第6話 根の国
暗に自分が今、どこかが欠けた状態の魂なのだと告げられ、雛は自分の内側が締め付けられる思いがした。
自分はもう死んでしまったのか。それとも、生きているのか。
死んでしまったならばなぜここにいるのか。もう現世には戻れないのか。それなら、一緒に来たはずの両親の魂はどこに行ったのか。
今は継喪がこうして案内してくれているけれど、わからないことだらけの心細さはどうしたって拭えない。
雛は自分を押しつぶしてきそうな不安を継喪に悟らせないように――あえておちゃらけた顔を作った。
「つまりさ、排水溝が詰まった状態ってこと?」
「アナタね、黄泉平良坂の管理者が俺たちでなければ、今頃天罰で跡形もなく消されていますよ」
ごまかされてくれたのか、継喪はやれやれと頭痛を堪える仕草をしている。雛は自分の本心を覆い隠すように、にひひと笑った。
「じゃあ、継喪と形代は二人でここの掃除をしてるんだ」
「……『さま』をつけなさい。形代『さま』です」
「形代サマ」
「よろしい」
いまいち敬意のこもっていない言い方だったが、継喪は許容してくれたらしい。雛は自分を先導して歩く継喪の背中を見ながらなんとなく尋ねた。
「ねえ、『サマ』をつけるってことはさ、形代サマって偉いの? やっぱり神様とか?」
雛の問いかけに継喪は一瞬黙り込んだ。こちらに背を向けているせいでその表情は読み取れない。
「どうでしょうね。時に縋られ、時に疎まれるのが神なら、そうなのかもしれません」
「……何それ?」
「じきにわかりますよ。……ああ、見えてきましたね」
継喪の声に雛は少し早足になって彼の横に並ぶ。
「あれが、魂の一部を欠落させた人形たちが住まう地、『根の国(ねのくに)』です」
「根?」
彼が指さす先――今まさに自分たちが足を踏み入れようとしている場所の木々は、異様に大きく太いものとなっていた。その幹の形状もまっすぐに伸びるものではなくなり、まるで荒々しく波打つ海のように縦横無尽に広がっては別の大樹の幹と合流している。
「でっかい木だな……」
「文字通り、この黄泉平良坂を支える大樹ですからね」
「支える?」
「ええ。ほら、ご覧なさい」
指さされるままに見上げると、生い茂る枝葉の向こう側に、遙か頭上まで伸びる巨大な影が視認できた。その影は空に敷き詰められた薄暗い雲を突き抜けて、さらに向こうにまでそびえているらしい。首が痛くなってしまいながら雛は口を小さく開けてそれを見上げる。
「……壁?」
「大樹の幹ですよ」
呆然と呟いた雛の言葉を、継喪は淡々と否定する。
「あれが天井を支えてくれているから、黄泉平良坂はこの世とあの世を繋ぎ続けられるのです」
「天井!?」
継喪の発したありえない単語を雛は復唱する。
「ここ、外じゃなかったの!?」
「地下ですよ。もっとも、この世界に地上はありませんが」
あっさりとよくわからないことを言う継喪に困惑しながらあたりを見回していると、彼は軽く嘆息をして立ち止まった。
「ほら、うろちょろしない。着きましたよ」
継喪が立ち止まったのは、巨木のうちの一本の根元だった。
その幹は大人が手を繋いでも一周に十人は必要になるほど太く、その根元はまるで入り口のように二股に分かれて大きく伸びている。足下はじっとりと濡れた泥で満たされており、そこには形代のものと思われる足跡が残されていた。
「まさかここに入るの?」
「ええ。『根の国』はここの地下にありますから」
平然と言いながら継喪は木の股をくぐって中へと入っていく。雛もおそるおそるではあるが、その後ろに続いた。
次の瞬間、まばゆい陽光に目を焼かれ、雛はうわっと小さく声を上げて目をつぶった。
変化したのは明るさだけではなかった。風のない冬のような寂しい温度だった周囲は春のうららかな日のような暖かさに包まれ、それまで草木のざわめく音と鳥の鳴き声ぐらいしか捉えられなかった耳は、今では人の話し声や行き交う足音を拾っている。
雛が目を押さえながらまぶしさにうめいていると、少し行ったところで立ち止まったらしい継喪の声が聞こえてきた。
「いつまでそうしているつもりですか。行きますよ」
声に促され、ゆっくりと目を開く。そこには、今までとは全く違う世界が広がっていた。
空からは温かな日光が降り注ぎ、周囲には当たり前のような顔をして人々が行き交っている。ただし、彼らの服装はどこか奇妙だ。
大まかに言うのなら和服を着ている人間が多い。洋服を着ていてもどこか古めかしいデザインだったり、日常生活ではまず着ないような服を着ている人がほとんどだ。その中で現代的なスーツを着ている継喪は、浮いた存在に見えた。
振り向くと、そこには自分が抜けてきた大樹がそびえ立っていた。大樹の根はあちら側と同様に太く、その股が出入り口になっているようだ。
「いい加減置いていきますよ」
「あ、待ってよ」
言いながらも歩き始めている継喪を追いかけて雛は駆け出す。周囲の人々は、継喪が連れてきた雛のことを物珍しそうに見ていた。
そんな視線を居心地悪く思いながら、雛は町の様子をうかがう。
地面にござを敷いた露店で声を張り上げる店主。
大きな幕を看板代わりに張った商店で、店員相手に値切っている客。
道端で立ち話をする女性たちもいれば、道行く人々の足下を縫うように走り回る幼い子供たちもいる。
いずれも活き活きとこの町で暮らしているということは一目でわかった。
「継喪さ、さっき人形が住んでるって言ってたじゃん?」
「そうですね」
疑念を込めた目で雛は周囲の人々を見る。
先ほどの小鳥と少女の一件を見たので人形が動いているということに疑いは持っていないが、それにしたって彼らはあまりにも人間らしすぎる。
「この人たち、本当に全員人形なの?」
「ええ。俺と形代さまが手ずから継ぎ合わせた人形たちですよ」
「継ぎ合わせた?」
「アナタのように完全な形で流れ着く方は珍しいのですよ。ほとんどがバラバラのパーツになって流れ着く。ほら、川岸に溜まっていたではないですか、無数の骨の欠片が」
事もなげに言う継喪に雛は流れ着いた場所のことを思い出し、すぐに真っ青になった。
「まさか……あの白い砂が全部骨!?」
「ええ。あそこまで砕けてしまうともはや修復は望めませんがね」
知らないうちに本物の骨を踏んでいたという事実に、雛はぞわっと背筋を震わせる。
「じゃあ、それを継喪と形代サマがパズルみたいに組み直して、人の形にしてるってこと?」
確認するように尋ねると、継喪はわざとらしい笑顔を浮かべた。
「ええ、その通りです。今度はちゃんと理解できて偉いですねー!」
ぱちぱちと拍手までしてやけに大げさに継喪は褒めてくる。雛はむっと顔をしかめた。
「……なんか、バカにされてる気がする」
「何を言うのです。俺はただ、褒めて伸ばそうと思っただけなのに」
「言い方がうさんくさいんだよな……」
侮りを隠そうともしないその胡散臭さに、雛は怒りを通り越してあきれてしまう。
「お前さ、性格悪いって言われない?」
「言われませんね。俺はあまり人形たちとは会話しませんし、形代さまはあの通りシャイでクールな方ですから」
「シャイでクールかは知らないけど……つまり指摘してくれる奴がいないってことじゃん」
飄々とした表情で決して誇ることではないことをのたまう継喪に、雛はうんざりしてひとりごちる。
「ちなみに彼らのことは、骨を組み合わせて作るので、俺たちは『骨組人形』と呼んでいます」
「あー確かにあの女の子のことそう呼んでたな」
満足そうに消えていった少女のことを思い返しながら雛は言う。
ふと、そんな雛の視界に一人の少年が映り込んだ。
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