07 一滴たりとも

 声が聞こえる。

『……けて』

『助けてください、タイオス』

 リダール少年だ。

(待ってろ。助けてやる)

 そう言おうとしたのに、声が出なかった。身体が動かなかった。

「助ける?」

 笑いを含んだ囁き声がした。

「お前のような似非騎士が、誰かを助けることなど、できると思っているのか」

(――エククシア!)

 叫ぼうとした。

 声は出なかった。

 タイオスは懸命に力を込め、身体を動かそうとした。だが、無駄だった。

(てめえ、何の真似だ)

(どういうつもりで、俺を)

「それでこそ――騎士」

 金髪の男は、笑っていた。満足そうな笑みを浮かべていた。

「見るな」

 異なる声がした。

「その目を見るな、タイオス。呑まれるぞ」

「何」

 声が出た。

「見るな。墨色の王国に、閉じ込められたくなければ」

「何だって? お前……」

 引っ張られる腰帯。視線を右下に向ければ、小さな黒髪の子供が、そこにいた。

「おい、お前、何で」

 ――はっとなってタイオスは目を覚ました。

 そこは、寝台の上だった。

 見覚えのある光景に、キルヴン邸で借り受けている寝室だと、判った。

「……何?」

 戦士は呆然として、目をしばたたいた。

「夢、だったのか?」

 どこから、どこまでが。

 記憶が混乱した。

(まさか、リダールがさらわれたことも、夢だとか)

 そんなふうに考えてみたが、そうではないことは判っていた。あれは現実だ。それから彼は魔術師協会に行き、キルヴン邸に戻って、エククシアが彼を呼んでいると聞き――。

 向かった。確かに。

 〈青薔薇の蕾〉の近くの、〈幻夜の鏡〉に。

 エククシアは、〈白鷲〉を貶めて挑発し、テレシエール一味がどうこうという中途半端な話をしてタイオスが何をどう考えるものか探り、女を呼んで、薬を使わせた。

 そこまでは間違いなく現実だ。

 では、何故タイオスはこうして、キルヴン邸の寝台に転がっているのか。

 うなりながら起き上がった。酷い二日酔いをしているように、頭が痛い。戦士は寝台を下り、窓に向かうと掛かっている布をめくった。

 朝だ。いや、もう昼になろうとしている。

「どうなってんだ」

 エククシアは、誘拐犯と手を組んだのか。あの薬がリダールに使われたものと同じであると仮定すれば、そう考えられる。

 だが、何のために。

 そして、タイオスを無事に帰す理由はあるのか。

 ああして敵の術策に陥った彼は、殺されていてもおかしくないのだ。しかしエククシアは、そうしなかった。

 タイオスは頭を押さえ、よれよれの衣服で――昨夜のものそのままだった――部屋の外に出た。通りかかった使用人を呼びとめると、驚いた顔をされた。

「あー……俺は、昨夜」

 どうしたんだ、というような間の抜けた質問をするのは嫌だったが、せざるを得ない。

 使用人は、自分は詳しいことを知らないと答え、判る者を呼ぶから部屋で待っていてくださいと言った。タイオスはうなずいて、水を持ってきてくれと頼んだ。

 頭ががんがんする。何も考えたくない。だが、考えなくてはならない。

(エククシアが誘拐犯と手を組む意味は何だ)

(金か)

(いや、金が欲しいなら、もっと安全で楽な方法がいくらでもある。何しろ、神秘的な外見を持つ〈青竜の騎士〉様だ)

 ロスムに限らずほかの貴族であろうと、召し抱えようと金をちらつかせることは十二分に有り得る。姫君方にも人気が高いという話だ。貢がせるのだって、難しくあるまい。

(あのとき、リダールと痩せ男を追ったのは演技か。それとも、あの時点では本当に奴らを捕まえるつもりでいたのか)

(演技であるなら、その目的は)

(――簡単だな)

 戦士は息を吐いた。

(エククシアはロスムの手先ではなく、リダールの護衛としてあいつを守ろうとしたと)

(……俺にそう思わせるためだ)

 クソッ、とタイオスは拳を握った。彼はそれに、まんまと引っかかったのではないだろうか。話があると言われてのこのこと出かけ、ろくに話を引き出せずに、薬を。

(そこだ)

 更に、彼は考える。

(早々と俺に馬脚を現して、何になる。殺すつもりだったならともかく、俺はこうして生きている)

 〈青竜の騎士〉の考えることが判らない。さっぱり。

「タイオス殿」

「ああ、ハシン」

 現れた初老の使用人に、タイオスは苦い顔をした。

 リダール少年誘拐時から、この初老の男とは顔を合わせていなかった。何も避けていた訳ではなく、結果的にそうなっただけだが、彼としてはキルヴン伯爵と相対するのと同じような罪悪感を覚える。

「お水をお持ちしました」

「ああ、有難うな」

 受け取って、ひと息に飲んだ。ハシンは黙って、水差しから二杯目を注ぐ。

「あー……なあ、ハシン。俺は昨夜、どうやってここに戻ってきた」

「タイオス殿は、繁華街で酔い潰れていたそうです。エククシア殿が、当館までお運びに」

「何をう!?」

 彼は叫んだ。頭痛が激しくなって、頭を抱えた。

「それが……目的か?」

 涙を浮かべそうになりながら――激痛のためだ――タイオスは呟いた。

 タイオスの、否、〈白鷲〉の評判を地に落とそうと、そんな真似をするのか。

 自分の評判などはどうでもいいが、〈シリンディンの白鷲〉については名誉を守りたいのに。

「クソっ、何を考えてるんだ、あの野郎は」

 口汚く罵って、タイオスははたとなった。

「……キルヴン閣下は、何か言ってたか」

「存じ上げません」

 ハシンの返答は淡々としていた。

「あのな。俺は酒の一滴たりとも、口にしなかったぞ。信じてもらえるかは、判らんが」

「私は何も申し上げておりませんし、何か申し上げる立場にもございません」

「そう言うなよ。閣下のお考えが判らなくても、お前自身の考えなら判るだろ。お前には、俺はどう見えた」

「――坊ちゃまをお守りできなかったどころか、〈青竜の騎士〉殿の要請にも応じず、街で飲んだくれていた野放図で卑しい、騎士などとはおこがましい男」

 痛い言葉だった。そうとしか見えまい。

「と、見せることが向こうの目的であろうことくらいは、私でも判りますが」

 肩をすくめてハシンはさらりと続けた。タイオスは目をしばたたいた。

「じゃ、俺を信じてくれるのか」

 驚いて尋ねれば、使用人はうなずいた。

「おそらくは閣下も同様のお考えと思います。今日は朝から登城せねばなりませんでしたのでこちらの館にはおいでになりませんが、タイオス殿を放り出せというようなご命令はやはり、きておりませんから」

「そうか」

 タイオスは息を吐いて感謝の仕草をした。

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