04 本日は、どのような

 キルヴン邸に戻ったタイオスは、そのまま伯爵に魔術師を雇う話を――することにはならなかった。

 と言うのも、キルヴンの話の方が先だったからだ。

「何だって?」

 それを聞いたタイオスはまず、聞き返した。

「どういう意味だ、そりゃあ」

「それはお前たちだけが知るのではないか、タイオス」

「いや……あいつは俺を素人と判断したようだったぞ」

 エククシアは、あのとき、魔術の前に動きをとめてしゃがみ込んだタイオスが、怯えたのだとでも取ったようだった。

「それじゃもしかしたら」

 やはり同じ目に遭ったのだろうか、とタイオスは考えた。あと一歩のところで魔術による足止めを受け、タイオスがびびったのではないと理解して――。

(だがそうだとしても)

 彼は顔をしかめた。

「俺にでなければ何も話さない、ってのは、何だ」

 ロスム邸に帰還した〈青竜の騎士〉は、そう言ってキルヴン伯爵の使いを追い返したのだと言う。

「さあな」

 苦い顔でキルヴンは唇を歪めた。

「少なくともリダールを助け出していないことは確実だがな」

 謝罪の一言もなかったとのことだが、タイオスの責任と考えていれば、エククシアが頭を下げることはないだろう。またしても中年戦士は肩身の狭い思いを味わった。

「この店で待っているとのことだ」

 伯爵はたたまれた紙片をタイオスに差し出した。彼はそれを受け取って開くと、それをじっと凝視したまましばらく黙っていた。

「どうした」

 キルヴンが尋ねた。

「読めぬようであれば、代読するが」

「いや」

 読める、とタイオスは答えた。

「いったい何でまた、この店を指名してくるのかと」

「何と言う店だ」

「閣下はご存知ないだろうと思う。いや、名前を聞いたことはあるかもしれないが」

 タイオスは息を吐いた。

「〈幻夜の鏡〉。新しい娼館さ」

 ちょっとのんびりした春女のリーラリーがいる〈青薔薇の蕾〉の商売敵だ。

「娼館だと? どうしてまた」

「さてね」

 戦士は肩をすくめた。

「こいつが」

 と、彼は紙片をひらひらさせた。

「何を考えているのかは知らないが、俺が前に娼館を娼館としてじゃなく利用したときは、こういう理由だった」

 タイオスは唇を歪めた。

「『野郎同士の密談にこうした場所を使うとは誰も思うまい』」

「……成程」

 判るようだ、とキルヴンはうなずいた。

「だが」

 タイオスは呟いた。何だ、とキルヴンは片眉を上げたが、何でもないと彼は首を振った。

「ここへこいと言うんだな? いますぐか」

「そのようだ」

「判った」

 行ってくる、とタイオスは片手を上げた。こうなったら、魔術師のことはあと回しだ。

(噂の新娼館とはな)

(〈青薔薇〉のすぐ近くの……)

 彼ははたとなった。

(偶然、か?)

 カル・ディアに娼館など、山ほどある。だがわざわざ老舗の〈青薔薇〉の近くに居を構えたという新しい店は、明らかに〈青薔薇〉と競う気だ。

 タイオスが訪れた店を知るかのように、対抗馬〈幻夜の鏡〉に招待を――。

(いや、そんなことも、ないか)

 エククシアを敵のように思っていたときならまだしも、あの騎士が誘拐魔を追ったことは事実である。タイオスは、わずかに浮かんだ疑惑を振り払うように頭を振った。

 偶然か。たまたまエククシアか、或いはロスムが利用でもしているのか。

 そんなところだろうと考えた。

 〈青薔薇の蕾〉から歩いて数ティムとかからぬ場所にある〈幻夜の鏡〉は、ずいぶんときらびやかな外見をしていた。街灯の反射で光る看板、入り口の階段の両脇に並ぶ燭台、娼館と言うより見せ物をやる劇場か何かのようだ。

(娼館ってのは、少しうしろめたい気持ちでこそこそ行くもんかと思ってたが)

(……俺の感性が古いのか?)

 派手な店も皆無ではないが、どこか妖しい雰囲気を演出したり、色のある風情を前面に押し出すものだ。どうにも〈幻夜の鏡〉は娼館という印象がなく、うっかり者であれば知らずに演目を求めて足を踏み入れそうである。

 タイオスの好みとは異なった。こんなことでもなければ、リーラリーとの約束がなかったって、彼はこの店に入ろうとは思わなかっただろう。

 だが中年戦士の嗜好とは裏腹に、なかなか繁盛しているようである。友人同士と思しき若者たちだの、部下を連れてきてやったらしい上官だのと、入り口の部屋には年代や組み合わせ様々の男たちがいた。連れ立って出向こうとするとこういう場所になるのだろうかと、タイオスは少し納得をした。

「――ようこそいらっしゃいました」

 若い男の店員が、彼を出迎えた。

 こうしたところの従業員に、普通、見目のよい男は少ない。客の劣等感を刺激しないように、ということもあれば、やはり裏商売でもあるからだ。世の中、見た目がよいと後ろ暗い仕事をしなくても済むことが多いのである。

 しかし〈幻夜の鏡〉はそうではなかった。案内役の男たちは、そののないタイオスから見ても粒ぞろいだ。もしかしたらここは男も女も選べる店なのだろうか、と戦士は考えた。確認するつもりはなかったが。

「本日は、どのようなご用向きで……?」

 「どんな女を所望か」なのか「女が要るか男が要るか」なのか、どちらにせよ、彼はそれに答える必要はない。

「あー、その、何だ」

 中年戦士は咳払いをした。

「待ち合わせだ」

「は?」

 それは想定外の返答だったのだろう。男は目をぱちぱちとさせた。

「エククシア。〈青竜の騎士〉。あいつが、ここへこいと」

「ああ、エククシア様の」

 得心したように男はうなずいた。

「お伺いしております。こちらへ」

「そりゃよかった」

 タイオスはほっとした。〈青竜の騎士〉にからかわれでもしたのだったら、たまらない。

 順番待ちのほかの客を飛ばして案内される彼に、待っていた男たちから鋭い目線が飛んだ。もちろんタイオスは女を買いにきたのではないが、ほかの客にそれは伝わらない。戦士の体格を見たためか、詰め寄ってくるような男はいなかったものの、間違っても「いい気分」ではなさそうだった。

(〈青薔薇〉なら、こういう特殊事情も巧いことさばいて客を不快にさせなかったが)

(若いあんちゃんには難しいだろうな)

 リーラリーが言っていたように、いずれ客は以前からある店に戻るのかもしれないな、などとタイオスは、彼に関係のない娼館事情を思った。

「念のために訊くが」

 上階へと案内されながら、タイオスは男に声をかけた。

「利用料金は、向こう持ちか?」

 せこいことを訊いている、と自分でも思った。だが、この店がどれほど「ぼったくる」ものか見当がつかない。請求されて払えなかったら、またキルヴンに頼らなくてはならなくなる。だが男は首を振った。

「エククシア様からご料金をいただくなど」

「……は」

 タイオスは口を開けた。

(何だ何だ)

(あの野郎、常連なのか?)

(いや、常連だって金は払うわな)

 上得意と言うのは支払いをケチらないから上得意なのである。酒やつまみの無償提供などはあるとしても、完全に料金をにする店など、普通はない。金を払わなくてもいい人物となると、経営者であるとか――。

(まさかな)

 それはないだろう、とタイオスは首を振った。やはり、上得意なのかもしれない。普段の支払いが過剰なほどであり、その代わり、何かの際には便宜を図られるというような。

 ともあれ、エククシアと〈幻夜の鏡〉のつながりがどうであろうと、彼自身に出費の必要がないなら悪い話ではない。タイオスはただ安心することにして、それ以上の想像をやめた。

「こちらです」

 最上階だろうか。三階分ほど階段を上ったあと、男は一室の扉の前で立ち止まった。

「ごゆっくりお寛ぎ下さい」

 そう言うと丁寧に頭を下げ、去っていく。高級料亭〈赤天鵞絨〉を思い出す丁重さだ。タイオスはここが娼館であることを忘れそうになった。

 少し迷ってから軽く扉を叩くと、彼は返事を待たずにそれを開けた。そのままなかに入って、少し驚く。そこはキルヴン邸の応接室さながらに立派な調度品で整えられた部屋であったのだ。

「は」

 彼は口を開けた。

「何だこりゃ」

「遅い」

 囁くような声がした。見れば部屋の奥、革張りの椅子に腰かけた、ひとりの男がいた。それは言わずと知れた〈青竜の騎士〉エククシア。

「これでも急いで、きたんだがね」

 タイオスは返した。

 ふ、と何かが香る。部屋を見回せば、片隅に香炉があった。甘ったるいような香りが部屋中に漂っており、タイオスは「よい香り」と言うより「臭い」と感じた。

「ずいぶんと上客らしいな、騎士さんよ」

 少しからかうつもりでタイオスは言ったが、エククシアは返事をしなかった。琥珀色の液体が入った手元の玻璃杯を弄んでいる。

るか?」

「いや」

 戦士は首を振った。

「酒を飲みにきたんでも、女を買いにきたんでも、ない」

「そうであろうな」

 騎士は肩をすくめた。

「あんたは飲んでても、かまわんが」

 少し皮肉を込めて、タイオスは言った。エククシアが恐縮する様子はなかった。

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