第37話・ロザリー・ロバーツ
「……ロザリー様」
「カメリアをどこに連れて行くのですか」
「目を通さないといけない書類があるから」と別室で控えていたはずのロザリー様が、カメリアの部屋を出てすぐの廊下で仁王立ちしていた。
長いまつげに縁取られた眼で、ロザリー様は私たちを厳しく睨む。
「まさかとは思いますけど、その子を攫うつもりですか? 今なら見なかったことにしてあげられます。カメリアは足が悪いの。早く部屋に帰してあげて」
「ロ、ロザリー様。あたしは……」
「カメリア。あなたには聞いていないの。あなたはクラークスの言うことだけ聞いていればいい。クラークスはあなたに外出許可を与えましたか?」
「……あ……でも、ジュード様は、クラークス様の弟だし……」
「クラークスはあなたに外出していいとは一言も言っていないでしょう? だったら、あなたはこの部屋の外に出てはいけないのよ」
「……」
きつく言われ、カメリアは顔を青くして俯く。
「どうしたの、ロザリー。らしくないよ」
「……あなたこそどうしたの。まるでクラークスの真似みたいに喋るじゃない。そうやってカメリアを騙したの?」
「……まあ、さすがにダメか」
ジュードはぺろ、と舌を出す。ロザリー様は忌々しげに整った眉を歪めた。
「義姉さん。あなたはクラークスのことをどこまで知っていましたか」
「……」
ロザリー様は押し黙り、ご自身の腕を抱く。
「外国と薬物のやりとりをしたり、人身売買を行っていることは知っていたでしょう」
「……ええ」
「あなたが兄に逆らえないのも、兄を売れないのも見捨てられないのもわかってます。あなたに期待はしてない。だけど、今、俺たちを見逃すことはできませんか」
「できないわ。だって、それってクラークスを見捨てるのと同じことでしょう」
抱いた腕の部分に服の皺が強く寄る。
「……わたくし、クラークスと結婚したかった。あの人と結ばれたかった。あの人は、間違ってないんだと思っていたかった」
「だから、言いなりになって、クラークスのすることを手伝っていたんですか」
「……いいこともしていたのよ。困っていた子を助けたり、荒れ果てた国で絶望する人に希望を見せたり」
「そのあとのことは見ない振りしていれば、たしかに善行だったかもしれませんね」
ジュードは淡々とした口ぶりで言った。ロザリー様も表情は変えない。
「早くクラークスが国王になればいい。あの人の望み通りにこの国全部を帝国に売り払ってしまって、悪いことはそれでおしまい。そうしたら、帝国であの人と二人、悠々自適に暮らせるんだって信じているの、わたくしは」
「……売り払って得た金と安寧で悠々自適に、な」
ジュードの素のしゃべり方で、ロザリー様が語った言葉を皮肉げに笑い飛ばす。
「やっぱり、あなたと話してもどうしようもないですね。……ほんの少しだけ、もしかしたらと思いましたが」
「……ええ。そうでしょう」
少し切なげに瞳を伏せたロザリー様。思わず、私は二人のやりとりに口を出してしまう。
「……ロザリー様、今なら、まだ間に合います。あなただって、クラークスの被害者……」
「馬鹿にしないで。わたくしはあの人の協力者よ」
「……ッ」
私の言葉を遮るように、ロザリー様はそう言って、ふふふと怪しく笑い始めた。
「妙な薬のことを言ってるの? 何を飲まされてるのかもわかっていたわよ。でも、飲むと悩まなくてよくって、気持ちが楽になるから、よかったの。わたくしは自分で選んであの人と一緒にいるために飲んでたの」
「……」
頭がぐらりとした。カメリアに対する絶望感とはまた一種違う、『この人にしてやれることがわからない』絶望感だ。
「……でも、そう。カメリア、あなた、『聖女』だったのね。……クラークスは、それを隠して、わたくしにあなたを預けてたの」
ずっと部屋の外で私たちの会話を聞いていたのだろうロザリー様は、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「……ショックでしたか」
ジュードが問うと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、安心したわ。わたくしに隠れて二人でこそこそしていることが多かったから、もしかして男女の仲なんじゃないかと疑っていたの。そうじゃなくってよかった。バカみたいでしょ、こんな小さな子相手に」
「……ロザリー様」
「わかってる、わたくしは愚かな女なの。でも、自分でももうどうすることもできないのよ」
ロザリー様は自嘲気味に吐き捨てた。
「クラークスはカメリアを渡すことは望まない。だから、わたくしはあなたたちを止めるわ。……なんとしてもね」
ロザリー様が懐から取り出したのは……小型の銃だった。
「カメリア。あなたが聖女ならちょうどよかった。殺してしまうのは忍びないから、あとで治してあげて。まあ、もしかしたらうっかり死んでしまうかもしれないけど」
「えっ……」
カメリアはぎょっと目を丸くする。
「……コルネリア。やっぱりコイツはダメだ! 強行突破で行くぞ!」
ジュードが事態についていけていないカメリアを抱き上げ、ロザリー様に向かって駆け出す。私もその後を追った。
銃声が数発響く。
ぐ、と低く唸るような声がして、ジュードは立ち止まった。
ジュードに当たったのだ。
ロザリー様はよろめいたジュードに狙いを定め、再び銃を構えた。
「……」
その隙に、私はポーチから愛用の針を取り出し、彼女の懐に潜り込んで、腹の辺りを刺した。
パン! と銃声がもう一度響いたが、その弾は廊下の天井に当たった。
「……ぐうぅ……!」
うめき声を漏らした彼女だけど、ほどなくして、ロザリー様は瞳を閉じ、首をコテンと落とした。
「……毒針、持ってたのか」
「ただの睡眠薬よ。外傷も、命を奪うものじゃないわ」
ロザリー様が銃の扱いに不得手のようでよかった。撃つことに葛藤はなくとも、照準を合わせたり発射の反動に慣れていないおかげで隙があった。
ジュードは抱えていたカメリアをゆっくり下ろすと、屈んで彼女の顔を覗き込みながら口を開いた。
「ごめん、カメリア。……僕の傷、治してくれる?」
「う、うん」
カメリアは戸惑いつつも、だくだくと血が流れているジュードの傷口に手を当て、軽く瞳を瞑った。
淡い白い光が傷口を覆い、そしてきれいに傷を治してしまった。
(……本当に、カメリアは……『聖女』なんだ……)
そう決めつけて動いていた私たちだけど、改めてその事実を噛みしめる。
「あ、あの、ロザリー様のことも、治していい?」
「ああ、もちろん」
カメリアはホッとした様子でロザリー様の腹に手を当てる。ほどなくして、白い光が傷口を包み込むように光り、その光が消え去るとロザリー様の腹部の傷は消え去った。
カメリアが許可を求めたのはジュードだった。……彼女の絶対的な主人であるクラークスと、ジュードはやはり重ねやすいのだろう。ジュードはわざと重ねるように演じていたわけだが。
ジュードは再びカメリアを抱き上げ、そして足早にロザリー様の屋敷を後にした。
ロザリー様のお屋敷と、この国のお城はそう遠い場所ではない。馬車が無くとも、十分歩いて行ける。
「……ロザリー様、銃を持ってた……」
その道中、ぽつんと、カメリアが呟く。
「ロザリー様は、悪い人だったの?」
「……難しいわね」
彼女は否定したけれど、私はやっぱり、彼女はクラークスの被害者だと思う。
簡単にいい悪いと言えるものではない。
「――そうだよ、ロザリーは悪いことをした。だから、カメリアはもうあのおうちには戻らない方が良いと思う」
だけど、ジュードはあえてカメリアの問いに、肯定したようだった。
「……え……じゃ、じゃあ、どうしたらいいの? あたし、ロザリー様のおうちの、あのお部屋にいなさいって、クラークス様に言われてるのに……」
「大丈夫。カメリアの新しいおうちは僕が探してあげる。……クラークスにも僕から話してあげる。だから、安心して。カメリアは大丈夫だよ」
「……うん、わかった……」
ジュードの優しい語りかけに、カメリアは安堵したようだった。
(……私も、早くこんなこと終わらせたい)
ロザリー様が『クラークスの目的が達成されたなら、もう悪いことをするのはおしまいになる』と夢見ていた気持ちが、今の私にも少しわかる。
カメリアを救うために、カメリアに嘘をついて騙している今が辛かった。
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