第一章 私、今世でも推し様を見つけました!

「まあいやだ! なんてまがまがしい髪の色でしょう!」

「サランレッド公爵がかたくなにおおやけの場に連れてこなかったのも理解できるな。ひとみまで黒いとは、なんと不気味な……」

 目立たないよう最後にえつけんの間に入ったというのに、私の姿を見たたん、最後列にいた貴族達からきよう混じりのべつけんの言葉が投げつけられ、私は反射的に顔がこわりそうになったのをごまかすように視線をせた。

 だから来たくなかったのに……。と小さくいきするも、貴族達が居並ぶ王城の広間で思いを口に出すことは許されない。

 サランレッド公爵家の長女・エリシアとして転生した私は今年で十五歳になっていた。

 アルスデウス王国では貴族の子女は十三歳で国王陛下に拝謁し、社交界デビューすることになっているというのに、私が王城へ謁見に来たのは今日が初めてだ。

 何百年も昔、こうしんアルスデウスの加護を受け、邪神ディアブルガをたおした勇者を始祖とするアルスデウス王国では、黒色は邪神に通じる色として、非常にまれている。前世と同じ、黒髪黒目で生まれた私は、生まれ落ちた瞬間から『じやあくの娘』と呼ばれてうとまれ、公爵家の娘でありながら、存在をかくすかのようにはなれで育てられてきた。

 これ以上なんくせをつけられないよう、私はじっとゆかを見つめる。その私の足元にからみつくように流れてきたのは、貴族達の身体からだからあふれ出した黒いもやだ。

 前世と同じで、今世でも私には人の負の感情が黒い靄となって見える。でも、前世とちがうのは──。

 消えて、と心の中でいのった途端、私にふれようとしていた黒い靄がちりと化して消えて、ほっとする。

 どうしてこんなことができるのか自分でもわからないけれど、前世の絵理と違って、エリシアは黒い靄をはらうことができる。これだけは生まれ変わってよかったことだ。

 歴史の本などで読んだ内容から推測するに、たぶんこれは聖女の力だ。でも……。

「国王陛下のご入場でございます」

 王城のじゆうの宣言に、しん、と謁見の間が静まり返る。数段高くしつらえられた段の上に、立派なしようまとわれたそうねんの国王陛下が姿を現す。ざっ、と貴族達がかすかなきぬずれの音とともにこうべを垂れた。もちろん私も深々と頭を下げる。

みなの者、よく集まった。本日はサランレッド公爵家の令嬢達の成人の謁見である。しかし……。今日謁見するのは、聖女であるセレイア嬢と姉のエリシア嬢と聞いていたが……。セレイア嬢しかおらぬではないか」

 いぶかしげな陛下のお言葉に、最前列にいるお父様があわてふためいた声を出す。

「い、いえっ、陛下のぜんに参っております! ですが、お目よごしになってはならぬと思い、後方にひかえさせておりまして……っ!」

「そのようなづかいは無用である。エリシア嬢。前へ」

 陛下の言葉に息をむ。まさか、前へ出るよううながされるとは思ってもみなかった。

 いつしゆん、前に呼ばれた上で、邪悪の娘が王城へこうするとは何事だと、しつせきされるのではないかとねんがよぎる。けれど、陛下の落ち着いたこわからは嫌悪は感じられない。

「は、はいっ。失礼いたします……」

 一度さらに深く頭を下げると、顔を伏せたまま、貴族達の間を通って前へ進む。

 私の姿を見た貴族達から嫌悪の黒い靄がきおこり、へびのように足元に絡みつく。きんちようと足元をおおう黒い靄とで、気をくと転んでしまいそうだ。

 陛下のお心遣いはありがたいですけれど……っ! できれば、邪悪の娘である私なんて、放置しておいていただきたかったです……っ!

 心の中で嘆くも、陛下のご命令に逆らえるわけがない。

 最前列に並ぶのは、お父様とお母様、そして本日の主役である二歳年下の妹・セレイアだ。かがやくばかりの金の髪をい上げ、宝石やリボンでかざったセレイアは、今日の謁見のために新調したという純白のドレスを着ていて、後ろ姿だけでもようせいのようにれんだ。

 くすんだ青色の地味なドレスの私は、お父様達のとなりには並ばずに一歩下がった場所で歩を止め、もう一度深々と頭を垂れる。これ以上、前になんて絶対に出られない。

 私が前に進み始めた時から、お母様達から前が見えなくなりそうなほどの黒い靄があふれ出している。本来、二年前に済ませておくはずの私の成人の謁見が二年もおくれたのは、

『邪悪のむすめを王家の方々の御前に連れていくなんておそれ多いこと、できませんわっ! セレイアちゃんの輝かしい未来にかげが差したら、どうするつもりですの!?』

 と、お母様がきようこうに反対したからだと聞いている。が、先日、十三歳の誕生日を迎えたセレイアの拝謁の日について、お父様が国王陛下におうかがいを立てた際、

『セレイア嬢には姉がいるだろう。こうしやく夫人の強い要望で、二年前は拝謁を見送ったが、たとえ邪悪の娘と呼ばれていようと、姉をさしおいて妹だけが拝謁するのはちつじよを乱すもととなりかねん。貴族のはんとなるべき第一位の公爵家が序列を乱すのはいかがなものか』

 とのお言葉をたまわったらしい。

 陛下が型どおりの祝いの言葉を述べた後、特別にセレイアへ声をかける。

「セレイア嬢。聖女であるそなたが成人を迎えたことは、まことに喜ばしい。今後は聖女の力を使い、国のため、そしてたみのために、他の聖者達とともに平和を守り続けてくれ」

「陛下より直々にお言葉を賜るとは、なんと光栄なことでございましょう……っ! わたくし、王国のはんえいのため、聖女としてしっかり努めてまいりますっ!」

 セレイアがかんきわまった様子で声を上げ、周りの貴族達が口々に賛美の声を上げながらはくしゆでセレイアをたたえる。

 今日、謁見の間につどっている貴族達は、聖女をようするサランレッド公爵家と少しでもお近づきになろうと願っている者達ばかりだ。まさか、こんなに大勢いるなんて想像していなかったけれど、それだけ聖女という存在が、アルスデウス王国において重要ということだろう。セレイアに関心が集中したことで私に向けられる黒い靄がうすくなり、私は目立たないよう、小さくあんの息をついた。

 何百年も昔、勇者とともにじやしんふうじた大聖女は、しき『よどみ』を祓い、じようする力を持っていたという。大聖女き後も、アルスデウス王国では時折、聖女や聖者が生まれる。私もセレイアも聖女の力を持っているけれど……。

 セレイアだけでなく邪悪の娘と呼ばれる私まで、聖女の力を持っていると知っている人は、ひとりもいない。幼いころからずっと私の世話をしてくれているじよのマルゲでさえも。

 でも、それでいい。私は聖女になんてなりたくない。

 だから、聖女としてかつやくする気満々なセレイアには、むしろ感謝しているほどだ。

 たとえ、邪悪の娘とさげすまれ続けるのだとしても……。私は、今世こそ、ひっそりとかげで生きていこうと決めたんだから……っ!



 国王陛下が退出された後、私は大勢の貴族達から囲まれるセレイアやお母様達からげるように、そそくさと謁見の間を出た。もともと、お母様に王城には必要最低限しかたいざいしてはいけないと厳命されている。お母様達は公爵家のもんしよう付きの立派な馬車で登城したけれど、私は行きも帰りもマルゲが町人街にらいした貸し馬車だ。

 これ以上、人目につく前にしきの離れへ帰ろうと、庭園に面した王城のろうを急ぐ。本来なら馬車のところまで案内がつくのだけれど、邪悪の娘におびえている様子のめし使つかいに案内をたのむのは申し訳なくて、辞退したのだ。邪悪の娘と呼ばれてはいるものの、人をのろったりするような力なんて、持っていないんだけど。むしろ持っているのは聖女の力だし。

 初めて入ったお城は、まるでおとぎ話に出てくるようなそうれいさで、かなうならじっくり見てみたいところだけれど、そんなゆうはない。廊下の向こうに広がる、初夏の花々が咲き乱れる美しく手入れされた庭園を横目に足早に歩いていると。

「おう、いいぞ。一度出してみてくれ」

 庭園に配置されたふんすいのそばで作業していた職人達のひとりが声を上げた。同時に。

 ざぁぁぁ……っ!

 それまで水音ひとつしなかった噴水から、勢いよく水がき出す。陽光を受けたしずくがきらきらと宝石のように輝き、小さなにじがかかった。けれど。

「っ!」

 私の頭は水音を聞いたたん、真っ白になっていた。前世の死にぎわを思い出して、まるで急に水の中に落ちたように、のどまって息ができなくなる。早くここから離れないと。そう思うのに、足だけでなく全身ががくがくとふるえて、立っていられない。

 廊下にくずおれ、震える両手で耳をふさごうとした瞬間。

「きみ……っ! だいじようかい!?」

 耳にここよい美声が聞こえると同時に、だれかの力強い手のひらにかたを包まれた。声の主がかたひざをついて私の顔をのぞき込み。

 ──その瞬間、世界が止まった。

 待って。え? ちょっと待って。

 私を覗き込んでいるのは、光神アルスデウス様が手ずからお作りになったかのような端整なおもの美青年だった。

 しくもどこか甘さをはらんだ顔立ちには気遣わしげな表情がかび、晴天の空を映したあおひとみは、至高の宝石のよう。陽光をかしたような金の短いかみは、日陰だというのにきらきらと輝いている。

「顔が真っ青だ。……すまないが、失礼するよ」

 ぼうぜんと固まっている私の耳に、天上の調べのような美声が届く。かと思うと。

「ひゃっ!?」

 次の瞬間、引きまったたくましいうでよこきに抱き上げられていた。

「空いている部屋で休むといい。きみの侍女はどこにいるんだい? 使いをやろう」

「いえっ、あの……っ。わ、私はひとりで……っ」

 私の返答に青年がおどろいたように目をみはる。ふつう、貴族のれいじようが供もなしに王城をうろついているはずがない。が、目が合った途端、青年の面輪になつとくしたような表情が浮かぶ。

「きみは……。サランレッド公爵家のエリシア嬢だね?」

 名乗らずとも青年にはわかったのだろう。黒髪黒目の貴族の娘が、ほかにいるはずがない。

「は、い……」

 いやおうなしに声が震える。せた視線が青年の服のむなもとしゆうされたもんとらえ、彼が何者なのかを知る。一本のけんと光輪が配されたその紋章は、アルスデウス王国の国旗と同じもの。つまり、このかたが、おんとし十八歳だという、王太子のレイシェルト殿でん……っ!

 驚きに息を呑んだ瞬間、今の自分のじようきようを思い出す。

「も、もう大丈夫ですのでっ! どうか下ろしてくださいませ……っ!」

 邪悪の娘が王太子殿下に抱き上げられているところなんて見られたら、いったいどんなおそろしいうわさが流れるだろう。お母様にしつせきを受けるだけではすまないにちがいない。

「エリシア嬢、落ち着いて」

 まどった声を上げつつも、レイシェルト殿下の腕はゆるまない。ゆかに落ちてもいいかくで身じろぎすると、仕方がなさそうにそっと床に下ろされた。つまさきが床についた途端、スカートをつまんで、身を二つに折るようにして頭を下げる。

「申し訳ございませんでした……っ! 王太子殿下に多大なるごめいわくをおかけしてしまうなんて……っ! どうか、お許しくださいませ……っ!」

 震えながら必死にびる。次いで降ってくるだろう叱責に身をかたくしていると。

「どうして謝るんだい?」

 片膝をついたレイシェルト殿下のあたたかな手に、左手を包み込まれる。

「きみは何も悪いことなどしていないよ。体調をくずすことなど誰にでもある。わたしは迷惑をかけられたなんて思っていないから安心してほしい。きんちようするえつけんだったろうに、よくがんったね」

 きっと邪悪の娘である私に貴族達がどんな反応をしたのか、お見通しなのだろう。づかいに満ちた微笑ほほえみとともに告げられたレイシェルト殿下の言葉が、矢のように心臓をつらぬく。

 ──きみは何も悪いことなんてしていない。

 頭の中でひびいたのは、前世のし様である玲様の声。

 ぐうぜんつけたテレビから聞こえてきたドラマの台詞せりふ。真っぐな視線でしんつむがれた言葉は、たとえそれが演技であっても、自分がきらいだった私の心を救ってくれるのに十分で。

「あ……」

 レイシェルト殿下の光りかがやくようなお姿がにじみ、なみだがあふれ出したのだと気づく。

 碧い目を瞠ったレイシェルト殿下が口を開くより早く。

「し、失礼いたします……っ!」

 あたたかな手から指先を引きき、立ち上がってだつのごとくけ出す。

 そうでもしないと、胸の奥からきあがるかんさけび出してしまいそうで。

 神様がみ様光神アルスデウス様……っ! ありがとうございますっ!

 私……っ! この世界でも、推し様を見つけました……っ!



 どうやって馬車に乗ってこうしやく家のはなれにもどってきたのか、まったくおくに残ってない。

「お嬢様!? いったいどうなさったのですか!? 王城で口さがない貴族達に失礼きわまりないことを言われましたか!? それとも奥様ですか!? ああっ、これほどぼうぜんしつとなられるなんて、いったいどのような目に……っ!」

 むかえてくれたマルゲの心配そうな声に、私はようやくわれに返った。途端。

「マルゲぇ~っ! 私、推し様を見つけたの……っ! どうしようどうしましょう~っ! 推し様が尊すぎて、尊さが限界とつしてちようしんせいばくはつなの! 無理! 尊すぎる~っ!」

 ドレスのまますがりついた私に、マルゲが目をしばたたかせる。

「おし? ばくはつ……? お嬢様、何があったのですか?」

 聞いてくれるのねっ、マルゲ! 語っていいのねっ!?

「あのねっ、レイシェルト殿下に初めておいしたの! 細身ながらも引き締まったきたえられたお身体からだ! 仕草のひとつひとつに気品があふれて大こうずいたたずまい! 耳どころか心も融ける天上の調べのごとき美声! 黄金よりもまばゆいさらっさらのぐしそうてんよりもんだ瞳! 何より、見る者をりようせずにはいられない凛々しくかつうるわしいご尊顔に天使のように清らなお心……っ! 尊い! 推せる! いえ推させてください伏してお願い申し上げますっ! レイシェルト殿下こそ至高の! 私が求めていた推し様なの──っ!」

「はあ……?」

 マルゲが「意味がわかりかねます」と顔にでかでかと書いて、あいまいにうなずく。が、私の興奮は治まらない。

「まさか、もう一度推し様ができるなんて……っ! ねぇマルゲ! レイシェルト殿下ってどんな方なの!?」

 離れにほぼ引きこもりの私と違い、有能なマルゲは情報通だ。勢い込んでたずねると、私の勢いに押された様子のマルゲが、戸惑いながら答えてくれた。

「そうですね……。御年は十八歳。文武両道のほまれ高く、年に一度の王家しゆさいの神前試合では、昨年は準々決勝まで進まれたとか……。七年前、陛下ののちえとしてとつがれたミシェレーヌおう様との仲もよく、腹違いの弟であるティアルト殿下をたいへん可愛かわいがってらっしゃると──」

「待って! ちょっと待って! 推し様情報の供給過多で酸欠になっちゃう……っ!」

「お嬢様っ!?」

「でもくださいっ! もっと推し様の情報を……っ!」

「どうなさったんですか!? おとなしいお嬢様がこんなに興奮なさるなんて……っ! お願いですから少し落ち着いてくださいませ。さあ、深呼吸をなさって……っ!」

 マルゲに背中をでられながら、すーはーすーはーと深呼吸する。

「先ほどから、『おし』なるなぞの言葉を口にされておりますが──」

「マルゲも推し活に興味あるっ!? 推し様っていうのはね! 尊くてすうこうで見ているだけで、ううん! 心に思いえがくだけで活力が湧いてくる幸福の源で──」

「あ、いえ。結構です。不用意に聞いてはいけないものだと理解いたしました」

 ぐいぐいとせまる私に、マルゲがさっと手のひらをこちらへ向けて、冷静極まりない様子で首を横にる。

 ちぇー。せっかく前世のみっちゃんみたいな推し仲間ができるかと思ったのに、残念。

 確かに、ふだんの私を知っているマルゲにしてみれば、私の急変は信じられないに違いない。前世の記憶を持って生まれた私は、小さいころから聞き分けのいい手のかからない子どもだったんだから。

 でも、レイシェルト殿下……っ! ううんっ、不敬だとわかっていても、レイシェルト様とお呼びさせてください……っ! 推し様に出逢った私は生まれ変わったのっ!

 絵理からエリシアに生まれ変わって十五年。これまでの日々は、邪悪のむすめさげすまれ、ただただ息を殺して毎日をに過ごすだけだった。

 だけど、推し様に出逢えた今の私は違う! 心は春の青空のように晴れわたり、気持ちはわくわくとはずんでいる。全身に活力がみなぎり、今なら何だってできる気がする!

「とにかく! 推し様を見つけたからには、全力で推させていただきたいのっ!」

 こぶしにぎりしめて宣言した私に、マルゲがぽかんとした顔をしたのを見て、はっとする。

 し、しまった。やっちゃった……。前世でも親友のみっちゃんに『推し様について語っている時の絵理はテンションが上がりすぎて周りが見えなくなってる時がある』って言われてたっけ……。ごめん、マルゲ。でも今はどうしても気持ちがおさえられないの……っ!

 だって、レイシェルト様というらしい推し様を見つけたんだものっ! これはもう、全身ぜんれいで推し活にはげむしかないわよねっ!

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