのまま顔を上げられないでいると、レイシェルト様の美声が降ってきた。

「公爵夫人。何か誤解があるようだが、エリシア嬢はティアルトに何もしていない。むしろ、ティアルトがエリシア嬢にめいわくをかけたほどだ。謝罪など不要だ。それより──」

 レイシェルト様の声が低くしずむ。

おのれの娘を邪悪の娘呼ばわりするばかりか、『投獄してよい』と言い放つとは……。感心しないな」

「っ!」

 冷ややかな圧を込めた声に息をんだのは、私か、それともお母様達か。と、かつりとくつおとが響いたかと思うと、大きくあたたかな手に右手を取られる。

「エリシア嬢。どうか顔を上げてほしい。きみが詫びる必要などないのだから」

 おずおずと顔を上げた瞬間、レイシェルト様のやわらかなみが視界に飛び込んできて、気を失いそうになる。

 うるわしの笑顔がこんな近くに……っ!? ときめきすぎて、目を開けたまましようてんしそうっ!

「先ほどはティアルトが失礼をしたね。お茶会の時にお詫びをさせてもらえると嬉しいのだけれど」

「い、いえ……っ」

 あわててかぶりをろうとすると、私の声を遮るようにお母様が金切り声を上げる。

「殿下っ!? 邪悪の娘をえあるお茶会に招待なさるとおっしゃるのですか!?」

「ああ、わたしではなくティアルトが、だけれどね」

 レイシェルト様の言葉に、周りの貴族達までがざわめく。いいことを思いついたとばかりに声を上げたのは、だまって様子をうかがっていたセレイアだ。

「レイシェルト殿下、お願いがございます。これまでお茶会に出た経験などない姉は、れい作法がこころもとないのです。ましてやお招きいただいているのはティアルト殿下のお茶会。きっと心の中ではそうをするのではないかと不安に思っていることでしょう。妹として、ぜひとも姉についてあげたいのです。わたくしもいつしよに行かせていただけませんか?」

「セレイアちゃんの言う通りだわ! ここはセレイアちゃんとわたくしが出席して、ティアルト殿下に重々お詫び申し上げなくては……っ」

 セレイアの言葉に、お母様が光明をいだしたかのようにはずんだ声を上げる。けれど。

「姉を思うセレイア嬢の気持ちはわかるが、今回のお茶会のしゆさいはあくまでもティアルトでね。わたしが勝手に招待客を増やしては、ティアルトにねられてしまう」

 くすり、とレイシェルト様がたんせいおもれずにはいられない笑みをかべる。

「というわけで、今回は遠慮願いたい。その代わり、エリシア嬢はわたしが責任をもって見守ろう。それとも、わたしでは大切な姉上を任せるのに不足かな?」

「い、いえっ! 決してそんなことは……っ!」

 ふるふるとはじかれたようにセレイアがかぶりを振る。

「では、決まりだね。エリシア嬢、お茶会への招待を受けてもらえるかな?」

「は、はい、もちろんです! ばんなんはいして出席させていただきます!」

 レイシェルト様が改めてさそってくださったのは、お母様達を引き下がらせるためだろう。

 さっきのは夢じゃなかったんだと、うろたえると同時に、レイシェルト様の意図を察してていねいにおじぎする。

「ありがとう、嬉しいよ。では、馬車のところまで送ろうか?」

「い、いえ、だいじようです! レイシェルト殿下にお手間をおかけするわけには……っ!」

 これ以上一緒にいたら尊さで気絶しちゃいますからっ!

「では、じよに案内させよう」

 レイシェルト様の言葉に、すぐさま王城のお仕着せを着た侍女が歩み寄ってくる。侍女に引きわたされる寸前、不意にレイシェルト様が一歩み出した。端整な面輪が近づき。

「今日は、きみを泣かせることにならなくてよかったよ」

 あんに満ちた美声がでる。おどろき、振り向いた時にはもう、レイシェルト様は身をはなしていた。

 とっさにのうをよぎったのは、二年前のほんのわずかな時間のやりとり。もしかして、さっき割って入ってくださったのも、その時のことを覚えていてくださったから……?

 ちらりと振り返ると、レイシェルト様の柔らかな笑みと視線が合う。それだけで、ぱくりと心臓がね、私はあわてて前に向き直った。ここにはお母様達だけでなく、ジェイスさんやマリエンヌ嬢、ほかの貴族達だっている。そんな中、レイシェルト様につまらない問いかけなんてできない。

 っていうか、今日はし様成分が供給過多すぎて、これ以上は尊さにばくはつしちゃうっ!

 今夜のことは一生のおもい出として、脳内に刻み込もう。

 ともすれば、思い出して「尊い……っ!」と五体投地したくなるしようどうをこらえながら、私は案内の侍女の後を追いかけた。

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