第8話 獣飼いとの出会い

「手助け?」


「ええ。すばしっこく逃げ回るから困ってたのよ。だから、本当は自分の手で捕まえたかったのだけど、『骨組堂』を頼ることにしたってわけ」


「ふーん」


 なんとなく事情は分かってきたし、逃げるのも難しそうだ。それにこの言い方ならいずれは形代サマと継喪のところに話がいくだろうし、とりあえず彼女の気が済むまで付き合うか……。


 腹を決めた雛は抵抗して引きずられるのをやめ、桐子の隣に並んだ。


「骨獣ってたしか、お前ら骨組人形の未練なんだよな。それを取り戻して黄泉の国に行きたいってこと?」


「うーん、私の場合、黄泉の国に行きたいのとはちょっと違うかもしれないわね」


「そうなのか?」


 少し意外なことを言い出した桐子に雛は尋ね返す。桐子は逃げるそぶりのなくなった雛の腕をようやく解放した。


「私は、単純に自分の未練が何なのか知りたいの。分かるのよ。自分は何か忘れてるって。それがとても大切なものだって」


 桐子は自分の手を見下ろして語り続ける。


「私、思い出したいの。かすかに記憶にあるあの人が誰で、どんな人なのかも思い出せないけれど、だけど彼を愛していたことだけは確かだから」


 静かに熱をこめて語る桐子に雛は圧倒される。言葉の端々からあふれる力強い感情。それが彼女の原動力なのだろう。


 なぜかそんな彼女がちかちかと朱色に光っている気がして、雛は目を細める。


「その骨獣がどこにいるかは分かってるの?」


「今は分からないわ」


「えっ」


「でも見ればすぐに分かるの。あれが私の骨獣だって。……何度も出会ってはいるのよ。だけど、私が近づこうとすると身軽に逃げてしまうの」


「そうなんだ……」


 骨獣というのはそういうものなのかと雛は納得する。そんな雛の様子に桐子は首をかしげた。


「というか、あなたなんだか何も知らないのね。骨組堂で何も教わっていないの?」


 とぼけた顔で今更のことを言われ、雛は脱力する思いがした。


「だから! 俺はさっきこの町に来たばっかりなんだって!」


 ようやく聞いてもらえると雛は事実を口にする。桐子はきょとんとしていた。


「あら、そうならそうと言ってくれればいいのに」


「言ったよ……」


 あまりに強引すぎる彼女に疲れ果て、雛は肩を落とす。一方、桐子は何か思案していた。


「そうね……ここに来たばかりの魂ならあそこに顔を見せておくべきかしら」


「あそこ?」


「獣飼いさんのところよ! さあ行くわよ!」


「えっ、骨獣探しは……」


「まずはあなたにここの常識を知ってもらわないとお話にならないもの!」


 そう言うと、桐子は再び雛の腕を取ってずんずんと歩き始めた。雛はもう抵抗するのも諦めて、素直にそれについていく。


 ここの常識を知っておきたいのは事実だ。


 現状、自分に常識を教えてくれる候補が、意地悪な継喪と無口な形代サマであることを考えると、他の奴に聞いたほうが多分、早い。


 本人たちが聞いたら青筋を立てそうなことを考えながら雛は桐子の後ろをついていき、やがて不思議な屋敷にたどりついた。


 そこは広さだけならば骨組堂よりも広大な屋敷だった。開け放たれた木の門は重厚で、ちょっとした寺の門のようだ。門を入った先に広がる庭には、竹で組まれた獣の檻があちらこちらに転がっている。


 屋敷は母屋と離れに分かれているようで、母屋よりも奥にある離れのほうが面積は遙かに大きいように見えた。


 桐子はまっすぐに母屋のほうに向かうと、断りも入れずに引き戸を開け放った。


「お邪魔しまーす! 獣飼いさんいますかー!」


 玄関で声を張り上げる桐子。その声の反響が廊下の奥に消えていき、ややあってかすかな返事が聞こえてくる。


 それを聞き取った桐子は履き物をさっさと脱ぎ始めた。


「奥にいるみたい。行きましょ」


「えっ、勝手に上がっちゃまずいんじゃ」


「だからちゃんと声をかけたじゃない。ほら、履き物脱いで」


 言われるままに人形を落とさないように履き物を脱ぎ、桐子に続いて屋敷の奥へと進む。屋敷の中はいやに静かで、人の気配はない。


 やがて最奥にたどりついた桐子は引き戸をすぱんと開けた。


「お邪魔します、獣飼いさん!」


「いらっしゃい、桐子ちゃん。今日も元気だね」


 奥の部屋で雛たちを出迎えたのは、穏やかな雰囲気の優男だった。服装はレトロな趣のあるデザインの白シャツとズボン。彼の周囲には割かれた竹があり、どうやらそれで細工品を作っているようだ。


 左手で作りかけの細工品を置いて、彼は振り向いた。


「今日はどうしたの? 君の骨獣ならまだ見つかっていないけれど……」


「新入りを連れてきたの! 色々教えてあげてほしくて!」


「新入り?」


 どこか誇らしげな顔の桐子に対して、男は目を白黒とさせている。どうやら雛同様話についていけていないようだ。


「えーと、君は流れてきたばかりの魂ということ?」


「あ、はい。形代サマたちに拾われて、あいつらのところで雑用をすることになったんだけど……」


 ちらりと雛は桐子を見る。彼女はまだ偉そうに胸を張っていた。幸いにも男はそれだけで全てを察してくれたようだった。


「桐子ちゃん、無理矢理連れてきてはいけないよ。形代さまも継喪さまも何かお考えがあるのかもしれないのだから」


「あらないわよ。だって雛は暇そうだったんだもの!」


「いや、俺はただ継喪が着替え持ってくるの待ってたっていうか……」


 人形を抱きしめながらぼそぼそと言う雛に、男は苦笑する。


「なるほど、大体わかったよ。まずは自己紹介だけしておこうか」


 男は雛に歩み寄ってくると、左手を差し出した。


「僕は獣飼い。本当の名前はもうないからただの獣飼いでいいよ」


「……雛です」


 今まで会った大人二人がろくでもない性格だったせいで多少警戒しながら、雛は獣飼いの手を握り返す。


 ふと、雛は彼の右袖の違和感に気づいた。獣飼いの右袖はぶらんと下に垂れており、中にあるはずの右腕が入っていないように見える。


 雛の視線に気づいたのか、獣飼いは右腕を持ち上げた。正確には肘あたりまでしかない欠落した右腕を、だが。


「ここでは珍しくもないよ。僕は右腕の骨が欠落していてね」


「なんか……ごめんなさい」


 ぶしつけに見てしまったことを謝ると、獣飼いは穏やかに首を横に振った。


「気にしないで。ここに来たばかりの子が見慣れないのは当たり前だから」


 獣飼いはやんわりと答えると、座布団を三つ引っ張ってきた。勧められるまま、雛と桐子はそこに座る。獣飼いは奥の棚から茶葉の入った包みを取り出した。


「とにかく、お茶でも飲んでいきなさい。話はそれから聞こうかな」


「ええ、ありがとう獣飼いさん!」


 桐子はにこにこ笑いながら答える。一方、かちゃかちゃと片手で器用にお茶の用意をする獣飼いを見ながら、雛は周囲を見回していた。


 なんだか、落ち着かない。まるで誰かに見られているみたいな――


 その時、雛は部屋の奥の扉が少しだけ開いていることに気がついた。そして、そこから覗く誰かの目にも。


「ちょっと待ってね。もうすぐお湯も沸くから。……どうしたの?」


 雛が奥の扉を見ていることに気づいた獣飼いはそちらを振り返る。そして、得心した顔で優しく扉の向こうに声をかけた。


「どうしたの、琴葉ことは? 入っておいで」


 扉の向こうの人物はおそるおそるといった様子で戸を開ける。そこに立っていたのは、道で継喪と雛のことをにらみつけていたあの少年だった。琴葉と呼ばれた彼の顔はまだ警戒心に満ちており、ほぼ敵意に等しい視線を雛に注いでいる。


「琴葉?」


「出てけ! 先生に近づくな!」


 突然、大声で琴葉は叫ぶ。急に拒絶された雛は、何も言い返す言葉が浮かばないまま目を丸くしていた。


「こら琴葉。お客様にそんなことを行っては駄目だろう?」


「だってこいつ、『骨食い』の仲間だ!」


 わめくように言う琴葉に、雛は驚きで固まる。


 骨食いってなんだ? この言い方だと多分、継喪や形代サマのことだろうけど……。


 考え込む雛をよそに、獣飼いはやんわりと、だけど厳しい表情を琴葉に向けていた。


「琴葉」


 静かに名前を呼ぶ形で諭され、琴葉はぐーっと悔しそうな顔をした後に屋敷のさらに奥へと逃げ去ってしまった。


「ごめんね、少し気難しい子なんだ。うちの弟子みたいな子なんだけど……はい、お茶が入ったよ」


 そっと目の前に湯飲みが置かれ、雛はその中身を覗き込む。落ち着いた深い色合いのただの緑茶だ。ふわりと漂う匂いもはなやかで、とてもおいしそうに見える。


 だけど――なぜか、これを飲んではいけない気がした。

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