06 〈青竜の騎士〉
「そうそう、ハルディール殿下、いえ陛下とはその後……あっ」
「何?」
少年がタイオスの背後に目をやって、驚いたように目を見開いた。戦士は何ごとかと振り返る。
「どうした」
「あれ。見てください、タイオス」
リダールが指したのは、店の奥の方の、掛け布で仕切られて個室のような雰囲気になっている席の方だった。
「ほら、帰るところみたいです。さっきまで布に隠れて見えなかったんですけど」
彼はにっこりと笑った。
「あちらは、エククシア殿ですよ」
「何だって」
「驚いたなあ、エククシア殿もこのお店を利用していたなんて。ぼく、何だか嬉しいです」
能天気な少年の台詞を無視して、タイオスはその席をじっと見た。
戦いに向かなさそうな長い金の髪をうしろで束ね、緑色のマントを身につけている。向こうを向いていて顔は見えないものの、腰の細剣がなければ、貴族の若殿かという風情だ。
(あれが、噂の〈青竜の騎士〉殿)
(こんなところでお目にかかれるとはな)
こんな、
「お連れは、わあ、きれいな女性ですねえ。恋人だろうか。そういう女性がいるなんて知らなかった」
「顔立ちはよく判らんが……いい女の雰囲気はあるな」
エククシアに促されて立ち上がったのは、二十代半ばくらいと見える女だった。遠目からも判るほど派手な顔立ちをしている訳ではなかったが、ぱっと見ただけで「美人」という印象を持たせるのは、すらりとしていて姿勢がよいためだ。
まっすぐな黒い髪は艶やか。着ているものは地味な無地のドレスだが、そこからのぞく脚はきれいだ。細い身体をしているものの、弱々しく見えるほど痩せてもおらず、均整が取れている。
エククシアが美男だと言うなら、美男美女の組み合わせか。
(……くそう)
こちとら、お子様の付き添いである。何だか理不尽な気がした。
「あっ、こ、こっちにきますよ。どうしましょう、タイオス」
興奮したようにリダールは言った。
「どうもこうも」
エククシアは女の方を向いたままで、やはりまだ顔は見えない。
「放っとけよ。
そう言ってタイオスはリダールに向き直り、肩をすくめた。そうですね、とリダールは勢いを落とした。
とは言え、少年は〈青竜の騎士〉から目を離せなかったようだ。視線でも合ったと見えて、彼はわずかに会釈する。仕方なく、タイオスはまた振り向いた。リダールの行動を無視するのも奇妙だからだ。
一
リダールに気づき、女を先に行かせた〈青竜の騎士〉は、数ラクトと離れていない場所にいた。
そして彼は伯爵の息子ではなく、まっすぐに戦士を見ていた。
(目の、色が)
(左右の目の色が、違う)
右目は黄色く、左目は青い。稀に、こうした人間がいると聞いたことはあったが、目にしたのは初めてだった。
「――ヴォース・タイオスか」
〈青竜の騎士〉はもう少し彼らに近寄ると、いささか高めの、囁くような、だが妙に聞きやすい声で彼の名を言い当てた。
「ああ」
タイオスはそのままの体勢でうなずいた。
「お前さんが〈青竜の騎士〉エククシアって訳だ」
彼はちらりと、エククシアの腰にある剣を見た。噂に違わず、その柄には翼を広げた青い竜の紋章が刻まれている。
「美女と逢い引きとは、羨ましいこった」
「貴殿は彼の日常の護衛として、雇われたのか」
「何?」
計画にない日にリダールと席を同じくしているということは、そういうことだと向こうは解釈したようだった。タイオスはそれに気づいて、そこで、うなずいた。
「ああ、そうだ」
タイオスは答えて、立ち上がった。
本当のところはもちろん、違う。タイオスは「計画」に関して雇われたにすぎない。本来なら今日は、リダールは自宅でおとなしくしており、護衛の必要はなかった。少年が戦士の訓練を見てみたいと言うから連れただけで、リダールの用件に彼がついてきた訳ではない。
だが、そうだと言った。
「こいつは、俺が守る」
本当にロスムがリダールの誘拐と殺害を企んでいるかは、まだ判らなかった。
しかし、可能性は、ある。
仮にそうでなかったとしても、お前だけには任せられないというような。
タイオスの台詞は、エククシアへの挑戦だった。
「そうか」
エククシアは呟いた。
「では明日を楽しみにしている」
違う色を持つひと組の瞳が、タイオスの焦げ茶の瞳と合わさった。まるでふたりの人物から見られているみたいだ、と戦士は思った。
「はい! お待ちしてます!」
嬉しそうにリダールが答えた。エククシアは少年を一瞥して、何も言わずに踵を返した。
「はああ……格好いいなあ」
うっとり、とでもいう様子でリダールは息を吐いた。
「どこがだ」
タイオスは渋面を作った。
「そりゃ、あいつの雇い主はロスムかもしれんがな。いまのはないだろう」
「何がですか?」
「お前、思いっきり無視されただろうに」
「え? そんなこと、ないですよ。どうしてそんなことを」
不思議そうに少年は首をかしげた。タイオスは肩を落とした。
「判らなけりゃ、いい」
本当に気づいていないのなら、その方が幸せというものだろう。
「エククシア殿は、声も素敵ですよねえ」
またしても少年はうっとりと言った。
「あの人に耳元で囁かれたら、女性はきっといちころですよね」
同意を求められても困るというものだ。タイオスは顔をしかめた。
「リダール。お前」
「はい?」
「お前、クジナっ気があるのか」
つい、彼は問うていた。あまり直接尋ねるものではないが、どういう意図で出ている台詞なのかは知っておきたいと思ったのだ。
と言うのも、もしエククシアに「惚れている」などということがあるなら、彼はリダールを「振り向かせ」ないとならない訳で――なかなか困難な道のりだ。
「ち、違いますよ。ぼくがエククシア殿やタイオスを格好いいというのはそういう意味じゃなくて」
「ああ、それならいい。いや、どっちでもいいが」
趣味嗜好はどうでもいい。本人の自由だ。跡継ぎが必要な立場であれば困ることもあろうが、それだってタイオスが心配することではない。
戦士たちの世界では下の冗談も頻発されるし、男のふたり旅などがいればクジナだろうなどとからかうのは普通のことだった。タイオスにしてみればちょっとした軽口でもあったが、貴族の坊ちゃんには少し失礼だったろうかとも思った。
何にせよ、個人的な話だ。
「しかし」
リダールの性的嗜好より、気になることは向こうにある。タイオスは両腕を組んで、エククシアの背中を見送った。
(平然と、俺の挑戦を受け流しやがった)
(――名ばかりの騎士じゃないな)
味方であるなら、頼もしいと思える。だが、敵であれば。
ふと、優れた剣の使い手である銀髪の剣士ルー=フィン青年のことを思い出した。
タイオスは、ルー=フィンに勝てるという気がしなかったものだ。エククシアにはそこまで思わないが、それはまだ、互いに剣を抜いて向かい合っていないためかもしれない。何しろルー=フィンは、最初からタイオスに剣を突きつけたのだから。
「明日を楽しみにしている、か」
彼はエククシアの台詞を繰り返した。
「いいとも。こっちこそ」
楽しみにしてやろうじゃないか。
戦士は波瀾の予感を覚え、口の片端を上げた。
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