第5話・狼の魔物

 南西の村、コルトン。山間部に位置した、小さいながらも自然豊かな肥沃な土地を活かした農業と酪農が盛んな村だ。


「……そうですか、お変わりはないですか」

「はい! それもこれも、聖女様のおかげです!」


 村の集会場で村長と話をする。彼の明るい笑顔にホッとする。


 一通り村をまわったが、小さな村ながらも住んでいる人たちは慎ましくも平穏に暮らせているようでみんな笑顔を向けてくれた。

 村の住人は老人が多い。神殿にまで自ら赴くのは難しい人たちが多いので、こうして定期的に訪問するようにしている。……意外と、第二王子殿下は老若男女問わず愛想よく振る舞っていた、というか、気配り上手で実は少し助かった。


(いえ、素はまあアレだけど、でも、腐っても第二王子殿下なんですものね。これくらいは普通よね)


 私の隣で大人しく村長と私がやりとりしているのを聞いてニコニコしている彼をチラリとだけ見て、私は村長に目線を戻す。


「前にお渡しした薬の備蓄は大丈夫ですか? 今日もいくつかは持ってきていますが……」

「ああ! ありがたいです。備えはまだあるのですが、多めにいただけますと安心できます」

「はい。もう魔物の繁殖期も近いですものね。回復薬と、それから罠用の毒餌を……」


「――村長! たっ、大変です!」


 物々しい音を立て集会場の戸が開かれる。真っ青な顔の青年はハアハアと肩で息をしながら早口で行った。


「ま、魔物の大量発生です! か、家畜が襲われて! 家畜の世話してた奴らも……!」


「――なんですって!?」


 慌てて外に駆け出す。家畜と人の悲鳴、恐ろしい獣の唸り声、血の匂い。


 集会所からは少し離れた家畜小屋が集まったあたりに、想像していたとおりの魔物の群れが見えた。

 体は子犬ほどの大きさだか、ひどく獰猛な肉食獣、ゴブリンウルフ小人狼だ。真っ黒で硬い被毛に覆われていて、退化して小さくなった瞳と小さな頭蓋ながら大きく尖った牙を有している狼型の魔物だ。


 村の自警団がすでに交戦中の様子だったが、しかし、どう見ても分が悪い。


(……数が多いわ!)


 この魔物には特性がある。必ず30頭以上の群れを形成して行動するのだ。逆を言えば、大規模な群れを形成できない限り人里に降りては来ない。


 その習性を利用して、この魔物の対策には毒餌を使ってきていた。一頭が食べれば、遅効性の毒がその一頭の唾液や排泄物にも含まれ、生活を共にする群れの別個体の命も奪っていく。俊敏で知能も高いこの魔物を完全に殲滅することは難しかった。だが、小柄な体躯の獣ゆえか20頭弱の群れでは彼らは山から降りてこない。だから毒餌の罠で対策ができてきたのだ。


 しかし、この彼らの習性にも例外がある。繁殖の時期になると腹の子のために食物を求める雌が単体で山から降りてくることがあるのだ。1頭、2頭程度であれば村の自警団でも対応できる魔物で、それほどの脅威ではないはずだけど、群れになると彼らは段違いの脅威と化す。

 

 しかし、数年かけて着実に総数を減らしていってきていたはずなのに。


(……30……ううん、ハッキリとは見えないけど、50頭くらいはいるんじゃ……?)


 私は腰のカバンから毒薬の入った瓶と小さな球状の爆薬を取り出し、群れに向かって走っていった。


「コルネリア!」


 少しうわずった声が後ろから聞こえてきたが、構わず真っ直ぐ向かっていく。


(一番手っ取り早いのは毒霧……だけど、自警団の人もいる、少しずつやっつけていくしかない……!)


 真っ黒い塊になっているゴブリンウルフ小人狼に向かって爆薬を投げる。硬い被毛をもつ彼らに物理的な攻撃はあまり効かない。だが、気をひくのにはちょうどよかった。こちらに向かってきた彼らに対して、液状の毒薬を撒いて怯ませる。腰に携えていたあらかじめ針に毒を塗り込んである毒針を構えた。毒液で身悶えている魔物の被毛の守りが薄い目、腹、肛門を狙う。


「聖女様!」


 自警団の一人から明らかに安堵の色が滲んだ声が漏れた。


(私が来たから大丈夫! ……なんてふうに言えたらよかったんだけど)


 本物の聖女ならこんなふうに地道にコツコツとセコい毒で魔物を殺さなくてもすんだだろう。

 でも、偽者なりにやるべきことは成してみせる。きっと。


「みなさんはなるべくここから離れてください! 危険です!」

「で、でも、聖女様が……」

「私は大丈夫です!」


 自警団の人たちがいなくなれば毒霧も使える。毒霧の範囲はそう広くはないし、小屋の中にいる家畜たちへの影響は心配ないだろう。


 自警団の人たちは後ろ髪を引かれている様子ながらも私の言う通りに走り去っていってくれた。


 よし、今なら――!


 腰のカバンからひとつの小瓶を取り出し、蓋を開けてすぐに魔物の群れに放り投げる。蓋を開けた瞬間に吹き出した紫の霧が黒い群れを包んでいく。

 少し後退り、毒消しの薬を含ませたハンカチで口を抑えながらも片方の手からは毒針は手放さず、私は霧に包まれた彼らを注視し続けた。


 苦しむ獣の咆哮、ジタバタと地面を蹴る音。霧の色が薄くなるにつれ、それらの音も次第に収まっていく。


(……)


 私はまだ警戒を散らさない。

 霧が完全に霧散し、ハンカチを口から離す。小さな狼の魔物は積み重なるように倒れていた。


(……効きが悪かった個体がいるかもしれない、そうしたら、トドメを刺さないと……!)


 毒針を握り直し、静かに黒い塊に近づいていく。


 そこで、なぜか背後から獣の咆哮が聞こえた。


(――え!?)


 振り向くと、群れから離れ、単体で行動していた個体。妊娠中の雌だ。たまたま群れと同じタイミングで山から降りてきていたのか。


 ゴブリンウルフ小人狼が跳躍した。速い。瞬きしたその瞬間にやられる――。


「……!」


 慌てて身を引いても、間に合わない。スローモーションに錯覚する私の視界には狼の鉤爪がもう目の前にまで迫っていた。


「――オラァッ!」


 長い脚が私を救った。

 私に襲い掛かろうと飛び上がった狼の腹部に重い一撃。


「……」


 目の前で揺れるサラサラの金髪をぽかんと見つめてしまう。

 勢いよく被毛の薄い腹を蹴り上げられた雌は泡を噴きながらピクピクと痙攣し、やがて事切れたようだった。


 ふぅ、と金髪の彼は細く息つくと私に振り向いた。


「アンタ、毒薬も作れんのな。ていうか、魔物と直に戦うのもやんのかよ、聖女って……」


「……ありがとう」

「さっきまでヤベー目で狼とヤりあってたとは思えねえくらい惚けた顔だな?」


 ニッ、と口角を上げるのはジュード第二王子殿下。


「……私も、王子様が狼を蹴り殺せるとは思ってませんでした」

「いきなり走り出してものすごい勢いで魔物とドンパチ始めた聖女様に驚かれるのは心外だな」

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