第2話 温かな朝

 懐かしい夢を見た。

 子供の頃大好きだった、おとぎ話の絵本。



 その昔、太陽神が世界を創った。

 大地を、野山を、火を、水を、生き物を。

 けれど光の届かない夜が来ると、世界には宵闇の魔物が蔓延はびこった。

 光なき世界で、太陽神の子ども達は次々と魔物に蹂躙じゅうりんされていく。


 そこに現れたのが、闇翔る月明の翼竜だった。

 銀の光を纏った翼竜は圧倒的な強さで宵闇の魔物を一掃すると、再び魔物達が暴れだすことのないよう、その身を夜の中に置いた。

 ——闇を照らす月となって。



 繊細なタッチで描かれた挿絵が大好きで、中でも月明の翼竜が大きな両翼を広げ、きらきらと光を散らしながら夜空を舞うシーンがお気に入りだった。


 夢の中で私は、目の前に降り立った月明の翼竜の巨体に抱きつき、冷たそうな見た目に反して意外にも温かなその身体にぺたりと頬を寄せていた。




「んん……」


「目が覚めたか?」


「や……もうちょっと……」


 優しく頭を撫でられる感触が心地いい。頬に触れるすべすべとして温かなそれを抱きしめ、むにむにと顔を押し付ける。


 ちゅっ


 頭頂部に優しい感触が落ちる。

 温もりに包まれ幸せな心地で再び眠りに身を任せようとして——ふと、気が付いた。


 あら? パーティーは?


 自分は王城でデビュタントボールに参加していたはずだ。

 段々と思考が目覚めてくる。


 この、温かなものは何……?


 重い瞼を押し上げれば、目の前は小麦色。


「……?」


 枕でも布団でもない、これは何? 壁?

ぺたぺたと壁に触れていると、頭上から楽しげな低音が降ってきた。


「なかなか積極的だな」


 声に釣られて上を見上げれば、驚くほど近くに精悍な顔があった。


「ひっ——きゃあぁぁぁ!!?」


「俺の婚約者殿は朝から元気だな」


 すがるように布団を引っつかんでベッドの端まで後ずさる。


「それ以上下がっては落ちてしまうぞ? ほら、危ないからもっとこっちへ来い」


「ヴァ、ヴァルト様!?」


「ああ。おはよう、ルゥ」


「あっ、おはようございます……」


 待って待って待って。これは一体どういう状況?

 一旦状況を整理しよう。


 目の前に寝そべっているのは、パーティーで一緒にダンスをしたヴァルト。

 今は上半身裸の状態で鍛え上げられた肉体を惜しみなく晒している。すごい……眼福……と、それはさておき。


 私達がいるのは、大きなベッドの上。ぐるりと見渡しても見覚えのない豪華な室内。

 視線を下げれば……私は薄い肌着一枚だった。


「きゃあぁぁぁ!!?」


 慌てて全身に布団を巻き付ける。

 こ、これは、この状況は……


「ま、まさか、いいい一夜の過ちを……」


「あったとて『過ち』ではないが……誓って手は出していないぞ。意識のない相手に無体など働くものか」


「でっ、でもっ、服が!」


「ドレスを脱がせたのは侍女達だ。そのまま寝かせては苦しかろうと思ってな。ルゥは昨夜、酒を飲んですぐに眠ってしまったんだ」


「なんだ……」


 ほっと息を吐く。

 ——ん? 結局肌着姿を見られているのだから、何も安心できないのでは?


「目が覚めたなら朝食にするか」


 くぅぅ


 お腹の虫が真っ先に返事をした。

 だって先ほどから室内には、焼きたてのパンやベーコンの香りが充満しているのだ。


「……」


 堪らない羞恥に目が潤む。顔が熱い。

 そういえばパーティーの前、最高の状態でドレスを着たいからと張り切って食事を抜いたきり、何も食べていない。


「そんなに愛らしい顔をするな。これでも随分と自制しているんだ」


 ベッドの上で距離を詰めたヴァルトは、そのまま巻き付けた布団ごとひょいと私を抱き上げた。


 おくるみに巻かれた赤子よろしく運ばれていき、椅子にかけたヴァルトの膝に横抱きに乗せられる。


「……あ! お父様は!?」


 急に私がいなくなって、大層心配しているのではないだろうか。


「心配するな。昨日のうちに話をつけてある」


「そうですか、よかった……。ありがとうございます」


「なに、気にするな。ほら」


 ちぎったパンを口元へ差し出され反射的に口を開けば、バターの香るやわらかなパンが放り込まれた。


「……美味しい」


「そうか。もっと食べるといい」


 再び口元へパンが差し出される。


「あのっ、私、自分で食べます!」


 少し驚いたように手を止めたヴァルトは、ゆっくり上から下まで私を眺めると、フッと鼻で笑った。


 そうだった。

 私は今、みの虫状態でグルグルと布団に巻かれ、手も足も出ないのだった。

 これでは自分で食事などできるはずもない。


「あ、服っ! 服は……?」


「ちゃんとシワにならないよう掛けてある。後で着替えに侍女を呼ぼう。それより今は、ほら。腹が減っているんだろう?」


 目線で示され背後の壁を見れば、昨日のドレスが吊るされている。


 ひとまず着替えがあることに安心した私は、美味しそうな香りに負けて、今度こそ差し出されたパンを頬張った。




「結婚!?」


「ああ。やはり式はしたいだろう?」


 侍女を呼んでもらいドレスへと着替えながら、衝立て越しにヴァルトと話す。


「ええ、ウェディングドレスには憧れます……って、そうではなくて! け、結婚するのですか!? 誰が!? 誰と!?」


「俺とルゥの結婚に決まっているだろう」


「そそそそんなっ、まだ付き合ってもいないのに!!」


「パーティーダンスを二曲続けて踊るのは、恋人か婚約者だけだ」


「……へ?」


「踊ったろう? 二曲」


「え、ええ……」


 そういえばそんな事もあったような。


 着替えの手伝いを終えた侍女は失礼いたしますと言い置いて速やかに退室していく。

 私は衝立ての裏から出て、ソファに座るヴァルトに手招きされるがまま隣に腰を下ろした。


「あれで対外的な交際宣言は済んだ。後はルゥを俺の部屋で休ませるにあたり、イグスノーに暫定的な婚約の許可も取り付けてある」


「お父様に……?」


「ああ、我らが番を何よりも尊ぶのは周知の事実だからな。昨夜も、俺になら任せても問題はないと判断したのだろう。……単に引き剥がすことを諦めただけかもしれないが」


 最後の方は小声でよく聞き取れなかった。


「後はルゥの気持ちだけだ。……ルゥは俺が嫌いか?」


 瞳を覗き込んで問われ、咄嗟に首を振る。

 ヴァルトはちょっと……、かなり……、いや、信じられないくらい強引ではあるけれど、不思議と不快な感じはしない。

 ちょっぴり浮きながら踊るのも楽しかったし、今朝だって私に触れる手はどこまでも優しくて、こんな状況だというのに身の危険よりも居心地のよさを感じてしまっている。


 けれど……。


「私、ヴァルト様のことをまだ何も知りません。会ったばかりの私を、なぜそんなに気にかけるのかも」


「む? なるほど……」


 ヴァルトは顎に手をかけ思案するように目を伏せると、やがてパッと顔を上げた。


「よし、ならばデートをしよう!」


「デート、ですか?」


「ああ。本能的直感の薄れた達は、デートを重ねて互いを見極めるのだろう?」


「? はぁ、まあ……」


「では決まりだ」

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