後編 魔王妃・シルヴェとの対峙

魔王妃・シルヴェは由緒正しいデーモンの家の娘であり、その父は冷徹な魔族の戦士だった。


当代の魔王ゴヴァの父親に当たる、先代魔王からの信頼も厚いものだった。だからこそ、親同士の話し合いによってゴヴァとシルヴェは結婚する運びをなったのだから。


念のために記しておくが、彼女は別世界からの転生者ではない。しかしシルヴェは長きにわたり人間と魔族との争いに心を痛めていた。


そんなシルヴェにとって、後に夫となるゴヴァとの出会いは奇跡的で運命的だった。そして彼女はゴヴァと共に時間を過ごすことによって僅かな希望を見出してしたのだ。


何故ならば。


「ゴヴァ・・・。あなたは元々人間だったのでしょう?お願いだからこの醜い争いを止めて・・・」


魔王妃シルヴェは、夫である魔王ゴヴァが人間から転生した存在だったと察していたから。





「魔王様、勇者様。ここに魔王妃のシルヴェ様がいらっしゃるかと思います。シルヴェ様特有の魔力を探知できました」


ここは広い草原。壮大な景色が広がっている場所ではあるが人間も魔族も暮らしていない、まさに世界の空白地帯と言えるところだ。


そして空には青空が広がっている。雲一つない、綺麗な青空。


今、そんな地に立っているのは勇者レザと魔王ゴヴァ、さらに優秀な魔力探知能力を持っておりここまで2人を導いてくれた1匹の巨大なガーゴイル。


彼らの目の前にあるのは古めかしい小屋。このガーゴイル曰く、どうやらここに魔王妃が潜んでいるという。


「ありがとうございました、ガーゴイルのイーファ様。こちらがお礼になります」


転生前は不動産業の営業マンであったレザはこういうところに抜かりが無い。ここまで連れて来てくれた謝礼としてイーファという名前のガーゴイルにここに来る道中で手に入れた新鮮な果実を渡すと、彼は嬉しそうにむしゃむしゃとそれを食べ始めた。


「それでは行きましょうか魔王様。あの中に奥様はいらっしゃるそうなので」


こうしてレザは小屋へと向かおうとするが、魔王ゴヴァの方は足がすくんでしまったのかその場から動けない。幾度となく繰り返すが、ゴヴァは怖がりでメンタルが弱かったのだ。


「わ、吾輩は・・・」


「魔王様。私もついて行くので大丈夫ですから。一緒にしっかり話をして、場合によっては一緒に謝りましょう」


もう一度言うが、転生前は営業マンであったレザはこういうところに抜かりが無い。ミスをした後輩のために、怒り心頭の客の下へと共に向かうという経験は山ほどしてきた。決して口には出さないのだがこういうシチュエーションは実は結構慣れっこなのだ。


レザにとってプライドなど、その辺に落ちている葉っぱよりも価値のないものと言える。


「心配な気持ちは分かりますが大丈夫です。むしろ早く行かないと、本当に奥様から愛想をつかされてしまいますよ?」


レザがこう言って再び歩みを進めると、ゴヴァの方もとうとう意を決したのかその少し後ろをついて行った。


そして勇者であるレザは、小屋の中に入ろうとして扉のノブに手をかける。するとその瞬間。


「っ!勇者!危ない!」


突然大きな爆音が響き、ボロボロの小屋が大きく崩れ、中から魔王妃が飛び出てきた。しかしその姿は。


「シ、シルヴェ・・・。どうして・・・」


美しい、いつもの彼女のものとは大きく変わってしまっていた。


大きな紫の翼を翻し、背中からは数えきれないほどの腕を生やし、真っ黒に染まった目からは赤い涙を流している。


「これは・・・デーモン族の暴走・・・」


魔王妃シルヴェは限界だった。好まない酷い争いの現場を幼い頃から見せられ、さらに想像したくもない戦いの話を聞かされ、大人になっても人間と魔族の目を覆いたくなるような姿を何度も目にしてきた。


それらのストレスが溜まってしまった結果、彼女の心はとうとう壊れてしまい、同時に肉体も変化を遂げてしまったのだ。


シルヴェは雄たけびを上げ、草原を焼け尽くすほどの炎を口から放つ。さらには背中から生えている腕を掲げることでそれまでの青空は一変、雷鳴が轟くような景色に様変わりしてしまった。


「わ、悪かった!シルヴェ!ただ君が、何に怒っているのか吾輩は分からないのだ!吾輩はどうすれば良い!どうすれば、君が認めてくれるような魔族の王になれるのだ!」


魔王の悲しき叫びが草原に響く。


すると。


「・・・夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが・・・。私はそれを乗り越えて食い物にできたという経験もありますので・・・」


崩壊した小屋の残骸の中から、ボロボロになった勇者レザがその姿を現した。


「私が生前、最後に担当したお客様。念願のマイホームを購入したがっていた若い夫婦ですが、彼らは途中で夫婦喧嘩をしてしまいました」


するとレザは「だけど私は・・・」と口にしながら魔王妃の方へと近づいて行く。


「私はこれはプライベートのことだと分かっていながらも、血反吐を吐くような思いをしてまでこの夫婦の仲を取り持つ努力をしました。恥ずかしい思い、情けない思い、そのようなことも味わってまでです」


まるで怪物のようになってしまっている魔王妃は、こう言葉を紡いでいる勇者の方を睨む。


「しかしそれは何もその夫婦を助けたいとかいう正義感によって動いたわけではありません。私が願っていたのは・・・契約直前まで行って、後もう少しのところまで来ていた目の前の仲介手数料を失いたくないと思ったからです!」


そしてレザは魔王妃シルヴェに向かって「それは今も同じ!ここまで来て平和の芽を摘むわけにはいかない!」と叫んだ。


「魔王妃シルヴェ!貴方は人間と魔族との争いを止めたいと思っているだろう!しかしそれを一番の味方である夫であるゴヴァが察してくれなかった!それに憤りを感じている!違うか!?」


「シルヴェ・・・そうだったのか?」


「貴方は魔王ゴヴァが人間から転生した存在だということも、本当は心優しい男だということも察したのだろう!しかしゴヴァはそれに気づかず、貴方の想いにも気づかず・・・。争いを続けて人も魔族も傷つけ続けてきたことが許せなかったのでしょう?」


レザのこの言葉を聞いた魔王ゴヴァは、その場に力なくへたり込んでしまう。


「シルヴェ・・・申し訳なかった・・・。吾輩は怖かったんだ。せっかくこちらの世界では自分を認めてくれる者に多く出会えたのに、君と結婚できたのに、それを失うことが・・・。でも吾輩は・・・いや、“僕”は・・・もう争いなんてしたくない・・・」


涙ながらにこう本心を漏らした魔王。するとそれまで翼をはためかせながら、咆哮を上げ、草原を破壊していた魔王妃は段々とその姿を変えていく。


「大丈夫ですよ、わたくしはあなたの全てを愛しています。これから魔王城に戻り、魔族と人間との醜い争いを止めるように一緒に働きかけましょう」


すると勇者と魔王の目の前には、魔王がいたあの大きな部屋に飾られていた絵画を同じ、美しい魔族の女性が立っていた。





「シルヴェ。どうして吾輩が別世界の人間から転生したと察したんだ?」


魔王妃シルヴェが元通りになった後、3人は巨大なガーゴイル、イーファの背中に乗って魔王城に戻っていた。


「だって分かりますよ。わたくしはあなたのことが好きなんですもん。あなたの立ち振る舞いや会話の内容を踏まえてもどこか不可思議なところがあったから。それに、わたくしに隠れて城の魔族に優しく接することもあったでしょう?もうカッコつけるのはやめてくださいね」


そして彼女は「それに古い書物で読んだことがあるんです。この世界にはいつか、別世界から転生した者が現れるという伝説を」と話して微笑んだ。すると魔王ゴヴァはそれを聞いて少し驚いたような表情をし、同じように優しい笑みを見せた。


「ところで勇者レザ。先ほどの独白を聞く限り、お前も転生者なのだろう?しかも吾輩と同じ日本出身。違うか?」


魔王は振り返り、自身の後ろに座っている勇者に向かってこう尋ねる。


「いえ。それは話すつもりはございません」


「あそこまで言っておいて隠せるわけないであろう?」


「いえ。何のことだか分かりません」


「え、マジでしらを切るつもり?」


「マジで何のことだかさっぱり」


「うふふ。面白い勇者ですね」


レザはこちらの世界に生を受けて以降、ずっと決めていたことがあった。それは“魔王も魔族も絶対に殺さないこと”と“自分が別世界から転生した人物だと明かさないこと”のふたつ。


しかしこれは彼の理念云々という話ではない。正義感がどうたらこうたらという話でもない。


単純に面倒事を増やしたくないと思っていたからだ。


勇者レザは出来るだけ効率良く冒険を進めたかった。それに転生の直前に女神から言われた内容はあくまでも“魔王が引き起こしている、人間と魔族との争いを止めるべき勇者に選ばれた”というもの。


そこに、魔王や魔族を殺せという言葉は無かった。


彼は不動産営業マン時代、客からの要望に対して、欲を出したり、拡大解釈をしたり、もしくは変な情が移って動いたことがある。そしてその結果として目の前にあった契約を取り逃すということを、前世での若き日の苦い経験として記憶していた。


だからこそレザは、言われたこと以上のアクションをして目的の達成をみすみす逃してはいけないと心に強く決めていた。つまり彼はこの世界における自身の目的を“人間と魔族の争いを止める”ということの・み・に絞って、いかにそれを愚直に達成できるかと考えたうえで思考と行動を進めていたのだ。


そして今回、レザはそれを見事にそれを果たした。


その目的を達成した以上、もう魔王夫妻と踏み込んだ関係を持つつもりはない。多少はフォローアップをしなければいけないとは考えているものの、いつまでも過去の“仕事”の成功を引きずるのも彼のポリシーに反する。


異世界に転生しながらも、どんな目的を標準に合わせても、勇者レザはどこまでも営業マンだった。

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