05 すごいなあ

 リダール少年のお気に入りは〈狐の影絵〉という洒落た店だった。

 客層は若く、着飾った女性が多い。男もいたが、恋人に連れられてやってきたという感じだ。

 胸当てを身につけて剣を佩いた中年戦士はどうにも場違いだったが、リダールは気にしていないようだった。タイオスは居心地が悪かったものの、ここはつき合いと我慢した。

(いささか、周りの視線が痛いが)

(保護者。俺はこいつの保護者)

 呪文のように、彼は自分に言い聞かせた。

「ここは卵料理が美味しいんですよ」

 何にしますか、とリダールはにこにこと菜譜を差し出した。

「お前、決めてくれ」

 ちらりとそれを見て、投げやりにタイオスは言った。彼は文字を読むことはできるものの、菜譜を見て料理を選ぶなどということには慣れていない。彼がよく訪れる大衆向けの食事処では、あるものはだいたい決まっていて、「コットの揚げたの」だの「リィの焼いたの」だの、そんな調子で注文するのだ。「本日の定食」の類があれば、それで済ませてしまうことも多い。

「そうですか? それじゃ」

 少年は給仕を呼ぶと、何やらタイオスに聞き慣れない料理の名前を口にした。

「ん? お前は食わないのか」

「ぼくは、お茶で」

「何か食えよ。転んだだけで折れちまいそうな痩せっぽっちなんだから」

「そ、そうですか。でも、お腹が空いていないんです」

 目をぱちぱちさせながらリダールは答えた。

「それに、館の食事をきちんと食べないと、料理長テイレルに怒られますし」

「怒られるのか? 伯爵の息子が?」

「タイオスが言うのと同じように、もっと食べないと大きくなれませんよと、子供に言うような感じで」

「ははあ」

 誰もが同じことを思っているという訳だ。どちらかと言えば身体が弱いようであるし、せめてもう少し太った方がいいと心配するらしい。

「でもぼくは、これでも十八ですし、いまさら大幅に成長はしないと思います。食が細いのも、身体が小さいのも、ぼくのせいじゃない」

「まあ、何だ。気にするな」

 タイオスは言った。どうやら気にしているようだ、と判ったからだ。

「世の中にはどうしようもないこともある」

「そうですよね」

 リダールはほっとしたようだった。

「タイオスは子供の頃から大きかったんですか?」

「そうだな。故郷じゃガキ大将ってな感じで、ガキどもを集めては悪さをしたもんよ」

「悪さ?」

「ガキの悪戯さ」

 犯罪という意味じゃない、と戦士は肩をすくめた。

「だがあのままだったら、ただの乱暴者になっただろうなあ。たまたまいい師匠に出会って、剣を教わった。これが俺の道だ、と思ってな」

 懐かしいラカドニー師匠。厳しい師だったが、いまにして思えば、「ヴォース少年」のためを思って指導をしてくれたのだ。

 可愛がってくれた兄弟子たちも懐かしい。兄貴分と慕ったアースダルも、いまはどこでどうしているものやら。

 そんなことを思いながら話をすれば、またしてもリダールは感心したようだった。

「すごいなあ。偉いですね。ぼくにはできない」

「何も偉くなんかない」

 タイオスは笑った。

「俺が行く先には、自分で作らないと道はなかった。だから作っただけだ。お前には、伯爵位を継ぐという道がある。それだけのことだろう」

「ぼくなんかが、伯爵を継げるんでしょうか」

「ひとり息子だろう?」

「そうですけど」

「なら、継ぐさ」

「それはそうなんですけれど」

 自信がない、ということだろう。

(贅沢な悩みだな)

 彼は思った。

(見たところキルヴン家には勢力があるし、カル・ディアルの情勢にも問題ない。となれば、天変地異でも起きない限り、将来は安定している。こののままで伯爵になったらキルヴンの住民はたまったもんじゃないかもしれんが、周囲が補うだろう)

 甘えん坊のままであっても、放逐されないのだ。庶民からしてみれば腹立たしいまでの「ご身分」である。

 もちろん伯爵になればその双肩には、町を治め、守るという責任がかかる。楽ばかりではないが、それならそれで、やはりもっとしっかりしてほしいところだ。

(俺はキルヴンの住民じゃないから、かまわんと言えばかまわんのだが)

「ご存知のように腕力はありませんので勉学に勤しんでいますが、成績もあまり優秀とは言えず、父を嘆かせています」

 リダールはしょぼんとした。タイオスは適当な慰めを口にした。

「なるようになる。大丈夫だ」

 根拠なく言えば、リダールは困ったような笑い顔を見せた。

「そうだとよいんですけれど」

 悪い子じゃない。そんなふうに思ったが、頼りないことだけは確実だ。自分の息子なら何とか発奮させようと鍛えるが――。

(いかんいかん)

(これは深窓のお姫様だと思え、と言ってるだろう、俺)

 どうにも見ていてもどかしいのだが、タイオスが口を挟むことではないのだ。

 それからしばらくタイオスは、何とか言う卵料理をつつきながら、リダールに訊かれるまま自分のことを喋った。

 修行のことや師匠のこと、仕事中に起きたいくつかの驚くべき事件や、得意の冒険譚――長さ五ラクトはある猛毒の大蛇を退治した話――をリダールは目を丸くして聞いた。

「すごい。すごいです、タイオス」

 無邪気にはしゃがれると、大きな尾ひれのついた話をして悪かったかなという気分にもなった。だが訂正をするのも妙な話だ。賞賛に苦笑いを浮かべるまでにした。

「シリンドルのお話も聞けますか」

「うん? ああ、閣下から聞いてるのか」

 思いがけず少年の口からその地名が出てきたことにタイオスは驚いたが、当然だったと思い直した。

「父上からもですが、サナースからも少し」

「ああ、そうか。お前さんもサナース・ジュトンを知ってるんだな」

 彼がいつ亡くなったものか正確なところはタイオスに伝わっていなかったが、四、五年前とは聞いている。多めに見て五年としたって、リダールは十三歳。記憶ははっきりとあるだろう。

「いい国だよ。小さいが、小さいからこそ隅々まで行き届くと言うんかな。人々は王家に敬意を抱き、王族たちはその尊敬に相応しい人柄を持つ」

 彼は前王のことは知らないが、ハルディールやその姉エルレールは、それこそ「物語絵巻に出てくるような」王子様と王女様だった。いや、いまでは王陛下と王姉殿下だ。

「シリンドルの騎士というのは、格好いいんでしょうね」

 また「格好いい」か、とタイオスは少し笑った。

「そうだな。顔もよくて、気持ちのいい奴らだった。騎士団長は別だが」

「別ですって?」

「いや、何でもない」

 これはタイオスの個人的感情である。アンエスカはあれでも周囲から尊敬と好意を得ているようだし、もしかしたら若い頃は色男だったのかもしれない。想像しにくいが。

「王子殿下とタイオスの、運命の出会いについては聞いていますが」

 瞳をきらきらと輝かせてリダールは言い、タイオスは卵を吹き出すかと思った。

 確かにあれは運命的な出会いであったかもしれないが、何故かリダールに言われると、男と女の、言うなれば恋人同士の出会いについての表現であるように感じられたのだ。

「……どうしたんですか?」

「……いや」

 何でもない、とタイオスは口を拭った。

「料理がお口に合いませんでしたか」

「いや、美味いよ」

 何だか口当たりがふわふわしていて頼りない感じの一品だが――リダールみたいだ、と思った――少なくとも不味くはない。

「よかった! それ、ぼくのお気に入りなんです」

 似た者同士、というような台詞は胸にしまっておくことにした。

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