第8話・二人きりになれる場所

 南西の村の一件の翌日。私は第二王子殿下に呼ばれて王城に来ていた。


 ……来ていた、というか、連れてこられたというか。またも寝起きに有無を言わさず連行された感じだ。


「村を救ってくれたお礼をしたい、って。国王陛下が」


 そんなわけで、王宮の侍女たちに身づくろいをされ、国王陛下とお会いして、働きをお褒めいただき、それはわりとアッサリおわり。


「コルネリア♡」


 ……なのに、婚約者の第二王子殿下が手を離してくれません。


 表情は笑顔をキープしつつも、わりと強めにぐぎぎぎと手を引き剥がそうとしても引き剥がせない。


「私、早く神殿に戻らないと……」

「もう少しくらいいいじゃない。帰りも馬車で送るよ。王家の馬車は神殿の馬車より速いだろ?」


 速いし、乗り心地もいい。それはたしかだけど。


「僕たち、そう気軽に毎日会える身分じゃないんだし、ねえ?」


 記憶が確かなら、この男に無理やり婚約者にさせられてからというもの、何だかんだ毎日顔を合わせているのは気のせいだろうか。


「……ああ、君。いいかな」

「は、はい」


 ニコニコ笑顔で手を握る男の顔を不敬全開にならない程度の精一杯の困り顔で見上げていると、ジュード王子殿下は一人の侍女を呼び止めた。


「婚約者と二人きりで過ごしたいんだ。誰にも邪魔されずにね。……いい場所知らない?」

「ええっ」

「そういう秘密の小部屋は君たちの方が詳しいんじゃないかなと思ってね。どうかな?」


 侍女は戸惑い気味に私たちの顔を交互に見た。それはそういう反応をするだろう。


 ここで、なぜだか急に甘い空気がふわりと漂い出した。


「……コルネリア。本当は君をずっとここに閉じ込めておきたい。でも、君はこの国の聖女だから……そういうわけにはいかない。わかってはいるんだけど……」

「……殿下」

(本当は『はあ?』って言いたいけど『俺に合わせろ』って圧を感じるわ……)


「せめてここにいる間だけでも二人きりの時間を楽しみたいんだ。君を独り占めしたい。いいだろう?」


 ジュード第二王子殿下の甘い声に、侍女はうっとりとしている。瞳をこれでもかとうるうると煌めかせて。……なんだかむしろ、この男に口説かれてるのこの子のほうみたい。


「か、かしこまりました」


 赤らんだ頬を軽くはたいて、笑顔を作った侍女は「こちらへ」と私たちを促した。


 地下に向かう小さな階段。降りて行くと少し湿った匂いと冷たい空気がしてきた。人の気配はなく、薄暗い通路を侍女は手慣れた仕草でランタンに火をつけ灯す。


「王子殿下と聖女様にご紹介するには少し憚られるのですが……『秘密の密会』にはよろしいかと……!」


 まだ幼げな侍女はまだ赤らんでる頬をしながら興奮気味に言った。彼女が連れてきてくれたのは地下の小さな物置のような部屋だった。部屋に入ると目の前には棚が立ち並んでいて、その隙間をくぐり抜けるとわずかに拓けた空間にぽつんと小さな机と椅子がふたつ申し訳程度に置かれていた。


「……実はここ、私たち若手の侍女が一人きりになりたいときにくるところで……。部屋の戸を開けても棚が目隠ししてくれるので、少しサボっていても誤魔化しやすいかと……」

「いいね、もともと何の部屋なのかな?」

「もう使わない道具や、捨てて良いかわからないけれど必要のないものなどを置いておく部屋で……だから滅多に人は来ないんです。入り口のところに灯りを灯しておけば、みんな気を遣ってくれますから、誰かに見つかる心配は少ないと思います」

「ありがとう、君たちの邪魔にならない程度にたまに使わせてもらおうかな」


 ジュード王子殿下が微笑むと、侍女はまた頬をぽっと染めた。

 侍女は恭しく礼をすると「ごゆっくり!」とうっとりとした瞳で退散していった。


 手を引かれ、物置部屋に入り込む。ギィと重い音を立てながら扉が閉まった。


「やったね。ここが僕たちの秘密の小部屋になりそう」


 そして、ぎゅう、と後ろから抱き締められる。


「……もう、誰もいませんよ」

「うん?」


 ジュード王子殿下はパッと身を離すと、とぼけた雰囲気で小首を傾げた。

 そして、ニッと口角を上げて笑って見せた。なんだかもうすでに見慣れた顔だ、なんて思ってしまう。


「一応、な。さっきの侍女が聞き耳立ててるかもしれねえし」

「……ちゃんと、階段を登っていく足音は聞こえてましたよ」


 半眼で王子殿下を見上げる。


「……あなたの部屋とかが一番安全なんじゃないですか?」

「は?」


「えっ、だって」

「さすがに婚前で婚約者を自分の部屋に連れ込んで二人きりでコソコソすんのはダメだろ」

「……そうですか?」


 きょとんと返され、逆に狼狽える。

 ジュード王子殿下はなぜか呆れたような表情をしていた、けれど、すぐに真剣な面持ちになり小声で囁く。


「……それはさておき。俺の部屋は警戒されてる、全然安全じゃねえ」

「……どういうことですか?」


 ふざけているわけではなさそうだ。王子殿下は「ああ」と頷いたけれど、「その前に」と前置きして私に人差し指を突きつけた。


「あのよ、そういう話し方やめろよ」

「……いやです。私とあなたとでは身分が違いますし」

「そんなふうにしおらしく話すタマじゃねーだろ、アンタ」


 しおらしく話す女じゃないというのは、その通りだった。

 ジッと彼を半ば睨むように見つめる。返ってくるのは意志の強い眼差し。今までのやりとりを踏まえても、私がアレコレ言っても彼が引かないことは明白だ。


「……わかった。あなたの言うとおりにする」

「おう。そのほうがアンタも楽だろ」


 脱力し、はあとため息をつく。対して、ジュード……は軽快に笑って見せた。


「アンタとは腹を割って話し合えるようになっておきたい」

「……」


 まあ座れよ、と促され、素直に従う。


「俺がなんで王位が欲しいのか、話しておこうと思ってな」

「……そりゃ、確かに気になるけど」


 なんで今になって。むしろ、一番最初に話していてほしかった。この男ときたら、初手脅しからの無理やりキスで強制婚約だった。

 どうせ話してくれるなら最初に言ってくれたらよかったのに。


「こないだの村でのアンタを見てたら、アンタにはちゃんと話しておいたほうがよさそうだって思ったんだよ」


 私の怪訝な雰囲気を察してか、ジュードは肩をすくめて言った。

 ジュードの菫色の瞳が私をまっすぐに見つめる。私も居住まいを正し、真剣な彼の瞳を見つめ返した。


「俺の標的は第一王子・クラークスだ」


 低い声が静かに告げる。


「……アイツはダメだ。アレを王にしてはいけない」

「どういうこと?」


 第一王子・クラークス殿下。王位継承者一位の人物であり、携わっている公務も多く、民からの信望も厚いと耳にしている。だが、ジュードの声は深刻そのものだった。


「アイツが王になったら、この国は帝国の属国になる」

「帝国?」


 反射的に眉が歪んだ。帝国ハビネルア。ハッキリ言って、いい噂を聞かないところだ。世界的にも有数の軍事巨大国家であり、世界で一番治安の悪い国とも言われている。……まあ、聖女不在の間のこの国もいい勝負だったんだけど。


(……むしろ、聖女がいなくて弱りまくってたときによくぞまあ支配侵攻されなかったわね、この国)

 

「アイツは国民を奴隷として売る気だ。あそこは人身売買は合法だからな」


 目を見開く。ジュードは淡々と話を続けた。


「……すでに裏では何人もアイツは帝国に人間を売ってる。他にも違法薬物の売買、危険な外来種の輸入……。こないだの村でのアンタの薬の売買もアイツがいっちょ噛んでたはずだ」

「ど、どういうこと」

「アイツはこの国に見切りをつけてる。泥舟に乗るならいっそこの国の全部を他所に売り払って自分だけ甘い蜜啜ろうとしてんだよ」


「それはそのまま陛下にお伝えしたらどうにかできないの?」

「物的な証拠がねえ、動いてるのはアイツ本人じゃなくてアイツの尻尾らだ。尻尾どもを現行犯で捕まえたところでしょうがねえだろうな」

「でも……」


 ジュードは大きく首を横に振った。


「さんざん国を荒れ果てさせたくせにヘラヘラしてるボンクラ王の父には期待できねえ。……先祖代々『聖女』に頼りきりの国家運営をしていたツケだな」


 ジュードの大きな手のひらが彼の顔を覆ってしまい、表情が見えなくなる。低く掠れた声だけが響いた。


「情けない話だが我が家はお飾りの王家だ。……数百年以上の、筋金入りのな」

「……聖女がいる間は、争いも災害もなく、作物の実りも豊かであったって話だものね」

「ガバガバ運営でも聖女サマのおかげで大丈夫ってわけだ」


 ハッ、と自嘲気味にジュードは吐き捨てた。


「……悪いな、本当ならアンタが聖女にならなくてもいいようにするのが国の仕事なのに」

「……別に。いいわよ、あなたに謝られなくても」


 私は聖女のフリをしていることに罪悪感を抱いているけれど、辛いとは思っていない。きっかけは父親に売られたからだけど、もうすでに私には私なりの矜持があった。

 

「俺の目的はアイツの魂胆を阻止するために、俺が王位継承しちまうことだ。そのためにアンタ偽聖女を利用した」


 顔を覆っていた手を離し、ジュードの菫色の瞳があらわになる。この男の本性はさておき、本当に綺麗な瞳だった。吸い込まれてしまいそうな透明感のある瞳、なのにジッと見つめていると不思議とギラギラしているように見えてくるのはなぜだろうか。――彼の意志の強さゆえ、だろうか。

 

「俺も筋金入りのボンクラなのは間違いねえが、兄貴と比べたらマシだ。俺がやる」


 低く掠れた声、力強い眼差し、真摯な面持ち。……それから一転しニッ、とジュードは目を狭めて笑った。


「……俺がアンタを脅したのはそういうわけだ。……ってワケで、協力しろ♡」

「言ってることと声色が全然合ってないんだけど?」


 甘え声で私を脅す男はハハ、と軽く笑った。


「自分の部屋が安全じゃない、っていうのもそういうこと?」

「ああ、アイツ、俺がコソコソ嗅ぎ回ってるの当然のように気付いてるから」


 ジュードは肩をすくめて皮肉げな笑みを見せた。

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