第9話・ジュードの火傷、コルネリアの秘密

 第一王子クラークスの闇。それが真実であれば、脅されているということは抜きにしても、むしろ協力せねばと思うが。


(……この男のことを、アタマから信じてもいいのかしら)


 ジュードの目を見つめた。菫色の瞳が薄明かりの中、煌々と静かに煌めいていた。


 南西の村が魔物に襲われたあの日、この男が見せた行動は『少なくとも外道ではない』と思わせるのには十分だった。けれど。


 もう少し、彼の考えを知りたいと思って私は口を開いた。


「どうしてあなたは第一王子の凶行を止めたいの?」

「は? ンなことわざわざ聞くか?」


 ジュードは心底呆れたという雰囲気で顔を歪ませた。


「わかってて人が苦しんだり、死んでいくのを見るのは嫌だろ」


 彼の返答はシンプルだった。

 私はつい、目を丸くしてしまう。


「なんだその顔」


「……あなた、それ、私に言っていいの?」

「あ?」


「だって、あなた、私を脅してるのに。……私が偽者だってバラしたらみんなガッカリして希望を失うかもしれない、って。でも、それじゃあ……」


「別に脅しの効力は消えねえだろ。アンタは偽者ってバラされたくないわけだし」

「……でも、あなただって。そうなるとわかっていて人々が傷つくのは嫌なんでしょう? それなのに、あなたがむやみに私のことを偽者だってバラすとは思えない」

「ふぅん、そうかよ」


 彼は頬杖をついて、そっぽを向いてしまう。

 しばらく無言が続いて静寂が流れた。

 もう話すこともないなら、そろそろお暇を――というところで、ふと思い出す。


「そうだ、せっかくだから火傷の状態を見せて」


 思いつきでそう言えば、ジュードは頬杖はついたまま目を丸くした。


「アンタ、ほんとに筋金入りのお人よしなんだな」

「いいでしょ。ちゃんと私の薬が効いてるのか気になるの」


 薬作りに自信はあるけれど、『もしもうまくいかなかったら』という不安は常について回る。これは私が『聖女』と偽って仕事をこなしているから、だからこその不安なのだけど。


 ジュードの手の包帯を解き、そっと彼の手を取る。

 爛れていた皮膚はすでに再生を始めており、皮膚が突っ張っている様子はあるものの、表皮のむけはもう見られない。


「……うん、ほとんど治っているわね」

「ああ、大したもんだ。奇跡といっても差し支えねえな」


 手をぐっ、ぱ、と開いたり閉じたりしながらジュードは言った。


「……でも、私の薬を塗ってあげても、あなたは私を疑った。そして確信を持ったわけでしょう。コイツは偽聖女だ、って」

「なんだよ、気にしてんのか」

「……ううん。私に至らない点があったとするなら、治したいの。同じように疑われてまた脅されたり、本当に偽者ってバラされたらたまらないから」

「真面目だなあ、聖女サマは」


 ジュードは薄く笑う。


「ま、しいていうなら俺みたいな手合いはまともに相手しないことだ。逃げ続けろ、そうしてりゃなんとかなる」


 菫色のきれいな瞳が射抜くように私を見据えた。


「俺を相手にした時のアンタの敗因はバカ真面目に対応しようとしたからだよ」


 そうね、と私は口の中だけで呟いた。

 少し沈黙し、乾いた唇を開く。


「ねえ、そういえばどうしてこんな火傷をしたの?」


「自分でやった。ナイフで適当に切ってもよかったが、怪我した理由を考えるのが面倒だ。火傷なら説明はしやすいだろ? お湯こぼしたとかなんでも」

「……呆れた」


 あの火傷の状態は相当ひどかった。アレを自分でやったとは、正直言って正気を疑う。

 私が『偽聖女』だという証拠を掴むためにそんな無茶をするだなんて。


「あなたって、頭がいいのか悪いのかわからないわ」

「そりゃどうも」


 心の底からそう言えば、ジュードは肩をすくめ、口角を吊り上げておどけてみせた。


 そして彼は「なあ」と続ける。


「アンタのその力……異常に効き目のある薬、ってなんなんだ?」


 菫色の瞳が射抜くように、ギラギラと私を見つめていた。


「アンタは聖女ではねえ。だが、その力も普通じゃねえだろ」

「……。俺も腹の中を晒したんだから、お前も晒せ、ってこと?」

「別に言いたかねえなら構わねえよ」


 少し迷って、私は口を開く。


 どうしてだろう。言いたくないのなら構わない、と言った彼の言葉は真実なような気がして、そういうふうに言ってくれる彼になら、話してもいいような気がしてしまったのだ。


「私は薬を作るときに自分の魔力を練り込んでいる。それで薬の効力をブーストさせたり、本来持ち得ないはずの効力を付与することができるの」

「……そりゃあ」


 綺麗な薄紫の目が見開かれる。


 王子、ということだけあり、彼にはきっと知識がある。

 すでに禁忌として存在を消された技術。


 『錬金術』だ。


「なるほど、それがアンタのもう一つの隠し事、ってか」


 ジュードは片眉を吊り上げたまま掠れ声でつぶやいた。


 錬金術師。

 彼らは邪法に手を染めたとして過去に断罪された。


「……アンタ、子爵家の生まれだよな? アンタの父親の嫁も同じ子爵の娘だったと思うが」

「私……父の本妻の子じゃないの、父の愛人の子どもらしいわ」

「じゃあ、アンタの母親……そのかつての愛人が錬金術師の系譜だった、ってことだな」


 頷く。父は本妻との間に子ができなかったらしい。それで愛人の子である私を本妻の子どもだとして育てたそうだ。

 ……まあ、だからこそ金のために娘を『聖女』と偽って売るなんて、とんでもないことができたんだろうなあ。所詮は愛人の子だから。


「父は母を離れに住まわせていて、私もそこで育てられたの。でも、六歳くらいのときに母は……死んでしまって」

「そうか」


 ジュードは瞳を伏せ、細く息をついた。

 ただそれだけのことだけど、なんとなく、母の死を悼んでくれた、という気がする。


「魔力も、薬作りの技術も母ゆずりなんだな」

「そうよ。薬学については……その、今となってはほとんど独学だけど……」


 基礎を母から学んだことには間違いない。薬を作るときに魔力をこめて効力にブーストをかける方法を教えてくれたのも母だ。


「錬金術師の生き残りの話はそこらで聞く。嘘かホントかわからんが、錬金術師の秘薬と銘打って闇市で金儲けしている連中がいたりな。……だが、奴らは今でも見つかり次第処罰の対象だ」

「……ええ」

「自分の技術が邪法と呼ばれていたことは知ってたか?」

「知ってたわ。だから、人に知られてはいけないと父からも母からも言われていた」

「……親父の方も知ってたのか」

「そうよ。そうでなくちゃ、『コイツなら聖女に仕立て上げられるぞ』とはならないでしょ?」


 私が作った薬さえあれば傷つき病む人を癒すのに支障がない、さも聖女の奇跡のように仕立て上げられると父は踏んだのだ。


 幼かった私は何がなんだかよくわかっていなかったけど、困っている人がいるなら助けなくちゃと無垢に信じてがむしゃらにやっているうちに、もう引っ込みがきかないところまできていた。


(望んで得たものではないけど、私は自分がしてきたこと自体には悔いはないわ)


 ジュードは「なるほどな」と低く唸るように呟いていた。私はそれを半眼で見つめる。


「……脅しの材料が増えたって思ってない?」

「なんだよ、脅されてぇのかよ」


 彼はがなり声をあげ、菫色の綺麗な瞳を片方だけ眇めて眉を吊り上げた。


「これは俺個人の考えだが、錬金術の技術自体はこのままゆるやかに消えていくべきだと思う。危険だからだ」

「わかるわ」


 心から同意する。私が母から教わったのは薬を作るための技術だけだけど、錬金術は極めればその名の通り、石ころさえ金に変えられるという話だ。

 爆薬、なんでも溶かす水、永遠の命を得られる薬。錬金術師の逸話には事欠かない。


 そして、事実、過去には錬金術師が起こしたとんでもない事件も数知れない。世界中が錬金術師を危険視するのはやむを得ないだろう。


「……当時のやり方は賛同はしねえがな。今更表沙汰にして蒸し返すべきじゃねえ」

「……」

「言わねえよ、アンタと母親が錬金術師だってことは。このまま大事に隠しとけ」

「……ありがとう」


 ジュードの低い声は思いのほか優しく胸に響くようなもので。

 私は顔を俯かせた。


「ごめんなさい」

「あぁ?」

「私、嫌なこと言った。……すごい嫌な感じで言った。ごめんなさい」


 私が錬金術の技術を持っているということを、脅しの材料にするんじゃないか、なんて。疑ったし、とても嫌なふうに言ってしまった。冗談でも言うべきじゃなかった。

 後悔で胸が切ない気持ちになってしまった。


「は? なに気にしてんのかわかんねえんだけど」

「……私、あなたのこと、もう少し信じることにする」


 ハッ、とジュードは私の小さな声を鼻で笑い飛ばした。


「ありがてぇことだが、ちょっと居住まいわりぃな」


 細められた瞳、引き上げられた口角とチラリと覗く犬歯。私にはそれが面映いといった表情に見えた。

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