05 それを忘れなければ

「ともあれ、悪党は成功に味をしめたままでいるはずだ。このところ誰も彼も警戒して、子供にひとり歩きをさせないことはもとより、護衛も複数つけ、町憲兵の巡回路だけを通らせるようにしている。そこに、いま」

 伯爵は息を吐いた。

「息子のリダールが繰り返し、ひとりで裏道を歩くようにしている」

「騎士様はどうしたんだ」

「無論、ついている。見つからないようにして、な」

 キルヴンはうなずく。

「無警戒に見せているが警戒しているのだから、容易にさらわれることはないはずだ、怪しい人物が近寄って不審な動きを見せればすぐにそれを押さえる、という話だが」

「黙ってさらわせるだろう、と? だがそれじゃ向こうの護衛の評判も下がるだろう」

「リダールが指示に従わなかった、とでもすればいい。予定と違う行動をした、などと」

「成程、それが閣下の推測か」

 タイオスがうなれば、キルヴンはじっと彼を見た。

「悪党たちを捕らえろとまでは言わない。向こうの護衛がしないことをやってくれれば、それでいい。リダールの拐かしさえ防いでもらえれば、あとはどうとでもなる。一旬、いや、あと五日でもいい。話が上がってから十日間も何も起きなければ、巧くない計画だったとやめさせることもできる」

 どうか、とキルヴンは頭を下げた。

「あの子を守ってやってくれ」

「あー……俺ぁそういう、親子の情みたいなもんには弱いんだ」

 以前はそうでもなかったはずが、ハルディール王子と出会い、「こんな息子がいたら」などと思って以来、少しほだされる傾向ができた。

「だが」

 そこで降参はせず、タイオスは考えた。

「考えなしに同意しちまった話と言い、そんなに案じるってことは、リダール少年てのはまだ幼いんだな? 子供を囮に使うなどよろしくない、という風潮を作れよ」

「……十八」

「ん?」

「リダールは十八歳だ、タイオス」

「……そりゃ立派に一人前」

 成人として認められるのは十五だが、一年間くらいは危ぶまれることもある。しかし十八ともなれば、場合によっては「子供」と表現することもあろうが――タイオスからすると二十歳前後くらいまで「子供」、三十前までは「若造」だ――父親があれこれ心配する年齢ではない。

 いささか過保護ではなかろうか、と戦士は思った。

「やりたきゃお前の息子にやらせろ、とロスムに言ってやることは?」

「彼の息子は、六年ほど前に事故で死んでいる」

「ははあ」

 そりゃやらせられんな、とタイオスは呟いた。

「〈青竜の騎士〉とやらは何者なんだ? 向こうさんが採用するくらいなら、腕は確かなんだろう? 仮にさらわれたって、助け出すならリダールは無事だ。万一そいつが失態を犯しても、これまでの話と同じなら金さえ出せば戻ってくるんだろう」

 金を出し惜しみしてるのか、とも思ったが、そういうことではなさそうだった。

「判らんか。判らんだろうな」

 キルヴンは顔をしかめた。

「もう一度、今度はより噛み砕いて言うとしよう、タイオス」

「おう。何だか知らんがやってくれ」

 戦士は挑戦を受けるとばかりに胸を張った。

「ロスムの脚本では、リダールは失敗することになっているだろう」

「そこは理解してる。あんたの政敵は、息子を蹴落とすことであんたの評価も落とそうって訳だ」

その通りアレイス

 キルヴンはうなずいた。

「そしてロスム推薦の騎士殿は、誘拐犯を見事退治」

「だからそう巧くはいかんと」

「巧くいかせるに決まっている」

 伯爵は唇を歪めた。

「ロスムは自分の騎士にリダール誘拐を見過ごさせるだけじゃない。息子を殺させ、賊の仕業とするだろう」

 真顔でキルヴンは言った。タイオスは渋面を作った。

「まさか。いくら何でも」

「守りきれずに申し訳ないと私に頭のひとつも下げるかもしれん。だがそれだけだ。私は息子と評判とどちらも失い、奴は溜飲を下げ、ついでに評価を上げる」

「いや、穿って考えすぎじゃないか」

 戦士はそうした汚い世界もよく知る。騙したこともあれば、騙されたこともある。倫理道徳がどうとか言うより先に、生き延びた方が勝ち。無事に生き延びた側は、自分の卑怯な振る舞いに口をつぐみ、責任を死者に転嫁して、のうのうと生きる。

 タイオスはその世界を知っている。

 そしてキルヴンは、そういうことを言っている。

(だがまさか、仮にも伯爵閣下が、自分の評判のために競争相手の息子を暗殺なんざ)

(……まあ、神殿長ラクラシルでも謀反を企む世の中だ。何があっても不思議じゃないが)

 貴族と呼ばれる人々が、見た目に飾り立てた様子と違って腹黒い連中ばかりであることはタイオスも知っているが、どろどろした陰謀はこねくり回しても、人殺しに手を染めるのは危険が大きすぎるだろうと考えた。

 もちろんタイオスは「伯爵と呼ばれるような立派な方がそんなことを考えるはずがない」などと思うのではない。

 だが、たとえば恐喝者などを闇に葬ると言うのですらない、競争相手をちょっと蹴落としてやるためという動機でその息子の殺害などを謀っては、発覚したときの評価の失墜は計り知れないはずだ。

 そんなことをするだろうか、と思うのである。

(キルヴン伯爵が警戒しすぎているか、それとも本当に、そこまでやりかねない相手なのか)

 タイオスにはまだ、判断できるだけの材料がなかった。とりあえずは、キルヴンの推測に則って話を進めるしかない。

「閣下がそう考えていることは、判った」

 慎重にタイオスはうなずいた。

「だがもう少し、根拠が欲しいね。息子の殺害まで企まれている、ということへの」

「ロスムは」

 キルヴンは視線を落とし、また息を吐いた。

「彼は自分の息子を失った。そして、私の息子は生きている。それが気に入らないのだ」

「そんな阿呆な」

 思わずタイオスは言った。

「関係ないだろう?」

「普通は、そう思うだろうな」

「そいつは頭がおかしいのか」

「偏執的なところはある。だが、狂人とは言えなかろう。鋭い意見も出し、他国への利益の流出を防いだ功績は記憶に新しい。一部からは強い信頼を受けている」

「一部以外からは?」

「油断のならない男、という評価だ」

「成程ね」

 タイオスはそうとだけ言った。

 キルヴンは公正に話しているようだが、どうしたってキルヴンの視点が入る。一概に信じることはできない。

 もっとも、彼がナイシェイア・キルヴン伯爵に雇われるのであれば、全面的にこの考えに則ってもよい。正義なんて人それぞれ。対山賊などであればともかく、殊、貴族たちの勢力争いなどでは、どちらかが極端な悪党ということはまずない。立場の違い、利権の問題が対立を生むのだ。

 ヴォース・タイオスは雇われ戦士で、雇い主の依頼に従う。だから、実はカル・ディア宮廷ではロスムの方が評判が高かったなどということがあっても、別にかまわない。そういうことも有り得ると、それを忘れなければいいのだ。

「対抗意識むき出しのロスム伯爵。その部下たる〈青竜の騎士〉。閣下の子息リダールに、謎の誘拐組織」

 戦士は行われる芝居の登場人物を数え上げた。

「あんたは俺に、リダールを犯罪者と、もう一種類の魔手から守って、あわよくばどちらの企みも表に引きずり出せと言う訳だ」

「そこまでやれとは言っておらん」

「言ってるも同然だろうがよ」

 戦士は顔をしかめた。

「――報酬は」

「望みのままだ」

「そりゃ剛毅なこった。俺が法外な価格を要求したら?」

「払えないほど要求されれば、払えない」

 伯爵は肩をすくめ、それからにやりとした。

「だが〈白鷲〉の資質に『強欲』はなかろうよ」

 シリンドルの名誉をかぶせられては、謙虚に行くしかない。タイオスはうなって、判ったよと手を上げた。

「請求は適正価格で行く」

「では、引き受けてもらえるのか」

「いやいや、ちょっと待ってくれ」

 タイオスは慌てて手を振った。

「どこそこに悪党の隠れ家があるから退治してくれ、という依頼なら普段のものと変わらない。それならすぐに受けられる。だが」

「誘拐団は息子を囮におびき出す。そういう話だ」

「いくらか譲って、おびき出されるまでもつき合うとしよう。護衛ならお手の物だ。しかし、護衛から護衛しろなんてのは」

「向こうが護衛をと言うのは断りきれない。手柄を独り占めする気だと思われるからな」

 伯爵は息を吐いた。

「何だそれは」

 タイオスは眉をひそめた。

「話によれば、囮の件は王子が、リダールを『生け贄』にってのはロスムとかが言い出したことだろうに」

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