第二章 推し様と思いがけない急接近!?⑧

「推し様の言葉についうなずいちゃったけど、本当に行っていいのかしら……?」

「おい、百面相してるけど、大丈夫か? 何かなやみでもあるんなら俺が聞くぞ?」

 とう会の六日後。ヒルデンさんのお店のテーブルではぁっと大きなためいきをついた私は、不意にかけられたジェイスさんの言葉に、「ほえ?」と間のけた声を上げた。

 悩んでいたのはティアルト様のお茶会についてだ。舞踏会から日がつにつれ、やっぱりあれは私のもうそうだったんじゃ……? と思い始めたところに昨日招待状が届いて、現実だときつけられたのだ。その場では勢いに呑まれて約束してしまったけれど、邪悪の娘がお茶会に出席したら、貴族達がいい顔をしないに決まっている。

 理性は断るべきだと言っている。けれど、レイシェルト様やティアルト様の笑顔を思い浮かべると、どうしても断りの手紙を書く手が止まって……。ぐるぐると思考が同じところをめぐってしまうのだ。

 でも、フードとヴェールがあるから、鼻から下くらいしか見えないはずなのに、どうしてジェイスさんは私の表情がわかったんだろう?

 不思議に思っている間に、テーブルの対面の空いているに座ったジェイスさんが身を乗り出す。今日のジェイスさんはいつもの警備隊長の制服だ。こしいたけんが動きに合わせてかちゃりと鳴った。

「どうした? 悩みがあるんなら聞くぞ?」

 きっとこういうめんどうのいいところもジェイスさんがモテる理由なんだろうなぁ……。

「ジェイスさんったら。悩みを聞くのは私の仕事ですよ! 仕事を取られちゃ困ります」

 マルゲ以外に心配されたのがしんせんで、ふふっと笑みがこぼれてしまう。同時に、正体をかくしている罪悪感に、胸の奥がつきりと痛んだ。

 ヒルデンさんもお客さんもみんないい人で、推し活の資金かせぎのためだけじゃなく、まじない師のエリとしての時間は、今やかけがえのないものになっている。けれど、それは私がじやあくむすめだと知らないからだ。知ればきっと、きよを取られるにちがいない。

 私の言葉にくすりと笑みをのぞかせたジェイスさんが、すぐに真面目まじめな顔になる。

「大丈夫っていうやつほど、かげで無理してたりするんだよ。さっきだって、何か思い悩んでる風だったし……。ほんとに何か困りごとがあるんじゃないのか?」

「い、いえっ、さっきのは……」

 じようを隠している以上、悩みをなおに話せるわけがない。私はあわてて話題を変える。

「そ、それよりジェイスさんこそどうしたんですか? 今日はいつもより顔を出してくれるのがおそかったですし、こんな風に座ってのんびりおしゃべりしてるなんて……。何か相談事があるんじゃないですか?」

 しよくぎようがら、ジェイスさんはこの辺りのお店をじゆんかいしている。こんな風に親しく話すようになったのも、何度も会っているうちに顔見知りになったからだ。

「私でよければ聞きますよ? お役に立てるかどうかはわかりませんけれど……」

 ジェイスさんからは黒いもやは見えないけれど、靄となるほど負の感情がたまっていなくても、うつくつが散り積もっているという可能性もある。

 はらえるものがなかったら私なんて役立たずだけど、でもを聞くくらいならできる。

「もちろんタダでいいですからね! ジェイスさんにはお世話になってますし……」

 警備隊のみなさんがちゃんと治安を守ってくれてるから、こんな風に夜でもひとりで出歩けるんだもんね。

「もしたのむ時は、ちゃんとはらうさ。っていうか、悩みなんて別に……」

 ジェイスさんがふいと顔をそむける。

「俺が顔を見せる時間はたいてい客でにぎわってるだろ? 今日はたまたまだれもいなかったからゆっくり話せると思ってさ……」

「店じまいが近いこの時間は、いつもお客さんが少ないからこんな感じですよ? そういえば、今日はいつもより遅い時間に来られましたけど……。何か、あったんですか?」

「いやその、最近、ぱらいのもめ事が多くてな……」

 ジェイスさんが言葉をにごした時、りん、とドアベルが鳴る。ちらりととびらり返ったジェイスさんが、次のしゆんかん、椅子をたおしそうな勢いで立ち上がった。

「おいっ!? マリエンヌ!? お前……っ!」

 ジェイスさんの声に、私も扉を振り向く。そこには、侍女らしき女性と青年従者の二人を従えたマリエンヌじようが、悪戯いたずらが見つかった子どもみたいな顔で立っていた。マリエンヌ嬢がヒルデンさんのお店に来たのは初めてなのでびっくりする。

「ばれてしまいましたわ。お兄様をこっそり観察して、おうえんするつもりでしたのに……」

 マリエンヌ嬢が残念そうにこぼす。六日前の舞踏会と異なり、地味な色合いの服を着ているが、はなやかなふんは変わらぬままなので、どこからどう見てもおしのびのお嬢様だ。

「いったい何しに来た!? こんな時間に!?」

 ジェイスさんが血相を変えてマリエンヌ嬢にめ寄る。こんなにあわてふためいているジェイスさんはめずらしい。貴族の令嬢が供二人だけで夜に町人街へお忍びで来ているのだから、兄としては当然の反応だろう。ジェイスさんとは別の理由で、私もマリエンヌ嬢の登場にどうようしていた。

 マリエンヌ嬢はエリシアのことを知っている。まさか、邪悪の娘が町人街でまじない師をしているなんて夢にも思わないだろうけれど……。フードとヴェールで顔を隠しているとはいえ、背中に冷やあせがにじんでくる。

 ジェイスさんのきつもんに、だがマリエンヌ嬢の反応はぜんとしたものだった。

「だって、お兄様ったらレイシェルト殿でんを象徴するリリシスの花はしばらく見たくないっておっしゃるんですもの! 横暴ですわ! わたくし、まだまだ花かざりが欲しいんですもの! お兄様が買ってきてくれないとなれば、自分で買いに来るしかありませんでしょう? それに、お兄様がよく話してらっしゃるまじない師も気になってましたし……」

 ちらりと私を見たマリエンヌ嬢に華やかなみを向けられ、どきっとする。ジェイスさん! いったいマリエンヌ嬢にどんな話をしてるんですか!? というか、それより……!

 もしかしたらと思っていたけど、マリエンヌ嬢もレイシェルト様推し……っ!? 私の地道な推し活が、ついに実を結んだ……っ!?

「だからと言って、も暮れたこんな時間に自分の足で買いに来る奴がいるか! 侍女に買いに来させればいいだろう!?」

 ジェイスさんの声にはっとわれに返る。マリエンヌ嬢が花飾りを気に入ってくださったのはこの上なくうれしいけれど、私のせいで兄妹きようだいげんかをさせるわけにはいかない。

「あ、あの……」

 ジェイスさん達に歩み寄り、おずおずと後ろから声をかけると、いち早くマリエンヌ嬢が反応した。

「あなたがまじない師のエリね!? わたくし、ジェイスお兄様の妹のマリエンヌと申します。このたびは素敵な花飾りを作ってくださって感謝しますわっ!」

「い、いえっ。こちらこそ、お買い上げいただきありがとうございます……っ!」

 マリエンヌ嬢も確実にレイシェルト様を推してらっしゃるのか、確かめたい……っ! けど、どうやって話しかけたらいいんだろう……?

 私のまどいをき飛ばすように、ジェイスさんを押しのけマリエンヌ嬢が身を乗り出す。

「わたくし、こんな品が欲しいと思ってましたの! レイシェルト殿下のかみひとみの色と同じリリシスの花……っ! さりげなくそれを身につけられるなんて、素敵な発案ね!」

「っ!? で、ではマリエンヌ様もレイシェルト殿下を推し……いえあの、あこがれてらっしゃるのですかっ!?」

 思わず食いつくようにたずねてしまう。反射的に差し出した手を、マリエンヌ嬢がしっかとにぎりしめてくれた。

「そうですわ! もしかしてあなたも!? レイシェルト殿下は本当に格好よくて素敵ですわよね……っ!」

「は、はいっ! レイシェルト殿下はしいお姿だけでなく、お心も高潔で……っ! まさに光神アルスデウス様の加護を受けるにふさわしいかただと思いますっ!」

 れい作法も忘れてマリエンヌ嬢の手を握り返し、力強く頷く。

「私、憧れの気持ちを少しでもあらわしたくてリリシスの花のしゆうや花飾りを作っているんです! だから……っ、同じ気持ちの方に届いて、本当に嬉しいです……っ!」

「まあっ、あなたったらけなげで可愛かわいい方なのね……っ! ねぇエリ。よかったら、わたくしとお友達になってくださらない?」

「嬉しいですっ! 私などでよろしければ……っ!」

 きゃ──っ! 地道にし活をしてきてよかった……っ! 友達どころか、まさか推し友ができるなんて……っ!

「おいっ、マリエンヌ! ちょっと待て!」

 ヴェールしに見つめあう私とマリエンヌ嬢の間にあわてて割って入ったのはジェイスさんだ。

「会ったばかりだっていうのに、急にそんな……っ! 俺だってここまで親しくなるのに、二年もかかったってのに……」

 何やらぶつぶつつぶやき始めたジェイスさんに、マリエンヌ嬢があっさり告げる。

「あら。親しくなるのに時間は関係ないでしょう? それに、わたくしがエリとお友達になったとしても、お兄様に悪いことなんてないと思うのですけれど?」

「いやっ、それは……っ!?」

 何やらあせった声を上げたジェイスさんが、気にするように私に視線を向ける。

 あっ、そうか……。マリエンヌ嬢ははくしやく令嬢だ。いくらマリエンヌ嬢のほうから望んでくれたとはいえ、平民のエリなんかと友人だなんて、兄としてはあまり賛成したくないだろう。ジェイスさんは気さくで身分にこだわるような人ではないけれど、大切な妹のことに関しては、別ということもありうる。

 それに私だって、せっかくできた推し友にめいわくなんてかけたくない。エリの正体がじやあくむすめだと知れば、平民であること以上にけんされるだろう。そんなのは絶対にいやだ。

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