03 けちな盗賊

 ぼんやりと灯りが揺れる。

 何者かが角灯を手に、歩を進めたのだ。

 長い黒髪を持つその人物は、狭い部屋の片隅にある寝台をひょいとのぞき込んで、顔をしかめた。

「……ジョード」

「うん?」

「本当にこれが、リダール・キルヴンだと?」

「そのはずだが」

 ジョードと呼ばれた三十前後と見える長身の痩せ男は、黒い指先で紙巻きの瓏草カァジをもてあそびながら答えた。

「……十八には見えない」

「そう言うが、ミヴェル」

 彼は肩をすくめた。

「十八に見えないから、決行できたんだ。立派に育った十八歳じゃ、俺が勝てたか判らない」

「お前はひょろ長いだけだものな」

 ふん、とミヴェルは鼻で笑った。

「ひょろ長いだけでも、あんたよりは力がある」

 そう言ってジョードは渋面を作った。

「本当にキルヴン伯爵のひとり息子なら、どんな外見だろうとかまわないが」

 ジョードの言葉を無視してそう言ったのは、二十代の前半と見える女だった。いくら痩身でも男であるジョードよりは、確かに腕力が弱いだろう。

「間違いないのだろうな」

「ないない」

 ジョードはひらひらと手を振った。

「護衛もついてた。間違いない」

「何だと」

 ミヴェルは表情を険しくした。

「そんなものはいないという報告だったじゃないか」

「いないと思ってたんだが、いたんだ」

「まさかお前は、顔を見られたんじゃないだろうな」

 護衛がいたと判ったということは面と向かったということだと判断して、ミヴェルは厳しく尋ねた。

「少し、な」

 ジョードは二本の指で、わずかな量を示すようにした。

「でもカル・ディアには肌の灼けた船員マックルなんていくらでもいるし、俺はそれ以外に特徴もない。大丈夫大丈夫」

 気軽に痩せ男は言ったが、ミヴェルはうなずかなかった。

「失敗するようなことがあったら、ライサイ様に申し訳が立たないだろう! お前、これまでたまたま運よく成功が続いたからって、ちょっとたるんでるんじゃないか!」

 その叫び声に、ジョードは首をすくめた。

「ライサイ様ライサイ様ライサイ様。あんたはすぐそれだ、ミヴェル」

「私が、お前も、いまこうしていられるのはライサイ様のおかげだ」

 女は胸を張った。

「あんたはどうだか知らんさ。だが、俺は違う」

 ジョードは否定した。ミヴェルはそれを睨む。

「違うだって? 私が声をかけなければ、お前は掏摸すりや置き引きで糊口をしのぐしかなかったじゃないか。たまの稼ぎもみんな賭け事に使ってしまって無一文。ライサイ様が使ってくださっているから、お前は飯を食えているんだ。それを忘れたのか」

「忘れやしないさ」

 ジョードは慌てたように言った。

「あんたには感謝してる、ミヴェル。だが俺は、ライサイには」

「ライサイ様だ」

 素早く、女は言った。

「ライサイ様とお呼びしろ」

「はいはい。ライサイ様ライサイ様ライサイ様」

 呪文を唱えるようにジョードはぶつぶつと言った。ミヴェルは眉をつり上げる。

「馬鹿にしているのか!」

「とんでもない」

 ふるふるとジョードは首を振る。

「まあ、全く感謝をしてない訳でもない。正直、俺は護衛野郎に剣を抜かれてやばいと思ったのよ。ついに幸運神ヘルサラクは俺を見捨てたか、と」

 男は大仰に祈りの仕草をした。

「そこで突然、戦士がその場にひざをついたのさ。何の冗談かと思ったが、ライサイが、もとい、ライサイ様がお助けくださったんだと気づいた」

「ライサイ様が? お前を?」

 ミヴェルは胡乱そうだった。

「何だよ、その顔は。巧く行ったのはライサイ様のおかげですと、あんたが望みそうな答えを口にしたのに、文句があるのか」

「出鱈目を言ったのか」

「違うさ。本当だよ」

 ジョードは肩をすくめた。

「まあ、本当にライサイ様か、それともあの」

 彼は厄除けの印を切った。

「気味の悪い男の仕業かは、俺には判らんけどな」

 ひょうひょうと言うジョードをやはりミヴェルは睨みつけた。

「お前はいつだって失敗ばかりだ。いつから、巧いこと行くようになったと思ってる? ライサイ様の命令で手下を探していた私が、お前に声をかけてからだ」

「判ってるって。ミヴェルには感謝してるって言ってるだろう」

 ジョードが顔をしかめれば、ミヴェルは首を振った。

「お前はそう言うが、そうじゃない。ライサイ様のお力だ」

「ライサイ様の祝福のおかげだ、とでも言えばいいのか」

 どこか胡乱そうなジョードだったが、ミヴェルは大いにうなずく。

「もちろんだ。ライサイ様は、お前なんかでは想像もつかないほどの偉業を成し遂げた魔術師の末裔でいらっしゃる。素晴らしいお方なんだ」

 実に真剣に、ミヴェルは続けた。

「ライサイ様が助けてくださったのなら、お前には見込みがあるんだ。ライサイ様のお言葉には従うこと。そうすれば金も入るし、次の仕事もいただける」

 いいな、とミヴェルは言った。判ったよとジョードはうなずいた。

「それじゃ、次は指示があったら、いつものようにこいつを放り出せばいいのか」

 痩せ男は昏々と眠る少年を指した。

「金を取ってくるのはあの不気味な奴がやるんだし」

「そのことだが」

 女は首を振った。

「今回は、これまでと違う」

「違う?」

「こいつは、金を取って返すんじゃない、ということだ」

「じゃあ、どうするんだ」

 ジョードは改めてリダールを見た。

「……殺す、とか?」

 おそるおそると言った体で男は尋ねた。

「その命令がくれば、そうする」

 ミヴェルは当然だと答えた。

「でもそういうことにはならなさそうだ。そのまま連絡を待てと言われている。仰せには従え」

「さすがミヴェル。見事な忠誠心」

 ジョードはぱちぱちと手を叩いた。またしてもミヴェルの機嫌は悪くなる。

「馬鹿に」

「してない、してない」

 さっとジョードは、瓏草をミヴェルに差し出した。

「一本って、落ち着けよ」

 ミヴェルは低くうなって、奪うようにそれを受け取った。角灯を棚に置き、防風扉を開いて瓏草に火をつける。するとジョードが待っていたようにもう一本を口にくわえて、ミヴェルのそれから火を移した。すうっと二本の紫煙が漂い、部屋に少しだけ沈黙が流れる。

「もしかしたらライサイ様には、こいつをどこかに売り飛ばす当てがあるんじゃないか」

 そんなふうに推測して、ジョードはあごを撫でた。

「父親よりも高い金を払いそうな、変態趣味の富豪がいるとか」

「さあ」

 興味ない、というように女は応じた。

「変態親父の慰み者だなんて、貴族の坊っちゃんに耐えられるのかね」

「耐えられようと耐えられまいと、私の知ったことじゃない」

 ミヴェルは手を振った。

「だいたい、売り払われると決まった訳でもない。とにかくあとは、ライサイ様のご指示を待つだけ」

 眠り続けるリダールをミヴェルはもう一度見やった。

「しかし、それにしても、護衛がいたとは」

 ミヴェルは口の片端を上げた。

「私たちを捕まえるつもりで隠れてでもいたのだとしたら、そろそろ終わりにする潮時なのかもしれない。私の決めることではないが」

「でも、せっかく巧く行っているのに、惜しい気もするな」

「ライサイ様のおかげだということを忘れるなと、何度言ったらいいんだ」

 黒い瞳でじろっと睨まれ、痩せ男はまた首をすくめた。

「お前はけちな盗賊だった。たまの大仕事が、テレシエール一味のだったじゃないか」

「そんなもんで充分だったのさ」

 ジョードは肩をすくめた。

「俺がうっかり、〈天国タシャーラの首飾り〉を町憲兵に取り返されるまではね」

「それでお前は、テレシエールからも見放された。私がいなかったらどうなってたと思ってる」

「せいぜい、置き引きと引ったくりを繰り返すしか」

 男は正直なところを答えた。

「そうだろう。私が声をかけてやって、ライサイ様からもお前でよろしいとのご許可を得た」

「仰る通り」

 繰り返されても文句を言わず、彼は両手を上げた。

「ミヴェル様、ライサイ様、万歳」

 とても本心から言っているとは思えない声音であり、ミヴェルは飽きずにそれを睨んだが、「馬鹿にしているのか」とは言わずに瓏草を深く吸った。

「お前には、窃盗なんて、きっと向いていないんだ。かと言って護衛のいる隊商を襲うほどの技能もない」

「はいはい、その通り」

 ジョードは反論しなかった。

「俺は無能の役立たずですよ」

 投げやりに男が言うと、女は怯んだ。

「……ん?」

 どうかしたか、とジョードは問うた。ミヴェルは何でもないと首を振った。

「とにかく」

 彼女は咳払いをした。

「もしも、この仕事が嫌だと言うのなら」

「嫌だなんて、言ってないさ」

 ジョードは慌てたように手を振った。

「本当だ、ミヴェル」

「よし」

 ミヴェルはうなずくと、少し笑った。

「あまり不景気な顔をするな。これまでお前は巧くやってきたし、今回も巧くやった。度重なる成功に、少しは晴れ晴れしい顔をしてもいい」

 「ライサイ様のおかげだ」を引っ込めて、ミヴェルはジョードを褒めた。ジョードは苦笑いを浮かべた。

「それじゃ、祝杯でも挙げるかい?」

 ジョードは少し茶化して尋ねた。だがミヴェルは、真面目にうなずいた。

「それはいい」

 ミヴェルはぱちりと指を弾いた。

「ライサイ様に乾杯しよう」

「はは……」

 やっぱりまた出たか、と盗賊は乾いた笑いを返した。

「まあ、いいさ」

 彼は肩をすくめた。

「よし、乾杯と行こう。リダール坊ちゃまと、金づるの貴族様がたと、無能なカル・ディアの町憲兵にも乾杯しなけりゃな」

 ジョードは笑って、支度をしてくると言うと、ミヴェルに向かって敬礼の真似事をした。

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