運命のツガイに選ばれたので、お互いを知るところから始めます

南田 此仁

第1話 出逢い

「娘、名は?」


 それは見上げるほどの長身。

 短く切り揃えられたまばゆい白銀の髪に、炎を閉じ込めたかのような燃える瞳。年の頃は二十代後半だろうか。服越しにもわかるほど鍛え上げられた身体に黒の正装を纏い、深紅のマントをなびかせている。


 何も言われずとも目の前に立てば自然とひざまずきたくなるような、そんな有無を言わせぬオーラが青年にはあった。


「ル、ルニーネ=イグスノーと申します、閣下……」


 あまりの迫力に震える手でなんとかドレスの裾を摘まみ、この日のために練習してきた淑女の礼をとる。


 今日は王室主催のデビュタントボール。

 今年デビュタントを迎える十八になったばかりの少女達が一堂に会する日。

 お父様にエスコートされ、緊張に固くなりながらも恋愛小説のようなロマンチックな出会いに胸をときめかせてホール入りした、まさにその瞬間である。

 この青年が、長い足でつかつかと歩み寄ってきたのだ。


 この方は誰? お父様、助けて!


 チラリと隣を窺えば、王族へ向ける最敬礼をとって深く腰を折るお父様がいた。

 でも、国王と王太子の姿なら知っている。二人とも綺麗なブロンドに碧眼だったはずだ。


「イグスノー、貴殿の娘か」


「はっ」


「婚約者は?」


「まだおりません。失礼ながら……娘が何か……?」


「これは俺のつがいだ」


「っ!」


 ザワッ


 お父様が息を飲む。

 周囲でこちらの様子を窺っていた大人達も、その言葉に一様に驚きを示した。


 つがい、って……?


 何やらただならぬ反応にそわそわと周囲を気にしていると、スッと目の前に大きな手の平が差し出された。


「ルニーネ、俺のつがい。俺の名はヴァルティアド=ラグナ。一曲お相手願えるだろうか?」


 助けを求めるようにお父様を見れば、逆らうなとばかりにコクコクと頷いている。

 入場する時は『ルゥは可愛いから変な男が寄り付かないか心配だ。もし困ったらすぐにお父様の元に来るんだよ』なんて言っていたくせに、お父様の裏切り者ーっ!


「ええ……、よ、喜んで……」


 おずおずと重ねた手をとられ、ちゅ、と口付けが落ちた。



 お父様やダンスの講師以外と踊る、初めてのダンス。

 ステップを間違えてしまうのではとか、足を踏んでしまったらどうしようとか、そもそも身長差がありすぎて踊りにくいのではとか、そんな心配はすべて杞憂に終わった。


 何故なら私は今、がっしりと腰を支えるヴァルティアドの腕の力だけで、ちょっぴり宙に浮いている。

 おかげで、それこそ滑るように華麗な踊りぶりだ。


 床に足がついていたなら、すでに何度か彼の足を踏んでいただろう。

 ……そう考えるとこれは自衛手段なのだろうか?


「パーティーで踊るのは初めてか?」


 華麗なステップを披露しながら、至近距離で耳触りのいい低温が響く。


「はい……。つたなくて申し訳ありません、閣下」


「堅苦しい呼び方は好きではない」


 うん? 急に話が変わった。


「……ラグナ様?」


「……」


 見上げれば無言で首が振られる。


「ヴァルティアド様……?」


「……」


 これ以上なんと呼べと言うのか!


「…………ヴ……、ヴァル、ト……様?」


 怒られやしないかとビクビクしながら思い付きを口にすれば、嬉しそうに笑みをかたどった瞳が私を見下ろした。


「ああ、それがいい」


「!」


 お父様以外の男性とこんなに密着したのも初めてなら、奥に熱をくすぶらせた瞳で優しく見つめられるのも初めてで、先ほどから心臓がうるさい。

 これは絶対、ヴ……ヴァルトにも伝わっている。


「ルゥ」


 甘い声に、耳の奥でドクンと鼓動が鳴る。


「——と、そう呼ばれていたな? 父親には」


「はい……」


 会場に入った瞬間の会話まで聞かれていたなんて! 幼子のような愛称の恥ずかしさに、顔が火照る。


「俺も、ルゥと呼んでも?」


「えっ!?」


「ダメか? ……それとも、この名を呼ばせると心に決めた男が?」


 細められた瞳に剣呑な色が混じる。


「い、いえ、決してそのような方は……! その、是非、『ルゥ』と……」


 慌ててふるふると首を振る。


 ああ、私はなぜ会ったばかりのよく知りもしない男性に愛称呼びを許しているのだろう。長いものに巻かれやすいところは、まったくお父様そっくりだ! これではお父様だけを責められないではないか。


 曲が終わり、向かい合って礼をとる。

 ゆっくりと顔を起こすと、また手を引かれてすっぽりと腕の中に閉じ込められた。


 そのまま次の曲が始まり、またちょっぴり宙に浮きながら、くるくると踊る。

 しっかり支えられている安心感もあるし、二曲目ともなればこの妙な浮遊感を楽しむゆとりも出てきた。


「ルゥ、ルゥ。俺のことはどう思う? 俺を見て何か感じないか?」


「え? ……と、とても素敵な方だと……」


 こちらを見つめる切れ長の瞳、きりりと男らしい眉、すっと通った鼻梁は高く、引き結ばれた薄い唇は機嫌よさそうに緩く笑んでいる。


「他には?」


「ええと……お強そうで、頼もしい感じがします」


「他は?」


「ダンスがとてもお上手で……それから……」


「それから?」


「こうしてくっついていると、ド……ドキドキ、します……」


 何を言わされているのだろう!

 何を言わされているのだろう!?


「ふっ、そうか。俺もドキドキしているぞ」


 満足のいく回答を与えられたのだろうか。

 どう見ても落ち着いて余裕たっぷりのヴァルトは、楽しそうに笑みを深めた。




 二曲目も終わり、ダンスの輪から抜ける。

 ホールを見渡しお父様の姿を探せば、他の令嬢の付き添いだろう父親同士で歓談中のようだ。


「動いて喉が渇いたろう」


 通りがかりの給仕のトレーからグラスを二つ取り、ヴァルトが片方を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


 透明感のある金色の綺麗な飲み物。

 初めてのパーティーに緊張して喉はカラカラだったので、受け取ったグラスをありがたく一息にあおった。


 少し喉の奥が熱くなるけれど、シュワシュワとして面白い口当たりだ。

 ——そうだ、ずっと気になっていたことを聞いておかなくては。


「ヴァルト様、最初におっしゃっていた『つがい』とはなんですか?」


「ん? そうだな……己が半身、魂の片割れ、といったところか」


「……?」


 よくわからない。でもなんだか、とても重要そうな感じはする。


「とっても大切……?」


「ああ。己の命よりも」


「……その、『つがい』が……私?」


「ああ」


 えーと、それなら私は、ヴァルトに大切にされるということ? それは恋人や結婚相手とは何か違うのだろうか?

 えーと、えーと……ああダメだ。視界がグルグルとして考えがまとまらない。


「っと、……ルゥ? どうした?」


 ヴァルトの逞しい腕が、ふらついた私の身体を危なげなく抱きとめる。


「んふふ……ヴァルトさまが三人に見えます……」


「あー、酒は初めてか?」


「おさけ……?」


「……すまない。城に俺用の部屋がある。休んでいくか?」


 のぼせてしまったように頭がフワフワとして、言われた言葉を正しく処理できない。

 なんとか『休む』という単語だけ拾ってコクリと頷くと、私は力強い腕の中、まどろみに飲まれるように意識を手放した。

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