第3話・「僕たち、認められたみたい♡」

 ――最悪。

 昨夜はろくに眠れなかった。ようやく眠れたと思ってまもなく朝を迎え、慌ただしく自室の扉を叩く音で目を覚ました私があれよあれよという間に連れて行かれた先は、王座だった。


 神殿の厳かさとはまた別種類の豪奢な部屋に圧倒されつつ、第二王子殿下の斜め一歩後ろで私は跪いていた。


「この者と婚約を結びたいのです」

「……大聖女、コルネリア……」


 国王陛下が片眉を吊り上げながら我々二人に厳しい目を向ける。

 豊かに生やした白髪混じりのヒゲに手をやりながら、陛下は思案されているようだった。


 第二王子と聖女の婚姻を歓迎してはいないという雰囲気がありありと伝わる。


 それはそうだろう。色々とややこしくなる。国王陛下の御子はみんな正室の子。特別な事由がない限りは継承権は長兄が一番強い。第一王子は特に悪い噂を聞かないし、現時点において、第一王子殿下の王位継承権は揺るぎないはず。

 ……なのに、第二王子の彼が民衆の信望厚い聖女である私と婚姻したらそれがひっくり返る――かもしれないのだ。


 あくまで、私との婚姻で第二王子の彼にもチャンスができるという程度のものではあるけれど、それを陛下はどう判断なさるのか。

 面倒ごとを嫌うのであれば、却下だろう。


(……なんで王位継承権が欲しいんだかはわからないけど)


 偽聖女を脅してまでこの男は王位が欲しいらしい。


 どうしてなのか知りたいけど、寝ぼけざまに「迎えにきたよ♡」と丁重にエスコートされてここに連れてこられた。なんと、王家の侍女に身支度をしていただくという厚遇だ。今着ている煌びやかなドレスも「僕からのプレゼントだよ♡」と押し付けられたものだ。

 そう。ここまで、何の打ち合わせもなく。だから彼の意図を私はわかっていない。全てが唐突だ。


 馬車に乗っている間も、王城に到着して支度室に案内するまでの間も、昨日祭壇の前で私を脅したときと同一人物か怪しいほど私に対して甘やかに接してきていた。


「過去にも王族と聖女の婚姻の前例はありました。どうか認めてはいただけないでしょうか」

「ふむ。……では問おう。なぜ聖女との婚姻を望む」


(もし、陛下が婚姻を認めなかったら……この男は素直に引き下がるのかしら……?)


 これは私の憶測に過ぎないけど、王家にとっては聖女と強い結びつきを得ることができる、そのこと自体は大きなメリットだと思う。ゆえに、王位継承権にも影響が出てくる。……しかし、一顧だにせず跳ね除けてしまうには惜しいメリット。それを陛下はどう判断なされるか、だろう。


 さて、この男は陛下の問いにどう答えるのか。


「――私は彼女を愛しているからです」


 うわあ。


 顔がひきつりそうになるのを必死で抑える。私は作り笑顔には慣れているからなんとか耐えられた。偽聖女としてやってきた十年間の研鑽がなければ耐えられなかったかもしれない。


「愛している、とな」

「はい。そして、彼女もまた私のことを……」


 おもむろに振り返って目配せされる。よくそんなうっとりとした瞳を演技でできるものだと感心する。


「愛する者と結ばれたい。そう望むのは当然のことでしょう?」

「……なるほど」


 陛下は細く細く目を狭めた。第二王子殿下とは違う、緑色の瞳だ。

 しばしの沈黙。陛下はヒゲを撫でる手を止めると、小さく口を開いた。


「わかった。婚約を認めよう」


(み、認めちゃうの!?)


 つい、ぎょっと目を丸くしてしまう。嬉しいというよりも驚愕が勝る表情を浮かべた私を第二王子殿下はバッと振り向き満面の笑みでぎゅうと抱きしめた。


「ああ、よかった! コルネリア! 僕たち、結婚できるって!」

「――きゃっ!?」


 王の御前で王子は私を抱き上げ、なんとクルクル回り始めた。


(ま、待って、なにこれ)


 すごい浮かれよう、でも多分演技だ。過剰演技すぎやしないだろうか? 回る視界の中、私は困惑し続ける。


「ありがとうございます、陛下!」


 弾んだ声で言った彼は私を横抱きに抱え直すと、足取り軽く王の間から出ていった。


 ◆


 王の間から出て、付き添おうとする使用人の申し出を断ったジュード殿下は私にピッタリと身を寄せて腕を組んで歩きながらニコニコと笑う。


「よかったね、コルネリア。僕たち、認めてもらえたみたいだ」

「そうみたいですね……」


 私のいかにも微妙という表情にも一切怯まずジュード第二王子殿下は微笑み続けていた。

 よくぞ「愛し合っているからです!」で認められたな、と思いを馳せていると、人気のない廊下にさしかかったところでボソリと彼は呟いた。


「――ま、アレは俺を侮ってるからな」

「……」


 その呟きの意味を正しく解することは今の私にはできないだろう。なんとなく自嘲気味な笑みを浮かべているような気はした。

 おそらく、だが、彼の王位継承権は『二番手』ながら『一番手』との間には大きな差があるのだろう。そんなふうに察する。


(婚約……ね)


 私は本物の聖女が現れるまでは聖女であり続けたい、そのためにはこの男の言うことを聞くしかない。


(……なぜ王位を欲しがっているのか。この男の目的を探る。それで、もしも私と結婚しなくても目的が果たせるのであれば……私、この最低男とは結婚しないですむんじゃない?)


 よし。今後の腹積もりは決まった。好き好んでこんな男と結婚したくはない。たとえ愛がない契約結婚だとしたって、この男よりもマシな男の方が多いだろう。

 この男の目的に協力して達成まで導けば、今は脅されている立場だが、交渉の余地がでるのではないだろうか。私はそんな希望を抱く。


(絶対に、こんな男とは結婚しない!)


 最悪な初対面口づけを思い返しながら私が強く拳を握りしめた。


「さ、コルネリア。今日も聖女のお勤めがあるんだろう? 帰りの馬車を手配しているよ」

「……ありがとうございます」


 ロビーに続く大階段を第二王子殿下のエスコートで降りていく。優しい


「ああっ、お待ちください! リーン様っ」


「えっ?」

「にいにー!」


 甲高い女性の悲鳴、ふと振り向くと、目の端に小さな何かがうつる。なんだろうと思う間もなく、その何かは最低男にぶつかっていった。


(にいに?)


「ハハッ、今日も元気だな。……コルネリア、紹介するよ。弟のリーンだ、かわいらしいだろ?」


 慌てて後ろからかけてきた女性、乳母だろうか。彼女に笑いかけながら第二王子殿下は弟を抱き上げた。

 弟……というと、第三王子か。兄の腕に抱かれながら、大きな目でじっと私の顔を不思議そうに眺めていた。


「この人はね、俺の大切な人になる人だよ」

「たいせつ?」

「結婚するんだよ、リーンとも家族になるんだ」


 語りかける兄にリーン殿下はきょとんと小首をかしげる。つぶらな瞳が大変愛らしい。兄弟は同じ菫色の目をしていた。まだ幼いながら整った容姿をされていた。


「んー……」


 リーン殿下が小さなふくふくの指差しで私を指差す。クソ王子は「ああ」とリーン殿下の訴えをすぐ察したようでニコッと笑った。


「ねーね、って呼ぶといいよ」

「ねーね!」


 くっ、かわいい。


 呼び名を得た殿下はとっても嬉しそうに私を指私して「ねーね! ねーね!」と繰り返す。かわいい。小さくてふわふわでかわいらしい存在が舌足らずに自分のことを呼ぶのだ、かわいいに決まってる。

 ニヤニヤしているクソ王子からも「どうだオレの弟はかわいいだろう?」という無言の圧を感じる。


「かわいい……ですね……っ」

「ねーね、にーにとケッコンするの?」

「うっ……」


 キラキラの眼差しが眩しすぎる。

 第二王子よりもずっと大きくてまんまるな瞳、透き通るような菫色の目がとんでもなく眩しかった。


「そうだよ、よかったなー、ねーねができるぞ。リーン」

「ねーね!」


 ぱああとリーン殿下はますますお顔を輝かせる。


(どうだ? 逃げられまい、この無垢さかわいさからは!)


 脳内のクソ王子がゲスな笑顔で高笑いする。

 多分実際このニコニコ笑顔の裏ではそんな感じだと思う。圧を感じる。もしかしてとは思うが、この可愛らしい弟君とのエンカウントもこの男の術中だっただろうか。いや、まさか。しかし、陰謀を感じるほどに第三王子リーン殿下はかわいらしかった。この子に「ねーねになるの?」と聞かれて「このクソ男とは結婚なんてしません!」と言える人間が世にどれほどいようものか。いや、いない。


「くううぅ……しますっ……結婚……っ」

「わあい! ねーね!」


 私は歯を強く噛み締めながら、自ら「結婚します」という言葉を放った。ずっと傍にいた乳母が「まあ」とほのかに頬を染めて瞳をキラキラとさせ、私と第二王子殿下を見ているのが痛いほどよくわかる。

 国王陛下に認められ正式な婚約者となった以上、すでに逃げ場はなくなっていたわけだけど、なんだかさらに進退極まったような気がする。


「ねーねは忙しいんだ、今日はもう帰るけどまた今度遊んでもらおう?」

「うんっ。わかった! こんど!」


 兄の腕から降ろされたリーン殿下はニコッと笑うと、大きく手を振って私を見送ってくださった。

 

 第二王子殿下は私が馬車に乗るところまで見届けた。

 本心はそうではないだろうに、名残惜しそうな眼で私を見つめる。


「……本当は神殿まで送っていってあげたいんだけど。これから弓を披露しなくちゃならなくて」

「え」


 ――ちょっと待って。昨日、私に言っていたあの話って、デタラメじゃなくて本当だったの? 本当に今日外国の要人の接待がある?

 最後の最後でとうとう私の顔はひきつった。


「あ、あの、大丈夫なんですか?」

「君のおかげでもうだいぶ具合がいいよ。ありがとう、コルネリア」

「それは……なによりですが……」


 ニコ、という微笑みの圧に気圧されて、なんとなくなにも言えなくなる。


(……どういうやつなの? この第二王子って――)


 馬車に揺られている最中、ずっと私は困惑し続けていた。

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